白の舞姫 第八話
一番隊に行った剣八たちがなかなか戻ってこないので、は十一番隊隊舎でお茶を頂きながら待っていた。お茶を入れたのは弓親だ。
「さんは乱菊さんのとこにいるんだよね」
「ええ。良くしてもらってます。あの、ちょっとだけ十番隊に顔出してきてもいいですか?」
お茶菓子を食べ終えたはそう尋ねる。
「いいけどよ、なんでだ?」
「日番谷さんと乱菊に話してこないと。私十番隊にお世話になってますから、お話してこないと」
十番隊隊長が総隊長の客人の世話を任されていることは皆知っていたし、日番谷が特に丁重に扱っていることも十分知っていた一角と弓親はすぐさま頷いた。
「隊長も副隊長も戻ってこねえみたいだし、もし戻ってきたら俺らが呼びに行くから十番隊のほうに戻ったほうがいいな」
「分かりました。じゃあ失礼します。お茶ごちそうさまでした」
はすっと立ち上がり、袿を翻して歩いていった。後姿に弓親がほうと見惚れる。
「それにしても美しい。ねえそう思わない一角」
「…さあな。隊長と戦うってのにあの落ち着きは何なのかが気にかかるけどな」
十一番隊の隊舎から十番隊の隊舎まではすぐだ。は十番隊の隊舎に戻り、松本に声をかけた。
「ただいま乱菊」
「おかえりなさい。鬼事はどうだった?」
「頑張ってはみたんだけど、やっぱり更木さんに見つかっちゃった」
松本はくすりと笑って筆を置く。
「まあ十一番隊は鬼事が好きだから、慣れてるもの。お茶いる?」
「ううん、さっき十一番隊で綾瀬川さんにごちそうになってきたから大丈夫。ちょっと更木さんと約束しちゃって」
「なにを?」
これが三番隊の隊長なら一日お付き合い、とかそういうことだろうと予測もつくのだが、相手が十一番隊となると分からない。
「一回だけ勝負をするって約束したの。やっぱりダメだった?」
「勝負って…更木隊長と?」
驚いている松本にはこっくりと頷く。約束した後で一角も慌てていた様子だったし、やはりいけないことだったのだろうか。
「……隊長に話したほうがいいわね」
松本は立ち上がり、執務室へ急ぐ。も後ろについていった。
「隊長、松本です」
「どうした。入れ」
「がちょっと更木隊長と約束してしまったそうで」
日番谷の眉間の皺がくっきりと刻まれ、さらに深くなる。
「何を約束したんだ」
「さっき鬼事をやっていたんですけど、それで負けてしまって。勝ったのは更木さんで、一つ言うことを聞かなければならないと言われまして、勝負する約束を」
眉間の皺はもう深まりようがないぐらい深い。おまけに目線もさらにきつくなる。
「総隊長のお許しが出れば、という前提ではあるんですが。やっぱりいけなかったでしょうか」
恐縮しきりのに対して日番谷は深く息を吐いた。思えば隊首会のときから更木はと勝負したがっていたのだから、気をつけていれば良かった。
「総隊長の許しが出ている上に約束したってんならしょうがねえだろう。だがな、」
「はい」
「更木の名前を剣八というが、それは一番強いものが名乗る名前だ。更木は斬魄刀の始解もましてや卍解も出来ないが、隊長になっている。それだけの戦闘能力があるということだ」
「斑目さんもすごく強いのだと仰ってました」
そう聞いてもなお怯むそぶりを見せないに日番谷は苛立って髪を乱暴に掻く。
「総隊長の許しが出たのなら俺には止める権利はない。だが、お前に怪我をさせるようなことがあってはお前の家族に申し訳がたたない」
「勝算はあるの?」
心配そうな声色の松本を安心させたかったが、には虚との戦闘経験はあるが死神との戦闘経験はない。どう言ったらいいか迷っているとき、隊舎の外から声が掛かった。
