春されば野辺に先ず咲く見れど飽かね花 幣なしにただ名乗るべき花の名なれや
「旦那ァ!ちゃんと手加減して下さいよ!」
「分かっておる!」
先を走る真田の旦那から威勢の良い声が返ってくる。そういう俺も普段の大手裏剣じゃなくて、手刀だけで周りのヤツらを昏倒させていった。
お館様の命で京に来たはいいものの、用を済ませて帰ろうとした途端、変な祭に巻き込まれてしまった。野次馬たちが『京名物喧嘩祭りや!』なんて言ってたけど、どーゆー名物だよ、これ。俺らに向かってくるやつは武器を持っちゃいるけど、動きがほとんど素人。
とっとと親玉締めて甲斐に戻らないと…と思いながら走っていたら、目の前に旦那が立ち止まっていた。
「ん?どーしたの旦那」
「加勢か。いいよ、二人まとめてでも。相手したげる」
旦那の前に立ちふさがる少女はそう言ってにっと口の端を上げた。あれ、けっこうきれいな感じ。少女は笑ったまま両の手を肩越しに見える柄にかけ、勢い良く二振りの刀を抜く。
「そのようなことを申されず、そこを立ち退かれよ!某、女子を傷つけとうはない!」
「…甘いんだから、旦那は」
俺からすりゃ女だろーと子どもだろーと、旦那に刀向けた時点で抹殺対象なんだけどな。
変なところで気が良くて人の良い主は、威勢の良い言葉に戸惑っている。
「立ち退くわけにはいかないな。慶次が戻ってくるまではあたしがここの大将みたいなもんだから」
「これを戦だと申されるか」
踊っているんだか戦いたいんだかさっぱり分からないやつらに戸惑っていたのは旦那も同じようだった。はぁ、と思わずため息がもれる。あの子、大怪我しなきゃいいけど。戦ってなったときの旦那は強いからねェ。
「それならば、某がお相手仕る。貴殿のお名前は」
「。…、。赤備えに六文銭…真田幸村だね」
「左様。真田幸村参る!」
「来な!」
「…ん?」
なんか聞き覚えがあるようなないような…?今の笑った顔にも何か見覚えがあるような?
旦那の槍を受け止めたのは、と名乗った少女が持っている二振りの刀だった。両手が利くのか、両手に一振りずつ持っている。背にはたすきがけに鞘が括られているところから見て、普段は背負っているのだろう。
仕方ないので、手出しはせずに(したいけどしたら旦那に怒られる)周りのヤツらが邪魔しないように動くだけにした。
「旦那ー、あんま大怪我させないようにねー」
刀を使えるとなればどこぞの武家の娘かもしれない。今まで倒してきたやつらの首領というには、刀の太刀筋が正統派過ぎる。あきらかに、師について剣を習った者の太刀筋だ。どの流派か、ってのまではよく分からない。動きが素早い上に、構えに特徴がないから判断がつかない。にしても、だ。京にはお館様の主命で来ているのだから、余計ないざこざはまずい。ここで他家とひと悶着あれば、そのまま武田にも降りかかりかねない。
旦那がぱっと槍で横薙ぎにした瞬間に少女は身を躍らせて、槍の上にすっと立った。おお、身軽だねー。
「な!?」
「懐に入れないんなら、こっちから飛び込むまで!」
戦場で戦うような相手に槍の上に乗られたことなどない旦那は、明らかに慌てて、その隙に少女は槍の上をすいすい歩いていく。身軽っていうか、もはや忍っていうか…。少女は旦那の近くまで歩いてくると、そこでぐっと槍を蹴落とすようにして踏み込んで飛び上がり、旦那目がけて刀を振り下ろした。一つは垂直に、一つは並行に。
「旦那!」
「!」
聞き慣れた金属音が響く。旦那はかろうじて二つの槍を器用に構えて少女の剣を受け止めていた。
「力任せじゃ無理か、やっぱ」
少女はにこ、と笑って身を翻した。ほんと、どこの里?って聞きたくなるぐらい身が軽いな。
