湯たんぽ
御用改めで多数の怪我人が出てしまった。死人はいなかったが、いないことが奇跡のようなものだった。御用改めに出向いた隊士は二十人弱、その過半数が怪我を負っており、うち十名は重傷だ。全くの無傷で済んだのはと沖田、近藤だけ。
「お医者さま呼んでるからもうちょっと辛抱してね」
大広間に寝かせた怪我人の間をは行ったり来たりして容態を見ていた。水を口に含ませてやり、額に当てられた手ぬぐいを冷たい水に浸して置きなおし、血が止まらない怪我人の止血のために幾度も包帯を換えた。
「さん…」
重傷者の一人が出した弱々しい声には反応してすぐさま枕元に片膝をついた。
「どうしたの」
「手を…」
布団の隙間から差し出された手をは無言で握り締めた。きっとこの男の頭の中では愛しい女の手になっているに違いない。夜を共にした情人か、未来を誓った恋人か、故郷の母親か。の手は肉刺の多い手で、とても女らしいものではなかったのだが、やはり男の手とは違う感触なのだろう。
「大丈夫よ」
はもう目も見えないかもしれない隊士に向かって微笑み、髪の毛を逆の手でゆっくり撫でてやった。いつか愛しい女がしてやったように。
「お医者さまが来られたぞ!」
近藤の声に手当てを担当していた幾人の隊士がはっと顔を上げた。簡単な怪我なら屯所でも対応の仕様があるし、心得がある者もいる。けれど重傷の者は手の施しようがなかった。屯所にある医療用具では最低限の処置しか出来ていない。
「お医者さまにお任せして、お前たちはひとまず休め。ご苦労さん」
大広間に医者と看護士が入ってきて、手当てしていた隊士たちは広間を出て行く。広間の外にも怪我人が居り、その具合を見るために別の部屋に移動していった。手当てをしていた隊士は屯所に残っていた隊士で、出向いた隊士たちは怪我の有無に関わらず休んでいた。一人を除いて。は無傷なのだから、と渋る土方たちを納得させて手当てにあたっていた。
「も休みなさい。お前は帰ってきてから少しも休んでいないだろう」
「でも、あたし丈夫だからもう少し…」
喋っている途中のの腕がぐい、と引っ張られては最後まで喋ることが出来なかった。引っ張られたほうに目をやれば、そこには土方が仏頂面で立っていた。土方も怪我を負っている。肩口を袈裟懸けに斬られていた。血はもう止まっている。
「局長命令だろ。こっち来い」
腕を引っ張られるままには立ち上がり、ずるずると大広間を後にした。大広間に入りきらなかった怪我人がいる部屋とは別方向の、縁側に引きずられて行った。
「…副長どこまで行くんですか」
ずるずると引きずられながらは唇を尖らせる。あたしにもまだ手伝えることがあるはずなのに。もう通いの女中さんたちは帰っているから、お湯を湧かすとか血のついた隊服を洗濯するとか新しいサラシを調達してくるとかいろいろあるのに。
「…土方さん、どこまで行くんですか」
が呼び名を変えると、土方は足を止めて縁側に腰を下ろした。も体勢を戻して隣に腰掛ける。は土方や近藤のことを隊務中は例外なく役職名で呼ぶ。沖田は隊長だが、も監察方の隊長なので同格であり、隊務中でも名前で呼んでいる。
「お前は」
土方はそこで言葉を止め。懐から出した煙草に火をつけた。一呼吸して煙を吐き出す。
「初めて人を斬ったときのことを憶えているか」
「…憶えているような気がしますけど、なにせ昔のことですから」
「いつ頃だ」
「数えで十です」
の言葉に土方は一瞬煙草を取り落としそうになった。数えで十だと!?土方はその頃まだ近藤にも出会っておらず、一人で棒切れを振り回しては同じ年頃の子どもを泣かせていた。
「七つで松平さまに拾われまして、素質があると言われてそのまま忍者学校に入りました。三年で卒業して、十から活動してました」