「十一番隊三席斑目だ。ここにいるを呼んでほしい」
「松本、こっちに呼んでこい」
「はい」
松本はそのまま執務室を出て応対に向かった。日番谷は眉間の皺を深くさせたまま、長いため息をついた。
「あの日番谷さん」
「なんだ」
「勝手な真似をしてすみません。出来るだけご心配をおかけするようなことは避けたかったのですが…」
「過ぎたことを言っても仕様がないだろう。今は勝つことだけを考えろ」
日番谷がそう言ったとき、執務室の戸を外から叩く音があった。
「隊長、斑目三席を連れて参りました」
「入れ」
戸が開いて松本と恐縮した態の一角が入ってくる。
「話は聞いた。総隊長の許しは出たのか」
「条件付ではありますが、一応でました」
「条件はなんだ」
「この一度だけで以後は戦いを申し込まないこと。殺し合いではなく、あくまで勝負であり致命傷をつけないこと。他の隊の隊長や席官同席のもと、公平に行うこと。どちらかが負けを認めた際は速やかに攻撃を止めること。以上です」
緊張しきった一角が条件を述べると、日番谷は一つずつに頷いたり思案顔を見せたりしながら何か考えている様子だった。
「日取りはいつだ」
「三日後、十一番隊の道場で行われます。追って地獄蝶で知らせがあると思います」
「了解した。いいな」
「はい。お受け致します」
頷いたの霊圧は前に十一番隊を訪れたときと同じでとても力強く、淀みなくながれる大河のようだった。一角は霊圧にあてられながらぎくしゃくと頭を下げる。
「では失礼します」
一角が下がった後、執務室には松本のため息が漏れた。
「一応配慮のある条件みたいですけど、なにせ戦闘には容赦のない更木隊長でらっしゃいますから、やはり心配です」
「……松本。うちの隊に更木と体格が近いやつはいるか。席官でだ」
自分が稽古をつけてやれば一番いいのだろうが、何せ組むとなったら体格差の影響もある。より口惜しいことに小柄な自分より、多少力は劣っても体格が近いほうが訓練にはなるだろう。
「いませんね。更木隊長が大きすぎるんです。…京楽隊長や浮竹隊長が一番近いように思えますが、お二人は二刀流ですし」
「狛村はさらにでかいしな。…仕方ない。あいつに頼むか」
日番谷は地獄蝶を持ってきて、何事か伝令している。窓を開けると地獄蝶はひらひらと舞い去っていった。
「今から道場へ行くぞ。少なくとも、刀を相手に戦うことには慣れねえとまずいからな」
なんだかんだ言って隊長はの面倒をよく見てるわよねえ…と松本はひとりごちて日番谷の後を追った。
十番隊の隊舎奥に専用の道場がある。日番谷は氷輪丸ではない別の刀を二本持って、道場に入った。下級の死神が使う浅打だ。
「更木は始解も卍解もしない。あるのは刀と霊力だ」
そう言うと日番谷は浅打を抜いてすっと正眼に構える。霊圧を次第に上げていき、徐々にに近づいていく。
「限界まで耐えろ。眼帯を解いたときの更木の霊圧は並のもんじゃない」
は袿を脱いで小袖と袴姿になっている。長く垂らしたままの髪を松本に結えてもらい、しっかりと日番谷の霊圧を受け止めている。松本は道場の壁際で見守っていた。
日番谷がどんどんと霊圧を上げているに従って、呼応するようにの霊圧が上がっていく。寄せられる霊圧から身を守るために自身が霊圧を上げているのだ。
強い霊圧がぶつかり合い、思わず松本は膝をついた。浅打を支えにしてようやく立ち上がる。
「ここまで耐えられるなら更木の霊圧にも対応出来るだろう」
日番谷がそう言って霊圧を下げて、やっと松本は自由に息をすることが出来た。もゆっくりと霊圧を収めていく。
