白の舞姫 第七話
あれから、夜は松本の自室で泊まり、昼は十番隊隊舎の客間で過ごすようになった。最初に一、二日ほどは見る全てのものが物珍しく、辺りを見回って過ごしていた百合だが、隊舎で過ごすことに慣れてくると、次第に手持ち無沙汰になってきた。
「ねえ乱菊」
「なあに?」
松本は答えながらも筆の速度を落とさない。書道以外で筆を使わない百合はすごいな、と思いながら話を続けた。
「私にも何か出来ることないかしら。いつもお世話になってばかりだし、やることも特にないし」
「そうねえ…隊長に聞いてみましょ」
そう言うと松本は立ち上がって日番谷のいる執務室に赴いた。百合も後ろをついていく。
「松本です」
「入れ」
日番谷は大きな机に書類を広げて仕事の真っ最中だった。
「百合のことなんですけど」
「どうした」
松本が目で促すので、百合は少しだけ前に出て話し出す。
「私にも何か出来ることないでしょうか。お世話になってばかりですし、これといってやることもありませんし」
「……暇なのか」
有態に言えばそういうことになる。百合が頷くと日番谷は筆を置いて乱暴に頭を掻いた。暇な隊員がいると言われたら仕事をしろとどやすところだが、百合は総隊長の客人だし、元々が人間で死神ではない。
「私に出来る範囲のことでしたら、何でもやりますから」
これが一介の死神だったら、今やっている仕事を頼めもするのだが、そういうわけにはいかない。
「見習えよ松本」
「えっあたしですか?」
まっすぐにこちらを見てくる百合を見ていたら、なんだか照れくさい気持ちになってしまって日番谷は視線を逸らしながらそう言った。引き合いに出された松本はびっくりしている。
「じゃあ書類を渡しに行ってもらうのはどうです?近くだったら大丈夫でしょうし」
「……大丈夫か?」
日番谷が訊ねると、百合はしっかりと頷く。この近くなら場所も分かったし、何人かは顔が分かったので書類を渡すぐらいなら出来るだろう。
「なら、書類を他の隊に渡してくれ。あまり遅くはなるなよ。それと松本」
「なんです?」
松本は心得ていたのか、顔を近づける。日番谷はこっそりと耳打ちした。
「三番隊への書類は渡すな。話が面倒になる」
話が面倒になるんじゃなくて、ご自分が困るんでしょう。と言いたかったが、松本は笑ってはいと頷いた。
「じゃあ書類はこっちの詰め所にあるから詰め所に戻るわよ」
「うん。日番谷さん、行ってきますね」
「ああ。気をつけろよ」
「はい」
百合はそう日番谷に笑いかけた。日番谷は表情を崩さず戸が閉まるのを見送った。
「十一番隊は左隣ね、九番隊は右隣。それからしばらく行って六番隊、その隣の五番隊。よろしくね」
「うん。それじゃあ行ってきます」
松本は詰め所の入り口まで出て見送ったが、百合の背中を見ながらほうとため息をついた。面倒なことにならなきゃいいけど…。
百合はまず先に十一番隊隊舎に向っていた。隊舎自体は静かなのに、隊舎の向こうが何やら騒がしい。
「すいません」
「あ?なんだあんた」
出てきたのはスキンヘッドの死神で、百合とは面識のない死神だった。
「見たところ死神でもねえし変な格好してるし、あんた何者だ?」
「えっと…やちるちゃんいますか。やちるちゃんの知り合いです」
「副隊長に何用だ」
不審と判断されたらしく、詰問が続く。
「十番隊の書類を預かってきました。お渡ししたいんですが」
「……分かった」
百合が手に持っていた書類は確かに十一番隊宛のものだったし、書類自体に不審な点はない。だとしたら副隊長に聞くしかないと一角は判断して詰め所の中に戻っていった。
「副隊長ー!客ですよー!っていうか出て来いどチビ!」
「つるりん呼んだー!?」
詰め所の更に奥から声がして、声と同時にやちるが出てきた。
「つるりん何?」
「だから客です。見知らぬ女が書類持って入り口にいます」
「…百合ちゃんだ!」
「百合ちゃん…?」