「旦那、どうよ。代わろうか?」
すばしこいのが相手なら、俺のほうが得意だ。けど、旦那は首を振った。
「名乗った相手と打ち合わずに逃げるなど、兵の風上にも置けぬ振る舞いでござる!」
「へーへー。旦那はそう言うだろうと思ったよ」
「評判通りだね、真田幸村」
少女の口ぶりには余裕のようなものまで感じられる。ちょっと腹が立ってきた。どこの誰か知らないけど、うちの旦那に対して偉そうな。まあ実際これでどっかの偉いさんのお嬢さんとかだったりしたら、余計困るけど。
少女は刀を構えたまま、にっこりと笑ってみせる。
「真っ直ぐでひたむきで。好きだよ、そういう人」
「な!?」
「あちゃー…」
旦那は兵法には滅法強いし、単純な力比べでもかなり強い。戦となれば策も練れるし、敵と対峙するときの駆け引きだって上手い。けど。
見ず知らずとはいえ、女の子に笑顔で「好き」だなんて言われたら、旦那が今まで通り戦えるわけもなかった。
「はは、赤くなった」
「は、破廉恥であるぞ!」
少女はにこにこ笑ったままで、それでも刀をかざして間合いを詰めようとしている。が、対峙している旦那はもうそれどころじゃなかった。顔どころか首まで真っ赤で、見ていられない。ついにはしゃがみこんでしまった。おいおい。
「そんなんじゃ、上杉とやるとき大変だよ?あそこには綺麗な忍がいるし」
ぴくり、と勝手にこめかみが引きつった。
なんでそんなことを知ってんの、この子。武家の娘だとしても、一国の忍の容姿まで知っているとなると、立場が限られてくる。
軍議に参加出来るような立場なのか、独自の情報網を持っているのか、そもそもこの子自体忍なのかもしれない。持っている刀は忍刀ではなしに、普通の刀よりは少し長いものだけれど。武士の変装をして忍ぶ忍がいないわけじゃなし、十分ありえる線だなー。身軽さだけで言えば十分合格だ。
「慶次悔しがるだろうなぁ。あたしと同じで強いヤツと戦うの、好きなやつだから。遅いなぁ、慶次」
「…慶次って、前田の?」
旦那が元に戻るまで時間稼ぎをしようと話に割って入った。少女はうん、と頷いてやっぱり笑う。
「前田利家の甥の、前田慶次で合ってるよ。あたしの相棒。京に十年もいるくせに方向音痴なヤツでさ」
「お嬢さん、ずいぶん兵法が使えるね。誰に習ったのさ?」
「……従兄弟が習ってたお師匠さま。まあ、一応女だからこっそりと、だけど」
師匠の名前でも分かれば、そこからどこの家の者なのか分かると思ったけど、警戒されたのかはぐらかされてしまった。やはり、普通の武家の娘ではなさそうだ。
「いや女の子でそれだけ使えれば十分でしょ。普通に戦場にでも出てきそうな勢いだから」
「出てるじゃん。これ一応戦ってことになってるから」
「まぁね」
笑って見せながら、やっぱガキだね、と内心ため息をついた。この子は本当の戦をきっと知らない。俺や旦那からすれば、こんなの戦のうちに入らない。俺らは(多分)誰も殺していない。戦になれば、人の命なんて気にしていられない。自分が生き抜くことだけが、全て。
「これは戦だよ?死んだ仲間もいっぱいいる」
「え」
俺の心情を読んだかのように少女はそう言って、ふっと表情を翳らせた。
「島津のおっさんも上杉の忍もたくさん仲間を傷つけていった。死んだやつもいる」
それでかすがのこと知ってたわけね。かすがもここに何しに来たんだかな。
「……」
「でも、それは仕方ないことだから。戦に出た以上、生死は自分の責任だからね」
すっと目を細めた少女の顔は、確かに覚悟をしている者の目だった。運命を知っていて、それでも尚抗って自分のために生きる者。、ね…。
