before the wind

  

西部高校女子ラクロス部、チーム名ラピッドファイアが日曜日の試合で快勝した週の金曜日。教室で会っても挨拶と簡単な会話しかしていなかった陸が急に自分の机の前に現れて、百合は顔を上げて驚いたように目を丸くする。
「どーしたの?甲斐谷」
「……」
百合が驚いたのは陸がいきなり百合の席にやってきたことではなく、やってきた陸の目がいかにも寝不足です、と言った感じに腫れていたからだ。クマもある。
「ダッチって言ったな。相手選手を抜くアレ」
「うん。種類がいくつかあるけど」
「お前は誰に教わってあんなスピードで出来るんだ?」
陸はあの日曜日の後、本屋に走ってラクロスの基礎テクニックが書かれた本を買った。レンタルビデオ屋も覗いたがラクロスのビデオは無く、本を日曜日に読んでからずっとアメフト部の練習でもダッチの技術を使おうとしているのだが、上手くいかない。スピンするとき、カットを入れるときに必ずスピードが落ちて止められてしまうのだ。
「教えてくれたのは先輩だよ。でもそれは皆一緒に習った、ダッチの基礎なんだよね。基本って言ってもいいか」
「その基礎ってやつは俺も本で読んだし、スピードを一瞬落としてダッチすることはもう出来る。でも、お前みたいにスピードを保てない」
苛立たしそうな陸の顔に、百合はとりあえず座れば、と前の席を指した。今は中休みだ。
「アメフトであれを使う気なんだ。確かにあたしにも牛島先輩たちが抜けたんだし、同じ原理で他のDFを抜くのは出来ると思う」
「だろ?でも同じようにいかないんだよ」
ヤード走の記録なら、陸のほうが早い。なのに、同じように出来ないことが陸をなおさら苛立たせる。映像を見ることが出来たのは、日曜日の試合だけで、繰り返し見ることもズーム画像で見ることも出来なかったから研究不足だという自覚はあった。その代わりに本を開く癖がつくほど読み返して、頭の中に残っている試合の時の百合の走りと摺り合わせようとしているのだが、それが実践に結びつかない。
「……甲斐谷」
苛立っていた陸は、百合の低い声に驚いて目線を百合の顔に移す。真正面から挑みかかるように陸を睨んでいる百合の目は真剣だった。
「秋月?」
「あんたは、あたしをバカにしてるの」
「何言ってんだ?」
「あたしがたった一週間であの走りが出来るようになったとでも思ってんの?それとも、あたしには長い練習時間が必要な走りでも自分なら一週間で出来るはずだって言いたいの?」
冷水を浴びせられたように、陸の頭からさっと血の気が引く。そうだ、キッドは確か似たようなことを言っていなかったか。
『陸、百合ちゃんの技を取り入れたい気持ちは分かるけど』
『あの子だってすぐに出来るようになったわけじゃないだろうし、そうやってすぐにものにしようとする必要はあるのかい?』
だから、焦れた陸が朝練の後に百合にコツを聞きに行くと言ったとき、止めたのだ。
『百合ちゃんは、良くも悪くも陸に似たところのある子だよ。たった五日しか練習してない陸がコツを聞くのは賢いことだとは思えないな』
キッドは、分かっていたのだ。百合があの走りを出来るようになった経緯を知らなくても、あれにどれだけの月日が積み重なっているのか、それをたった五日でマスターしようとした陸の愚かさも。まして陸はアメフト選手で、ラクロス選手ではない。
キッドには分かっていたことが、陸には全然分かっていなかった。
「…くそ」
陸は吐き捨てるように呟いて、自分と百合の緊張した雰囲気にクラスメイトが驚いていることにようやく気がついた。長い息を一度吐き、それから百合に対して頭を下げた。
「ごめん」
「……何に謝ってんのよ」