一角は自分で名前を反芻した後で、あることに思い当たった。この前の隊首会で隊長が不機嫌になって帰ってきた、その元は秋月百合という女と戦えないことじゃなかったか。あの後いきなり鍛錬が始まって、それはもう徹底的にしごかれた(八つ当たられた)のだ。
「百合ちゃーん!」
やちるは前回同様書類を持ったままの百合に勢い良く抱きつく。百合は驚きながらも受け止めて笑った。
「こんにちは、やちるちゃん。今日も書類持ってきたよ」
「つるりんに渡しといて」
「つるりん?」
やちるの言う意味が分からず首を傾げると、さっきのスキンヘッドの死神が戻ってきた。
「……すっげー不本意だが俺のことだ」
眉間の皺の寄り具合は日番谷に近いものがあった。相当不機嫌らしい。
「初めまして、秋月百合です」
「お、おう。十一番隊三席斑目一角だ」
「斑目さんですね。はい、書類です」
丁寧に挨拶されたので、ついつられて自分まで挨拶してしまい、書類も受け取った一角はまだやちるが抱きついたままの百合に訊ねた。
「あんた、何者なんだ。死神じゃあねえようだが、その霊圧、隊長格じゃねえか」
「現世の人間です。巫女をしています。山本総隊長さんにお招き頂きまして、こちらにいます」
「総隊長の客人…」
「百合ちゃんはすっごく強いんだから!」
やちるが不審がる一角に対して不満そうに口を尖らせる。やちるからすれば剣八が勝負を挑むほどの人間はみなすごく強い、という扱いになる。
「そりゃ強いでしょうけど…あんた刀もなくて戦えるのか?」
「懐刀でしたら持っておりますが、それ以外にも戦う術はありますよ」
鬼道とかそういうことだろうか。一角は鬼道がからきし駄目だが、雛森のように得意な人間はけっこういる。威力があれば鬼道で虚を倒すことだって出来る。
「ふーん…。あ、それとあんた、その敬語みたいなのいいから。総隊長の客ってんなら、敬語とか使わねえといけねえのはこっちの方みてえだし」
「…分かったわ。じゃあやちるちゃん、そろそろ行くね。私他の隊のところにも書類届けにいかないといけないから」
「ちぇー。またね、今度は遊んでね!」
「うん、じゃあね」
九番隊の詰め所を訪れると、檜佐木と見知らぬ死神がたくさん仕事をしていた。
「檜佐木さん」
「おう。って、秋月だっけか。どうした」
暇んなったか?と訊ねてくるので、とりあえず違うわ、と答える。さっきまでは暇だったが、今は仕事をもらった身だ。
「これを渡しに。十番隊から」
「ありがとな。そうだ、茶でも飲むか?」
「そうしていきたいけど、他の隊にも渡しに行かないといけないから、また今度誘ってね」
「…ああ。じゃあ気をつけて行けよ」
去っていく百合の背中を見ながら檜佐木はため息をついた。彼女と話せるようになるのはいつ頃だろうか。
六番隊の詰め所には恋次も朽木も見当たらなかった。どうしようかと困っていると、優しげな死神が声をかけてきた。
「どうされたんですか」
「あの、朽木さんか恋次さんはいらっしゃいませんか?十番隊から書類を届けにきたんですが」
理吉はどうみても死神ではない、変わった格好をした女性が言うことにびっくりしていた。隊長と副隊長を知っていて、十番隊から書類まで預かってきている人物とはどういった人物だろう。
「恋次さんなら執務室ですから呼んできます。えっと…どなたですか?」
「秋月です。秋月百合と申します」
その名前はなんとなく聞き覚えがあったので、理吉は待っててくださいね、と言って執務室の戸の前に立つ。朽木隊長のいる執務室を開けるのはいつも緊張する。
「どうした」
気配を察したのか、中から声があった。
「恋次さんにお客さんです。秋月さんという女性の方が十番隊の書類を持って訪ねていらっしゃいました」
理吉が言い終わる前に戸が開いて恋次が出てきた。
「あの女が?俺ちょっと行ってきます…って隊長も来るんすか」
「無論」
執務室から朽木と恋次が一緒に出てきて、理吉だけでなく他の隊員も緊張している。恋次だけなら親しみやすい性質なのでさほど緊張はしないのだが、朽木は隊長でもあり大貴族の当主だ。緊張は否が応でも高まる。
「どうした」