「さて。もう時間は十分あげたでしょ?行くよ!」
にっと口の端を上げて笑ってみせ、は刀を構えた。あの宮本武蔵とかいうガキも二振りの刀を使うのだと聞いたことがあるが、そいつは上段と下段に構えるのだという。はむしろ両方中段に構えている。
「あーあ、バレバレってか」
「このお侍さんが平常心になるまで、時間稼ぎしてたんでしょ?真田幸村だっけ。もういいよね?」
「無論!」
旦那は元通りになったみたいで、元気良く二槍を構えている。
「そなたの覚悟、聞き申した。それならば、こちらとて大将首を狙うつもりで参りますぞ!」
「刀を取ったときから、覚悟は決めてるよ。あたしは、人の言うままにはなりたくない!」
この子、やっぱりどこかの有名な武将の娘だな。人の言うまま、というのは親の言う通り、というのを指すのではないだろうか。今の時代、女の子は親の策略に従って嫁ぐのが普通だ。それが嫌で逃げてきたのか…。
でもって名前の武将なんて聞いたことないし…そもそも本名素直に名乗るとも限らないし…。うーむ。
「ぬぉ!」
「…旦那!?」
考えごとしてる間に、気がつけば旦那が地面に転がされてた。は立ち上がろうとした旦那の足の動きに反応して、斬りかかる。槍を置くことで両手を空け、両手を後ろに勢い良くついて身体を翻し、なんとか立ち上がった旦那へ、すぐに間合いを詰めてまたもや斬りかかっていく。
「負けを認めて!」
「嫌でござる!」
旦那は手甲をしているから、刀を受け止めることも出来る。むしろ、素手の方が戦いやすいかもしれない。もそれが分かるのだろう、目に見えて焦ってきた。
「ん?」
二人の周りに点々と血の跡がある。俺が見てた限りじゃ、致命傷を与えるような隙はどちらにもなかった。次々と斬りかかるの刀を旦那は器用に受け止めたり避けたりしながら、当て身を入れようとしている。でもがすばしこい上に体捌きが上手いのでなかなか当たらない。その間にも血の跡は増えていく。
「これで…終わりでござる!」
の刀を受け止めも避けもせず、腕ごと掴んで引きこみ、鳩尾に当て身を入れた。
「…ッ!」
立っていられなくなったを旦那は片手で受け止めて、抱え込む。大将らしいが倒されたことで、辺りは静まり返った。
「旦那、どっか怪我してる?」
旦那は脂汗をかいて息の浅くなったを横たえてやりながら、首をひねる。
「某ならば、少々脇腹と腕を痛めた程度だ。殿の刀はよう切れる」
見せて、というと旦那は手甲を外してから上着を脱いだ。確かに背中側の脇腹が斬られているし、腕にもいくつか斬られた跡がある。血の跡はこれか。
「旦那に怪我させるなんてねぇ」
「怪我なら、殿もしておるはずだ」
手持ちの水で傷を洗い、携帯している血止めの軟膏を塗って、面布を切って巻き付けた。サラシのほうがいいのだが、手元にない。
「え」
「何度か、確かに斬った感触がござった。殿の動きが早いので、某が狙ったところに当たったようではないのだが」
「旦那が狙ったところに当たってたら死んじゃうから。でもどこ怪我したのかな」
女の子だし、別に領地をかけて争ったわけじゃない、巻き込まれただけなのだから、手当てぐらいしてやってもいいかもしれない。
「あたしは…平気だから…」
「殿、お屋敷はどこでござる。お連れしよう」
はゆるく首を振って手をついて立ち上がろうとする。が、力が入らないのか、地面に倒れこんだ。旦那があわあわしている。
「佐助、殿をどこか手当てできる所へ」
「どこかって…茶屋にでも運ぶ?」
家の屋敷は調べればすぐに分かるけど、面識のない俺や旦那が行ったところで素直に通してもらえるとは思えないし、一悶着起こすと面倒くさい。