「俺が言ったことは、お前の努力をバカにしてるも同然だった。そのつもりは無かったけど」
「で?甲斐谷は何をそんなに焦ってんの?」
百合から怒りの気配が消えた代わりに、少しだけ心配そうな色がのぞく。
「焦ってなんて…」
「焦ってるよ。甲斐谷は頭が良いんだから、そうでもなきゃ五日で出来るなんて思わないでしょ」
否定する陸の言葉に被せるように百合が強く念を押した。
「今度の日曜に試合があるんだ」
「うん、それはこないだ牛島先輩に聞いた。あ、それに間に合わせたいの?」
陸は頷いた。今度行われるのは春季大会のBブロック準決勝だ。相手は盤戸スパイダース。
「そっか、試合に間に合わせたいのか。それなら焦っててもしょうがないか」
「…うちは、一年を春の試合に出さないんだ。そういうことになってるってキッドさんが言ってた」
「うん。でも出たいんだね」
百合は陸がもう一度頷いたのを見て、そっかー、とだけ答えて窓の外に視線を向けた。グラウンドはもうそろそろ中休みが終わるので人もいない。
「お前が、すごい頑張って作った走りを俺が一週間で真似するのは、きっと無理があるんだろう。でも、あれが出来れば試合にも出られるんじゃないかって思うんだ」
ワイルドガンマンズが一年生を春季大会で使わないのは慣例だが、ちゃんとした理由もいくつかある。アメフトの試合は春と秋の二回で、両方ともブロック大会まで行われるが全国決勝戦があるのは秋だけだ。春は新人戦扱い、戦力の探りあいになることが多い。秋まで隠しておきたいという理由が一つ、そして秋には学年関係なくフルメンバーを揃えるため、三年生を全員春の大会に出場させる、という理由もある。もちろん、入って一ヶ月少しの一年生では戦術理解が浅いし体力もおぼつかないことがあるから、その配慮もあった。
そう、全てをキッドと井芹に教えられても(だから俺たちも去年の春は出てないよ、と言われても)陸はそこで分かりました、と引くことの出来る性質ではない。やっと高校に入ってキッドたちと一緒にアメフトが出来るようになったのだ。一日でも、一試合でも長く一緒に試合がしたい。無礼を承知で言えば、今春季大会で出ている三年のRBより自分のほうがずっと足が速いし、キッドの早撃ちにだって対応出来ているのに。なのに、そういうことになっている、だなんて意味不明な理由で出場を奪われる理不尽に納得がいかない。だから、焦る。使わずにおれないほど、自分がすごい選手になればキッドや主将、監督だって考えを改めてくれるかもしれない。そう信じているから、周りも百合の努力も見えていなかったほど、なりふり構わずに必死になっている。
「甲斐谷」
きつく唇を噛んでいた陸は、不意に肩に手を置かれて俯かせていた顔を上げた。ほとんど同じ位置で目線が合う。百合はぽんぽん、と陸の肩を手で叩く。
「そんなに力入ってたら、速くなんて走れないよ」
「……ああ」
三限目の開始を告げるチャイムが鳴った。陸は百合の前の席から立ち上がり、窓際にある自分の席に移動する。
自分は、正統な評価が欲しいだけなのだ。部員の誰もが陸をレギュラーメンバーだと認めているし、春季大会に出ている三年のRBだって、自分より陸のほうが格上だと認めてさえいる。なのに、どうして試合に出られない。勝ちたいのなら、強い者が出るべきで、そして勝ちたくない人間などいないはずだ。欲しいのは、先輩たちからの褒め言葉ではない。褒めてもらえるのは純粋に嬉しいけれど、でも、欲しいのは勝利でそれに貢献した自分に対する正統な評価だ。西部ワイルドガンマンズに、早撃ちキッドや鉄馬と並んで甲斐谷陸というプレーヤーがいる、という。そう認めて欲しいと思うのは、傲慢なことなのだろうか。
