the first day departure
ずっと景吾から頼まれていたことがあった。22日には半休を取って、午前で仕事を切り上げて欲しいと。今年はカレンダーの関係で23・24・25が連休だから、その連休に繋がる休みを取るのは結構骨が折れたけど、普段の真面目な勤務態度が物を言って、渋々ながら上司は休みをくれた。約束していたので、と言うと、どんなイイ男かね、と茶化される。私は笑って、
「すごくいい、とびきりの男ですよ」
と答えた。だって本当だもの。
午前で仕事を終わらせて、昼食を摂った後に自宅に戻る。シャワーを浴びてブルガリのボディミルクをつけ、下着をつけるとベルが鳴った。ブルガリの果実っぽい匂いが動く度に香る。
「はい」
「俺だ。迎えに来た」
「ちょっと待って」
傍にあったスリップドレスをひっかけた姿で玄関に行く。ドアを開けると、景吾は一瞬驚いた様子だったけど、笑って私にキスをくれた。額と頬と唇。
「その格好もいいが、それじゃ表に出られねーだろ」
「シャワーを浴びた立ちだったの」
「そうか。待っててやるから、さっさと着替えろ」
「分かった」
さっさと、なんて自分で言い出したくせに、私の出した服にあれこれ文句をつけて、結局自分で全部決めてしまった。景吾のコーディネートに包まれている私を見て、景吾は満足そうに喉を鳴らした。
「、用意はしてるな?」
一昨日、メールで泊まりの支度をして待っていろと言われていたので、ボストンに荷物をつめてある。夏服で、と言われたので驚いたけど。ドレスアップも出来るように、いくつかちゃんとした服も入れて。
「ええ。前に私が言ってたこと、ちゃんと覚えてたね」
景吾はいきなり言い出すことが多くて、この前のGWなんか前日の夜遅くに準備しろと言われたものだったから、まともな準備が出来なくて、散々だった。もちろん、準備出来なくてもそれなりに楽しめたのだけれど。
だから、前もって、せめて一日以上前に知らせてくれと言った。景吾はそれをちゃんと守って一昨日にメールしてきた、というわけだ。
「当たり前だ。行くぞ」
薄着にコートを羽織って、グッチのハンドバックを持つ。クロエのボストンバックは景吾が持ってくれた。鍵をかけて部屋を後にする。
それからはもう、さすがというべきか、やっぱりというべきか、すごかった。
一階にはジャガーのSタイプ(私にはここまでが限界で、詳しい車名は分からなかった)が横付けされていて、この寒い中運転手さんが立って待っていた。景吾は荷物を彼に手渡すと、後部座席のドアを開けて、にやりと微笑む。
「どうぞ、姫」
「ありがとう」
こうやってエスコートされるのにもだいぶ慣れた。最初は何だかくすぐったかったけど。景吾は私の横に乗り込んで、そこからは運転手さんが車を飛ばした。夏服で泊まりでと言われたからにはどこかに旅行に行くのだろうと知れたけれど、行き先までは聞いてなかった。成田について、景吾はやっぱりボストンを持ってくれた。チェックカウンターがエア・タヒチ・ヌイだったので、ようやく行き先が分かった。
「タヒチでクリスマスも素敵ね」
チェックを済ませた景吾にそう言うと、景吾は嬉しそうに笑った。
「はそう言うだろうと思ったぜ」
クリスマスならヨーロッパが本場なんだろうけど、あんまり時間がないから、南の島ぐらいがちょうどいい。日本はすごく寒いから、暖かい夏の島(あ。冬なんだった)に行くのはとても楽しみ。空港内の免税店でクリニークのトラベルセットを買って、飛行機に乗り込んだ。景吾は化粧品売り場を遠巻きに見ながら、真剣になってる私を笑ってた。飛行機の中ってすごく乾燥して肌が大変なことになるんだから!