「湯がもらえれば良いのだが、とりあえずお運びしよう」
旦那に言われてを抱え上げる。女の子にしては結構重いほうかもしれない。背丈もかなりあるし、身体にはきれいに筋肉がついている。従兄弟のついでで教わったと言っていたが、本人も鍛錬しているのだろう。
「さん!」
戦場を出ようとすると、一人の男が走りよってきた。俺たちを警戒しているのか、片手に持った武器を放そうとしない。
「この子に用事?」
俺が尋ねると、男は頷いて結び文を手渡す。
「さんに渡してくれ。慶次からだと言えば分かる」
「前田の風来坊から、ね。了解」
を抱えたままの片手で結び文を受け取って、俺たちは戦場を後にした。
「旦那、この子どーすんの?」
町中に戻ると、の知り合いだという茶屋の娘がすぐに座敷に通してくれた。お湯の入った盥ももらい、足や脇腹についた傷はきれいになった。もちろん旦那の傷も。手当てをして寝かせているが、は気を失ったのか、目を覚ます気配がない。
「どうするも何も、このまま捨て置くわけにはいかぬ」
「優しいのは結構だけど、大将から仰せつかった用事も終わったんだし、甲斐に戻らないと」
「それはそうだが…」
旦那は眉根を寄せたまま、眠っているの顔と外を眺めている。
「京の女子というのは、このように強いものなのだなあ」
「いや、たぶんこの子は別でしょ。太刀筋も正統だったし、どこかの武家の娘だと思うよ」
「しかし某はという武将の名を知らぬ。おぬしは知っておるか?」
首を振った。という名前の武将など、聞いたことがない。俺だって主だった武将しか知らないから、どこか小国のさらに下っ端の武将なのかもしれない。
「調べて来ようか?」
さほど広くない京で名前の分かっている屋敷について調べるなんて、至極簡単な任務だ。なのに、旦那は首を振った。
「ならぬ。殿に尋ねれば良きことを、勝手に調べるなど無礼であろう」
勝手に調べて旦那たちに教えるのが俺の仕事なんだけどなぁ。でも俺はこういうことを言う旦那が嫌いじゃない。
「分かりましたよ。ともあれ、お姫さんが目覚めないことには話になんないね。団子でも買って来ようか?」
「そうだな…あ」
頷きかけた途端、旦那ははっとの顔を見つめる。のまぶたがゆっくりと上がった。
「…ここ、どこ」
「茶屋でござる。その…さきほどは加減出来ずに申し訳ござらん」
は頭を下げた旦那を不思議そうな目で見ている。
「なんで謝るの?手加減されたら怒るけど、加減されなかったことで怒る必要はないよ」
「しかし…」
「あたしが弱くてあんたが強くて、だからあたしは負けた。それだけでしょ?」
「…殿が弱いわけでは」
取り成すように言った旦那の言葉をは片手を振って遮った。
「少なくとも、あんたよりは弱かったってことだ。今日、あの場では。次やるときがあったら負けないけど」
「さようでござるか」
「そうだ、これ渡せって頼まれたんだった。前田の風来坊からだってよ」
「慶次に会ったの!?」
勢い良く身体を起こそうとしたは、途中でぴんと身体を張りつめさせ、ゆっくりと布団に倒れこんでいった。まだ旦那に殴られた腹が痛むのかもしれない。旦那が斬った傷は大したことなかったけど、あの一撃はけっこう遠慮なかった。
「会ってはないよ。仲間なのかな?よく分からないけど、とりあえず風来坊からだから渡せって言われてね」
結び文を手渡す。は受け取って、ゆっくりと布団の上で開いた。黙って文字を目で追う。
「……あほ」
読み終わったの第一声はそれだった。
「風来坊は何て?」
「別に。明日いつもの場所で落ち合うってそれだけよ。あいつの叔父さんと叔母さんたちが京に来てるらしくて、それで慶次は逃げ回ってんだけど、見つかりそうになったのかもしれない」
