黒橡 第三話

神子姫と出逢い、が黄龍だと分かってから数日後。六条櫛笥小路の梶原邸を訪れたオレとを迎えたのは、邸の主人である梶原景時と源氏の総大将である源九郎義経だった。二人の手前なのか、てっきり詮索がましく話しかけてくると踏んでいた弁慶は人の良さそうに見える笑みを浮かべているだけだ。
「アンタたちが源氏の総大将と軍奉行か、オレはヒノエ。こっちは。熊野の者だ」
「熊野というと水軍の者か、道理で変わった武具を持っているんだな」
九郎の視線はオレのジャマダハルとの手甲を見比べている。
「まあ、アンタら武士と違ってオレたちの戦場は船の上だからね。何かと小回りが効くほうがいいのさ」
「へー……ところで、くん?で良かったっけ。俺に何かついてる?」
オレは八葉──天の朱雀であるらしく、景時の咽喉元にある緑色の宝玉を見ることが出来た。先日聞いた限り、最初に力を分けて宝玉に込めた存在である白龍と白龍が選んだ神子姫、そして同じ八葉の者などおよそ応龍に関わる者にしか見られない宝玉。それをは何故か見ることが出来た。触れることで力の源である四神の姿さえ見られるようだ。今も景時の宝玉をじっと見つめている。オレと弁慶の宝玉に触れて見たという朱雀を懐かしい、と言っていたのが今となっては少し嫌だ。
「ついている、と言うか……景時殿の咽喉元にある宝玉に、触れてもいいだろうか」
「ええっ!?これ、見えるの!?え、だって、弁慶、彼は八葉じゃないって」
くんは八葉では無いようです。ヒノエの連れですが、白龍は先日彼のことを黄龍だと呼んでいましたよ」
「こうりゅう?また龍の話か?」
どこかうんざりしているような九郎をよそに、景時はたいそう慌てている。源氏の軍奉行は武士だが陰陽術を使うと聞いているから、その意味が分かったんだろう。
「黄龍だって!?なんでそんな……!あ、いや、ごめん、これに興味があったんだよね、俺ので良ければどうぞ」
ぺた、と手で鎖骨を示した景時にすっとが近寄った。指でするりと宝玉を撫で、おもむろに顔を近づける。
「わ、ちょ、くん!?」
「…白に黒の縞……ずいぶん綺麗な飾りをつけた虎だな」
額を宝玉につけるのは先日もやっていたことだが、如何せん、宝玉の位置が咽喉元だ。まるでが甘えて擦り寄ってるように見える。景時が慌ててわたわたと両手を動かしていた。は全く意に介さず、景時の両肩を掴んで目を閉じ、額だけを宝玉に触れさせていた。
「景時は地の白虎だそうです、貴方が見ているのは白虎ですよ、くん」
「待ってよ、白虎見るってどういうこと、っていうか、あの、その」
「白虎……やはり懐かしいな。景時殿、ありがとう」
満足したのかは顔を上げ、手のやり場と対処に困った景時から離れてオレの傍へ戻ってくる。戻ってくるなり、ぱっと笑ってみせた。
?」
「あの虎、すごいふかふかなんだ、ヒノエ。唸ると地震が起きるから怖いけどさ」
朱雀をオレと弁慶の宝玉から見た時、は懐かしいような気がするとしか言わなかった。具体的な事柄が出てきたのは初めてだ。何か言いたそうな景時を弁慶が制しているのと九郎が理解不能に陥っているのを確認して、目線を戻す。
「……へえ?触ったことあるんだね、
「多分あると思う、あれふかふかだった、って思ったから。ヒノエに会うずっと前のことだ、多分。記憶がほとんど無い頃の」
「オレの朱雀には触れたこと無かったのかい?綺麗な鳥、なんだろ?」
「うん、首とか体の羽は気持ちよかった、すべすべで。でも尾っぽは触れないんだ、炎だから。熱くはないけど実体が無いっていうか」
懐かしいどころの話では無いのかもしれない。はやはり黄龍そのもの、なのか。黄龍は四神を統べる龍神の長、陰陽を司り太極に導くもの。朱雀だの白虎だのっていうのが本当にどこかに存在するなら、その主である黄龍が触れた記憶があっても何ら不思議じゃない。
くん、これにも触れてみてくれませんか」
弁慶はそういうなり、九郎の左袖を勢い良く捲り上げた。左腕の上部に見える、青い宝玉。
「弁慶、何を!?」
「…大丈夫、少し確認するだけです。どうですか、くん」
「九郎殿……」
じっと宝玉を見ているの顔と弁慶とを交互に見ていた九郎はややあってため息をつく。
「おれは構わないが。そもそもよく分からん」
