黒橡 第二話

源氏軍奉行、梶原景時の邸では主の妹である朔が先刻出て行ったばかりの仲間たちの帰りを今や遅しと待ちわびていた。
「黄龍、黄龍!」
「…えっと…済まない、俺は連れを探さなければならないんだが…」
目を離した隙に姿を消した白龍が、軍師と同じほどの体躯の男を連れて戻ってきたのだ。黒髪黒目、取り立てておかしなところはなく望美たちのように異世界の人間にも思えないが、白龍の懐き方だけが一種異様だった。
「白龍、その方をどこからお連れしてしまったの?この方には御用事があるようなのよ、離して差し上げなければだめよ」
「黄龍…私の神子を助けに来てくれたのではないの?」
腕といわず身体ごとその男にしがみついて、もう離さないと身体で訴えている。白龍は己の神子である望美にとても懐いているが、母子や姉弟のような微笑ましい懐き方とは違って、まるで己の片割れを離すまいとする必死さがあった。
「申し訳ありません、旅の方。もうしばらくすれば他の者が戻ります、そうすれば少しは落ち着いて話を聞いてくれると思いますから、どうか御容赦下さい」
「いや、貴女が謝ることじゃない。俺は平気です」
「お願い、黄龍、私の神子を八葉を助けて」
「…みこ?八葉?」
あまり大っぴらに出来ないことを白龍が男にどんどん話すので、朔がいっそう顔色を失いかけたその時。
「ただいまー!朔、新しい八葉が見つかったんだ!」
天の助けならぬ神子の助けが舞い降りた。
「神子!おかえりなさい!」
「ヒノエ?」
何故か望美の声に反応したのは、二人揃ってだった。白龍はお出迎えとばかりに飛び出して行ったし、男は微かな声でそう呟いて腰を上げる。
!?ここにいるのか!?」
「何ですヒノエ、大声を出したりして」
そして目を焼くほどに眩い朱色の光が、男の前に現れた。ヒノエはすぐさまを捕らえる。
!お前どうして!」
「心配かけたな、悪い。あの子と一緒にいたんだ」
「あの子?」
さきほどヒノエが知り合った白龍の神子、望美にまとわりつくようにしている子ども。──白龍。
「気づいたらあの子に手を引かれてて、離れがたくてここまで来てお邪魔してしまった。あの子は俺のことをまるで知っているみたいに、黄龍って呼ぶんだ。だからどうしたものかと思って」
が途惑いながら告げた言葉の内容と、さっき知った白龍の神子についての話をヒノエは頭の中で擦り合わせる。あの子どもは紛れも無く白龍、京の加護を授けていた応龍の半身。白龍が選んだ神子が望美で、何の因果かヒノエはその守護を負う八葉の一人だという。そして白龍はヒノエの龍を黄龍と呼んでいたらしい。
黄龍。四神を統べ陰陽五行を司り太極に導く龍神の長。龍脈そのものが黄龍だと呼ばれることもある。いわば大地の力の源。
「……」
だから、なのか。ヒノエは唐突に、今まで覚えた疑念が晴れていくのを感じた。
いかに神氣を纏う人間であってものように天地等しい加護を受ける者などいない。五行の属性を纏う者はいくらかいるが、ヒノエたちのように白龍の力を受けたわけでもなくほど強烈な纏い方をした者など聞いたことがない。そして何より、白龍の神氣が怨霊を封印出来るのだから、同じように龍の神氣を宿すが怨霊を倒せるのは自明の理だったのだ。人のようであって人ではないと感じていた理由──が纏っていたのは、限りなく龍神に近い神氣。
だからこそ那智滝はを受け入れて清浄の度合いを深め、神氣を高ぶらせたが纏う気配は黄金で瞳すらその黄金に染まった。
「ヒノエ?そういやお前、額にそんなものあったか?張り付いてる…わけじゃないな」
「!?」
すい、と指でヒノエの前髪を掻き分けて額にある朱雀の宝玉に触れたに、周囲が息を飲む。ヒノエにはその意味が分かったが、は不思議そうに宝玉を指の腹でそっと撫でた。
「温かいような感じがするな、何だろう……ちょっといいか?」
はヒノエの前髪を持ち上げて、己と額を触れ合わせ、そっと目を瞑った。微かな黄金色の神氣がを包んでいる。
「朱の鳥……熊野の三つ足烏じゃない、ずいぶん綺麗な鳥だな、ヒノエに似合う」
