a blast of wind
鳴り続けるアラームをどうにか止めようと、陸は枕元を手であたり構わず叩いた。目覚まし時計も携帯も枕元にはなくて、音は鳴り続けるどころかうるさくなっていくばかり。
「うー…」
日の光も眩しいし、音もうるさい。でも、眠気には勝てなくて陸は唸りながら布団の中に潜り込もうとする。
「うるせェって言ってんだろがァ!今何時だと思ってんだ陸!」
ぶっ殺すぞ、と穏やかでない台詞を叫びながら部屋のドアを開けた牛島は、こんもりと丸まったルーキーの姿を見るなり、にやりと笑って、思いっきり蹴り飛ばした。軽い陸の身体はふわりと浮き上がって、ぽすんとベッドに落ちる。
「痛ッ!なに、痛い…」
「痛いじゃねーよ、バカ!休日の朝七時に何アラーム鳴らしてンだテメェ」
「あー…牛島さん…」
「起・き・ろ!」
がたがたと揺さぶられた陸は手で目をこすって、ぱちぱちと瞬きをして、首を傾げた。
「なんで居るんです?」
「…ぶっ殺す…」
ぐっと牛島が両手に力を込めたとき、陸はぱっと跳ねるように飛び上がって、ヤバイ、どうしよ、と慌て始める。
「ねえ牛島さん、もうキッドさん行っちゃった?」
「キッド?あいつと約束でもしてンのか。ンな早くに?」
ワイルドガンマンズの朝練は早い。本来なら四時のはずだが、キッドがやってくるのは大概数時間後なのだ。陸のように朝が弱くて寝坊しているのか、寝坊しているという自覚すらないのかは定かではないが、キッドはあまり朝早く活動しているイメージが牛島たちにもない。
「うん。えっと、キッドさんが、七時にグラウンドに来たら、良いもの見られるからおいでって…」
喋りながら着替えた陸は髪型を整えてあくびを一つする。
「良いもの、ねェ」
「じゃあ行ってきます!起こしちゃってごめんなさい!」
「…お、おう」
目が覚めてしまえば、陸はものわかりの良い可愛げのある後輩なので、牛島は怒るタイミングすら失ったまま、陸を見送った。
西部高校には、寮がいくつかある。中学の頃は男子・女子に分かれているだけの大型寮しかないが、高校になると大所帯な部活には寮がある。アメフト部もその一つで、アメフト部の寮から専用のグラウンドまでは陸の足ならばものの数分で着く。
「…人がいっぱいいる」
ゴールポストの手前に、エンドラインより長いラインが引かれており、サッカーのフィールドらしきものが出来ていた。ただ、サッカーのゴールとは違い、テントのような形をしたものが置かれている。網があることから見て、おそらくゴールなのだろう、と陸は推測したが、サッカーでも無さそうだし増してやアメフトやラグビーではない。
「なんだ?」
陸が首を傾げたとき、のんびりとした声が横からかかる。
「お。ちゃんと来たねぇ。えらいえらい」
「キッドさん」
キッドはいつものようにカウボーイ・ハットを被って、私服姿でグラウンドより離れた位置に立っていた。横には鉄馬もいる。
「おはようございます。キッドさん、鉄馬さん」
「うん。こんなに早いのによく起きられたね」
「…朝練よりはずいぶん遅いです。実を言うと、起きられなくて牛島さんが起こしてくれたんです」
「キャプテンが?」
「起こしてくれたっていうか、アラーム鳴りっぱなしだからうるさいって言いに…」
何か、すごく自分が場違いなところにいる気がする。
そんな気分になった陸は、喋るのもそこそこに辺りを見回した。たくさん人がいるが、そのほとんどが女子ばかりで、男子は自分たちとあと数人ぐらいしか見当たらないのだ。
「キッドさん、良いものって何ですか?なんでこんな女子ばっかり」
「陸は見たこと無かっただろうと思ってね。ウチの女ラク」
「じょらく?」
「ほら、あれ」
どこかウエスタン調な装飾のある、茶色のポロシャツを着て短いスカートを履いた女子の集団を指して、キッドはあれがウチのほうね、と言う。フィールドのすぐ傍、ベンチがあるところに固まっている。
「ウチ?西部?」
「そ。西部の女子ラクロスチーム。あっちの白い方が対戦校」
「ラクロス、ですか。高校チームあるんだ」
「少ないらしいけどね。あれ、あの子いないなあ」