「ありがとう」
にこりと笑ったはすぐさま九郎の左腕に顔を近づけ、宝玉を額につけた。
「……九郎殿は青龍の加護を持っているんだな。あの鱗も玉も本当に綺麗だった、蒼みたいな紫みたいな綺麗な色の鱗をしてるんだ、ひんやりしてて」
今度ははっきりと四神の名を自ら答え、するすると記憶を引き出してみせた。やはり神子姫たちのところにいればいるほど、には記憶が蘇るんだろう。黄龍としての──記憶が。そして完全に戻ってしまえば、はオレの龍などではなくなってしまう。
「ああ、えっと…九郎殿」
顔を上げたに反対側の腕を取られた九郎は、思わずびくりと身動きする。
「済まない、まだ痛むんだな。青龍を見せてもらったお礼だ」
言うなり、は掌を伸ばして右腕の肘辺りを包むように触れた。
「何を……!?」
熊野で見て以来、久しく見ていなかったの神氣。ふわりと身体に黄金色の神氣を纏ったが目を閉じて意識を集中させる。神氣の流れが今度こそはっきりと見えた。から、九郎へ。
「陰気──怨霊につけられた怪我は癒えにくいだろう、白龍から陽の気を受け取っているなら尚のことだ。少しは楽になったと思うがどうだろう」
オレと弁慶、そして景時が穴の開くほど見つめていることなど頓着せず、は小首を傾げてみせる。九郎はしばらく呆気に取られていたが、ややあって腕を動かした。
「確かに痛みが無くなっている。、お前…いや貴方は一体……」
「俺は、ヒノエの龍。ヒノエに拾われるより少し前のことはほとんど覚えていないから、よく分からない。ただ、この氣を操る方法だけは分かる。俺はこれで怨霊を倒していてヒノエに出逢った」
この前と同じように、弁慶と景時と九郎の視線がオレに向く。どこか不審気な景時と九郎のものに比べて、弁慶は微かに楽しげだ。もっとも、コイツはいつもこんな顔を貼り付けてるけど。
は本当に怨霊を倒せるよ、神子姫の封印ってのをオレはまだ拝んでないけど…それに近い言葉を選ぶなら、のそれは昇華だ。の気を浴びた怨霊は姿形、嫌な陰の気さえたちどころに消えた」
「本当にくんは黄龍、なのか?黄龍が白龍や黒龍と同じように人の形を取っているだなんて」
陰陽師であり、妹が黒龍の神子に選ばれている景時は理解が遥かに早かった。龍神の神氣でしか、怨霊を倒すことは出来ない。黒龍の神氣はそもそも陰の龍が使うものだから鎮めることしか出来ないが、反対に陽の神氣を持つ白龍のものは封印して倒す事が出来る。おれたち人間が切りつけても多少は効くけどそれは致命的なものにはならない。存在に働きかけることが出来るのは、龍神の神氣のみ。それが出来るは黄龍そのもの、ということになる。そもそも白龍がそう言っているのだから。
ただ、は景時の言葉に首を振る。そう自身は記憶が無いから分からないのだ。自分が、何であるのかを。は神氣を扱うことだけを覚えている状態でオレと出逢った。そして白龍の神子と八葉に出逢ったことで四神のことを思い出しかけている。
「分からない、白龍は前にそう言ってたけど。そもそも俺を龍だって言いだしたのはヒノエでもおれ自身でも無くて、熊野の人たちだから」
「ああ、熊野の龍というのは君のことでしたか」
「みたいだな。俺は熊野のっていうかヒノエの龍なんだけどさ」
「それはどういう意味…将臣くん?」
景時が尚も尋ねようとした時、人影が障子の向こうから姿を現した。青いざんばらの髪をした男だ。
「お、ここに揃ってたのか。3人とも、望美が探してたぜ?」
「神子姫の御呼びとは羨ましいね、早く行ってあげなよ」
「……そうですね。行きましょう九郎。景時」
弁慶は意味ありげにオレをじっと見てから出て行く。九郎と景時がそれに続いた。
「で…あんたがえーっと…熊野のヒノエ、でいいんだよな。額に宝玉があるし」
「そうだけど。アンタは…って!」
がまるで吸い寄せられるように将臣と呼ばれた男に近づく。正面ではなく、左側の横顔をじぃっと眺めて今にも動きたそうにうずうずしていた。
「……将臣、でいいんだよね。あのさ、アンタの宝玉、耳のソレ」
「これがどうかしたのか、っていうかコイツも八葉?」
宝玉がはっきりと見えていることを言いたいんだろう、将臣はそう尋ねた。
「違うけどには見えるんだ、宝玉。で、どうもはそれにご執心でさ、良かったら触らせてやってくれない?」