「お前は思ったよりずっと戦闘向きだな。虚たちと戦ってきた経験があるということか。刀を持った経験は?」
「剣道なら少し。でも、別の方法で戦いたいんです」
「別の方法?お前は術が使えると言っていたな。それか」
が頷いたとき、道場の戸が開いた。
「日番谷隊長、六番隊副隊長阿散井参りました」
「ご苦労。頼みというのはな、こいつの相手をしてくれ」
「え…」
恋次はいつもと違うの姿に驚き、刀を持っている日番谷にも驚いている。
「どういうことっすか乱菊さん」
「が更木隊長と勝負をすることになって。更木隊長と体格も近くて戦闘慣れしている恋次に手合わせを頼みたいの」
松本の説明の一々に恋次は驚いていたが、手合わせと言われて渡された浅打を掴んでを見る。
「手合わせっていってもは武器を持たないんじゃないんすか」
「だから恋次も浅打で、始解とかなしでお願いしたいと思って」
更木隊長は始解しないしね、と付け足して笑う松本に恋次は空いている手で乱暴に頭を掻いた。
「」
「はい」
日番谷は恋次がのことを名前で呼んでいることに眉をひくりと吊り上げたが、表情は変えない。
「俺と戦えるか」
恋次はまっすぐにを見つめた。も恋次をしっかりと見上げる。その目は前と同じようにやっぱり澄んでいて、漂う霊圧は淀みなく静かだ。
「お願いします」
その声色のきっぱりとした響きを聞いた恋次は頷いて、日番谷と代わるように道場の中央に立った。日番谷は松本の傍で腕を組んでいる。
「手加減はしねえ。始解はできねえが、この刀はお前を斬ることが出来る。忘れるな」
は頷いて懐刀を抜いた。そんな小さな刀でどうすると恋次は言いたかったが、が術を使えることを思い出して口を噤む。正眼に構えてぴたりと止める。
「いくぜ」
右足で踏み込んだ恋次が上から振り下ろした刀をは懐刀で受け止める。左手一本で恋次の刀を受け止め、受け止められた恋次が驚いている隙に空いた右手で剣印を組み九字を切る。恋次が何事かとそちらに注視した瞬間に懐刀を捨て、内縛印を両手で組む。
「ノウマクサンマンダ・バサラダンセン・ダマカラシャダソワタヤ・ウンタラタカンマン」
「なっ…」
二太刀目を入れようと思うのに、身体が重たくて思うように動かない。やっとのことで上に振り上げたとき、また縛られる感覚があった。
転法輪印を結んだは真言を唱え、恋次の身体の自由を奪う。
「ノウマクサンマンダ・バサラダンセン・ダマカラシャダソワタヤ・ウンタラタカンマン」
やっと両手を上に振り上げたのに、その腕を振り下ろせない。おまけに足を動かそうにも足も動かせない。
はさらに外縛印を組んでまたも真言を唱える。
「ノウマクサンマンダ・バサラダンセン・ダマカラシャダソワタヤ・ウンタラタカンマン」
微かに動かせていた、その微かな動きすら許されないほどに、かっちりと縛られる感触に恋次の額から汗が流れ落ちる。この女が俺に勝てると言っていたのはこのことだったのか。
「無理に動かすと魂魄の力が弱まります。もう動けないはずです」
恋次が何か喋ろうにも唇すら動かない。
「虚ならこれから祓うんですけど、そういうわけにいかないし…。あ、これなら」
何するつもりだよ、止めろよと恋次は言いたかったのだが、やはり喋れない。は恋次の両肩に手を置いた。
「ひふみよいむなや こともちろらね しきるゆゐつ わぬそをたはくめか うおゑにさりへて のますあせえほれけん」
「ひふみよいむなや ここのたり ふるべ ゆらゆらとふるべ 澳津鏡 辺津鏡 八握剣 生玉 足玉 道反玉 死反玉 蛇比礼 蜂比礼 品物比礼 ふるべ ゆらゆらとふるべ」