西部のチームのほうがずいぶんと人数が多い。二十数人ほどがひとかたまりで、グラウンドの脇にも同じユニフォームのかたまりがいたが、そっちのほうがだいぶ人数がいた。
「ずいぶん、人数多いんですね」
「そりゃあ、中高合同だもの」
「公式戦に?」
「らしいよ。オレは詳しくないけど」
西部高校の付属中学にもアメフト部はあって、たまに合同練習をすることもある。大概のメンバーはそのまま高校のアメフト部に入るから、かなり長期的なプランでチーム作りをすることが可能だ。ワイルドガンマンズはキッドのプレースタイルに沿ったチームに特化してきたが、陸の加入を見越して去年の冬から中学生の陸を練習試合に参加させたりして、新しいチーム作りをやってきた。
「あーもう、あの子また遅刻じゃない!」
「やっぱ誰か呼びに行かせないとマズイよ」
「仕方ない、一年で誰か百合呼びに…ってキッド!あんたいたのね」
「どうも」
くるりと振り向いた、気の強そうな女子がキッドに向かってスティックを指し示す。キッドはハットを少し上げて小さく頭を下げた。陸も倣って頭を下げる。
「ちょうど良かった、比奈呼んで」
「相内ですか?」
「そ。比奈ならまだ女子寮にいるだろうし、あんたなら起こしてもたぶん大丈夫!」
「…はぁ。で、起こしてどうするんですか」
「百合がまだ寮にいるから、大至急グラウンドまで連れて来いって言って」
「百合ちゃん、遅刻ですか」
「遅刻っていうか寝坊っていうかバカっていうか」
何だか他人事には思えない。陸はちょっとだけ横を向いて、気の強そうな先輩から目をそらした。
「分かりましたよ。オレもあの子の走り見たいんでねぇ」
「走り?」
陸がキッドを見上げたとき、キッドは少しだけ笑って電話をかけていた。
「もしもし、相内?悪いね、朝早くに。うん、お願いがあってさ。百合ちゃんがまだ寮にいるらしくて、大至急でグラウンドまでって先輩が言ってるよ。…うん、うん。分かった。伝えとくよ。じゃあよろしく」
「先輩。相内から伝言です。『何が何でもたたき起こして十分で連れていきます』だそうですよ」
肩をすくめたキッドに女子は笑って、オッケー、とだけ返してくるりとチームメイトたちの輪に戻る。
「じゃあ、いくよ」
地面の一点にスティックを合わせて輪になったと同時に、今までグラウンドの脇で雑談していた部員たちが一斉に立ち上がった。
「!?」
「さて、見物はこれからだ」
「R.A.PID.FAIR!RAPID!」
さっきの女子が一人、声を張る。声の後、一点に合わさったスティックが地面を叩いて鳴り始めた。
「R.A.PID.FAIR!FAIR!」
立ち上がった部員がコールに続いて、スティックの鳴る音と、部員たちのコールでグラウンドはいっぱいになった。
「すっげ…」
部員たちがコールを続ける中、さっきの女子が一人スティックを空に掲げた。その瞬間、ぴたりとコールが止む。
「我らは」
「目の前に立ちふさがる敵全てを」
女子の声に続いたのは大勢の部員たちだ。対戦校の選手たちが疎ましそうにこちらを見ている。
「撃ち払い、滅ぼすためにここにいる!」
輪になったチームメイト全員の声がグラウンドに響き、その次の瞬間全員がスティックを掲げて声を上げた。
「victory for RAPIDFAIR!!」
選手たちがフィールドに散り、ドローボールがセットされても、陸はあっけにとられたまま、口をぽかんと開けている。
「どう?ちょっと見物だったでしょ」
「…あ、はい。何て言うかすごいですね」
「ちょっとすごいよねえ。この大人数であのチャントだもんね、迫力ありまくりだよ」
「迫力っていうか…なんか…ケンカでもするみたい」
勝つ、と言うならともかく敵を全て撃ち払い滅ぼすと言っているのだから、物騒極まりない。
「でもほら、ウチってああだから」
教師が授業に銃を撃ったり、試合前のセレモニーで銃を乱射することも許される学校だ、何でもありだろう。
「強いんですか?ウチの女子ラクロス部」
「強いよ。ほら」
ほら、とキッドが示したのは目に残像すら残らないスピードでボールが選手たちの間を行き来している姿だった。あっという間にゴールが決まる。
「早いよねぇ。ウチの女子ラクロス、チーム名がラピッドファイアって言うんだよ。早撃ちって」
「パスが速いから?」
