白の舞姫 第二話
最近変なことが立て続けに起きているな、と思いながら百合は首を捻った。今はテストの最中である。
織姫のお兄さんが虚になって織姫を襲って→チャドが異様に事故に遭いまくって(結局虚にも遭って)→中身が違う一護が暴走して。テスト問題の片隅にがりがりと書きながら百合は思案を巡らせた。百合が仔細を知った理由は一護とルキアの説明による。
一護に関係してるっていうか、虚出すぎっていうか。
百合がこの仕事を始めてからまだ一年にも満たない。その前は祖父が仕事をしていた。祖父が仕事をしていた頃も百合は虚の存在を感じ取ることが出来たので(その頃は親族内で仮面と称していた)どれだけ虚が出ていたかは大体分かる。その頃から比較しても最近は出すぎだ。ルキアが説明したところによると、虚は霊力の高い人間を狙うように出来ているらしい。元々霊力の高かった百合や一護、石田は元より、最近霊力の上がっている織姫やチャドなどの集まる空座町に出没しやすくなっている、ということだろうか。
「…寝不足だよ…」
テスト中なので誰にも分からぬようにひっそりと呟く。寝不足は嫌いなのに、これからますます虚が出るようでは困る。なんとかして元締めを叩くとかそういうことが出来ないかな──百合がそう思ったときに終了のチャイムがなった。既に出来上がっている解答用紙を提出して問題用紙をたたむ。今日はこれでテスト終了だ。明日は越智先生の現国に歴史。
「あー疲れた。織姫、たつき、帰ろ」
「うん。帰って歴史の見直ししないと」
「あんたは出来がいいんだからいいでしょ、いまさら」
織姫の優等生発言にたつきが頭を小突く。
「えー、でも不安になっちゃうんだもん。歴史とかって覚えなきゃいけないことたくさんあるし」
「まあそうだけどね。百合、行こ」
三人揃って帰れるのはテスト期間の間だけなので、自然話も湧く。
「でさ、この間のK−1で…」
たつきが格闘技の話を熱心にしているときに不意に虚の気配がした。ここからそう遠くない位置だ。
──家に帰って浄服に着替えている間に誰か襲われたら…。
「ごめん、ちょっと用事思い出した!」
「え、ちょ、百合!?」
たつきと織姫を残し、百合は虚がいる方角へと走っていった。ここから乾の方角、400m。制服なので寸鉄も鉄扇も持っていないが、普通の扇子なら一つ鞄に入れてある。
「ナンダオマエハ?ウマソウナヤツ…」
虚は百合を見るなり腕を伸ばしてきた。百合は軽く横に避けてから鞄を置き、人差し指と中指で刀印を結ぶ。九字を切って唱えた。
「ノウマクサンマンダ・バサラダンセン・ダマカラシャダソワタヤ・ウンタラタカンマン」
不動の縛である。いくつか印を結び真言を唱えて虚をその場に縛り付ける。いつものように寸鉄で結界を張れないとき百合は不動の縛によって虚を縛ることにしている。
「グゥゥ…」
虚の声が小さくなってきた頃合を見計らって刀印で陣を結んだ。
「天清浄 地清浄 内外清浄 六根清浄と祓給ふ 天清浄とは天の七曜九曜二十八宿を清め 地清浄とは地の神三十六神を清め 内外清浄とは家内三宝大荒神を清め 六根清浄とは其身其体の穢を祓給清め給ふ事の由を 八百万の神等諸共に 小男鹿の八の御耳を振立てて聞食せと申す」
「ウガァアァ」
「血族秋月百合の名に於いて祓い給え清め給えと聞食せと恐み恐み申す」
「グシュァ…」
「…祓い、完了!」
印を解いてぱんぱんと両手を叩き合わせる。が、その後ろから小さな拍手があった。
「え?チャド?」
百合の後ろにいたのは制服姿のチャドで、なぜかゆっくりした拍手を送っている。
「……ひょっとして、見えてたの?」
黙ったままチャドは頷く。虚が見えるレベルとなると、けっこう霊力が高いはずだ。少し霊力が上がったのだとばかり思っていたけれど、どうやら認識を改めなければならないらしい。
「秋月はすごいな」
「すごくないよ。家業みたいなもんだから」
百合がそう答えたとき、チャドの胸の辺りでにゃあと鳴く声がした。
「猫?」
「…ム…捨てられていた」
チャドの胸元から顔を覗かせたのは子猫で、茶と白のまだらだった。目がくりくりしている。
「可愛い。ここらへんに捨てられてたの?」
またチャドは黙って頷く。捨てられていた子猫を見たのが先か虚が出たのが先かは分からないが、ともかくチャドは子猫を守ろうと胸元にしまったらしい。
「チャドもすごいよ。そうやって手が伸ばせるもの全部守ろうとするチャドは偉い」
「…そんなことはない」