「前田利家が?」
前田慶次の叔父といえば、織田軍に属している前田利家以外にいない。は頷いた。
「慶次は前田のお家から逃げ回ってるから。…ま、あたしも似たようなもんだけど」
「のお屋敷に戻らなくていいの?」
は苦々しく笑ってみせる。
「もうずっと戻ってないよ、あそこには。慶次と会ってから」
恋仲なのか、と聞こうとしたけど旦那がうるさくなりそうだったから止めた。前田利家は自分の嫁と一緒に戦場に立つけど、甥も同じなんだろうか。
「殿は、家のご息女でおられるのか」
「そうだよ」
「家は織田に仕えておるのか」
旦那の問いに答えるの顔をじっと見つめる。特に変化も見当たらない。
「ああ、京は織田の支配下にあるからか。家は武家じゃないよ。天子様(天皇)に仕えてる公家」
「え」
「は?」
公家のお姫様が刀振り回したり対峙した相手に『来な!』なんていうとは思えないんだけど…。
は違う違う、といって笑った。
「公家っていってもいろいろあってね、武芸で天子様に仕える人たちもいるんだ。武官ね。お父様も武官だから、武芸のたしなみはあるってわけ」
「へー…」
「さようでござったか。殿も天子様にお仕えしておられるのか?」
甲斐なんて京の都からすれば田舎、京のことなんて全く分からない。大将には確か官位もあるはずだけど、俺にとっちゃどーでもいいことだしね。
「あたしは違うよ。そういう話もあったけど、お断りした。あたしは慶次たちと町で好き勝手やってるほうが楽しいから」
「変わったお姫さんだねえ」
俺が有態な感想を述べると、は少しだけ笑った。
「慶次も最初はそんなこと言ったね。あいつだって前田家の坊ちゃんなのに」
「でも、風来坊は前田家の血筋じゃない」
前田慶次は、前田利家の兄である前田利久の子だが、前田利久と実母が再婚したからの親子関係であって、血のつながりはまったくない。
その前田利久はもうこの世にはいないはずだ。前田慶次の身は前田家の中でも微妙な位置にあるといってもいい。
俺の言葉に、はすっと目を眇める。
「…そんなこと、どうでもいいことだよ。慶次の家族は利家さんで、まつさんで、京での家族はあたしらだ」
「ところで、殿」
「なにかな」
「いつもの場所とやらは、ここから遠いのでござるか?」
「って言われても、ここがどこの茶屋か分からないから答えようがないんだけど」
旦那との目がいっせいに俺を見た。はいはい、わかってますよ。
「ここは五条西洞院の辻近く。そう言えば分かる?」
は頷いた。
「よく分かったな佐助」
「そりゃ敵地の地理ぐらい頭に入ってるよ」
「じゃあここは三松屋?」
の声に首肯して是を示す。確か、店先にはそんな暖簾が掛かっていた。
「三松屋なら、ちょっと歩くわね。ここは大通りに面してる店だから」
「殿はそのいつもの場所、という所に住まっておいでなのか?」
「うーん、そういうことになるかな。慶次とかほかのヤツらも一緒だけど」
「そんなに大きなお屋敷なわけ?」
破廉恥だの何だの呟き始めた旦那を放ってそう訊ねると、は、ちょっとだけ考えて頷いた。
「広いでしょうね。でも曰くつきで永いこと誰も住んでないから、あんまりここの人は近づかない」
「曰くつき?」
「昔話ね。源氏の御曹司が京に上り、京で政権を揮っていた平家は都落ちせざるを得なくなった。その平家一門の、誰だったかは忘れたけど、自分の妻や子どもたちと離れることを厭うた武将が一族郎党で果てたという屋敷よ」
「…つまり、出る、と?」
