春の色の 至り至らぬ 里はあらじ 咲ける咲かざる 花の見ゆらむ
三松屋でおまさちゃんが出してくれたお膳を平らげると、真田幸村は甘いものが食べたいと言い出して(まだ食べるのか、この人は)佐助が外に出ていった。真田幸村がこっちに気に入った団子屋があるらしい。
殿」
「ん?」
「前田慶次殿とはどういった御仁でござろう」
「慶次?」
大雑把な質問に首を傾げる。
「身体がすごく大きくて、髪があたしより長くて、よく笑って、途方もなく怪力で、しょっちゅう恋がどうのって言ってる、変なヤツだよ」
「変なやつ、でござるか」
真田幸村はふむ、と相槌を自分で打って落ち着きなく視線を彷徨わせた。あたしを見て視線を床に落とし、外に向けたかと思うとまたあたしに戻す。
「何?何か言いたそうだけど」
殿は、前田殿の奥方でござろうか?」
「違うよ。慶次にお嫁さんはいないし、許婚ってのも聞かないな」
利家さんとまつさんを見て育ってる慶次は恋ってやつをすごく大事にしてる。誰かを好きな気持ちとか誰かを愛しく思って守ろうとする気持ちとか。そういう温かい気持ちを大事にする慶次だから、本人もすごく温かい。あたしを含めて慶次の周りに人が集まって絶えないのはきっとその温かさに惹かれるんだと思う。温かいのは、慶次が大事に育てられてきたってこともあるんだろうけど、大事なひとを亡くした経験があるからだとあたしは思っている。
「その…同じ屋敷に住まわれておると聞き申したが」
「一緒の家だけど、仲間も含めてたくさんで住んでるからね。…女はあたしだけだけど」
うんうん、と頷いていた真田はあたしの最後の言葉にぎょっと目玉を丸くした。
「な、な、なんと!?」
「だから言ってるでしょ、家族だって。想像してるようなことは何もないよ。別にあたしが奥さんとか侍女みたいに食事の支度とか皆の世話とかしてるわけじゃないし、男も女も関係ないって感じ」
そも、出来ないのだ。ご飯の作り方なんて教わったことないし、家の掃除も朧げにしかやり方がわからない。洗濯はかろうじて分かるけど、経験は少ない。慶次たちと一緒に住むようになってしばらく経つけど、そういうことは手の空いた人間がやることになってる。もちろんあたしも時間が空けば手伝うけど、あんまり皆が手伝わせてくれない。慶次を迎えに行ってくれとか(慶次は方向音痴だ)、どこそこのおばあちゃんがあたしを呼んでた、とか飲みつぶれた仲間を拾ってきてくれ、とかそういう用事をたくさん言い付かって、あたしは外に出ることが多い。
「左様でござったか…」
真田は何を思ったか、得心がいった顔で何度も頷いている。よく分からない。
「旦那、お待たせー」
出て行った佐助が明かり障子のある窓から戻ってきた。びっくりして目を瞬かせると、忍びだからねえ、とゆっくり言って目だけで笑う。
「ほいよ、団子」
「すまぬな」
団子の包みを手渡すと、ほとんど重さを感じさせない動きで佐助は障子の側に腰を下ろした。
「それにしても、世は戦乱だってのに京ってとこは暢気っていうか浮かれてるっていうか、変わってるね」
佐助の言葉に肩をすくめる。
「京を焼くようなうつけはいないだろうし、天子様のお触れがあったから、わりと皆は落ち着いてるよ」
「お触れ?」
「そう。頼朝公も足利公にしても、天子様から将軍の位を戴いて天子様の下で天下をまとめたわけでしょ?もう将軍の血を引く末裔はいないし、今が戦乱の世だって言っても、結局は将軍の位を争ってるわけだから、将軍の位を授けることの出来る天子様の御座所を攻めるような武将はいないってこと。お触れってのは、京に陣を布いて武装することを禁止するものよ。天子様のお許しがあれば京を通って西国や東国へ行軍することは出来るけど、京で陣を布くことは許されない」
「……初めて聞いたでござる」
きれいに団子を食べ終えた真田が不思議そうな顔で口を挟んだ。
「ふうん?信玄公のところには通達がいってるんじゃないのかな。主だった領主には通達したって話だから」
南の島津から北の伊達、上杉など各地の有力な領主は往々にして官位を持っている。官位を持っている、ということは天子様に仕えている、ということだ。のお父様は左大将のお役目を戴いていて、参議も兼ねているから、いろいろと詳しいお話を聞かせて下さる。
「前田家の所領である加賀から明智の所領である山崎まで、ここら辺一帯は織田家の管轄なんだけど、京には織田家も陣を布けない」
京に立ち入ろうとする武将たちには代わってあたしたちが出迎えることになっている。慶次は前田家の人だけど出奔中だし、あたしは公家の娘だし、仲間は普通の人ばかりで、陣を布かずに戦っているからお目こぼしにあっている、というわけだ。単にあたしたちは喧嘩とか祭ごとが好きなだけで、武将たちを倒そうとか領地を奪おうとかそういう意図は全くない。けれど、ただの喧嘩にも命を賭ける。それがあたしたちのやり方だし、一番大事なものを賭けないと遊びは楽しくならない、と慶次も言っていた。