「本当のラピッドファイアは後で見られるよ。でも、こうやってパスが早いのがチーム名の由来だとは聞いたな」
陸はキッドの早撃ちを目にしているから、素早いパスに目が慣れていないわけではない。なのに、ボールが小さなせいか、残像を目で追うこともなかなか出来ない。
「ラクロスはボールの最速が時速150キロぐらいいくとかで、もともと早いスポーツなんだけどね」
「時速150キロ!?」
日本の公道ではなかなか見られないスピードだ。陸は目を丸くする。
「卓球のスマッシュはもっと早いよ。だから、ボールの威力だけならアメフトより上かもねえ」
「へー…。あれ。もう5点も入ってる」
「パスが早けりゃ、シュートも早くて止められない。だからウチの女ラクは強い」
でも走るスピードは普通だな、と思いながら陸は試合の様子を眺めた。確かに選手の間を行き来するパスはとてつもなく早いのだが、走る選手のスピードは普通で、陸にすれば遅い部類に入る。
「きゃ、キャプテン!遅れてすみませんでしたぁ!」
「百合!」
グラウンドの入り口で大声がして、キッドと陸は揃って振り向いた。キッドの口端が少しだけ上がる。
「綾!フライ(交代)!」
一人の選手がフィールドを出て、ベンチに残っていた選手と交代して出てきた。百合、と呼ばれた女子が走って近づく。試合をやっているどの選手より早い。
「すみませんでした!」
「マウピは?」
「持ってきました」
「チェック受けてきて」
「はい!」
キャプテン、と呼ばれた選手はさっきキッドに話しかけてチャントをリードした女子だ。キッドたちに近づいてくる。
「やっとお出ましよ。ありがとね、キッド」
「いや、別にオレは何も」
「キャプテン、オッケーもらってきました」
「百合、罰としてノルマ10点」
ラクロスは、どうやら1ゴール1点らしい、とさっき理解した陸はキャプテンの言葉に目を丸くする。一人で10ゴールしろ、と言っているのだ。
「後半からですか?今からで15にしません?」
百合の言葉にキャプテンは時計を確認した。前半はまだ十五分残っている。後半は二十五分あるから、四十分プレー時間がある。
「オッケー。それでいいわ。ナオ、フライ!百合入るから!」
キャプテンの言葉にさっと選手の顔付きが変わった。ナオ、と呼ばれた選手が百合と手を合わせて交代する。
「けっこうお構いなしに突っ込んでくるから、ボール落とさないようにね」
「分かった」
「オレが陸を呼んだのはね」
キッドの声に顔を上げた。
「あの子の走りを見せたいからなんだ。早いよ、百合ちゃん」
陸の大きな目がじっと百合を捉える。さっき近づいてきたときに分かったが、身長は陸と同じか陸より低い。足には走るための筋肉がきれいについていて、無駄がなかった。名前を呼ばれて百合がパスを受け取った瞬間、ほとんどの相手選手が百合目がけて走ってきた。
相手選手が百合に近づくより早く、百合自身が相手選手に近づいたかと思うと、すぐに相手選手を抜き去る。近づきながら速度を落とさないまま、背を向けてスピンして抜いたかと思えば、次はぐっと深くカットを入れて相手を抜き去る。あっという間にゴール前に立った百合は素早いシュートを決めて、スティックを掲げて見せた。
「キッドさん、今の走りって…」
「ダッチ。ラクロスで相手を抜いて走っていくことをダッチって言うのよ」
答えたのはキッドではなく、ちょっと怖そうなキャプテンだった。美人だが果てしなく気が強そうで、何だか小さくなってしまう。
「あの子はもともと足が速いんだけど、ダッチがすごく上手くてね。ボールを持ったら絶対にシュートが決まる。誰も止められない」
一年だけど、うちのエースなの。そう言ってキャプテンはにっこり笑った。
「陸と同じだねえ。ルーキーエース」
「あ、君が陸くんか。キッドに聞いてた通りだ」
何を聞いてたんですか、と聞きたい気がしたが、喋ったキッドを目の前に聞くわけにもいかず、陸は曖昧に頷いて、目線をフィールドに戻した。
百合は宣言通りに次々とゴールを決めていき、百合以外のメンバーも点を決めるものだから、前半終了時点でスコアは14-0になっていた。
「アメフトみたいな点差ですね」
