T.V.B

 

 

いつからだっただろう。ランボは、ユリと呼ばなくなった。
「18なんてとっくに過ぎてるのに、まだ反抗期なのよ」
そう言いながら、ユリはきれいにネイルが塗られている手をマッサージしている。辺りには、マッサージクリームの甘やかな香りが微かに匂った。
「……さあな。あいつは確か今年で25のはずだが、20年も付き合いがあるんだ、そういうこともあるだろうさ」
ディーノはもうすっかり冷えているエスプレッソに口をつける。ボンゴレの城はとても広く、ユリの部屋とて例外ではなかった。たいそう広い部屋の一室には、ディーノの部下とユリの部下たちがそれぞれ控えている。
「おかしいわよ。だって親しくなるに従って敬称は取れるものだし、二人称も変わるもの。そりゃあ、昔に比べて今は会う機会も時間も少ないけれど、だからと言って仲が疎遠になったわけじゃないのに」
納得がいかない顔のユリに対しているディーノは、面白そうに口の端を上げてみせる。
「あいつにそう言ってやったらどうだ?」
「言ったわ。そうしたら泣かれてしまったの。違うって言うばっかりで」
ユリの言葉を聞いたディーノはますます口の端をあげて、にやりと笑みをつくった。
「なによ」
「いやな、ユリもまだまだ若ぇなと思ってよ」
「やだ、ジャポネーゼじゃあるまいし。男は40で女は30からがいいって言ったのあなたよ」
「言ったな、そういや。九年前の誕生日か」
ユリが30になった誕生日、ディーノはおめでとうの言葉と共にユリにそう言ったのだった。ユリ自身もその言葉には大いに納得した。過ぎ去ってみれば、20代はまだまだ子どもでいろんなことにがむしゃらだった。がむしゃらになった結果、いつの間にか「プリンチペッサ(お姫様)」ではなく「レジーナ(女王)」と呼ばれ始めていた。今となっては、ほとんどが紙の仕事だが、現場にいた20代の頃は「アペレジーナ(女王蜂)」の名で通っていたこともあったほどだ。
「懐かしい気もするけれど、さほど昔ではないのよね」
「そうだな」
冷えたエスプレッソを飲む音だけが静かに部屋に響く。
わずかな静寂を破ったのは、部下たちが揃って銃を構える音だった。
「待ちなさい」
レジーナにふさわしい貫禄でユリが部下たちを制する。ディーノと二人で目をすがめて窓の外を見やった。
「……!」
急にユリが立ち上がったので、アンティークの椅子ががたりと揺れた。
「撃ってはなりません。あたしの大事な友人よ」
「しかし…」
マフィアの城に無断で入って来られただけでもおかしな話だというのに、窓から侵入しようだなんて途方もない話だ。部下はためらって、トリガーから指を外さない。
「いつものように泣いているのね」
ユリはそう言いながら窓に近づく。後ろからディーノが追い、それぞれの部下たちに銃を下ろすよう指示した。
「…ほら、おいで」
ことさらに柔らかく優しい口調で言いながら、窓を開ける。その途端、大きな泣き声が部屋の中に聞こえてきた。
「わあああん!」
「やっぱりこいつだったか」
やれやれ、とあごをしゃくったディーノはユリがランボを抱え上げた後に窓を閉める。窓ガラスは普通の厚さだが、防弾加工がなされているので、結果としてかなり防音効果もある。
「どうしたの?怖い思いをしたのね?」
ランボは十年前の姿をしていた。まだ頼りない少年のランボ。ユリは抱えたランボをゆっくり歩かせて、ディーノが座っていた椅子に座らせる。
「どうしたの?いつ…」
ユリの声を遮ったのは、けたたましく開いた扉とそれに続いた声。
「ユリさま!侵入者がお近くに」
「ユリさん、誰か来なかった?」
真っ先に口を開いたのは獄寺で、続いたのはツナだ。ツナがボスの座を継いでから、もう十七年になる。
「ハヤト、ボスまで」
「アホ牛じゃないすか。しかもガキの姿で」
獄寺も、もう35のはずだが、喋り方は全く変わらない。
「窓からこの子が入ってきたの。ボス、今日ランボを呼んでいて?」
「いや俺は呼んでない。リボーンじゃないかな。確認してみる」
ツナはそう言いながらユリの部屋についている内線でリボーンを呼び出している。ユリはランボが座っている椅子の前にしゃがみこんで、視線を合わせた。
「ランボ、もう泣かないで」
「…ユリ?ああ、やっぱり貴女はいつ会っても美しいな」
涙を浮かべた目をこすっていたランボは、正面にいるのがユリだと気づき、泣きやんで笑った。そのさまに獄寺が呆れる。
「どーゆー泣きやみ方だコラ」
「十年後の俺はどんな感じですか?」
ユリの部屋に来るまでに、ランボには大体の予測がついていた。あっちでかなりギリギリな目にあっていたのでバズーカを打って、そしたら今度はボンゴレのマフィアに追われることになった。ボンゴレの城にいたので、とりあえず記憶にあるユリの部屋を目指したところ、そこにはユリが両手を広げてくれていた。