「へえ、あの魔王ですら陣を布かないのか」
「……信長公が何を考えているかは分からないけれど、もし京を焼くのなら、きっと最後だと思う」
「最後?」
真田は首を傾げたけれど、佐助は顔を少しこわばらせる。
「天下を治めて、自分の上には天子様だけがいらっしゃる、という状態になった時、自分がただ一人の天下人として立つために京を焼くかもしれない」
そのときには、おそらく京はただの焼け野が原になる。都も、天子様も、貴族も、庶民も何も残らない。武官がいくら集まったところで、戦いに長けた武将である信長の軍を退けることなど──出来ない。
「信長公にはまだ世継ぎがいないから、信長公が亡くなった後、本当の戦乱になるよ」
天子様の御威光をうかがって将軍の位を争うのではなく、天下を本当に治めるための争いが、各地で起きるだろう。誰一人として止めることなどできず、この国は争いに沈む。
「何、そのようなことにはならぬ。お館様がご上洛を目指しておられるのだから。今はまだその時ではないが、いずれ信長公をもお館様は退けられるだろう。ご安心めされよ」
真田は笑って請合った。確かに信玄公は素晴らしい領主だと聞く。臣下の者たちを大事にしていて、所領の民にも十分な配慮を割き、臣下や民に慕われている。真田の顔を見れば、信玄公がいかに臣下に慕われているかがよく分かった。
「…そう」
天下を治める者が誰か、に興味はない。誰かが天下を治めれば京の街も喧嘩祭などやってはいられなくなるのかもしれないが、それでもこの街は居心地が良かった。十二まで生まれ育った場所に比べれば、ずっと。あちらは、今どうなっているのだろう。京には各地の噂が集まってくるから、その中で微かに故郷のことを聞くこともある。懐かしいと思うときもある。けれど、あちらにはあたしの居場所がない。あたしは、いてはいけなかった。生まれた家を追われ、隠れるように住んだ家ですら追われた。そして遠い京へ送られたのだ。兄の顔も従兄弟の顔もおぼろげにしか思い出せない。最後に顔を見たのは、確か従兄弟が十三になって元服する前日だった。元服するときに与えられる、本当の名前を聞いたのは京に来てずいぶん経った後のことだ。
「それで?はこれからどうするのさ」
「どうするって屋敷に帰るよ。慶次も戻ってくるって言うしね」
佐助の問いに即答した。真田に殴られた場所もあまり痛まなくなっているし、切られた傷には手当てがしてあったから、動いても問題がない。身体の節々を確認するようにゆっくり動かした後で立ち上がった。祭を終えた仲間たちも集まっているだろう。
「あんたたちもこっちに宿があるんでしょ?それとももう甲斐に戻るの?」
「うん、甲斐に帰…もが」
頷いた佐助の口を真田の大きな手がふさぐ。
「宿に戻るでござる。殿のお屋敷というのはどちらでござろう」
「あたしたちの家なら八条宇多にあるよ。大きな屋敷だから、すぐに分かると思う。人の出入りも激しいし」
真田は頷いたまま、佐助の口をふさいだ手を外そうとしない。佐助は特に困った顔も怒った顔もせずに、目じりを下げている。しょうがないな、とでも言いたそうだった。
「じゃあね。お先」
慶次からの文を懐にしまい、二振りの刀を背に差して部屋を出る。武田が京に上ってくるというのなら別だが、もう会うこともないだろう。あたしは、京の人間だ。





が部屋を出、階段を下りる音が聞こえて初めて旦那が口を覆う手を外してくれた。別にしばらく息をしなくても問題ないけど、口と一緒に鼻まで塞がれたから、けっこう苦しかった。
「…はぁ。旦那、俺様を殺す気?」
「そういうつもりではない!お前が勝手に甲斐に戻るだの何だの言うからだ」
「あのね、そういうときは口だけ塞げばいいの。鼻まで一緒に塞ぐから、息できなかったでしょ」
「す、すまぬ」
旦那は小さく頭を下げて、でも慌てるように頭を上げた。
「俺はもう一度殿にお手合わせ願いたいのだ」
「そりゃ旦那の膝に土をつけられるなんて、並の女の子じゃないけど、どこか名のある武家の娘さんだったらどーすんの!やり合ったとバレたら大変だよ!?ちゃん、怪我したんだし」
戦馬鹿も大概にしろよ、と言ってやりたい。家は公家だとさっき団子を買いに行ったときにも聞いたが、が実の娘であるとは聞いていない。どこかの武家の娘が行儀見習いで京に出されることは考えられなくない線だし、嫁入り前に箔をつけるために公家にいることも考えられる。もちろん、実の娘だとも考えられるし、養子の線もありうる。
「むう…。しかし、互いに名乗りあっての一対一、他の者に口を出されるいわれはない」
「あのねえ旦那。旦那はそうでも、周りの者がそう思わないこともあるの。何か面倒なことになったら困るのは旦那じゃなくて、大将なんだからね」