飛行機が出たのが夕方の五時、もう外はとうに日が暮れていて、窓の外から見た千葉は真っ暗だった。空港特有の誘導灯と派手な看板だけが光っている。
機内食を口にして、お手入れをしてから眠る。目が覚めたらタヒチだろうと隣の景吾は言っていた。
朝、というにはまだ早すぎる。日本時間に合わせたままの時計を見ると、朝の四時だった。
「、起きろ。到着まで一時間ある。準備、するんだろ?」
「ええ。起こしてくれてありがとう」
何の準備も要らない景吾は、もう一眠りするといって目を閉じた。女は準備に時間が掛かることを景吾に教えたのは私。でも、景吾は最初こそ驚いていたけれど、協力的でこうやって起こしてくれたりする。すっぴんでも俺はいいんだが、と言うけど私はそういうわけにはいかない。
手早く準備を済ませ、アテンダントに飲み物を頼む。朝は元々そんなに取らないので、コーヒーにミルクと砂糖を大目に入れて目を覚ました。窓のブラインドをこっそり開けて外を見てみる。タヒチの時差を知らないけれど、外はかなり明るい。海はどこまでも澄んだ色で、ところどころ色が深く濃い。あの中には、きっと面白い色の魚がたくさん住んでいるんだろう。隣の景吾がうっすらと目を開ける。
「ごめん、まぶしかった?」
「いや、いい。どうせ起きるんだしな」
景吾は私がコーヒー(というか、もうカフェオレだ)を飲んでいることに気づき、自分の分をアテンダントに頼んだ。アテンダントから受け取ったコーヒーをブラックのまま飲んでいる。
「思ったより、早く着いたね」
「こっちは…午前の十時だな。しかも昨日の、だ」
景吾は腕時計を見ながらそう言って、コーヒーを飲む。
「……得した気分」
「まぁ、帰りは一気に時間が経つことになるな」
「あ、そっか」
くっとカップを傾けてコーヒーを飲みきって、私越しに窓の外を見た。
「ここから、もう一時間飛行機に乗る。着く島とは別の島にホテルがあるんでな」
「そうなんだ。なんてホテル?」
「インターコンチネンタル リゾート、だ。本当は開業するのは来年なんだが、スタッフの研修を兼ねてこのクリスマスに特別に開いてるらしくてな、招待を受けた」
「じゃあ初めてのお客ってこと?」
「そうなるな。俺たちの他にどれだけ招待されてるかは知らねーが、そんなに大人数じゃないだろう。ゆっくりできるだろうぜ」
飛行機は着陸態勢に入っている。手荷物をまとめて、重力が掛かっていくのを身体に感じていた。この変な浮遊感というか、重力のかかる感じはいつまで経っても慣れない。景吾は頻繁に乗っているから、なんてことないんだろうけれど。
着いた空港でティアレという花のレイをもらったものの、乗り継ぎの際の検疫で没収されてしまった。ちょっと寂しくなって検疫を過ぎた私に、両替を済ませてきた景吾はバーカ、と言って笑う。
「あんなの、欲しけりゃ山のように持ってきてやるぜ?」
景吾は実行しかねないので、慌てて首を振った。花を山のように持ってこられたら嬉しいけど、切花はすぐにダメになってしまう。
「ちょっとショックだっただけよ。知ってる?一度あの花の香りを嗅いだ人は再びタヒチに戻るって」
「あぁ、サマセット・モームな」
代表作である『月と6ペンス』の中で、彼はそう記している。せっかくだと思って、ボストンバッグの中に文庫本を入れてきた。
「それなら、俺たちもまたタヒチに来ることになるな」
柔らかい、良い匂いの花につられて。
「いいわね」
二人で、笑いあった。
空港から国内線を乗り継いで、ホテルがあるというボラボラ島に着いたのはちょうど正午頃だった。空港から出ると、いろんなホテルの従業員らしき人たちが出迎えに出ている。それぞれに、レイを持って。
「ミスター・アトベ?」
景吾が頷くと、従業員はまず私にティアレのレイをくれた。冠形のレイを、恭しく頭に乗せてくれる。景吾も同じようにレイを頭に乗せてもらい、荷物を手渡す。私たちの他にも一組カップルが来ていた。微笑みを交わして、軽く挨拶した。
そのままホテルの船に乗り込んで、ホテルを目指した。海は飛行機の中から見ていたより、ずっとずっと綺麗で、私は目が釘付けになった。沖縄の海にも似て、南国の海というのはみんなこんなに綺麗なんだろうか。
「オイ、」
不機嫌そうな景吾の声に顔を上げる。
「なに?」
「海なんていつでも見られるだろ」
景吾の言いたいことが分かって、思わず笑みがこぼれた。
「そうね」
彼は、一人で放って置かれたのが嫌だったのだ。普段、大人より大人ぶって振舞っている彼の些細な子どもっぽさに笑うと、機嫌を悪くしたのか、ふいと顔をそらせる。
「空もいつでも見られるわよ」
景吾が空を見ているので、そう言いながら腕を絡ませた。身体も寄せて、腕に頭を近づける。
「……ったく」
渋々、といった態で景吾も腕を絡めてくれる。頭に乗せられたレイのティアレが風でふるふると揺れていた。
すぐにホテルに着いて、チェックインを済ませる。従業員が案内するのに着いていくと、そこは水上コテージだった。一部屋というよりは、一軒の家だ。簡単な説明の後、彼は丁寧に辞儀をして去っていった。
「着替えようぜ。いくら薄着でも、冬物着てる場合じゃねぇ」
「そうね」
コテージはスイートの設計になっていて、キングサイズのベッドがある寝室と、リビングダイニング、バスルームにシャワー室、簡単なキッチンまであった。寝室で着替えようとすると、景吾は私の腕を引く。
「ちょっと」
「誰にも見えねーよ」
「……分かったわ」
互いに近い距離で夏服に着替える。私は夏物のワンピースに、景吾はブラックデニムと半袖のシャツに。水上を抜ける風が身体に吹き寄せて、気持ち良い。ベランダに寄って海と風を楽しんでいたら、後ろから抱きつかれる。
「くすぐったい」
「…腹減った」
「お昼食べてなかったものね。食べに行こう?」
連れ立ってレストランまで移動した。タヒチでのクリスマスは、あと四日。
さん、いかがでしょうか。「跡部さまと、南国クリスマス☆」第一日目。出発。
気がつけば、あまり名前変換がなくてすみません。二人でしか会話してないので、余計ないのかも。これから、25日に帰るまで、ずっと跡部と一緒です。しかも連動企画で年末も一緒です。楽しんでください。
お付き合い有難う御座いました。多謝。
2005 12 23 忍野桜拝