リーディングの教師がつらつらと訳文を喋っている、その音をBGMにずっと陸は考え込んでいた。




今週はずっと購買のパンで済ませていた陸だが、今日は同じ一年の部員と一緒に食堂に向かう。パンを即行で食べて昼休みのほとんどを自主練に費やしていたのだが、外は四限目の途中から雨が降っていて、体育館では走るスペースが少なすぎるので、久しぶりにゆっくり昼ご飯を食べることにした。
「甲斐谷、あっち先輩たちがいるぜ」
「みんな揃ってンな」
アメフト部員は良くも悪くも目立つ。身体つきがしっかりしている者も多いし、いつも騒がしいし、ついでに言うと他校生とのケンカもダントツに多い(そしてほとんど勝つ)。ミス西部の比奈が率いるワイルドファニングと合わされば、どこを歩いても注目度はものすごく高い。けれど、今日の食堂でアメフト部と一緒にいた女子はチアの女子では無かった。
「仁科先輩、いただきますね!」
「……勝手にしろ」
アメフト部がほとんど占領してしまっている大きなテーブルの、真ん中に座っているのは百合だ。両横にはキッドと牛島がいる。
「秋月?何で?」
「日曜にちょっとあって」
陸はそれだけ答えて自分の分の食券を買った。並んでA定をもらい、アメフト部がいるテーブルの端に座る。
「あれ、陸じゃない」
「ちわっす」
キッドの声に、サラダを食べていた百合がぴょこんと顔を上げた。口の側にサラダのキャベツがついている。
「甲斐谷も食堂で食べてたんだ」
「いつもはな。お前、ラクロス部員と一緒じゃないのか」
「ん?いつもはそうだけど。今週と来週は先輩たちに奢ってもらう約束したから、お邪魔してるの」
月曜日に牛島先輩に奢ってもらってー、火曜日は横目先輩でー、とここまで誰に奢ってもらったかを逐一喋りながら、百合はハンバーグを食べる手を止めない。
「来週は二年の先輩と、甲斐谷だからね」
「あー…うん」
女嫌いを公表して憚らない元次や西部高校のみならず、近隣高校にまで名前が知れている喧嘩王の仁科にも奢らせたらしい。約束だとは言え、よく奢ったな、と陸は内心驚きながらパスタを食べる。今日は仁科だとさっき百合自身が言っていて、仁科は奢ったにしろ不本意だったらしく、ものすごく機嫌が悪そうだ。アメフト部員はほとんど気にしていないが、近い席の生徒がビビっている。
「百合ちゃん、よく食べるんだよねえ」
「はい、おまけ。コーヒーゼリー好き?」
キッドがほとんど感心しきった声でそう言うと、百合の対面にいた井芹がカップデザートを差し出した。
「井芹先輩、ありがとう!」
満面の笑みでカップを受け取って、小さなスプーンですくって食べ始める。ハンバーグセットにはサラダもスープも、パンもついているのだが、さらにデザートまで食べるらしい。
「甘いものは別腹って言うもんね、女の子」
「ほんと、別なんですよ。入っちゃうもん」
おいしーい、と言いながらぺろっとゼリーまで平らげて、百合はぱん、と両手を合わせた。
「ごちそうさまでした。仁科先輩、井芹先輩、ありがとうございます!」
残っていたアイスティーを飲み干して、百合は席を立ち上がる。食堂の離れた場所から、立ち上がった百合を呼ぶ声がした。陸が視線を向けるとそこには女子ラクロス部の面々が揃っている。
「百合、食べ終わったんならこっち!今から部室移動するよ!」
「はーい、今行きまーす!」
軽い足音だけ残して、百合は食器を持って去って行く。元次と仁科が小さく息を吐いた。
「井芹、ほんと、百合ちゃんに甘いよね。彼女が妬くんじゃないの?」
キッドの声に、井芹はにっと笑って返す。
「妬いたとこも可愛いーんだ、アイツ。まあ、女の子が美味しそうに食べるの見るのが好きってのもあるし。百円ぐらい奢ってもいいかなって」