家来の不始末は殿様が責を持つんだよ、と諌めると旦那はまた唇を尖らせた。そういう顔をすると元服前みたいに見える。
「む…しかしな」
「はいはい。姫さんともっかい手合わせしたいんでしょ。姫さんも怪我して不服を言うわけでなし、ひとかどの兵法者みたいだから、お家の人にバレなきゃ何とかなるかもね」
「八条宇多とはどこか分かるか?」
「分かるよ。ここは左京だけど、宇多ってのは右京にある小路の名前。右京なんて、ずいぶん寂れてるはずだけど、よく住めるな」
右京はそれこそ源平の頃から寂れた町だったと聞く。源氏も平氏ももともとは下級武官の出だから、貴族の多い左京にはあまり住めなかったのかもしれない。
「明日改めて殿をお訪ねし、お手合わせ願いたい」
旦那はそれこそ戦の前夜みたいな真剣な顔をしていて、思わずため息がもれる。別に大将は急いで戻ってこい、とは言わなかったけどさ。
「分かった。とりあえずもう日も落ちるから宿を探して、んで明日ね」
「おう」
真田の旦那は一度言い出したら大将が止めない限り突っ走る。大将が怒るなり殴り飛ばすなりすればその場で止まるけど。でもそこで「お館様ぁああ!」「幸村ぁああ!」の殴り合いが始まるので、さらに時間がかかる。ここには大将がいないから、旦那を止めるものは何もなく、俺様はしがない雇われ忍なので旦那の言うことを聞くだけだ。
なんとか見つけることの出来た宿はあまり広い部屋ではなかったけれど、真田の旦那はそういうことに頓着しない性質だし、俺は忍だからどこだって寝られる。出された夕餉をたらふく食べた旦那は行儀悪く寝そべった。
「しかし、西国は睨み合いの様相だな」
「そうだねぇ」
織田が西国の要所である京から北は加賀、東は尾張・美濃までを支配している。畿内はほとんど織田の手にあり、摂津にある大阪城が豊臣のものだから豊臣勢と織田は常に緊張状態にあった。織田は東へ、豊臣は西へと手を伸ばそうとしているらしく豊臣が毛利を攻めるという噂が京でもまことしやかに流れていた。毛利は長曾我部と時折小競り合いを起こすことはあっても、中国地方から出て外に攻め入るようなことはあまりしていない。長曾我部の殿様は変わり者らしく、他国の領土にあまり興味がないらしい。領土より宝を求めて戦をしているのだ、と聞いたことがあった。それじゃ山賊か海賊だ。
「ま、東も同じようなモンでしょ」
北では伊達が奥州のほとんどを手中に収めて、たまに上杉とぶつかったりもしている。伊達が南下しようとしている話はよく聞くけれど、実際にまだ動いたという報告はない。上杉はほとんど領内から出ないまま、出てくるとしても大将と戦をするときだけだ。大将はどこを攻めるつもりなのか、俺らには何も言わずに西国を見てくるようにとだけ言った。戦乱の発端である、今川を織田が狙っているという話はよく聞く。徳川は伊達と同盟中で、二人の若い領主はまだ機を伺っている、という感じだ。
「東はいずれお館様がお治めになられるだろう。西もだ」
「……」
戦をすれば、たくさん人が死ぬ。戦う兵も死ぬし、巻き添えを食う庶民も死ぬ。支配権を争っているのに、支配する庶民を戦で蹴散らすことに何の意味があるのか、殿様じゃない俺には分からないし分かりたくもない。どうせなら死なないほうがいいに決まってる。
俺は忍に生まれついたから、人を殺すことも仕事のうちだけど、仕事じゃないなら頼まれても殺しはしたくない。忍には正義だとか天下だとか民のためだとか、そういう大義名分は必要ない。雇われて仕事をするだけの身だから、余計なことは考えないほうが楽だ。けれど実際に人を殺すのは俺だから、見なくていいものも見ることになるし聞かなくていいものも聞いてしまう。俺は多分、忍の才能があっただけで、性格というか心が忍向きには出来ていないのだろう。訓練を受けているから仕事中は平常心でいられるけれど、平時はやはりいろんなことを考えてしまう。煩いというか情緒豊かというか、子どもっぽいというべきか、そういう旦那の傍にいるからかもしれないけど。
「佐助?どうした」
「…べっつにー。ちょっと眠くなっただけだよ」
ひらひらと手をふると、旦那は頷いてから一つあくびをする。思わずつられた。
「さっさと寝ますかね。明日会いに行くんだろ?」
「おう」

翌朝、朝餉もそこそこに京の街に出た俺たちは昨日が言っていたように八条宇多に向かった。左京から右京へと移るに連れて、人気は少なくなっていくしあばら家は増えていくし、やっと人を見つけても物乞いか河原者ばかり、町人などまったく見ない。
「さ、佐助。本当にここら辺なのか?」
「そーだよ。姫さんが自分で言ってたデショ、八条宇多だって。右京ってのはこういうとこなの」
応仁の乱で京の都は荒れ果て、もともと寂れていた右京はもっと荒れたと聞いている。図体のでかい旦那が俺様に寄りかかるようにしがみついてくるものだから、歩きにくいことこの上ない。