その瞬間、梶原邸は息を飲むどころの騒ぎではなくなった。ヒノエが天の朱雀だと言ったのは白龍、それをこの男は聞いていないはずなのだ。そして何より、白龍とその神子そして同じ八葉にしか見えないはずの宝玉を見て触れて朱雀さえ感じとっている。白龍の話を聞いていた望美や弁慶たちはもちろん、傍耳立てて聞いていたヒノエもその意味を図りかねた。
「えっとヒノエくん……そちらがさっき探してた連れの人?」
かろうじて声を上げた望美に、はゆっくりとした動作でヒノエと共に振り向いた。ヒノエは望美が知る限りかなりの美少年だが、ヒノエの連れであるこの青年もまた違う雰囲気を持った美形だった。
「姫君たちに紹介が遅れてしまって済まないね、彼は。オレの連れさ」
「ヒノエの様子が変わっていたから驚いてしまって、名乗りもせずに済まなかった、神子殿」
「春日望美です、さん。貴方はヒノエくんの宝玉が見えるんですか?」
なぜそんなことを聞くのだろう、との顔にははっきり書いてある。それでも小首を傾げながら、だって、と続けた。
「こんな綺麗なもの、見逃したり出来ないだろう。とても綺麗で温かい。どこか懐かしくさえある」
「……さん、貴方は一体」
誰なんですかと弁慶が問いただそうとした時、の視線は弁慶の顔を通って手へと落ちる。宝玉を見ているのだ、と察した弁慶が手の甲を示すように差し出すと顔を上げた。
「もし気を悪くしないんだったら、これに触れてもいいだろうか。貴方は?」
「僕は弁慶と言います、ヒノエのご友人。僕のものでよければどうぞ」
「ありがとう」
は弁慶の片手、宝玉の嵌められた手を押し戴いて手の甲を額に押し当てた。同じように目蓋を閉じる。
「ヒノエと同じ鳥だ……やはり懐かしいのはどうしてだろうな。弁慶殿、ありがとう。ずいぶん綺麗なものを見せてもらった」
「黄龍、黄龍は天の朱雀と仲良しなんだね」
「天の朱雀?……ああ、ヒノエのことか。ヒノエは俺の拾い主、みたいなものだよ。もう半年前になるかな。それからずっと俺はヒノエに世話になってる」
そうかあの綺麗な鳥は朱雀というのか、とがひとりごちている間に弁慶からの視線を受けたヒノエは小さく肩を竦めてみせた。誰なのだ、と詰め寄りたいのだろうがそうはさせない。
「神子姫、もう少し姫君の話を聞いていきたいところだったが探し人を見つけることが出来たし、今日のところはお暇するよ。もう一つの探し物を思い出してね」
「そういえばそんなことを言っていたな、ヒノエ」
「黄龍……帰ってしまうの?私の神子を助けてはくれないの?」
泣き出しそうに顔を歪ませる白龍の頭に手を伸ばし、は幾度もその蒼銀の髪を撫でる。
「俺はヒノエの龍、だから。ヒノエが神子殿をお助けすると決めたなら、俺も同じだ。怨霊相手なら役に立てるだろう」
「ありがとう黄龍!」
「でも何で黄龍?俺、記憶はほとんど無くても人間のはずなんだが」
白龍はにこにこと笑いながら黄龍は黄龍だから、と謎かけのような言葉を繰り返した。
「お前が黄龍とやらにでも似てるんじゃねえの?白龍が人の姿をしてるんなら、黄龍ってのが人型でもおかしくねえし」
「それもそうか」
「じゃあね神子姫。またすぐに会いに来るさ」
「では、失礼するな」
詮索を封じるように手早くヒノエとは梶原邸を後にする。そして残されたのは弁慶や朔、望美たちの思案顔だ。
「弁慶さんはヒノエくんのお知り合いなんですよね?彼のことは?」
「いえ…ヒノエと最後に会ったのは二年ほど前です、彼とヒノエが会ったのが半年前なら僕は全く彼のことを知りません」
「あの人は…いったい…」



「なあヒノエ、悪かったって、怒ってンのか?」
「……別に怒ってねーけど」
「嘘だ怒ってるだろ、あん時お前とはぐれちまったのは本当に悪かったって。気がついたら──ヒノエ?」
六波羅の屋敷に向かう道、人気のない小路で立ち止まったオレを不思議そうには見ている。
。オレの龍。お前は本当に、オレの龍なのだろうか。もし白龍のいうように本当に黄龍なのだとしたら、お前はいつか天に還り龍脈に解け姿を消してしまう?