百合は黙って首を振った。私はただ自分の探すもののために力を振るっているにすぎない。たまたま自分に備わっていた力を。力あるものが力無きものを守るのは当然のことで、力の無いものが自分をおしてまで他を守ろうとする──それこそが、素晴らしい。そしてそこに百合が探しているものがある。
「その猫、どうするの?家で飼う?」
「ム……たぶん」
「どうしても飼えなくなったら家の神社に連れてきて。動物にはそこそこ良い環境だと思うから」
「分かった」
チャドは確かに頷いて、それから鞄を拾って百合に差し出した。
「ありがとう。じゃあ私帰るね。…チャド?」
家の方向は違ったはずのチャドがついてきたので百合は小首を傾げた。
「…ム……送る」
「ありがとう」
もう虚の気配はしないし、たまにはチャドと話して帰るのも楽しいかもしれない。百合は笑んで頷いた。並んでそう遠くない距離を歩く。
「チャド、テスト勉強はした?」
「………一応」
「チャド頭いいもんね。語学がたくさん出来てすごいよね。私も英語ぐらい頑張らないと」
チャドの代わりに子猫がにぁと鳴いて返事をした。
ほどなくして百合の家、空座神社に着く。
「送ってくれてありがとう。お茶でも飲んでく?」
「…ム…遠慮する」
「分かった。じゃあまた明日ね」
チャドは頷いて神社の階段を下りていった。境内を歩いていた祖父が百合に近寄ってくる。
「百合の学友か」
「うん。同じクラスで、今日ちょうど虚を祓ったとこに出くわしたみたいでね、送ってくれたの」
「そうかそうか。それにしても変わった霊力を持つ子じゃの」
「虚も見えてたみたい」
祖父はしばらく考える風に視線を廻らしていたが、やがて一つため息をついて百合を見やった。
「忙しくなるの」
「やっぱり?寝不足は苦手だなー」
百合の言葉に祖父は声を立てて笑った。
テストが返されてからしばらくして、町中に虚の気配が膨れ上がった。
「なにこれ!?」
今までこれだけの数の気配に遭遇したことのない百合はびっくりして湯飲みをテーブルに置く。微かに茶が揺れた。
「…誰かが撒き餌を使ったようじゃ。急いで出なさい。わしも行こう」
「お義父様も?」
百合の母が心配そうに祖父を見やる。祖父は安心させるように笑った。
「代を譲ったとて力はある。この様子では百合一人に任せるのは無理というもの。行くぞ百合」
「はい。行ってきます!」
浄服に着替える間も惜しんで、二人は神社を出て行った。
すぐに一体目の虚に遭遇する。
「百合、お前は他に人と接触した虚がいないか探って祓いに行きなさい。この間の学友のことも気に掛かる」
「はい!」
チャドの気配も織姫の気配も、石田の気配もあった。一護が一体虚を倒したようだ。
「一番近いのは石田くんか…」
石田と百合は単なる級友で顔なじみがある程度だ。しかし、虚があれだけ霊力の高い石田を襲わないわけもない。石田のところへ急ぐと、石田が不思議な装束で虚に立ち向かっていた。
「石田くん!?」
「…秋月さんか」
その服なに?とか手に持ってる矢みたいなのなに?と訊ねようとして思い出した。自分たちとは違う種類の力を持った人間、滅却師たちのことを。
「石田くん、滅却師だったの」
「ご名答。君も『力ある人』のようだね。僕に構わなくて良い。元々僕が招いた事態だしね。それより力の無い人々を守りに行くと良い」
石田に尋ねたいことはたくさんあったが、それより彼の言うように力無い人を守る方が先だ。状況は油断を許さない。
「じゃあね石田君、無事でね!」
「……」
石田は百合の呼びかけに答えず、一矢を虚に向かって放つ。百合がそれから急いだのはチャドのところだった。祖父が言っていたことが気に掛かる。チャドは人気のない公園にいたが、そこに子どもたちもいた。
「チャド、どうしたのこの子たち」
「あたしは一兄の妹で夏梨。こっちは友だち」
夏梨は普通を装っているが足元が震えていて、友だちにいたっては涙を浮かべている。
「もう大丈夫よ。このお兄ちゃんと私が君たちを守るから」
チャドの右肩から腕にかけて見慣れないものが見えている。鎧のようなそれは攻撃性のある霊気の固まり…のようなものだった。
「これは?」
「あたしらが変なバケモノに襲われたときにお兄ちゃんこうなって。そしてバケモノを倒したんだけど…」
チャドには負担が大きかったらしく、チャドは倒れこまんばかりだ。
「大丈夫、私がいるから。みんなはチャド見てて。無理したりしないように」
「分かった!」
夏梨が中心となってチャドの傍に固まる。その姿を見てから百合は持ってきた手提げの中からフィルムケースを出した。
「なにそれ?」
「お清めの塩。私は神社の巫女さんなの」
「へー」