「そうだねえ。でもこのチームはいっつもこんな感じだよ。ボールを落とさないから、攻められることがほとんどない。で、シュートも早いから」
「ウチだって、ずっと攻撃してていいんだったらこんなんですって!もっと点差つきますよ!」
アメフトは攻撃と守備が入れ替わるので、ずっとボールを持っているわけにはいかない。そこから生まれる戦略性の高さもアメフトの醍醐味だが、負けず嫌いでプライドが高い陸にとっては、「ずっとボールを持って攻撃出来てたくさん点差がついて勝てる」ことに興味があるようだった。
「そうかもねえ」
キッドはのんびりと応えて、青い空を仰いだ。五月半ば、まだ梅雨には遠く雨の気配はない。
「ねえキッドさん、このチーム、名前がラピッドファイアって言うんですよね?」
「そう。昔はワイルドキャッツって言ったらしいんだけど、チームスタイルを変えて名前も変えたんだって」
「じゃあ、あそこの女子が言ってる『サンタナ』って何ですか?」
選手のチャントが聞こえる中で、サンタナ、という声がさっきから聞こえていた。見たところ、外国籍の選手はいないようだし、サンタナという名前の日本人も珍しいし、女子の名前にも思えない。
「それは…何だったっけかな」
「エースのことよ」
キッドが首を傾げたとき、後ろから聞きなれた声がした。
「比奈」
「比奈先輩」
ワイルドガンマンズのマネージャーにして、チアリーディングチーム・ワイルドファニングのキャプテン、さらにミス西部の称号も持つ相内比奈が、すっくとそこに立っていた。私服だ。
「よしよし。ちゃんと百合は点を取ってるみたいね」
「前半途中からで六点です」
陸の言葉に相内は頷いて、満足げにベンチでミーティングをしている選手たちを見やる。
「エースのことをサンタナって言うんですか?ラクロスで?」
「えっとね、そうじゃないの。サンタナってのは、もともとロサンゼルス辺りに吹く、熱くて強い風のことを言うのね。で、西部ってことにかけて、フィールドを駆ける風って意味でエースのことをサンタナって呼ぶの。このチームだけね」
「まあ、百合ちゃんなら確かに風みたいだからねえ。速い速い。…それにしても比奈、ゆっくりだったねえ」
「キッドの電話で起きて即行で百合の部屋に行って、百合を叩き起こして、百合が着替えてる間に荷物揃えて日焼け止め塗ってやって髪結ってやって送り出して、それから自分の身支度してたんだもの」
それは寮の先輩というよりはお母さんみたいだ、と陸は思ったが言ったら最後怒られること確実なので賢明に黙っていた。が。
「比奈、百合ちゃんのお母さんみたいだねえ」
「キッド!何ソレ!」
キッドがあっさりと口にした上、ほにゃんと笑って見せたので相内はしゃーっと毛を逆立てて怒る猫のようになってしまい、陸はそろりとその場から離れた。相内は美人でよく気がついて頼りになる上に優しい先輩だが、やっぱり女子なので怒ると怖い。
「よし、後半行くよ!」
「RAPID FAIR!! YEAH!!」
キャプテンの声が聞こえて、また選手が輪を作る。またあの迫力のあるチャントが始まるのか、と一瞬陸は身構えたが、彼女たちはチーム名を叫んでスティックを鳴らしただけだった。
「やれやれ。まいったな」
ハットを被り直しながら、キッドが困った顔で陸に近づいてくる。鉄馬も一緒だ。
「いやー、まいったよ」
「比奈先輩にあんなこと言うから悪いんですよ」
「そうだねえ」
困り顔ではあるものの、全く反省の色など見えないキッドは少しだけ楽しそうな面持ちでフィールドに目をやる。後半が始まっていて、百合がゴールを決めた。
「で、陸にはどう見えるの?あの子の走り」
「どうって…」
百合、と呼ばれた一年の女子は確かに足が速い。トップスピードに至るまでがどうやら早いらしく、パスを受けるまでは普通のスピードでもパスを受けた直後にトップスピードを出して相手を抜いていく。おまけにダッチと呼ばれる相手を抜く技術が素早いので、誰にも捕まらない。よく見れば、西部の他の選手も相手校もダッチを使って相手を抜いている。特別な技術ではないようだが、百合ほど素早い選手はいなかった。
「どっちが速いかな」
楽しそうなキッドの言葉に陸は目を大きく見開いた。信じられない!