「遅い反抗期真っ最中よ」
「反抗?貴女に?」
ランボはおかしそうに笑って肩をすくめる。そしてにっこりとユリに笑いかけた。
「俺が貴女に反抗するなんて、死んでもありえませんよ。だって俺は…」
喋っている途中にランボを白い煙が包み、十年前のランボは姿を消し、今のランボが帰ってきた。
「ユリ、やっぱりリボーンが呼んだみたいだ」
「そう。ねえボス、後でリボーンの所に行かせるから、ちょっとランボ借りるわよ」
内線の受話器を置いたツナはユリの言葉に少し驚いて、その後頷く。ディーノも驚いた顔で長い髪をかきあげた。
「え?あ、うん。じゃあ俺らは出てるね。行こう、隼人」
「しかし……。分かりました。跳ね馬、あんたもだ」
「オレもかよ。お前ら、行くぞ」
ディーノは部下たちとともに部屋を出て行く。
「アマルフィの最高級リモンチェッロがあるんだ、どうかな」
「お、いいな」
ツナたちの声が扉に遮られて、聞こえなくなった。大人に戻ったランボと間近い距離で向かい合う。
「ランボ。聞きたいことがあるの」
「何だい?ユリさん」
さっきはユリと呼んでいたのに、やはり25歳のランボは頑なにユリのことをさん付けする。ユリは気づかれないように、微かに眉をひそめた。
「……。あなたはしょっちゅう時間を行き来するけれど、タイムスリップした先での記憶はあるの?」
「大概あるよ。あまり昔のことだと、そりゃ忘れることもあるけどさ」
「十年前、あなたは何て言いかけたの?反抗するなんて、死んでもありえない。その続きよ」
ユリがそう尋ねると、ランボはまっすぐにユリの顔を見つめて、ぽつりと呟いた。
「…聞いたらユリさんは後悔するよ」
「自分で決めたことに後悔したことはないわ」
即座にユリが返すと、ランボは困り顔でため息をつく。
「……仕方ないな。言うつもりはなかったんだけどね。十年前の俺はまだ子どもだったから」
「その子どものあなたは何て?」
ランボは長い間黙っていた。しかし、ユリが一瞬たりとも目をそらさずに待っているので、一つため息をついてから、顔をあげる。
「貴女に反抗するなんて、死んでもありえませんよ。だって俺は…」
「貴女を愛しているから、ユリ」
一瞬の間の後にランボから思いがけない言葉が発せられ、ユリは少しだけ目を見開いた。そして、しばらくして呟いた。
「……十年前に聞きたかったわ」
「なぜ?」
「十年前のあなたに愛されていたのだと早く知りたかった」
「そしたら何か変わっていた?」
ランボの優しげな声にユリは小さな笑みをこぼした。素直になれるほど、もう若くはないのかもしれない。
「ユリさん?」
「あなたが教えて。もしあなたが伝えてくれていたら、どうなっていたかしら?」
長くてカールしている髪ごとランボは頭をゆるく振った。
「…オレには分からないな。けれど、分かっていることが一つある」
「オレは今も貴女を愛しているよ」
「…!」
ユリは驚きのあまり、口を手で覆った。ランボは眉を下げて悲しそうな表情を見せる。
「困ったな。そんなに驚かれるなんて。迷惑だったかな」
「違うわ、違うのよランボ。何て言ったらいいのかしら…ああ、みっともないわ、あたしったら」
手で覆った口元からは、焦るように早く言葉が流れだし、そのどれもが定まっていない。
「ユリさん、オレ都合良く解釈するよ?」
「何とでもしてちょうだい。ああ」
ついには顔を覆ってしまったユリを、ランボはそっと手を伸ばして抱きしめた。丸く包み込むように、そっと。
「嬉しいな。ほら、動悸がこんなに早い。…ユリさんもだね」
「…ランボ。なぜあなたは愛していると言いながら、よそよそしい物言いなの」
抱きしめられたユリは、しばらくして身体の力を抜いて身体をランボにゆだねた。けれど、表情は不服そうだ。
「オレが、貴女の弟でも子どもでもなくて、一人の男なんだって分かって欲しいから。オレはファミリーじゃない他人で、貴女の家族ではないけれど、一人の男として貴女を愛しているから」
遠まわしな拒絶なのだと、ずっと思っていた。ランボは大人になったから、ボンゴレとボヴィーノの間柄を理解してしまったから、疎遠にふるまうために敬称をつけたり二人称を変えたりしたのだと、ずっとそう思っていた。
「………ランボ…」
やっとのことで名前を口にしたユリの顔には、うっすらと涙が浮かんでいる。ランボは笑ってまなじりに唇を寄せてその涙をすくった。
「愛しているんだ、ずっと。十年前、それ以上前からずっと。オレの初恋は貴女で、この恋は最初で最後の恋なんだ」
「そんなの…」