四方に塩を盛り、間にも塩を薄く撒いて四角形を辺りに作る。
「掛けまくも畏き伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に 御禊祓へ給ひし時に生り坐せる祓戸の大神等 諸諸の禍事 罪 穢有らむをば 祓へ給ひ 清め給へと白す事を聞こし食せと 恐み恐みも白す」
場を祓い、結界を作り出してから、百合はその外に出た。
「お姉ちゃん!?危ないんじゃないの?」
「大丈夫。こうやったら虚がこっちに早く気づくでしょ」
「なんていうか、一兄ぽい発想だね、それ」
「そうかな。……来た」
夏梨や子どもたちがぎゅっとチャドに抱きつく。
「大丈夫。そこから出ちゃだめだよ」
「分かった」
寸鉄を右手に構え、鉄扇をスカートの腰に差した。やってきた虚に向かって寸鉄を投げ結界を作る。印を結んで陣を切った。
「天清浄 地清浄 内外清浄 六根清浄と祓給ふ 天清浄とは天の七曜九曜二十八宿を清め 地清浄とは地の神三十六神を清め 内外清浄とは家内三宝大荒神を清め 六根清浄とは其身其体の穢を祓給清め給ふ事の由を 八百万の神等諸共に 小男鹿の八の御耳を振立てて聞食せと申す」
「…ナニヲスルゥ…」
「血族秋月百合の名に於いて祓い給え清め給えと聞食せと恐み恐み申す」
「ウグルアァ…」
「お姉ちゃんすごーい!」
後ろで子どもの声がする。百合は手を上げて歓声に応えた。うっすら笑みが浮かぶ。
「それにしても虚が出るペースと減るペースが一緒だな。石田くん、一護の他に誰かやってる人がいるのかな」
首を捻ったときに、虚ではなく人が近づいてきた。強い霊力の持ち主だということが百合にも分かる。大人が二人。
「あれ、空座神社のお嬢サンじゃありませんか」
「夜一さんのお家の人?」
百合は夜一と面識がある。というか、神社で自然の多い環境を好んだ夜一が度々百合の神社に訪れ、仲良くなったのだ。その際に現在の夜一の住処である浦原商店にも顔を出していた。
「浦原喜助すよ。そろそろ名前覚えて下さいな」
「うん、浦原さん。あ、テッサイさんこんにちは」
「はいこんにちは」
浦原は自分の名前を忘れていたのにテッサイの名前を覚えていたことに嫉妬して唇をひん曲げた。
「この結界はアナタが?」
「うん。簡単なものですけど」
「いや十分すよ、普通の虚相手なら。それにしてもすごいっすねえ、百合サン」
「全然すごくないですよ。力があるんだから、行使するのは当然のことです。チャドみたいに…力が無いのに立ち向かおうとした姿が本当にすごいって言うんだと思います」
百合の言葉に浦原は何か考えていた様子だったが、結界に入ると子どもたちとチャドを保護した。
「この人は私が預かります。回復させないとマズイみたいですしね。この子たちはあなたが送っていってあげてください。そろそろ虚も減ってくるはずですから」
「分かりました。じゃあお姉ちゃんと一緒に帰ろう?」
「うん!」
浦原は百合にそっと近寄って耳打ちした。
「黒崎さんの妹さんが気に掛かります」
彼女の高い霊力が気に掛かる、ということなんだろう。百合は頷いて私が守ります、と答えた。
「よし、行くよ。一番近いお家は誰のお家かな」
「私の!」
子どもたちと手を繋ぎながら百合が公園から去っていく。
「力が無いのに立ち向かおうとした姿が本当にすごい、ね…」
浦原は首を傾げ、チャドを担いだテッサイに声をかけた。
「さ、次は学校ですよん」
百合が子どもたちを送り終えて虚の祓いに向かっていたとき、空が暗くなり、大きな裂け目が見えた。何か大きな虚のようなものが近づいてくる。
「大丈夫かな一護」
残っている虚たちを祓いつつ百合は眉を顰めた。一護の霊圧がどんどん上がっていく。やがて大きな虚の気配は絶たれたが、一護自身の気配も弱まってしまった。
「一護…」
傍には石田がいるようだったし、気配は弱いといっても決定的なものではない。大事には至らないだろう。百合はそう判断して残りの虚を祓うことに集中した。
→第三話
いかがだったでしょうか。白の舞姫第二話です。チャドと絡ませようと思ったんですけど、糖度が低くてどうしたらいいのか…。チャドが語学を出来るというのは私の推測なのですが、実際スペイン語とか話してそうですよね。(確かメキシコってそれ系統の言語ですよね?)
実は主人公はいろんな系統の術が使える設定で、不動の縛は密教の術です。日本においては仏教も神道もごっちゃなことだし、いっか…と組み入れてしまいました。だって楽しいじゃん(私が)。
お付き合い有難う御座いました。多謝。
2005 10 9 忍野さくら 拝