「オレです!」
いくら足が速いと言っても、同じ年の女子に負けるわけがない。陸はそんな質問をしたキッドを不満そうに睨む。
「はは、怒らない怒らない。陸はとっても足が速いけど、トップスピードを保って密集地帯を抜けていくってとこまでいかないでしょ」
「それは…」
足の速さを買われてランニングバックのポジションを得た陸だが、大柄なディフェンスの選手たちを抜き去っていく技術はまだ未熟だった。ディフェンスの選手が当たり構わず身体を寄せてきたり、腕や足を出してくると交わしきれずに倒れてしまうこともある。
「同じルールじゃないし、そもそも男子と女子だからいろいろ違うだろうけど、少しはヒントになるかなあ、と思ってねえ」
「…だからオレを呼んだんですか?」
うん、とキッドは頷いて、得点を決めて笑う百合を見ながら、頬を緩める。百合のことを知ったのは、去年の秋になる。秋大会に比奈が連れてきていてそこで初めて見知ったのだが、比奈に言われるままにラクロスの秋大会(ルーキーズカップ)を見に行って、興味が湧いた。その時百合は中三で、今よりもっと小柄な選手だったのだが、ダッチを含めた走りはほぼ完成されていた。MVPを獲った百合の走りをいつかこの後輩にも見せたいと思っていた。陸上部が助っ人に、と追い回すほど陸は足が速い。おまけに強心臓の持ち主だから、どこと対戦しても萎縮するということがない。プライドもそれに見合って高いのだが、高いプライドを支えているのは練習と熱心な研究の賜物で、停滞するということを自分に許さない厳しさもある。総じて、キッドはこの後輩をとても気に入っていた。好ましい、と素直に思う。そう思っているのはキッドだけではなくて、アメフト部のほとんどがそうだから、陸も応えるように部員たちに懐いている。
「やっぱ、横で見てるだけじゃよく分かんないですね。実際に横に並ぶか受けるかしてみたら、もっと分かるのかなあ」
全く同じことをする必要はなくても、確かに参考になりそうだ、と陸は一人ごちながらフィールドを眺めた。結んでいる、百合の長い髪が走ると残像のように揺れて、赤茶けた色のそれがひどく目に眩しい。
二十五分の後半が終わり、試合は31−0で西部の圧勝だった。勝った部員たちはさほど喜ばずに、労いの挨拶を交わす。
「お疲れー」
「あ、キャプテン」
「なに?」
キッドに声を掛けられたキャプテンは振り向いて、流れる汗をタオルで拭う。
「ちょっとだけ百合ちゃん、貸してもらえませんか?」
「…いいけど。何するの?」
今度は陸に振り向いて、キッドはふっと笑みを浮かべた。
「百合ちゃんの走り、受けてみる?」
「そういうことか。うん、いいよ。百合ー!」
チームメイトに囲まれている百合は、キャプテンの声にぴくりと身体を反応させて、スティックを持ったまま急いでやってくる。目の前にすると、陸よりも背が低いことが分かった。
「はい、どうしたんですか?」
「あのね、ちょっとキッドが頼みたいことがあるんだって」
「キッド先輩が?」
陸よりも背が低い百合は、ほとんど見上げるようにしてキッドの顔を覗き込む。キッドはカウボーイ・ハットのつばを少し指で下げて、試合お疲れ様、と声をかけた。
「そんなことないです!遅刻しちゃって途中からだったし。本当は試合前に朝練あったし」
「そうよねえ。朝練、五時半集だったものね」
「うっ…」
キャプテンの言葉に百合は固まったが、キャプテンは笑って16点取ったから許してあげる、と言ってチームメイトの輪に戻っていく。
「こっちがウチのルーキーでね、陸。陸も百合ちゃんと同じタイプの選手だから、何か参考になるかと思って連れてきたんだ」
キッドに指し示されるまま、百合は目線を陸に落とした。そしてほとんど同時にお互い指差して声を上げる。
「甲斐谷!?」
「秋月!?」
「おや?知り合いだったの、陸」
「クラスメイトですよ。下の名前なんて知らないから気づかなかった」
一学期が始まってまだ一ヶ月しか経っていないので、苗字と顔の区別はついても、下の名前や部活動まではよく知らない。陸が思い出せば、百合はよく髪を下ろしたままにしているから、印象が違った。
「甲斐谷だったんだ。そうそうこういう髪の人っていないから、珍しいなあとは思ってたんだけど。キッド先輩、頼みって何ですか?」
「百合ちゃんの走りを受けてみたいってさ。陸が」
「…受けるって言っても。あたしアメフトってやったことないですよ」