「え……お前、?これに触りたいってどういうことだよ」
詰問されたと思ったのか、は僅かに目じりを下げてしょげ返る。それでもきっと顔を上げて目線も上げて話し始めた。
「俺はヒノエに拾われる少し前までの記憶が無いんだ、だからいろんなことが分からない。でも、この前ヒノエのそれに触って朱雀を見たら懐かしいと思って。他の宝玉を見てもやっぱりそうで。だから…」
「懐かしい、ねえ。ま、何でもいいや、好きにしろよ」
「ありがとう」
少しだけ背伸びをしては左耳にある宝玉に顔というか額を近づける。
「……え、こいつ、全員にこれやってんの」
が背伸びしていることに気づいたらしく、将臣は心持ち背を丸めて屈んでみせた。が、表情は複雑そうだ。
「今のところ全員にやった。オレと弁慶と九郎と景時」
「……譲はまだなわけね。絵的に微妙じゃね?これ」
将臣は景時や九郎と同じように大柄な男だし、それに比べれば小さいといってもオレより大きながまるで擦り寄るみたいに額を宝玉に触れさせている状況は確かに変かもしれない。ただ、どことなく所作が子どもっぽいので気持ち悪いという線は逃れられている…と思いたい。
「青龍…ああ、懐かしいな。顔周りを撫でるとちょっと怒るんだけど、龍珠が七色で綺麗だった、角は硬くてつるつるしてたよ」
「四神でも怒ったりするのかい、逆鱗に触ったとか?」
龍の顎下にある逆さに生えた鱗を触ると龍は激怒する、というのは古くからの伝承だ。オレがそう尋ねると、将臣から離れたは首を振った。
「そうじゃない、多分。逆鱗の周りばかりを撫でて龍珠を眺めてたことがある、いつ逆鱗に触れられるか分かんなくて青龍は困ってたんだと思う」
「……青龍って神様だろ?よーするに。、お前って何者?…って記憶無いんだから分かるわけねーか。悪ィ、変なこと聞いたな」
今までと多少違った反応には驚いたようでぱちぱちと瞬きを繰り返す。
「だって分かんねーもんは分かんねーよな、そりゃ。ま、そのうち戻るんじゃねえの?記憶。あんま焦ったりすんなよ」
「将臣……」
に向かって、今まで何者だと聞かなかった人間はこの京に来て始めてだ。あっけらかんとそう言い放った将臣は、唐突に待ってろと言い残して姿を消す。
「そのうち戻る…か。ヒノエもそう言ってたな。ヒノエの親父殿も」
「記憶が戻っても戻らなくても。お前はオレの龍だし、オレたちの居場所は熊野だ。だから無理はするなよ、
「分かった」
こっくりと子どもじみた仕草で頷いたが顔を上げた時、ばたばたと足音が二つやってきた。
「ちょっと兄さん、何なんだよ!俺は先輩に頼まれて…」
「すぐ済むって言ってるだろ、こっちも人助けだっつの」
「はぁ?」
、ヒノエ!もう一人八葉連れてきた。おれの弟だ」
ほれ、と将臣は勢い良く連れてきた男をの前に突き出す。ぐいっと顔を両手で横に向けた。首筋に、白い宝玉が見える。
「痛っ、何なんだって聞いて…あれ。君も八葉なんだ」
「そう。オレはヒノエ、こっちが。熊野の者だ。で、唐突に悪いんだけどさ、あんたの宝玉に触らせてくんない?オレじゃなくてこっちに」
「はぁ?そのどこが人助けなんだよ?」
は記憶喪失らしーんだよ、で、宝玉触ったら少し思い出すことがあるんだと。今ここにいてが触ったことねえの、お前だけなんだ。だから協力してくれよ、譲」
将臣の言葉に譲といわれた弟はため息を一つついて、将臣の腕を振り払う。自分から少し首を傾げるようにしてに宝玉を晒した。
「よく分からないけど、どうぞ。こんなんで記憶が戻ったりするのかよ」
「ありがとう」
こつん、と額を宝玉に押し当てる。景時のときも咽喉下だったので甘えて擦り寄っているような絵柄になってはいたが、今回は首筋なので尚のことそう見えた。隣で将臣がうわー…と小さな声を上げる。
「なんつーか微妙な絵面だなオイ…」
「ああ白虎だ…ふかふかで暖かくて…」
「……何だかペットの話みたいだけど白虎って、四神とかいう神様だよな?」
譲は少し表情を引きつらせてはいるが、どことなく心配そうな目線をに向けていた。神子姫と同じ異世界から来たという人間の使う言葉は少し奇妙だ。
「ぺっと?何だいそれは」
「おれらの世界の言葉だ、えーっと愛玩動物?ほら、家で猫飼ったりするだろ、犬とか。そういうのがペットだ」