段々と身体が解けていき、が唱え終わった後には普通に動かせるようになっていた。
「どう?具合良くなったと思うけど」
「お前何言って…」
恋次は構えていた腕を下ろして動かしてみる。さっきまで書類仕事を根詰めてやっていたのに、なぜか身体は嘘のように軽い。
「え、え…?」
「私が恋次の動きを止めたのは縛る術。さっき唱えたのは心を落ち着けて身を清める術。だからすっきりしてるはずよ」
「身体が動かなくなったときはどうなるかと思ったけど、お前すごいな」
日番谷と松本が近寄ってくる。恋次は姿勢を正した。
「、さっきのが術か。鬼道と似ているようだが、手で何事かやっていたな」
「あれは密教の術で、霊縛術といいます。手で印を口で真言を心で観仏を行うことによって術は成立し、相手の身体の自由を奪います。生きている人間であっても霊体であっても同じです」
の説明に日番谷は頷いてみせながら、恋次を見上げた。
「阿散井、どう感じた」
「次第に身体が動けなくなって、しまいには唇すら動かせなくなりました。縛道よりもかなりきつい縛り方のようです」
「…同じ方法で更木と戦うつもりか」
日番谷の問にはしっかりと頷いた。腕力も剣術の覚えもないにはこういった術でしか戦えない。
「どう思う松本」
「更木隊長の最初の一打を受け止められるか、避けられればなんとかなると思います。更木隊長は鬼道が苦手ですから、対抗することは出来ないでしょう」
松本の答えに日番谷は尚も腕を組んでいたが、やがてに浅打を手渡した。
「これで阿散井の一打を受け止める練習だな。刀身の短い懐刀は危険すぎる。印を組むのなら、片手で受け止めないといけないのだろう?」
「ええ」
「…というわけだ、阿散井よろしくな」
「はい…」
その日、遅くまで十番隊の道場には日番谷の声が響いていた。に改めて握り方から教え直し、阿散井に思い切り一打を浴びせさせてそれを片手で受け止める練習がひたすら続けられた。
三日後。十一番隊の道場には様々な人物が集まっていた。総隊長、一番隊副隊長、三番隊からは市丸と吉良、五番隊の藍染と雛森、六番隊の朽木と阿散井、八番隊の京楽と伊勢、九番隊の東仙と檜佐木、十番隊の日番谷と松本。他は現世任務や体調不良などで来られなかった。もちろん、救護役として四番隊の卯ノ花と虎徹がいる。
「めちゃくちゃ集まってるじゃねえか…ほとんど隊首会レベルだな」
「すごい人気ですからねえ」
日番谷が呆れて感想をもらすと松本が混ぜ返した。
十一番隊の席官までは入場出来たが、人数が多すぎるとのことで平の死神は外に締め出された。もちろん十一番隊は隊長である更木が圧勝すると信じて疑わない。が戦えることを知っているのは阿散井、日番谷、松本だけだ。
「隊長、帯刀命令出てないのになんで千本桜持ってんすか」
「危険なときのためだ」
隊長格は帯刀命令が出なければ帯刀は許されないし、抜刀命令がなければ抜刀してはならない。それは朽木も十分承知のはずだが、千本桜を腰に携えている。
「危険ってがすか」
「無論だ。何事かあっては大変であろう」
むしろ大変なのは帯刀命令もなく帯刀してる隊長本人じゃないすか…とはやっぱり言えない恋次である。
他の隊の死神は道場の壁際に広く散っており、上座には総隊長と一番隊副隊長がいる。
「、用意はいいか」
「ええ、大丈夫」
一角の呼びかけには頷いて、浅打を左手で持った。の利き手は右だが、最初に右で印を組むので左手に刀を持っている。剣八はやちるを置いて出てきた。
「よう」
「…こんにちは」
「やっとてめぇと戦えると思ったら楽しみでならねえ。言っとくが、手加減しようなどと思う暇はねえからな」