旦那はちゃんと話を聞いていたのか、怖がって顔を真っ青にしている。勇猛な武将なくせに、この手のことにはからきし弱いんだ、旦那は。幽霊とか妖怪とか物の怪とか。あと女にもあんまり強くないな。
「みんなそう言うけど、あたしも慶次も見たことないし。みんな仲良く暮らしてるから、祟られるってことはないと思うな。大体、武士は化けて出たりしないもんよ」
「それは合戦で死んだときの話でしょ」
俺の言葉には肩をすくめてみせる。
武士が化けて出ないと言われるのは、常に死ぬ覚悟があるからだ。だから合戦でやられて死んでも、相手のところに化けて出たりなんてしない。けどの言う昔話が本当なら、その武将は自死を選んだ上に一族郎党を道連れにしたわけで、一族郎党の誰かが祟ってもおかしくなさそうだ。
「女子どもと離れたくないからって、一族郎党巻き込んで死んだ弱いヤツなんかに祟られたって怖くないね」
それが本音らしい。今度は俺が首をすくめてみせた。
「女からすれば迷惑って?」
「迷惑よ。武将なら武将らしく源氏とでも戦って果てるべきよ。いくら平家の命運が尽きていたと言っても、生き残った平家の女や子どもはたくさんいるんだから、同じように生き延びさせてあげれば良かったのに」
はそう言った後で、でも、と付け足した。
「あたしなら、一緒に都落ちして源氏と戦うけどね」
「……あんたは強いね」
笑ったに、そう告げるとそうでもないよと返ってくる。旦那はまだ幽霊におびえているようだった。
「だっていつどこで死ぬか分からない夫を想うより、傍で一緒に死んだほうが良くない?」
よほど愛情深く育てられたのだろうか。俺にはちっとも分からない感覚だった。生き延びられるのなら、それでいいのではないだろうか。まして戦なんて男の沽券や自尊心や勝手で起きるものに、自分から巻き込まれて死なずとも。
「あんたはそれほど好いた男でも居るの?風来坊?」
は首を振って、少しだけ笑う。
「慶次とはそんなんじゃないよ。慶次には…好きな人がいるし」
「ふーん」
別に公家のお姫様の色恋に首をつっこむ気はない。前田の風来坊のものにも。俺がそう応えると、なぜか別のところから音がした。
ぐるるる、というまるで獣の声みたいな音は旦那の腹の虫だった。
「旦那」
幽霊におびえてたのかと思えば、腹を空かせてたのか。
「お腹空いたんだ。三松屋なら、おまさって子がいるから、呼んできて?」
「承知!」
旦那は飛ぶように部屋を出ていく。よっぽど腹が減ってるみたいだな。
「ところでお姫さん」
「…あたしはって名乗ったはずだけど、猿飛佐助」
確かに旦那は俺の名前をさっき呼んだけど、正体までバレるとは思わなかった。諸手を上げて降参の意を示す。
「はいよ、姫さん」
「何?」
「なんでそんなにいろいろ詳しいわけ?旦那の名前にしても俺の名前にしても」
武官だとか言っていたから、兵法の嗜みがあるのは分かる。でも、京からすれば田舎に過ぎない甲斐の、しかも一武将の名前を知っているのが気になる。おまけに影の存在である俺の本名まで。
は視線を傾けて、ちょっとだけ唇を舌でなめた。
「まあ…いろいろ。慶次と一緒に旅してたこともあるし」
「旅?ずいぶん仲が良いんだね」
「言ったでしょ、京での家族だって。いろんなとこに行ったよ。土佐とか薩摩とか」
立花の姫武者にも会った、と言いながらは指折り数えて旅先を告げる。
「西ばっかだ」
京より西の地名ばかりは挙げているのでそう返すと、だって、と返事があった。
「東には前田のお屋敷があるからね。近づかないようにしてんの」
「ああ、そういうことね」
前田慶次が前田家当主夫妻から逃げ回ってる話はもう聞いた。頷くと、部屋の障子がすぱんと開く。
「お連れ申したぞ、殿」