ほら、とキッドに背を叩かれて陸は少しだけ前につんのめる。
「ダッチ、って言ったっけ。あれを見せてほしい」
「あー、甲斐谷がディフェンスやるってことね。分かった。いいよ。…キッド先輩も鉄馬先輩もどうです?」
百合はにやりと笑って足首の関節をゆっくりと解し始めた。
「オレたちはディフェンスじゃないんだけどねえ」
キッドも鉄馬もオフェンス専門のメンバーだ。陸はディフェンス時にセーフティを務めている。
「多いほうが楽しいんで、あたしが」
そう言いながら、今度は膝の関節を解している。
「そう?じゃあもっと多くする?」
「キッドさん、まさか」
「そう。そのまさか」
陸の言葉ににっこり笑ったキッドはまた電話を掛け始めた。
「牛島さん?ああ、そうなんですよ。ちょっとグラウンドまで来てくれませんか?出来れば他のメンバーも連れて。ええ」
「本当にディフェンスメンバー呼んだんですね」
「いやあ、ちょっと面白いことになるかなあって」
「牛島先輩たち来るんですか?面白そう」
「面白そうってお前な」
百合は笑ってストレッチを続けている。アメフトのディフェンスメンバーともなれば、ラクロス選手とは体格も力も違う。何故か陸が焦っていた。
「あの人たち手加減とか苦手だし、ケンカ強いし、怪我でもしたら…って聞いてんのか」
「んん?だって、アメフトでしょ?男ラクと大差ないじゃない」
「ダンラク?」
「男子ラクロス。アメフトとほとんど同じ防具をつけてるし、後ろから殴るのもアリだしほとんど格闘技よ、あれは」
あれと似たようなもんだし、別に怖くない。と言い切って百合は座り込んでストレッチを続けた。
「よォキッド。面白いって…女ばっかだな、こういうことか?」
陸はやってきた先輩たちを見上げる。キャプテンの牛島以外にも、数人集まっていた。
「つうか、女ばっかならオレらも最初っから呼べっつーの」
「仁科さん、グラウンドで合コンするわけじゃないんだから。これ、ラクロスの試合でしょ」
「女にモテるヤツに発言権は認めん」
さっそく仁科が井芹にヘッドロックをかけている。いつもながら荒っぽい。
「牛島さんは知ってるでしょ、百合ちゃん」
「ん?ああ。相内が前に連れてきた子か」
どうも、と百合はストレッチをしたまま頭を下げる。荒っぽいと評判のアメフト部員に囲まれても気にせずにストレッチをしているので、陸の胃が痛くなる。男に囲まれた状態で足を開いて前屈をするな!と言いたいのだが、百合は妹でもなし、そんなことを言ったら先輩たちの餌食になること確実だ。
「彼女の走りが陸の参考になるかなーと思って陸を連れてきたんですよ」
「お前にしちゃ珍しいなァ。で、何でオレらまで呼んだ」
「陸がね、百合ちゃんの走りを受けたいって言ったんだけど、百合ちゃんは相手が多い方がいいって」
「へェ」
アメフト部員の視線がストレッチを続けている百合に下りる。百合は視線に気がついたのか顔を上げて、笑った。
「甲斐谷一人抜いても、つまんないじゃないですか。どうせなら多いほうが楽しい」
「おい陸、お前負け決定らしいぞ」
茶化す先輩の声が耳に入って、陸はむっと唇を尖らせる。
「そりゃそうだよなァ、どうせ勝つなら多いほうが楽しいだろうよ。勝てれば、の話だがなァ…?」
凄む牛島に百合はけろりとした顔でルールどうしましょうか、と返した。
「ルール?」
「だってあたしアメフトやったことないし、牛島先輩たちはラクロスやったことないでしょう。でもクレードルしてないと調子出ないから、あたしを捕まえれば勝ちってことで」
「……本当にンなルールでいいのか?アメフトは何でもアリなんだぜ?」
「捕まらないから平気です」
ストレッチを終えた百合は一つに結っていた髪をくるりとお団子に結い直した。
「あたしは先輩たちを交わしてエンドラインを越えれば勝ち、先輩たちはそれまでにあたしを捕まえられれば勝ち。シンプルですよ」
「ただ勝負しても面白くねェ。なんか賭けようぜ」
百合はきょとん、と目を丸くした。
「賭ける?何をですか?」
「ちょ、キッドさん止めて下さいよ。絶対何か変なこと言い出しますってば」
「いやぁ、止めたいのは山々なんだけどねえ」
いつの間にか、百合を囲んでいるのは後からやってきた牛島たちで、キッドと鉄馬、陸は締め出された状態だ。
「負けたらアメフト部のマネになる」
「負けるつもりはないですけど、ラクロス止めたくないんでダメです」