「約束は出来ないよ、オレだって。一生一人の人を愛していく自信があるほど、オレは強い人間じゃないから。でもね、ユリさん」
ランボは額をあわせてユリの顔を覗き込み、にっこりと笑う。
「オレは貴女を愛する以上に、誰かを愛することなんてもう出来ないよ。それだけは信じてほしい。貴女を愛する気持ちだけは、オレの一生ものだから」
「ランボ」
ユリは震えそうになる唇を噛んで、手を握り締める。
「何かな、mio tesoro」(オレの宝物)
「一つだけ約束してほしいの。…あたしが死ぬとき、傍にいて」
「ユリさん…」
「あたしもあなたもマフィアなんだから、いつ誰に狙われてもおかしくないわ。明日死ぬかもしれない。それはいいの、そういう覚悟ならとうの昔にしてるから。でもね、ファミリーはいても本当の家族はもういないあたしだから、死んだら何も残せない。あたしには子どもも伴侶もいない。最期のときにあなたがいてくれたら、あなたへの愛を残せていけたら、あたしは笑って死ねると思うの。生きた意味がそこにあるのだから」
九代目はとうに亡くなり、九代目の妹であったユリの母も日本人の父も昔に亡くなっている。兄弟がいないユリは、天涯孤独だった。ツナは弟のようなものだが、ツナには別の家族があり、そこにユリの姿はない。ユリの本当の家族は、とうに消えていた。
「……分かったよ。どこにいても、何をしていても、絶対に駆けつける。あなたを一人では死なせない」
「ごめんね、ランボ。もっとあたしが若くて夢見る少女なら、『ずっと傍にいて』なんて言って喜ばせるのだろうけれど、今のあたしには言えない。大人になるって寂しいことね」
うっすらと笑みを浮かべるユリを、ランボは強くかき抱いた。
「寂しいことなんかじゃないよ。だってオレは大人になったから、貴女の傍にいることが出来る。最期のとき、傍にいることも出来る。…オレも一つ約束してほしいな」
「何を?」
「どうか、愛することにも愛されることにも臆病にならないで。何も特別なことは望まないから、オレの愛を受け取ってほしいんだ」
「…あたしで、いいのなら」
「貴女以外、オレが愛したい人なんて、この世のどこにもいないよ、ユリ」
ユリはランボの言葉を聞いて、敬称が取れていることと二人称が変わっていることに気づき、目を細める。
「あたしも、あなた以上に愛している人はいないわ。Ti voglio bene」(あなたが好き)
「Ti amo」(愛してるよ)
ランボはそう言って、そっと唇を重ねた。ゆっくりとキスをして、何度も何度もキスを繰り返した。ユリも両腕をたくましくなったランボの背に回してランボを抱き寄せる。
「…いろんなことがあったわね」
「ああ」
「死にそうな目にもあったけれど、生きていて良かったわ。きっと、このキスのために生きてきたんだわ」
感極まったようにそう告げるユリに、ランボは笑って頬に唇を寄せた。
「キスのためだけなのか?ひどいな」
「…もう。分かってて催促するなんて、子どものすることよ」
「ユリから見たら、オレなんてまだ子どもだろう?」
「じゃあ子どものあなたには手出ししないでおこうかしら?」
いたずらをしかける子どものような目でユリが笑うと、ランボは降参だよ、と言ってまた笑った。
「大人じゃないとできないこと、いっぱいあるからね。大人でいいや」
「…それはいいのだけれど、ランボ」
ユリを両腕に担いで、奥にある寝室への扉を開けようとしている手を止めさせる。
「何?」
「リボーンがあなたを呼んでいたんでしょう?リボーンのところへ行って」
「…ユリ」
ランボが心底悲しい目で百合を見つめるので、ユリは腕を伸ばしてカールのかかった髪をゆっくりと撫でた。
「大人なんだから、やるべきことをすべきだわ。リボーンの用事が済んだら、ここへ戻っていらっしゃい。待ってるわ」
くるりとした髪を少し取って、そっと口付ける。
「分かった。リボーンの用事が短いことを祈るばかりだよ」
寝室の手前でランボはユリをそっと下ろし、ユリの額にキスを落とした。鼻の頭にも、まぶたにも、頬にも。当然唇にも落とされるだろうと思っていたユリの唇には、ランボの指が当てられた。
「こっちは、後でね」
チャオ、と言ってランボは急いで部屋を去っていった。少しでも早くリボーンとの用事を済ませるために。少しでも早く、ユリのもとに戻ってくるために。
外はもう日が落ちかけている。





いかがだったでしょうか。どうしてもやりたかった20年後ランボと女神ヒロインの話。あー楽しかった。

お付き合い有難う御座いました。多謝。
2006 6 24  忍野桜拝

 

 

 

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