将臣の言葉にオレは軽く頷いた。確かに、屋敷で猫を飼っている姫君はよくいるし、昔は御所で犬や猫が飼われていたこともあると聞く。今はどうかオレは知らないけど。
「そういうことか。でもぺっと、じゃないだろ。どうもは四神に逢ったどころか触ったことがあるみたいだけど」
「神様だもんな、なにせ。でもふかふかだの顔撫でると怒るだの、ホント、の口から聞くと単なるペットに思えてくるぜ。ひょっとして、一緒に暮らしてたとかな」
は満足したらしく、譲に礼を言って身体を離す。そして将臣の言葉に首を傾げた。
「へ?俺が朱雀や白虎たちと一緒に暮らしてた?」
「そうじゃねえの?ずっと一緒にいたから、いろいろ覚えてるんだろ」
将臣の言葉にははたと考え込んでしまった。じっと両の手を見つめている。
「あ…ひょっとして、おれ何かまずいこと言ったか?」
「だめじゃないか兄さん、記憶喪失の人に妙なこと言ったら。あんまり刺激するの良くないって聞いたことあるだろ」
「……二人と神子姫がいる世界では、こういう…みたいなことはよくあることなのかい?あまり驚いていないように見えるけど」
横目で考え込むを見ながら二人に尋ねると、二人は揃って首を傾げた。
「いや?よく…は無いんじゃねえの?話には聞くけど実際に会ったことは無かったぜ。こいつ…が初めてだ」
「俺もそうですよ、テレビや新聞…話としては聞いたことがたくさんあるから、そういう人がいるってことぐらい知ってます。原因も様々だって言いますしね。だからその…有り得ない話だとは思わないからあまり驚いてない、というか」
「ふぅん…神子姫の世界はずいぶんと不思議な世界なんだな」
譲の言葉には知らない言葉がいくつか混じっていたが、二人が落ち着いていた理由はこれでよく分かった。おそらく神子姫も同じような対応を見せるのだろう。
「おれたちから言わせりゃこっちも十分不思議だぜ、なあ譲」
「……まあ、そうだね。それにしても不思議なのはどうしてさんがこれを見えるか、ってことですけど。こんなものがある俺たち自身でさえ四神のことなんてほとんど分からないのに」
「確かにな。けど、そんなのの記憶が戻ればはっきりすることだろ。はヒノエの連れで望美に手を貸すって言ってンだからよ、それでいいじゃねえか。仲間ってことだ」
「それはそうだけどさ。あ、そうだ、先輩に頼まれてたんだった。じゃあ俺はこれで」
神子姫のところへと帰っていった弟を見送るでも無しに、将臣はおれとを交互に眺める。
「将臣?オレはあんまり男にじろじろ見られる趣味は無いんだけど」
「いや…お前ら二人とも熊野水軍なんだよな?京に来る仕事でもあったのかな、と思ってさ」
「……熊野水軍の一員だからって、四六時中熊野にいるわけじゃない。源氏や平家ほどとは言わないけど、こっちもそれなりの組織だからね。いろいろある。熊野にいたらどうしても京の動きには疎くなってしまうものだしね」
「なるほどな……お、呼ばれてら。お前らも来いよ。ほら」
将臣を呼ぶ神子姫の声がして、将臣はの腕を取って歩き出した。すぐ後ろについていきながら、じっと将臣の背を見る。この男は、先日この屋敷にはいなかった。弟の譲もそうだが、熊野水軍が京にいる理由を知りたがったのはこの男だけだ。神子姫は、オレのことをどうも感じているようだった。まるで初対面という対応では無かった。龍神の神子と八葉という繋がりがそれを教えたのだとしたら意味が分かる。八葉は神子姫を守る存在、多少なりとも感づくように出来ていてもおかしくない。けれど。
この男は、何故、オレたちの動きに注視したのか。神子姫と同じ異世界の者、熊野のことなどほとんど知らないはずだ。そしてこの男──将臣からは妙な気配がする。名のある武将のような、隙の無い身動き。そう、同じ青龍を守護に持つ九郎のような。
「ヒノエ?」
の声にオレは思索を止めてにこりと笑ってみせた。
「何でもない。神子姫がお呼びなんだろ?早く行こう」








神子様は六波羅に行く前に下鴨神社へ行った様子。何故弁慶が同時にいるのか…単なる私のミス。笑

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