ねめつけるような剣八の視線にもは怯まずに受け止めて口の端を上げる。
「お互い本気で、ね」
の言葉に満足そうに頷いた剣八を見て、一角が中央に立った。進行役である。
「時間無制限、一本勝負、始め!」
一角はすぐさま身体を引き、弓親のところへ逃げる。剣八の霊圧が飛んできては大変だからだ。
剣八は刀を振り回して上に構え、すぐさまのほうに振り下ろす。雛森と伊勢はぎゅっと目をつぶった。
「……!?」
は左手で剣八の一打を受け止めようとするが、あまりの力でなかなか受け止めきらない。違う、力で対抗していたら勝てない。霊力を使って…。
日番谷に教わったとおり、霊圧を上げて剣八の打撃を受け止めようと左手に意識を集中させる。剣八はが片手で受け止めたことに驚いて、引いて二太刀目を振り下ろそうとした。
そのとき。
は持っていた浅打を投げ捨てた。
「!?」
朽木がすぐに刀を抜こうとしたが、恋次に止められる。市丸や檜佐木は息を飲む。日番谷と松本はが一打目を受け止めたことにほっとして、息を整えた。
は身体を屈ませたと同時に懐から一枚の紙切れを取り出し、自分と剣八との身体の境目に置いた。結界の神符だ。すぐに剣印を組んで九字を切る。
「臨・兵・闘・者・皆・陳・列・在・前」
剣八の二太刀目がを襲った、その瞬間には内縛印を組む。
「ノウマクサンマンダ・バサラダンセン・ダマカラシャダソワタヤ・ウンタラタカンマン」
「くっ…」
振り下ろしたまま、振り上げることが出来ない。刀はの肩に食い込んで、白い小袖の肩口から紅い染みが広がっていく。再度朽木が前に出ようとしたが、恋次が止める。雛森や伊勢は見ていられなくなって、藍染と京楽にしがみついていた。
はまったく気にする風もなく転法輪印を結んで、ゆっくりと刀を振り上げる剣八の身体の自由を奪う。
「ノウマクサンマンダ・バサラダンセン・ダマカラシャダソワタヤ・ウンタラタカンマン」
剣八は刀を振り上げた姿勢で止まってしまった。はさらに外縛印を組んで真言を唱える。
「ノウマクサンマンダ・バサラダンセン・ダマカラシャダソワタヤ・ウンタラタカンマン」
「…これでもう動けないはずです」
はそう言って右手の袖を破いて左肩に充てて止血した。剣八は手はおろか、足も口すらも動かすことが出来ない。
「剣ちゃん、どうしたの、剣ちゃん!」
やちるの声が道場に響く。一角他席官は驚いて何もいえない。
「負けを認めて下さい。でないと、私はあなたを祓わなければならなくなる」
昇華は霊にとって死を意味する。
「総隊長、止めたほうがいいでしょう。この状態で更木は喋ることすら出来ない」
日番谷は上座にいる総隊長に向かって進言する。
「剣ちゃん、動いてよ、戦ってよ!負けちゃやだよ!」
やちるの高い声が道場に響く。もはや剣八は動くこと叶わず、は投げ捨てた浅打を拾い上げた。
「総隊長、早く止めてください。このままじゃ十一番隊のやつらがに襲いかかりかねない」
現に十一番隊の席官の中には斬魄刀を構えている者すら現れ始めた。
「止めじゃ!」
総隊長の声が静まり返った道場に響く。
「もはや嬢の勝ちは決した。異議あるまいな」
やちるは目に大粒の涙を溜めて唸っている。一角がなだめすかしているが、やちるの気は治まらない。
「嬢、その術を解いてくだされ。お主の勝ちじゃ」
は頷いて結界の神符を剥がした。身体が自由になった剣八が三度剣を振り上げる。は屈んでいる姿勢のままだ。
「!」
総隊長の前にいた日番谷が瞬歩で近づいて振り下ろした剣八の太刀を氷輪丸で受け止めた。