「ここのはずだけど…ああ、あれだね」
こんな寂れた場所におかしなほど大きな屋敷があった。そう綺麗なわけでもないが、きちんと屋根も葺いてあるし入り口らしき門もある。
「人の声もするし。行くよー」
何故だか口数の減った旦那を連れて屋敷の門をくぐる。
「あんたら、昨日の…」
「ドーモ。ちゃんいる?」
「……さんやったらこっちやで。ついて来ぃ」
てっきりまた喧嘩売られるかと思いきや、こだわりない様子で俺たちを案内してくれた。屋敷の内周りをぐるっと歩き、入ってきた場所とはほぼ反対側の離れみたいな小さな一角に通される。
「ここがさんの部屋や。粗相のないようにな」
「ありがと」
案内してくれた町人はすぐに戻っていった。旦那と俺だけが残される。
「…旦那?」
あんだけ勝負するって騒いでた旦那が、姫さんのとこまで来ても大人しいモンだから訝って顔を覗き込むと、なにやら頬を染めていた。あーもう。しょうがないなあ。どうせ女の部屋ってんで緊張してんだろ。こんなんでいつか嫁さんとかもらえるのかね、まったく。
「姫さん、起きてるよね?」
部屋の中からはっきりとした気配が漂っている。寝ている人間ではこうはいかない。
「……佐助、で良かったっけ」
「正解。真田の旦那も一緒だよ」
すっと障子が開き、中にいたが姿を見せた。刀は部屋に置いているのか、昨日とは違う小袖を着ている。
「どうしたの?わざわざ」
殿!」
旦那が俺の目の前に進み出て、いきなり頭を下げた。そう簡単に大の男(しかもひとかどの武将だ)が頭下げるモンじゃないでしょーにねえ。旦那に頭を下げられたは驚いて目を見開く。
「某、もう一度お手合わせ願いたい!」
「手合わせ?…別にいいけど」
「本当でござるか!かたじけない」
ようやく顔を上げた旦那の傍を、急いで屋敷の者らしい男が通り抜け、の耳元で何かを呟いた。小声だが、微かに聞こえる。
『…の者がまた…さんを…』
は険しい顔つきで話を聞いていたが、やがて、ため息をつくと男に礼を言って部屋に戻った。
殿?」
「ごめんね、手合わせは出来ない。…あたし、旅に出るから」
「旅、でござるか?」
旦那の問いに頷きながら部屋を出てきたはすっかり旅装だった。前から用意してあったとしか思えない。背には二振りの刀。
「とりあえず、早いとこ京を出ないといけなくて。慶次も加賀に戻ったらしいし」
「そーなの?」
「叔父さんたちにつかまっちゃったみたいね。加賀のほうに抜ける街道を三人で歩いてたって話があるし。織田も戦をしそうな頃合だから、当分は前田のお家にいるんじゃないかな」
俺たちに構わずどんどんと屋敷の中を歩くの後ろをとりあえずついて歩く。旦那の目的は姫さんとの手合わせだから、肝心の姫さんがいないんじゃあ、このお屋敷に用はない。
殿はどちらへ旅を?」
「…決めてないけど。元親にでも会いに行こうかなあ」
が口にしたのは四国を治める長曾我部の殿様の名前だ。顔が広いのは前田慶次のせいなのか、本人の問題なのか。
「お家には戻らなくていいの?」
わざと家名は出さなかった。は即座に首を振る。
「もともと、あたしの居場所じゃなかったから。ここは結構居心地が良くて、ここが居場所になったらいいって思ってたけど。…そうもいかないみたい」
「ならば!」
既に往来に出てきているというのに、旦那が大声を出したモンだから、通りすがる人たちが驚いてこっちを見ていた。恥ずかしいなあ。
「共に甲斐へお出で下さらんか」
「甲斐?ああ、信玄公のところ」
「さようでござる」
「旦那は手合わせの相手が欲しいんだろ」
武田一強い、と言われることもあったりする(大将は怒るけどね)旦那のことだ、そうそう手合わせが務まるような相手が軍の中にはいない。俺様が暇なときには付き合うけど、なんせ忍使いの荒い主人を持ったものであまり暇はないから旦那にも付き合ってやれてなかった。
「無論そうだが、お館様に是非お目にかけたいのだ」
「そりゃ、旦那と渡り合う腕の女の子なんて、確かに大将大喜びしそうだけどさ」
「甲斐か…美味しいものいっぱいありそうだね」
「たんとござるぞ!」
旦那が無邪気に(としか見えない)答えると、は不意に押し黙った。
殿?」
「……信玄公は戦で忙しいんじゃないの?」
「すぐにってことはなさそうだけどね。すぐに戦なら俺たちが西に出される訳がない」
さっきの男がに話したことは断片しか聞き取れなかったけれど、が急いで京を出ようとしているという事実から考えて、は誰かに追われている、もしくは逃げている可能性が高い。その誰か、が俺様でも知ってるような有名な武家なのか、の家なのか、全く関係ないのか、それは分からない。下手にを連れて甲斐に戻って、何か言いがかりでもつけられたり、のことが戦端になったりしたら、マズイ気がする。旦那は何も気づいてないみたいだけど。