「男前だなあ」
感心しきったようなキッドに井芹はまあね、と悪びれもせずに同意した。ただでさえ女子生徒に奢らされて機嫌の悪い仁科がひくりと青筋を立てる。
「そう思うんなら、今度はキッドが奢ってやれば?あの子、けっこうお前に懐いてるし、喜ぶぜきっと」
「懐いてる、って小動物か何かじゃないんだから。まあ相内と仲良いみたいだから、それでなんじゃないの」
「あー、比奈ちゃん可愛がってるよな、中学の頃からだっけか」
「そうそう。相内に言わせれば陸も百合ちゃんも同じ括りなんだよな、ちっちゃくてきゅんきゅんしてて可愛い、だって」
「……可愛い……」
れっきとした男でありながら可愛いと評されることにも納得がいかないが、陸としては同学年の女子と同じ括りにまとめられたことにも納得がいかない。小さい、は残念ながら事実だとしても(それでも陸の方が少しだけ背が高い)可愛いだのきゅんきゅんしてるだの、不可解すぎる。
「陸、気にすんなよ。女子の可愛いってのは褒め言葉っつーか、自分が好きなものとか自分が気に入ってるものは全部可愛い、だから。可愛らしい、ってのとはまた別なんだと」
「はぁ……」
ワイルドガンマンズ内で最も女心を解しているだろう井芹はそうフォローして立ち上がる。テラスの方に手を振って、トレイを持った。
「じゃあ俺はお先ー」
「……キッドさん」
ゆっくりとコーヒーを飲んでいるキッドに食べ終えた陸が力無く声をかける。
「んー?陸、相内のは好意だからあんまり気にしちゃだめだよ、井芹も言ったけど」
「気にはなりますよ、きゅんきゅんしてる、って何なんですか……」
「何だろうね、足が速いとかそういうことかな、多分」
足が速い、ということなら確かに同じ括りにされても仕方ないし、それは悪い意味の言葉ではない。不可解ではあるが。陸はとりあえずそう納得することにして、残ったアイスティを飲み干した。




その翌日。土曜の早朝、昼からの試合に備えて日課のロードワークを行っていた筧は見慣れた姿をグラウンドに見つけて、そちらへと近寄った。
「んはっ!筧じゃーん!どったの?」
「いやそれはおれのセリフだ、お前こそどうしたんだよ、水町」
「んー、何かさクラスの女の子が見に来てっつっててさあ」
アレ、と水町が長い腕で指し示したのは女子ラクロスの試合だ。アメリカに留学していた筧には馴染みのある光景だった。
「ああ、ラクロスか。対戦校は…西部?あの西部か?」
オフェンス東京一を誇る、西部高校の名は去年の大会に参加していない筧もよく知っている名前だ。水町はらしーよ、と頷いてから精一杯伸びをする。
「何かさー、すっげー速い子がいんの、もうびゅんびゅんよ?」
どれだよ、と背番号を聞く必要も無かった。筧がグラウンドに目をやれば、群を抜いて足の速い選手が一人いる。するすると巨深の選手を抜き去っていく足は一度もスピードが落ちず、トップスピードのまま相手を抜き去ってあっという間にゴールを決めていた。
「確かに速いな……」
男子だと言われても頷けそうな俊足の持ち主は小柄な女子で、一つに括った赤茶けた髪が走る軌跡を残すように揺れる。
「速いっしょ!?アイシールド21とどっちが速いかなーやっぱアイシールドかなー」
「そりゃお前アイシールドの方が……水町、携帯持ってるか」
「んん?持ってんよ?」
ほれ、と水町はこだわり無く自分の携帯電話を差し出した。筧は受け取った携帯電話のストップウォッチ機能を呼び出し、一番小さな西部高校の選手の動きに目を凝らした。
「お!勝手に計っちゃうのかよ!」
「これくらいいいだろ、何に使うわけじゃなし……」