「勝ちは決まった。往生際が悪いんじゃねえのか、更木」
「俺はまだ負けちゃいねえ。邪魔するんじゃねえよ」
「日番谷さん…」
は一瞬にして現れた日番谷にびっくりしていたが、日番谷はじりじりと刀を押し返しての前に立ちはだかった。
「こいつの術で身体の自由を奪われた。それは負けなんじゃねえのか!」
「言いたい放題言いやがって餓鬼が…」
「こいつがとどめを刺さなかったのは、そういう条件だったからだ。条件守って戦ったやつに対して不意打ちするのは卑怯ってもんだろ」
「日番谷さん、もういいですから、私の負けでいいんです」
の言葉に剣八はぎろりとを睨んだ。
「てめえはなぜ負けを認める」
「私にあれ以上争う気がないからです。争う気のない者を嬲りたいのならそうすればいい」
止血したはずの肩からはまだ血が滲んでいる。
「けれど、争う気のない者を嬲ったとしたらあなたの誇りは失われ、刀は錆びてしまうことでしょう」
「…てめえ」
争う気がないといいながら、は剣八をまっすぐ見上げて強い言葉を吐いた。
「……」
不意に剣八は下ろしていた刀を収めた。日番谷も警戒しながら刀を収める。
「……俺の負けだ。あの得体の知れない術で、俺は少しも動けなかった。てめえの勝ちだぜ、」
はにっこり笑う。
「ありがとう」
日番谷は大きく息を吐いての横に立った。
「日番谷さん、ありがとうございます。助けて下さって」
「…別にたいしたことじゃねえよ。卯ノ花、こいつの怪我診てやってくれ」
「はい。こちらにどうぞ」
が卯ノ花のところへ行ったのを合図に剣八は十一番隊の席官たちのところへ、日番谷は松本のところへ戻っていった。
「隊長格好良かったですよー」
「お前なあ」
「も勝ちましたし言うことないですね」
「……いや。言うことなら山ほどあるぜ」
「え?」
が恋次と戦ったときにはは符など使わずに勝つことが出来た。符を貼ったせいで時間が大幅に使われてしまい、結果二太刀目を肩に浴びることになったのだ。は怪我をしなくても勝てた方法があったはずだった。
治療をしてもらっているのところへ朽木と恋次が歩いてくる。
「大丈夫か」
「朽木さん、恋次」
「お前やっぱすげえな」
すでに血は止まっていた。消毒したあとで治癒を行っている。
「あの術はどういった術だ」
「朽木さんは密教をご存知ですか。密教の僧侶が使う術です。霊体を縛る力があります」
「ふむ」
白哉が生きていた時代にももちろん密教はあった。しかし生前そのようなことに興味の薄かった白哉は僧侶たちがそういった術を使えたことを知らなかった。
「あの術で虚とも戦うのか」
「ええ。あの術で縛ったあとに昇華のための祝詞を唱えて昇華します」
が術の説明を白哉と恋次にしている間、剣八は泣くやちるをなだめていた。
「剣ちゃんなんで負けちゃったの!剣ちゃんは強いのに!」
「悪ぃなやちる。あいつの術にかかちまった俺が悪い」
負けた隊長がやけにすっきりした顔をしているので、報復しようと思っていた十一番隊の席官も落ち着いて刀を収めている。一角は怪我をしたを心配そうに見やっていた。
「今度誰かと戦うときは絶対負けちゃ嫌だよ」
「おう。今度は負けねえよ」
剣八がうけ合うとやちるはようやく泣き止んで笑った。
それからばらばらに解散になり、残っていたのは治療をしている卯ノ花と虎徹、日番谷と松本だけになった。
「これでもう大丈夫です。骨にはもともと異常ありませんでしたし」
「本当にありがとうございます」
深く頭を下げたは初めて見る治癒の霊力に内心驚いていた。卯ノ花はおっとりと笑う。
「これが私たちの仕事ですから。また怪我されたら四番隊においでくださいね」