「じゃあ一日だけチアに入るとかは?」
「比奈先輩に迷惑だからダメです」
「何だったらいいんだ、テメーはよ!」
「そうですねー…うーん…」
即答の上に断り続ける百合に仁科が苛立って声を荒げた。どこからか聞こえたストリップ、の声にはものすごい速さでラクロスボールが飛んできて、強制的に黙らされる。
「強い子だねー、百合ちゃんは」
「仁科先輩が凄んでも泣くどころか対等ですからね」
陸は走るために少しだけストレッチをしている。靴はスパイクではなくスニーカーだが、普通に走る分には問題ない。
「今アメフト部って春季大会なんですよね?」
「お、おう」
「今度の試合はいつですか?」
「来週の日曜、午後だったか」
「うん、じゃあ負けたらみなさんの分お弁当作っていきますよ。それでどうです?」
百合の提案にアメフト部員は目線を交し合った後に牛島が頷いた。アメフト部は去年まで無名だったので、あまり部員もモテた経験がなく(井芹とキッドは別だった)、女子の手作り弁当なんて初めてなのだ。付き合っている彼女の手弁当が嬉しいのは当然だが、単なる知り合いでも女子の手弁当というのはちょっと嬉しい。
「悪くねェな。で、オレらが負けたらどうする?」
「一人一回、お昼おごって下さい。これで二週間はお昼が浮く!」
西部高校には広いカフェテリアがあり、学食らしい価格設定でなかなかにワイルドなお昼が食べられる。パンを売る購買もあって、パンを買って教室で食べたり外で食べる者もいたし、自宅生は弁当の場合もあった。
「決まりだな。なら始めるか」
フィールドの自陣にアメフト部員が散る。対陣には百合がスティックでボールを弄んでいた。
「お前ェら!絶対捕まえろよ!」
「おお!」
もう試合は終わってずいぶん経つので、対戦校の生徒はいなくなっているが、女子ラクロス部の面々は楽しそうに観戦している。
「百合!負けたら罰ゲームだからね!」
「負けないから平気でーす!」
百合はボールを真上に投げて、スティックでさらう。そして、スティックを身体の前に構えた。
「強気だねえ 」
横にいるキッドが、困ったような声で呟く。陸は走り出す構えを取りながら、口の端を上げた。
「そうじゃないと、面白くないじゃないですか」
「やれやれ。今年のルーキーたちはすごいもんだ」
キッドと陸は自陣中央にいるが、前には牛島たちがいる。百合がスティックを顔の前で左右に揺らしながら、段々とスピードを上げ始めた。
「来るぞ!」
前に陣取っている8人が、一斉に百合に向かって突っ込んでいく。百合は試合で見せたように、自分から相手に近づいて、スピンをかけ、カットを入れ、するすると抜いていった。
「くそ、戻れ!」
一度抜かれた牛島たちはすぐに走ってエンドライン際まで戻る。
「キッド、陸、鉄馬!抜かれンなよ!」
キッドは近づいてくる百合を捕まえるために手を伸ばそうとした。その手は百合を掴まずに、スティックに弾かれる。直後に斜め後ろにいた鉄馬もトップスピードのまま抜く。そして陸と対峙した。陸は既に走り始めていて、トップスピードでぶつかろうとしていた。トップスピードは自分のほうが上だから、捕らえられないわけがない。陸はセーフティで相手を捕まえるときのように、相手にぶつかっていく。
「……!?」
手前にいたはずの百合の顔がいきなり近づいてきて、そして笑みを残して消え去った。陸が足を止めて後ろを振り向いたときには、百合はエンドラインを越えていて、ラクロス部員たちの高い歓声が聞こえる。
「あたしの勝ち!先輩たち、お昼楽しみにしてますね!」
息を乱す様子もなくそう言って、百合はスティックに乗せていたボールをポーンと部員たちに向かって緩いパスで送った。
「速ぇえ…」
「いや、捕まえたはずなんだけどよ」
「つうかいきなり近づいてきて、捕まえたと思ったらいねえんだ」
「どーなってんだ!?」
百合を掴もうと伸ばした手は、ことごとく空気を掴み、百合に触ることが出来たのはキッドだけだった。触ったといっても、身体の前にあるスティックに弾かれて捕まえられなかったのだが。
「百合!」
「はい?」
「お前、40ヤードいくつだ?」
牛島の声に百合は首を傾げた。
「40ヤードって何メートルですか?」
今度は百合の言葉に牛島が首を傾げる。メートルに換算したことなどなかったのだ。キッドが苦笑しながら答える。
「大体38メートルぐらいかな」