ラクロスのフィールドサイズはサッカーのものとほぼ同じだ。そう知っている筧はストップウオッチで勝手に計った女子選手のタイムとフィールドの長さを暗算して、愕然とする。
「筧?どったよ?」
「水町……お前、ヤード走いくつだ」
「いくつだったっけな?5秒ジャストぐらいじゃね?」
「おれも同じぐらいだ、多分な。で、あの女子はおれらより足が速い」
「何ソレ!?すっげーなオイ!!」
水町の出した大声に数人の生徒が振り返ったが、そのことを恥ずかしいと思う余裕も水町を嗜める余裕も筧には無かった。
「コンマ二秒程度だが、あの女子の方が速いな。泥門のアイシールドと同じか、さすがにアイシールドの方がコンマ一秒速いか…」
「何だよ、マジ女の子!?すっげー!超すっげーよ!」
筧と水町がタイムに気を取られている間に試合は終わり、グラウンドに選手たちが集まっている。
「あ、筧、どこ行くんだよ、何、あの子のとこ!?」
「ああ。タイムだけでも聞かせてもらえれば……って水町!」
筧の意図を半分だけ理解した水町は即座に西部高校の女子ラクロス選手たちの輪に割って入り、俊足で小柄の選手を確保した。ひょい、と捕まえられた百合は現状が理解出来ずに混乱している。
「え、何、誰!?っていうか下ろして!」
ばたばたと暴れるものの、小柄で身軽なので水町にとっては大した抵抗にもならない。子どもがぬいぐるみを持って歩くような気軽さでほい、と筧に差し出した。
「いやお前、下ろせって、何も捕まえるこたねーだろ。……悪かったな」
ようやく地面に足がついた百合はとりあえず怒ろうと顔を上げたが、あまりに二人の背が高くて首をつりそうになった。
「あんたたち、何?」
「おれらは巨深ポセイドンの一年、おれが水町でこっちが筧。おれらより足が速いんだよな、あんた、すっげーよ!」
「……勝手にタイムを計らせてもらった、ヤード走で4秒8、とても女子のスピードとは思えない」
「ヤード?あんたたち、アメフトの選手なんだ。ポセイドンってのがチーム名なの?」
先週の日曜に聞いた単語を思い出した百合はそう尋ねて、首をさする。
「ああ。巨深高校アメフト部の一年だ」
「じゃあ同じ年だ。あたしは西部高校女子ラクロス部、ラピッドファイアの一年、秋月百合。アメフトってことはキッド先輩たちとか知ってるの?」
「ワイルドガンマンズの早撃ちキッドか。もちろん知ってる。西部はオフェンスだけなら東京一だからな」
「へー、すごいんだ、キッド先輩たちって。で、あたしに用事なの?」
「タイムを聞かせてほしい、50でも100でも」
「クレードルしながらだったら、50メートルで6秒4かな。クレードルしてなかったらもうちょっと遅いと思う」
すっげー!と大声を上げる水町に対戦校である巨深高校女子ラクロス部の視線が集まる。百合は用は終わったとばかりにチームのミーティングに参加しようと踵を返した。
「待ってくれ」
対戦相手のようにすり抜けられなかったのは、後ろから筧が百合の腕を掴んでいたせいだ。視線をチームにやればミーティングは今にも始まりそうで、百合はやや眉根を寄せてみせる。
「まだ何か用?あたし、ミーティングがあるから」
離して、と百合は勢い良く腕を振って筧と水町から距離を取った。勢いのまま、睨みつける。タイムを教えてくれと言われたから教えたが、その他にアメフト選手である二人が自分に用があるとは思えないし、先輩たちを待たせているのは気がかりだ。
「……いや、悪かった。西部の秋月、で良かったか」
「そうだけど。もう行くから」
了承を取るつもりなどない百合はそのまま言い捨てて筧たちに背を向ける。小走りでミーティングの輪に参加した。試合後のミーティングは練習中や試合前のよりも密だし重要だから、本当はきちんと参加したかったのに。やや唇を尖らせながらチームメイトの発言に聞き入る百合の横顔から、筧は目を離さない。