「旦那、ちゃん連れて出るならすぐに街を出るから、団子でも買ってきたら?ほら、あそこ」
真田の旦那が気に入ってる茶屋ののぼりを指して言うと、旦那は即座に買いに行った。
「…ところでちゃん」
「何?真田の前じゃ聞けないこと?」
「察しが良い子は好きだな。ってのは本名?」
「…怪しい女は大事なご主人と旅なんてさせられない?」
「いや?別に怪しくはないよ。ただどうして本当の家に帰らないのかなと思って」
ふっとのまとう気配が硬くなった。やっぱり。は、家の本当の娘ではないらしい。
「何が言いたいの?」
「甲斐に滞在することになって、それがお家の人にバレたらどうするのさ?」
たとえばそれが他国の武家ならば、簡単に戦端になりうる。娘をかどわかした、とかなんとか。事実がそうであってもなくても、そういうことだと敵方が判断して戦に踏み切れば、武田としては受けるより他ない。そして一度始まった戦を治めることはなかなか難しい。
「あたしの居場所はその家にはないの。だから、どうにもならないよ」
「じゃあ、真田の旦那や武田の大将に仇なすような真似はしないってここで誓って?」
「…何に?」
の懐にずっと入っている、懐刀に目をやる。の身なりよりは格段に立派な品だ。伝来ものだの何だのって言われてもおかしくないような。
「そうだな、その懐刀に」
「……分かった。誓うよ。真田や信玄公に仇なすようなことはしない。無いと思うけど、戦端になるようなことになったらあたしは甲斐を出る」
俺はそこまで言ったつもりはなかったけど、はこっちの危惧を見通していたらしい。思わず諸手を上げた。
「なーんだ、そこまで分かってたの。やっぱ公家ってより武家の娘だね、
「…佐助の言う『本当の家』は確かに武家だけど、もう関係ないよ。追い出されたんだし」
「へえ」
戦を防ぐためや終えるために、一族の娘を相手方に差し出すことはよくある話で、が生まれた家が武家というなら、そうやって使えるはずの娘を追い出す理由が分からない。何かもっと別の事情がありそうだ。
「まあ、でもありがと。俺様心配性でさー。なにせ主がああだからさ」
「大変そうではあるけど。でもそうやって苦労してでも仕えたい人がいるってのはいいね」
「仕えたいっつうか、俺様の意志で仕え始めたわけじゃないけど…」
師匠と昌幸様(大旦那、幸村様の父君)との話で決まったんだもんな、俺が旦那(そのときは弁丸様だった)に仕えるようになったのって。忍は主を選ばないものだけど、甲賀者だから忠実に働くように仕込まれてるし。伊賀者は金子が全てですぐ敵に仕えることもあるらしいけどさ。
「そうなんだ。忍ってのも大変だね」
「まあねー」
俺が相槌を打つと、向こうから旦那が団子の包みらしいものを抱えて戻ってきた。
「お待たせいたした」
「いいよ。…甲斐には徒歩で行くの?」
「某は馬を預けておるが、三人で行くとなるともう一頭必要でござろうな」
旦那の言葉には首を振って、辺りを確認するように視線をめぐらせる。
殿?」
「あたしも馬持ってるんだけど、ここじゃ人が多くて呼べないから、真田の馬を引き取ってから郊外に出よう」
「馬を持っておられるのか」
先立って歩き出したの後ろに旦那と俺が続く。
「慶次が乗ってる松風の妹でね、涼風っていうの。松風と同じぐらい賢くて良い子だよ」
「呼ぶって、呼んだら来るの?人みたいに?」
「うん。ところで真田はどこに馬を預けてるの?」
「俺の部下が見張りついでに世話してるよ。町外れ、というか街道の入り口だけど」
俺の言葉には頷きながら迷いの無い歩き方で細い小路を抜けて、鴨川にたどり着いて足を止めた。鴨川は京の街の東端、鴨川にかかる三条大橋は甲斐に通じる東山道の始まりだ。
「入り口か。じゃあ三条まで上っていかないといけないのね。ここからでも東山道へは行けるんだけど」
「ここからって、近江へ行くには九度山があるけど山越えするの?」
「……あんまり人目にはつきたくないし、出来ることなら早く京を離れたいし、そうさせてもらえれば助かる」
「了解」
そう答えながら連絡役として使っている烏に言伝をして、北へ飛ばす。は烏が飛んでいくさまを見守って、唇に指を押し当てた。甲高い音が耳を震わせて、耐えかねたのか真田の旦那は思わず耳を塞いでいる。は指笛で何度も同じ節を繰り返した。唄のようにさえ思える節を何度も繰り返していると、遠くから蹄が地を蹴る音が響いてくる。
「涼風!」
遠目から見たときは牝馬らしい小振りな体つきだと思ったのに、間近でいなないての傍に凛と立っている姿は旦那の馬に見劣りしないほど大柄で、鹿毛の艶も美しい馬だった。
「これから甲斐に行くの。一緒においで。東国に行くのは久しぶりでしょう?」
尾と同じ色の黒い鬣を梳くように首筋を撫でるに鼻を摺り寄せながら、とんとん、と蹄で地を叩く。返事をするかのようだ。
「立派な馬でござるな」
「ありがとう。真田の馬はあれだね。きれいな栗毛だ」