「はい」
「それでは私たちはこれで。行きますよ虎徹」
日番谷と松本も卯ノ花に頭を下げ、卯ノ花と虎徹は道場から帰っていった。
「私たちも帰りますか、隊長」
「ああ。ところで」
「なんでしょうか」
「お前なんで符を使った」
十番隊の隊舎へと戻る道すがら、日番谷はに先ほどから思っていた疑問を投げかける。
「お前なら使わなくても勝てたはずだ。符を貼っている時間が長くて二太刀目をくらう羽目になっただろう。阿散井のときには現に使わずに勝てていたんだからな」
「…周りにたくさん人がいましたよね」
「ああ」
「私の術は霊体に影響を及ぼす術です。出来る限り対象者に絞り込むように訓練はしていますが、もし誰か他の方に影響を及ぼしていたら、その方の魂魄をも傷つけかねません」
日番谷は押し黙る。
「たとえば更木さんや恋次のときのように、戦うことが前提であって、心構えをしている方なら自然と魂魄を守れますから大丈夫なのですが、無意識でいる方に影響を及ぼしてしまったときが一番大変なのです」
「見ている俺らを守ろうとして怪我をしたってのか」
「……守るというのはちょっと大袈裟ですけど、術者である以上、ほかの方にご迷惑はかけられません。あの符は結界を張る符です。更木さんの周りに結界を張り、術の影響が更木さんにしかいかないようにしたかったので」
十番隊の隊舎につき、執務室に戻っても日番谷は黙り込んでいた。松本はお茶を入れに行き、はソファに座らされた。
「お前が守りたいものは分かった。それは仕方のない選択だったんだろう、お前にしたら。でもな」
「はい」
「ああいう戦い方はもう止めてくれ」
「日番谷さん…」
今まで見たことのなかった日番谷の表情には驚いて目を瞬かせる。日番谷はふいと視線をそらした。
「俺も松本も肝が冷えた。まして俺はお前の家族からお前を預かってきた身だ。お前の家族に申し訳がたたない」
元々は更木が言い出したことだが、戦うこと自体を止めさせなかった日番谷は自分の責任も感じていた。でもなによりが血を流しているところを見たくなかった。肩に食い込む刀や白い小袖に滲んでいく紅い色を今でもはっきりとまぶたの裏に思い描ける。
もうとっくにお茶を淹れている松本は湯のみを三つと茶菓子をもって戸の外に立っていた。今入ってはいけない気がする。
「ありがとうございます。心配かけてすみませんでした」
「いや、謝ることはない。最初から戦いを止めなかった俺らにも責はあるしな。傷が癒えたからいいようなものの、これで致命傷でも負っていたらと思うと言葉がない」
はゆっくり顔を綻ばせた。家族以外の人間からそうやって心配されたのは久しぶりでくすぐったい。
「あまり無茶をするなよ」
「はい」
松本は戸の外でわざとらしい咳払いを二三度繰り返した。
「…どうした、入れ」
「お茶持ってきました。も疲れただろうしと思って甘いものも」
が内から戸を開けて松本はお盆を持ったまま入ってくる。入るなり日番谷に目配せした。日番谷はその一瞬で聞かれていたことを察し、くるりと背を向けてしまった。顔が赤い。
「ありがとう乱菊」
「疲れたでしょ?はい」
松本から湯のみと菓子皿を受け取ってソファの前にある座卓に置く。松本は日番谷の執務机にも湯のみと菓子を置いて、自分の分を持っての隣に腰掛けた。
「二太刀目が入ったときは本当にびっくりしたわよ。恋次との稽古じゃあ圧勝だったのに」
「関節やっちゃったかとも思ったんだけどね。卯ノ花さんが治癒してくださったから、もう痛みもないし大丈夫。治癒能力って本当にすごいのね」