「なーに?筧、もしかしてあのおチビちゃんに惚れちゃったとか!?やだー」
「やだーって何だそれは。そんなんじゃねぇよ」
一歩の長さ、つまり足の長さがそのままスピードに繋がるわけではないと知っている。あまりに小柄な、しかも男子に比べて筋力の乏しいはずの女子が自分たちよりも早く走ることが出来る秘密はどこにあるのだろう。それはとりもなおさず、あの泥門のアイシールドが早く走る秘訣ではないのだろうか。泥門のアイシールドも確か小柄で、スポーツ選手というにはやや貧弱な身体つきだったはずだ。筧はじっと考えながら、ビデオで見た泥門のアイシールドの姿とさっきの百合の姿をダブらせていた。



そして、翌日。春季大会準決勝、西部ワイルドガンマンズVS盤戸スパイダース。百合はもともと応援に行くつもりではあったのだが、何故かマネージャー兼チアリーダーの相内に朝から女子寮を連れ出されていた。
「あのー比奈先輩」
「なぁに?まだ眠たいの?もうすぐお昼よ?」
「いやそうじゃなくって……あたし、ここにいていーんですか?部外者ってヤツじゃ?」
相内に言われるままにマネージャー業を手伝ってドリンクを作っていた百合が小首を傾げる。もともと相内とは中学の頃から親しかったし、その縁でアメフト部の数人──上級生ばかり──とは親交があった。が、百合は西部高校の生徒であってもアメフト部ではないしチアでもない。よって、大会本部に提出されているだろうメンバー表に名前が載っているはずがないのだ。
「そんなこと気にしてたの、百合。いいのよ、気にしなくて。グラウンドに出るっていうならともかく、ベンチにいるぐらいなら誰も気にしないわ」
「……そういう、もんなんですか?」
ラクロスの大会より規模がかなり大きなアメフトの大会ともなれば、きっちりしているのだろうと思っていた百合はアバウトだなあと思いながら、笑う相内の持っているトレイにドリンクを並べた。百合が所属しているラクロス部、ラピッドファイアにはマネージャーがいない。誰かが怪我をしたり調子が芳しくなければそれに近い仕事はするが、基本的に自分のことは全て自分でするのがルールだ。ドリンクも、テーピングも、用具の手入れも全て。グラウンド整備から用具の出し入れ、その全てを全員で行う。ラクロスは基本アマチュア、全員が平等という精神が根付いている。
「ほら、ウチってなんていうか…ああじゃない?」
練習していたはずだったのに、何故か取っ組み合いになりつつある三年の一部を指差して相内はまた笑う。
「ベンチにもうちょっと華やぎを求めてもいいと思うのよね、私」
「華やぎ……」
相内の言葉を繰り返して、それこそ無理です、と百合は小さく呟いた。華やぎというのならば、たとえば……百合は何かを真剣に話し合っているらしい、キッドたち(喧嘩の仲裁は最初から誰もするつもりがないらしい)に目線を向ける。キッドや陸、井芹たちに目線を据えたままぼんやりしている百合に相内は目を細めた。
「知らぬは本人ばかりなり、ねぇ」
先週の日曜日、西部高校のグラウンドで行われた百合たちラピッドファイアの試合。あれをキッドたちが見に来たのは相内にとって驚きだったが、尚も驚いたのがその翌日からの練習の様子だ。もともと、闘争心が有り余って吹き出ているような連中だ、自分たちが後輩女子にあっさり負けたのは少なからずショックだったのだろう。負かせた女子は陸と同じぐらいに小さく、あどけないと言っていいほど天真爛漫なのだから否が応でも発破がかかった。同学年の陸がなにやら思いつめたようにガムシャラだったことも一因だろうし、準決勝前ということで当然の雰囲気ではあったのだろうが。