、お前はオレの龍だよな、一緒に熊野へ戻るよな?」
「当たり前だろ?ヒノエがあの神子殿の手伝いをするなら一緒にいるし、それが終わったら一緒に熊野に戻る。だって俺の居場所はお前のところしかないから」
今は、そうだろう。は記憶が無いから自分の居場所など分からないから。けれど記憶を取り戻したら?白龍やその神子たちと一緒にいたら記憶が戻ってしまうかもしれない。それが黄龍としての記憶で、黄龍にはどこか相応しい場所があるとしたら?熊野の地になど、人の世になど繋ぎとめておける存在ではないとしたら?
言いようの無い不安ばかりが身体を巣食っていく。オレの不安に気づいたのか、は不意に距離を詰めて顔を寄せた。
「何を不安に思ってるか知らねぇけど、大丈夫、俺はお前の傍にいる」
唇が宝玉に触れ、いつか見た、あの黄金の気配がふわりと身体に流れ込んでくる。想起したのはやはり、黄金の龍。の──本質。
「──なら、それでいい。勝手にどっか行ったりするなよ」
「ああ、悪かった。ごめんな」
さっきはぐれたことだと思っているのだろう、はあっさりとそう言って笑ってみせた。どこか白龍の笑みに似た、邪気の無い笑顔。思えばは出逢った時からあまりに鷹揚で寛容で、無用心だった。そもそもの資質なのか、記憶を失ったことによるものなのか、オレには何もわからない。けれど、もしは誰かに騙されたり裏切られたりしたとしてもそこで傷ついたり相手を詰ったりせずに全てを受け入れるだろう、という変な確信がある。
「もう少しで六波羅の屋敷だ、いろいろあったからゆっくり休みたいよ、全く」
「そうだな」
オレの龍だとが白龍に告げた時は本当に驚いた。記憶が無いせいで、は己と周囲とをどこか離して見ているところがある。熊野に来て、オレや熊野の人々の様々な思いを受け入れても、受け入れるだけで己から何かを発そうとはしない。オレの傍にいることが多かったのはオレが努めて傍に置くようにしていたせいで、もしオレが呼んだり探しに行ったりしなかったらどうしているか分からないほどに、は何かと繋がることを避けているのだと思っていたからだ。土地に、まして一人の人間に縛られ繋がることなど本能で嫌うのだろうと思ってさえいた。
「この都は……なぜ応龍の加護を失ったんだろうな。可哀想に」
「さて──ね。それもこれも、神子姫の傍にいれば分かることさ。お前自身のこともきっとね」
可哀想。それは荒廃した都の人々へ向けた言葉だったのか、地脈と切り離された応龍へだったのか、白龍とその神子姫へのものだったのか。オレには分からない。分からないことはいくつでもあった。出逢って半年、それも常に共に寝起きしていたというわけでもない男のことをどうしてオレはこんなに気に掛けてしまうのか。離したくないと望み、離れるなと縛り、男にとっては最も大事だろう記憶さえ蘇るなと願っている。
これがどこぞの姫君ならばずいぶんと逆上せ上がった恋をしたものだ、と自嘲することが出来ただろう。けれどこれは恋などではない。相手を失いたくないばかりに、その全てを奪おうとする恋が真の恋だと言うのなら──そんな恋、オレは欲しくない。可愛い可愛い姫君をオレが幸せにすることこそ、オレの恋だ。でもはオレが幸せにすることの出来るような存在ではない。地を這う人が天駆ける龍に恋うなど、狂気の沙汰だ。
だからこれは──傍にいるオレの龍に離れるなと望むことは、決して恋などでは、無い。






唐突にBL色を出してみた。主人公はヒノエより年上、体格は弁慶ぐらい、タイトルはゲーム準拠のイメージカラー。

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