「うーん、50メートルなら6秒4ぐらいですよ」
百合はキッドにそう答えて、お団子に結っていた髪を解く。キッドは百合の言葉に驚いて目を少しだけ丸くしていた。
「キッドさん?50メートル6秒4って、40ヤードなら…」
地面にがりがりと計算を書いていた陸も、驚いて顔を上げる。
「4秒8!?」
「はぁあ!?」
「女子の記録かよ!」
陸の言葉に、キッドと鉄馬を除くアメフト部員が驚きの声を上げた。特別足の速い陸は、この春の記録で4秒7だ。ワイルドガンマンズの他のレギュラーはほとんどが5秒台になる。アメフト選手としては遅いわけでもなく、標準だ。
「百合はねー、クレードルしてその速さなんだよね。ただ走ってたらもうちょっと遅いの」
それでも十分速いんだろうけど、とラクロス部キャプテンは付け足して百合を呼ぶ。
「じゃあ全員揃ったところで解散。今日は試合だから外出許可をまとめてもらってるけど、門限は守るように」
「はい!」
綺麗にラクロス部員の声が揃って、部員たちがばらけていく。試合ということで女子寮からまとめて外出許可を取っていて、門限までは自由に過ごすことが出来るのだ。休日の門限は夜六時。
「百合はどうする?」
「どうしよっかなあ。とりあえずシャワー浴びたい。んで着替えてー」
「じゃあ一旦寮に戻ろっか。日曜だからシャワー室開いてないだろうしさ」
頷いて、百合は友だちと一緒にゆっくりと歩き出す。グラウンドの入り口で、あ、と小さな声を上げて振り向いた。
「キッド先輩!甲斐谷!牛島先輩!」
「何だよ!」
「来週のお昼楽しみにしてるからねー!よろしくねー!」
バイバイ、とスティックをアメフト部員たちに向けて大仰に振ってから、くるりと踵を返して百合はグラウンドを出て行く。
「元気だねぇ」
キッドはカウボーイ・ハットを少しだけ持ち上げて、顔に被せた。朝というには暑すぎる空気が汗を呼ぶ。
「陸?出かけるの?」
寮に戻ろうとしている部員とは別方向に歩き始めた陸を見て、キッドが声をかける。
「はい。昼には戻りますから」
「ん。気をつけてね」
キッドの言葉に頷いて、すぐに陸は西部高校前の商店街に走っていった。
「何だァ?陸のヤツ」
「まあ、同じ年の女の子に走りで負けちゃったんで…。プライド高いですからねえ、彼」
プライドを刺激されて、拗ねたり傷ついてみせたりせずに、それを乗り越えてより高い所を目指そうとする。陸が高校に上がりワイルドガンマンズに所属してからまだ一ヶ月しか経っていないが、その潰えることのない向上心が陸を走らせ、高みに上らせるのだと部員の誰もが分かっていた。そしてそんな一年生を前にして、自分たちだけがのうのうと遊んでもいられない、ということも。
「目ェ覚めちまったしな…どーするよ?」
「試合のビデオでも見るか。もう腐るほど見たけどよ」
牛島の声に揃って部員たちは寮に戻っていく。キッドは振り向いて、誰もいなくなったグラウンドに目を向けた。アメリカ西部を吹く熱風、サンタナ。確かに、彼女の走りは一陣の風だった。
いかがだったでしょうか。ついにやっちゃった、アイシー夢。初めてのスポーツ物です、楽しみです!(私一人が)
キッドも陸もカッコいいし、他の部員もみんな好きだ!ワイルドガンマンズラブ!もちろんワイルドファニングもラブ!
このお話はまだ陸とヒロイン(そしてセナも)一年の五月です。アメフト部は春季大会の途中。ラピッドファイアはティーンズ・カップ(中高生の公式大会)の途中。当面の目標は一緒にベン牧場で合宿!(そして秋大会!)
えっと、ラクロス用語が出てきたので。スティックっていうのは、ラクロス選手の持ってる、あの棒です。初心者はウッドクロス(木製)から始めて、慣れてきたらもっと軽いスチールのクロスに変えます。ウッドクロスのほうが、扱いやすいんです。ヒロイン始め、ラピッドファイアのレギュラーメンバーが持っているのは全部スチールのクロス。クロス、というのが正式ですが何故か女ラクはスティック、男ラクはクロス、と呼んでいることが多いですね。クレードルってのは、スティックの中にボールをキープし続けるために、スティックを揺らしてその遠心力でボールキープすることです。大概、左右に揺らすのが普通ですが、長いクロス(男子DF、男女キーパーなど)の場合は上下に揺らすこともあります。
ラクロス話はまたいずれ。
お付き合い、有難う御座いました。多謝。
2007 6 19 忍野桜拝