俺の部下が連れてきた旦那の馬を見るなりはそう言って、にこりと笑む。その合間も自分の馬を撫でては身体を触れ合わせていた。馬が好きなお姫様、ねえ。
「長。いかがなさいますか」
馬の相手をしている旦那とから少し離れたところで、今回の都行きについてきた下忍と顔を合わせる。
「俺は旦那と彼女と一緒に東山道を下って甲斐に戻る。お前は一足先に大将へ帰参の報告を。彼女のことは……旦那の客だとでも言っておけばいい」
「承知」
言葉が発されるのと、下忍が消えるのはほとんど同時だった。の実家はおおよその目星がついているが、それをわざわざ下忍に教える必要は無い。大将や旦那が情報を求めたのなら、すぐさまに確証を取ってくるけど。
「佐助、どうした。行くぞ」
「はいはーい!」
京の都から甲斐までなら、徒歩で十日かかる。山越えをすると言うし、馬には乗っているけど女連れだから半月はかかるだろう。




「……と思ってたんだけどなあ」
「何?どうしたの?」
と旅(と言っても俺たちは帰郷なわけだけど)を始めて、七日。明日には躑躅ヶ館に着きそうだ。旅籠の小さな部屋の中で、思わず独りごちた俺の声を拾ったが首を傾げる。
「俺と旦那が京に行くときはさ、いろいろ見て回りながらで八日だったの、日数が。も旦那も騎乗してるけど、別に馬を飛ばしてるわけじゃないし山越えもするしで、半月はかかるだろうと思ってたんだ。……女連れ、だし」
俺が最後に付け加えた言葉を聞いたは何故か笑った。
「慶次のおかげでしょうね。松風はかなり足の速い馬だし、あいつの旅の仕方はめちゃくちゃだもの」
ほんと困るよ、と言いながら尚もは笑っている。
「旅なんだから、食料とかギリギリの分しか持ってないって言うのに勝手に道を変えたり距離を伸ばしたり。でも困ってると何故か周りの人が助けてくれるんだよね、あいつの人徳ってやつなのかな。おかげでかなり鍛えられたよ」
「人徳ねぇ。前田んとこの風来坊の噂はいろいろ聞くけど、あんまり悪い話は聞かなかったな、確かに」
「おかしなヤツだし、困ったとこもたくさんあるんだけど悪人じゃないからね」
そう言って笑うはどこか楽しげで誇らしげでもあった。京の都でも、前田慶次に関する悪評判はほとんどなかった。困った人だけど、という言葉はよく聞いたが許せないだの好きになれないだの、そんな言葉は全く聞こえてこなかったのだ。前田家の領地である加賀には仕事で行ったことが無いので、領地での評判は俺には分からない。
「そういや、、もうすぐ戦があるとか言ってたね。本当?」
京の屋敷を離れるとき、は織田が戦をするだろうから慶次は前田家に連れ戻されてしばらく京には戻らないはずだ、と言っていた。京は様々な憶測や噂が信憑性を持って語られる場所、玉石混交でどれが本当なのかは見極めが難しい。俺がそう尋ねると、は興味無さそうにふい、と顔をそむけた。
「織田が戦の支度をしているのは本当。いつしかけるかは知らないよ。織田が一領具足に支度を命じたって話も聞いたし、兵糧なんかの準備もしてるみたい」
「相手は?」
「……多分、今川公」
「駿河の今川義元か…。厄介だな」
今川義元が治める駿河は、地理的に甲斐に近い。織田軍が東海道沿いを進むのなら甲斐にはさして影響がないだろうが、何らかの理由で別の道を選んだり田畑を荒らされたりしたら、こちらとしても黙っているわけにはいかないだろう。大将も旦那も。
「織田にとって、今一番脅威なのは大坂にいる豊臣だろうからね。東の憂慮を無くして西国を押さえたいんだと思うけど」
京の都を一応手中に収め、日ノ本の中央部分を占める織田が経済の要所である大坂を押さえれば端々に散らばる大名たちだけでは太刀打ちが出来なくなる。
「なるほどねえ」
豊臣の軍勢は、織田と拮抗しているものとはまだ言い難いものだ。しかし地盤が経済の要地であるため資金力に物を言わせて急速に軍備は整いつつある。大将たる豊臣秀吉と彼の盟友である軍師竹中半兵衛の下にはかなりの兵が集っているとも聞いた。
「さ、あたしはもう寝るよ。佐助は?」
「ご心配なく」
あてがわれた部屋の奥では、真田の旦那が豪快ないびきをかきながら眠っている。いつもを奥に寝かせる、と言って聞かない旦那はが寝るまで起きていられずに結局奥で真っ先に寝ていた。真田の旦那と俺様との間を二つ衝立障子で仕切ってから、はもう一度声を寄越す。
「じゃあお休みなさい」
「おやすみ」
ごそごそと夜具を広げるような音がしばらくしていたが、やがて静かになる。真田の旦那の大いびきを横にしても眠れるなんてすごいね、といつだったか旅を始めてすぐにに言ったら、彼女は慶次もかなりひどいから、と言って苦笑いを見せた。
変なものだ。