二十四でここに来たので、十四年間ですね。
は平然とそう言って、空にかかる月を見上げた。
「…忍の仕事っていうのは、大体二つです。目標破壊か情報収集。幼い子どもに情報収集は難しい作業です。頭が要りますからね。その点、目標破壊なら簡単です。斬ればいい」
こともなげに言ったの顔を思わず見つめた。淡々と、調査報告をするかのように抑揚無く喋っている。
「斬った数なんてェのは…憶えてねェんだろな」
土方の言葉には頷く。
「はなから数えてませんでしたから。土方さんは数えてるんですか?」
「…いや。昔は数えてたが忘れちまった」
二十までは数えていた気がする。しかしそれは真撰組に入る前の話で、隊務で斬った人数は数えていない。数える必要などないと分かったからだ。幾つ斬っても同じこと、自分は地獄へ行く。修羅の道ならば煩わしいことは少ないほうがいい。
「……俺は人を斬った後、いつまで経っても腹の底の熱が冷めねェんだ。大概寝れば忘れられるが、寝るまでが長い」
は黙って頷く。もう、そんな正しい反応さえ、の身体は返さない。
「お前は俺らなんかよりずっと地獄を見てきたはずだ。なのになんでそんなに平然としていられる?」
「…だから、ですよ」
土方はの言葉に首を傾げた。
「地獄を見てきました、確かに。だからもう、どんな反応が人らしいのかなんて、分からなくなってしまった」
屯所にいてみんなと過ごしているは普通の娘に見えた。仕事をしながらくだらないことで笑ったりして。どこにでもいる、普通の娘に。たち監察方の仕事は単独任務なので、本当に仕事をしているときの顔はほとんど見られないが。それでも、さっき攘夷志士の潜伏先から帰ってくる途中のは普通の表情だった。
「そんな顔、しないでください」
の声に土方は自分の目頭が熱くなっていることに気がついた。ひどく、情けない顔をしているのだろう。攘夷志士から鬼の副長と恐れられる自分が。どうしようもなくなった土方は、隣へ腕を伸ばしての顔を胸に引き寄せた。
「お前は、俺たちの仲間だからな。立派な人じゃねェか。化粧っ気はねェが、それなりに娘らしいとこだってある」
は黙って土方の背中に腕を回した。土方は、を抱きしめているはずなのに、に抱きしめられているように感じた。守られている。近藤さん、菩薩なのはお妙さんじゃァなくってこいつだよ。浄不浄を超えたところに立って笑っている。
「俺たちは一緒に同じ道を行くんだと言ったのはお前ェだ。抜け駆けすんじゃねェよ」
一人で、地獄へ行かなくていい。共に歩くは修羅の道、どこまでも一緒に行くから────。
「…土方さん」
「なんだ」
「ありがとうございます」
土方さん暖かい。
そう言っては回している腕に力を込めた。
「あたし、冷え性だから」
「…俺ァ湯たんぽかよ」
「ふふ、お布団までついてきます?」
一瞬どきりとした土方だが、瞠目することで衝動を押しやる。人を斬って帰ってきた男女がやることでは、ない。
「馬ァ鹿、そんなのァ好いた男に言ってやれ」
「あらら、振られちゃった」
はくすくすと笑いながら、ほんとあったかい、と呟いた。忍の頃にはなかった、人の温もり。はぎゅっと目をつぶって、一粒だけ、雫を流した。雫は頬を伝ううち、土方の隊服に吸い込まれて消えた。
離れたところに立ってバズーカを構えていた沖田は、部屋に戻る。
「貸し一つでさァ」
その沖田の声も、月夜に消えていった。
さん、いかがだったでしょうか。第二訓の番外編、土方夢でした。なんていうかどシリアスですね…。甘さ控えめが好きといっても控えすぎみたいな…。もっと甘い展開は本編が進むにつれて出てくるはずです、と思いたい(願望!?)。
お付き合い有難う御座いました。多謝。
2005 11 30 忍野桜拝