「卯ノ花隊長の隊は救護隊で、隊員がみんな治癒能力を持っているの。私は卯ノ花隊長の斬魄刀を存じ上げないけれど、斬魄刀も治癒能力のあるものだと聞いているわ」
松本とが仲良く話している最中、日番谷は二人に背を向けたまま、煎茶を啜っていた。きんつばを少しずつ齧りながら動悸を治める。
あのとき、もし瞬歩が少しでも遅れていたらと思うと日番谷はぞっとした。もはや戦いを止めていたに刀は振り下ろされただろう。あの太刀筋ならば袈裟懸けに斬られていたはずだ。首や心臓に刀が届いていたら──。
そんな生命の危機にあったというのに、はまっすぐに更木を見つめ一歩も引かなかった。刀が振り下ろされて嬲られても構わないと言い切った。未だ年若い女にしては覚悟が出来すぎている。これも虚と戦ってきた場慣れの成せるものなのか。そして負けを認めた更木に向かってはありがとうと言った。笑って。
何の意味があったのか、日番谷には分からない。刀を収めたことに対してなのか、負けを認めたことに対してなのか。元々戦いを望んだのは更木なのだから、が戦いたかったわけではないだろう。の一族は死神と争わずにきたと聞いた。いつだったか、が更木に向かって言った言葉が気に掛かる。
『義のため以外に戦うつもりはありません』
ではこの戦いには彼女なりの義があったということだろうか。それは事前に更木としていた約束を守るということなのか、別の意味なのか。
「隊長?」
考えこんでいた日番谷の思考に松本の声が割って入った。日番谷はすぐさま我にかえる。
「なんだ」
「さっき、三番隊の席官が書類を持ってきました。隊長に回しても大丈夫ですか」
三番隊はぎりぎりまで書類を溜め込む癖がある。といっても溜め込むのは市丸で、その度に吉良がいろんな隊へ頭を下げて回ることになるが。
「市丸のヤロウ、また溜め込んでやがったのか。今回はどれぐらいだ」
「…ざっと一ヶ月分ですね」
「いつかシメる…」
三番隊から回ってきた一ヶ月分の書類の他にも、十番隊の通常業務がもちろんある。いつもよりかなり忙しくなるということだ。
「私も何かお手伝いしますから、出来ることがあったら言って下さい」
の申し出に日番谷は大きく息を吐いた。
「雑事になるが構わねえか」
「もちろんです。いつもお世話になってますから何でもどうぞ」
「三番隊から回ってきた書類に通常業務が重なって、いつも雑用している隊員にも仕事が回る。そいつらに代わって雑用をやってくれればいい。掃除、書類整理、お茶くみ、後なんかあるか」
松本は少し考えこむ風を見せて指を折った。
「掃除に書類整理にお茶に…大体そんなとこだと思いますよ。必要なことがあれば私が教えますから」
「そうしてくれ。じゃあ仕事に戻るぞ」
「はい」
詰め所に戻ろうとした松本に続いて執務室を出ようとしたを日番谷が呼び止める。
「」
「はい」
「お前は死んでもいいと思ったことがあるか」
はじっと日番谷を見つめかえした。
「いいえ。けれど、殉じる覚悟を忘れたことはありません」
「それは義に殉じるということか」
「…はい」
日番谷は、知らず胸騒ぎを覚えた。は落ち着きのある人間だと思っていたのに、覗くと激情を隠し持っている。危険だ。
→第九話
さんいかがだったでしょうか。剣八と戦おう編。ついでに日番谷隊長に守ってもらっちゃいました編。
今回のテーマである「義」について少しづつ迫っている感じですが、もっともっと深く掘り下げていこうと思っています。
次回は恋次と修兵か恋次と白哉。そろそろ一護にも瀞霊艇に入ってもらいましょうか。
お付き合い有難う御座いました。多謝。
2005 11 5 忍野さくら拝