は京の人間ではない。俺様の憶測が正しいのなら、姓は由緒正しき藤原で長く東国を治めているあのお家の娘だろう。あの一帯は姻戚関係が複雑で、そこら中が親戚だらけだ。つまり、生まれてきた娘にはよその城へ嫁いでもらう大事な役目がある。そうやって互いの娘をお互いに交し合って牽制しながら、何とか表面上の平和を保ってきたような地方なのだ。だから、生まれてきた女子を役立たずだと放り出してしまうことなんて普通は考えられない。いくら実母が卑しい生まれであろうとも、父親さえ一門の者ならその女子には少なからず価値がある。人質としての、価値が。
「……あんまり首つっこむモンじゃねえな」
実父の地位が一門でも低いのならそれこそ大した価値は無いが、城の暮らしに女手は欠かせないものだ。どちらにせよ、放り出す理由にはならない。が生家に対して寄せる情は、懐かしさだとか親しさより疎ましさに近い。放り出されたことを少なからず、恨んでいるようにも見えた。そして、自分から切り捨ててしまえとばかりに無関係を強調している。しかし、大事に仕舞われている懐刀がその思いを裏切って彼女の大よその身分を明らかにしていた。漆に金蒔絵が美しい懐刀、蒔絵の柄で地の漆が覆われかけているほどの品だ、これを娘に授けることの出来る父親はかなりの人物なのだろう。蒔絵は桜花の意匠であったが、一部だけ違う意匠が使われていた。ちらりと見えただけだが、それを目にした一瞬で俺はの生家と大よその身分を確信した。あの紋を使うことを許され、また身につけることを許されているのはごくわずかだ。父親は一門の、かなり重要な地位にいる人物だろう。城主かもしれない。だとしたら、彼女をこのまま甲斐に連れ帰ることはどう考えてもまずい。
「ま、どうにかなるか」
大将の采配に任せるだけだ。俺様の憶測はおそらく正しいだろうし、大将だって気づかないはずがない。最初見たときは単に行儀の良い娘さんだ、ぐらいにしか思ってなかったけど旅をして付き合っていれば所々で見せる所作や身のこなしが武家の者であることをはっきりと示していた。真田の旦那は元々女人との付き合いが苦手だから、武家の女人の仕草なんて詳しく見ていないしが兵法者だから女人としてはっきり意識していないようで気づいていない。
一組、俺様の分で残された布団があるけどいまさら布団なんかに横になっても寝られない。三つの頃から土だの板だのそんなものの上で横になっていたし、横にならずとも眠ることが出来る。樹の上だろうと岩の上だろうと。布団なんてふかふかしたものに横になるのは、何か気持ちが悪い。有難がるところ、なんだろうけど。
「すっかり貧乏性になっちまったね」
頭を掻いて、そのまま目を閉じる。窓際に少しだけ体を寄せただけの姿勢で。




日が中天を過ぎた頃、ようやく躑躅ヶ崎館が見えてきた。躑躅ヶ崎館は天守閣の無い高さもほとんど無い、平時に大将が過ごす屋敷で防衛の城はもっと山側にある。
「あれが躑躅ヶ崎館?お城、じゃないのね」
「左様。お館様は、ご自分のお屋敷よりまず領民の暮らしを優先なされるお方。ゆえに余計な夫役などを強いることを好まれず、このようなお屋敷に住んでおられるのだ」
「そうなんだ。真田は上田城に戻るの?」
「お館様に此度の報告を申し上げて、何か仰せつかれば別でござるが戻れと仰られたら今日中にでも上田に戻りまする」
「上田はどんな所?」
旦那が上田城下の話をしている間に躑躅ヶ崎館に着いた。城下町に入る手前で降りていた馬をそのまま馬番に任せて、館に入る。
「真田殿、お館様がお待ちかねでございますぞ。ささ、急がれよ」
「承知」
大股で先を急ぐ旦那の後ろをが頑張って小走り気味でついていく。館についた時点で俺様は旦那たちと別れて、屋根の上だ。諸国に諜報にやってた部下の報告を聞くのが先だし、旦那と大将の会話は大声だから屋根の上にいたって聞こえる。
「お館様!幸村、只今戻りましてござりまする!」
「おう!幸村よ!よくぞ戻った!京の話を聞く前に、そちらの女子はいかがしたのだ。京の女子を嫁にもらうつもりか?」
「な、な、おおお館様!某そのような破廉恥漢ではござりません!」
「はっはっは。分かっておるわ。ちとからかってみただけじゃ、そのように慌てるでない。男子たるもの、如何なるときも平らかな心を忘れるでないぞ。……して、その者は?」
「この方は殿と仰る京の御方。大変な兵法者でござりまする。某も一本取られまして、ぜひお手合わせ願いたく甲斐へお招きいたした由にござりまする」
「……お初に御目文字仕ります、信濃守武田晴信様。わたくしは朝臣が女、に御座います」
朝臣……確か左大将の名がと言ったな、左大将の娘御か。よう甲斐に参られた、面を上げられよ。官位を言えばわしなど、そなたの父御よりも下の者、お気になさるな」
「有難う存じます。真田殿の御好意に甘んじてこちらへ参りました」
「幸村の…?一本取られた、と言っておったな。幸村から一本取るとはかなりのもんじゃ、わしも手合わせ願いたいものじゃな。の姫君が兵法家だとは露にも思わなんだが」