「百合」
「はい!」
呼ばれるまま、百合は顔を上げる。相内は持っていたトレイをそのまま差し出した。百合は首を傾げながら、差し出されたトレイを受け取る。
「あっちにいる皆に上げてきて」
「分かりました!」
華やぎ、は無理としても部外者の自分がいても悪くないのならば、多少なりとも役に立つべきだろうと百合は頷いてそのまま駆けていった。
「キッド先輩、井芹先輩!」
相内に指し示された数人の輪の中で、百合は自分が知っている上級生を呼んだだけだったのだが、自分の名が無かったことに陸はふっと息を解く。一昨日のことはまだ、陸の中に澱のように残っていた。あんたはあたしをバカにしてるの、と言った時の百合の強さ。
「お、百合ちゃん、マネになってくれんの?」
「違いますよ、今日は比奈先輩に連れて来られ…じゃない、比奈先輩のお供です。はいどーぞ」
にこ、と笑いかけて百合は井芹にドリンクを差し出す。同じようにキッドにも差し出した。
「ああ、悪いねぇ。今日は練習無かったの?」
「昨日試合だったんで、さすがに今日はお休みです。あ、そうだ。キッドさん、巨深ポセイドンって知ってますか?」
昨日の試合のことを話そうとして、百合はすぐさま試合後のことを思い出した。なんだったのかよく分からない、あまりに長身な二人組み。
「そりゃ知ってるけど…どうかしたの?」
「なんか、変な二人組みにとっ捕まって。でもその人たち、キッドさんたちのことすごいって言ってて」
「変な二人組み?」
陸は手渡されたドリンクをちびちびと飲みながら、問いただした。
「すっごい背の高い一年生で、筧って人と水町って人で、筧って人は丁寧だったんですけど、タイム教えてくれっていうから教えたら何かもぞもぞしてたし」
「もぞもぞ?」
井芹が首を傾げる。
「水町って人はいきなり人のこと荷物みたいに抱え上げるし。何なんだろう、あの人たち」
憤慨、というほどではないにしろ、それなりに不快ではあったらしく百合がむうと唇を寄せていた。
「巨深ポセイドンの筧と水町、ねぇ。一年生ならまだ試合に出てないのかもな、キッド」
「ん、だね。巨深の一年が揃ってデカいってのは聞いたことあったけど」
「そう!おっきいんですよ!」
井芹とキッドの話に百合が割り込む。大きすぎて首がつりそうになったのだ、あの二人には。
「牛島先輩よりおっきい人、初めて見ました!」
「その基準もどうだろ……」
「いや世間一般では十分デカいでしょ、キャプ」
「すっごいおっきくて。顔上げて喋ってたら首つりそうになったんですよ、なんかもうバスケットのゴールぐらいの」
「それはデカすぎるだろ、バスケのゴール3メートルあんだぞ」
陸が冷静に突っ込みを入れると、真顔でいやそれぐらいあったんだもん、と百合は返しながら空になったドリンクを回収する。
「秋月」
「うん?どうしたの?」
回収したドリンクを持ってグラウンドを出ようとした百合の背に、陸は咄嗟に声を掛けた。同じ一年に絡まれた──にしてはずいぶんと穏やかな話だったが──と聞いて気になったのだ。
「お前、タイム聞かれたって他のことも聞かれたのか」
「他のこと?学校名と名前ぐらい、あとはタイムだけ。……なんで?」
聞き返された百合の言葉に、陸は集合の声に急かされた風にすぐさまその場を離れた。何で、なんて自分が知りたい。



キッドVS陸…にしようと思ってたんですが筧センセーがやってきました(笑)

お付き合い有難う御座いました。多謝。
2009 1 18 忍野桜拝



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