旦那がさっき俺たちを案内してくれた娘を連れて立っていた。
「ちゃん、この人ら、何なん?」
「ごめんね、おまさちゃん。ちょっと頼まれて?」
「ええよ、ちゃんの頼みやったら。ちゃんにも慶ちゃんにも、えろうお世話になってるさかい」
娘はにこりと笑っての傍に座る。はゆっくりと上半身だけ起こして俺たちを指差した。
「この人たちの分とあたしの分、何か食べるものくれない?簡単なものでいいからさ。ああ、でも」
そう言っては旦那を指差す。指された旦那は目を瞬く。
「何でござるか?」
「この人は、すっごくおなか空いてるみたいだから、二人分ね」
「四人分どすな。少し待っておくれやす」
「お願いね!」
娘は頷いて部屋を後にした。ぱたぱたと足音が聞こえる。
「よくこの店に来るんだ?」
「慶次とかと一緒にね。たまにガラの悪い連中とかが来たりもするから、そんときは二人でのしちゃう」
ああ、それですごいお世話になってる…わけね。
「織田の武士とかいるんじゃないの?」
京は今織田の支配下にある。支配下にあるということは、治安を守る担当の武士たちがいるはずだ。
「そりゃいるけど。そいつら呼ぶまでに、店や娘さんたちに何かあったらどーすんのよ」
「だから自分たちでやる、と」
「そう!」
は晴れやかに笑ってみせた。それが楽しくて仕方ないことのように。ひどく眩しい笑顔で、俺はなんだか見ていられない。俺は闇の者で影を生きる者で、決して日向を生きる者じゃないから。
このお姫さんのように、お天道さまの下を堂々と胸張って生きられる者じゃないから。
「すごいでござるな。町の人々を守っておられるのか」
「守るとかそんなつもりじゃないよ。目の前で、誰かが傷つくのは嫌だから。特に娘さんはね」
「じゃあ何で…」
あんな戦を俺たちにしかけてきたのか。意図が分からず俺も旦那も眉をひそめた。
「ちゃん、障子開けてぇな」
娘の声に旦那が反応して、さっと障子を開ける。娘が膳を持ってやってきた。飯に味噌汁、煮物まであった。旦那用なのか、飯が大盛りだ。
「お膳だなんて、そんな」
「気にせんといてぇや。このお侍はんよう食べるんでっしゃろ?せやったら一緒やわ」
「これは忝い」
大盛りの飯が乗せられた膳を前に、旦那はちょこんと頭を下げた。俺の前にもの横にも膳が用意される。
「ちゃんの頼みやから、あんたらは気にせんといて。せやったら、ごゆっくり」
「おまさちゃん、ありがとうね!」
旦那は箸を持ったまま、の顔をうかがっている。
「お腹空いてるんでしょ?どうぞ」
忝い、と言いながらすでに旦那は飯を食っていた。すげー勢いで。飯粒がいろんなとこに飛んでるよ、旦那。
「猿飛さん、あなたもどうぞ」
「佐助でいいよ。お姫さんにそんな呼び方されるとこそばゆい」
「そう」
は一言だけ返すとゆっくりと食事を口にした。ゆっくりと、というよりは育ちの良さが一目で分かるしぐさだ。さすがにお公家さんは違うねぇ。
俺も久しぶりの白飯を味わうことにする。甲斐じゃ白飯なんて貴重品だからなー。
京の喧騒が部屋をゆっくりと満たしていった。
初BASARA夢。女剣士ヒロイン編。
戦闘シーンが本当に上手くなりたいです…ああ…。
戦国時代のこととかよく分かってませんが、いつも通りの見切り発車です!
逆ハーになればいいなあ…と思って、もう元親には会ったことにしました(笑)。島津のじっちゃまにも。
立花の姫武者というのは、九州の立花家当主、立花ァ千代のことです。無双に出てるから、こっちにも出そうかなって(笑)。島津のじっちゃまのライバルらしい。
お付き合い有難う御座いました。多謝。
2006 9 17 忍野桜拝