殿は、力こそ軽うござったが身のこなし、刀裁きともに素晴らしいものでござりまする。一対一の勝負にて膝をつくなど、幸村一生の不覚でございました」
「幸村の膝に土をつけたか。それは凄いものだ。けれど、家の姫君がこのような鄙びた城に来られて、お父上には何と申されてこられた」
「わたくしは、不心得者の不孝な娘でございまして、京を離れてあてもなく旅に出ようとしていたのです。その折に真田殿とお会い致しまして、是非甲斐へとお誘い下さったのでお言葉に甘えまして」
「そうか。ならば客人としてお迎えしよう。客人をお迎えする宴の支度をせい!」
「お心遣いだけ有難く頂戴致します。もし宜しければ、領内を旅する許可を頂けると有難いのですが」
「それは構わんが、幸村が手合わせしたがっておるで、今も二槍を構えそうな勢いじゃ。上田へも参られて相手をしてやってくれ」
「承りまして」
「幸村、宴の支度までまだ刻がある。良ければそちと殿の手合わせをわしにも見せてくれぬかの」
「承知!殿、ご支度なされ!某もすぐに支度致しまする」
「分かったよ。……それでは、御前失礼仕ります」
が館から出て、涼風の鞍につけていた荷の中から二振りの刀といくつかの防具を取り出して身につけ始めた。屋根の上で報告を聞き終わり、ついでに新しい命も出して暇になった上に真田の旦那の御呼びも無いから、そのまま屋根から館の天井に入りこんで大将の間を窺う。真田の旦那ももう辞していて、大将は俺様に気づいたらしくにやりと笑った。ほんっと、気配に聡すぎていやんなっちゃうな。いや上司だからいいんだけど。
「大将。報告がたくさんありますけど、どれからにします?」
「お前に任せるわい。ひとまず先に、あの娘の出自から聞こうかの。あの娘、公家ではあるまい」
「ご明察恐れ入りますよ。家に預けられている、養子ってことになってますね。出自は武家です。預けられた理由までは不明ですけど、生家はおそらく奥州伊達」
「伊達の娘と申すか。あの小倅には姉妹がおったかの?」
伊達、と俺様が言った途端大将の目の色が変わる。どこかの小さな武家ならともかく、奥州伊達は名門中の名門でおまけに真田の旦那とやり合うのが好きな独眼竜が率いる軍勢はかなりの強敵だ。
「姉妹、かどうかまでは分かりませんよ。一門の者かもしれないですし。あの子が後生大事に持ってる懐刀に、仙台笹の意匠がちらっと見えたんで一門だとは思いますけどね」
竹に雀、を紋に用いだしたのは先々代の当主から、そう古いことじゃない。けど竹の部分を仙台笹と呼ばれる派手な模様にしたのはつい最近のことだ。笹の葉の枚数が当主、家族、一門で違う紋になっていてそれをきちんと見ればどの家系なのか分かるけど、そこまできちんと見る機会が無かった。どうにかして見ようとしたけど、上手い具合に隠された。
「伊達の、のう……」
「本人は真田の旦那や大将に仇なす真似はしない、戦の火種になることが万が一あったらすぐに甲斐を出る、と誓ってはくれましたけどね」
「ほう?けっこうな覚悟じゃな」
戦の火種になりかけて甲斐を出る、ということは敵陣の前に放り出される、という可能性もある。それを厭わないとはあの時言ったのだ。おそらくは自分の生家の紋が入っているだろう懐刀に誓って。
「ま、厄介事は御免なんで俺が頼んだんですけど、あっさり承知してくれたんで自覚はあるんじゃないですか」
「……そうか…」
大将は目蓋を閉じて深く考え込むように少しだけ姿勢を丸める。邪魔しないように気配さえ静めて待っていると、ぱっと姿勢が戻った。
「佐助」
「はい」
「とりあえず、家の娘ということで扱う。幸村がたいそう気に入っておるようだし、幸村と張るほどの兵ならみすみす手放すのも惜しい。ただ、伊達の間者にだけは気をつけよ。入れてもいいが帰してはいかん」
「承知」
そう答えて頭を下げたとき、戦支度の旦那とが修練所に姿を見せた。さほど広くはないけど、大将の間は外に面していて広縁の向こうは均された地面がある。そこで御前試合、みたいなこともやる。たまにだけど。
「お館様。支度、整いましてござりまする」
「うむ。それではよいな。……始め!」
大将の声が響いて、御前試合の始めになった。








いかがでしたか、さん。
すっげーーーーー、時間掛かった。書くのに。とりあえず、さんの出自はあんな感じです。もうちょっと秘密にしようか迷ったんですけど、お館様の背後にさっと下りてきて秘密話をする佐助が書きたくて、ばらしちゃいました。一話目の話と合わせて読めば、はっきり分かると思います。

次は、その伊達家が出てくる…といいな(願望か)。


お付き合い有難う御座います。多謝。
2007 11 27 忍野桜拝


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