詰め所入口で百合を出迎えたのは朽木だった。
「これ、十番隊からの書類です」
「確かに受け取った。…茶でもどうだ」
この一言は恋次を始め六番隊隊員全てに衝撃を投げかけたのだが、当の朽木はそ知らぬ顔だ。
「ありがとうございます。でもこれを五番隊の方にお届けしないといけませんから」
「そうか。道中気をつけろ。恋次」
「はい」
朽木が百合を茶に呼んだことに驚いていた恋次は、慌てて朽木の側に寄って返事をする。
「ついていってやれ。大事な客人だ」
「そんな、恋次さんもお仕事があるんじゃないんですか」
「大丈夫だ」
それ隊長が言うことじゃないですよ…、と恋次は思ったのだが、何も言わない。百合は恐縮しているのか、手を振って断ろうとしている。
「すぐお隣が五番隊なんでしょう?それが終わったら十番隊に戻らないといけませんし、悪いですよ」
「構わん」
構うのは俺とこいつだ!とよっぽど恋次は言いたかったのだが、やはり何も言えない。ただ、この女は思ったより良識ある普通の人間だな、という印象を持った。
「それじゃあ、失礼しますね」
「恋次頼んだぞ」
「……はい」
百合と恋次は五番隊の隊舎に向かう。黙ったままの状態を気まずいと恋次が思ったとき、五番隊の隊舎についてしまった。
「あれ、阿散井くんと百合ちゃん。連れ立ってどうしたの」
「桃、これが書類。十番隊から」
「ありがと。阿散井くんはなんで?」
百合はくす、と笑って朽木さんがね、と言った。
「朽木さんが心配して一緒に行くようにって。すぐの距離なのにね」
雛森は一瞬笑いかけて、恋次に向って宥めるような目線を送った。きっと朽木隊長の都合に巻き込まれたに違いない。
「それじゃあ戻らないと。あんまり遅くなるなって言われてるし」
「日番谷くんも心配症なんだ」
「彼のところにお世話になってるから、言いつけは守らないと」
雛森は頷いて、一旦詰め所の中に戻る。手に書類を持って帰ってきた。
「これ、十番隊宛なんだけど頼んでいい?」
「もちろん。日番谷さんに渡せばいいのね?」
「うん。隊長宛だから。それじゃあ阿散井くん、送り狼にならないようにね」
「ばっか、お前何言ってんだよ!」
いきなり話の面に立たされた恋次はびっくりしているのか怒っているのか顔が赤い。
「じゃあね、百合ちゃん」
「それじゃあね、桃」
手を振り合って別れた百合の少し後ろに恋次が並ぶ。
「…恋次さん」
「なんだ」
「恋次さんて、何て仰るんですか?」
「阿散井だ。阿散井恋次」
「格好良い名前ですね。……私、そんなに不審でしょうか」
恋次はずっと思っていたことを百合に当てられてそのまま立ち止まる。まるで心を読まれたような気がしたからだ。百合に会ったときの会い方が会い方だったし、あまりの霊力の凄さに驚きを通り越して不審に思ってもいた。武器がないのに自分のことを倒せると言われたことも不審に思う一要因だった。
「…悪い。ただ、お前は俺に言っただろ、本気で勝とうと思ったら勝てるって。そんなことを言える人間なんていねえんだよ」
「それは確かに私が悪かったみたいですね。あのときはルキアと離れることで少し落ち着きがなかったから、そんなことも言いました。私たちの能力は虚を祓うこと。昇華してしまうこと。それはどの霊体でも同じこと」
百合の言わんとするところが分かって恋次は手を握りこんだ。じっとりと嫌な汗をかいている。
「でも、本当に私たちが願って行わないと術は作用しない。義がない以上、私はあなたに勝とうとは思わない。だから勝てない」
「術?鬼道みたいなもんか」
「その鬼道っていうのがよく分からないけど、私は巫女だから神に祈って力をもらう。神々を敬い拝し畏れることで作用する術だから、普通の術とは少し違うかもね」
恋次は百合の話を鼻で笑ってやりたいような気分になった。神なんていない。少なくとも、恋次はそう思ってきた。神がいるならなぜ仲間たちは死んでいったのか。飢えて真っ先に死ぬのは弱い老人や子どもだ。力ある大人は力ない者たちを虐げて生きていく。
「…神なんているのか」
口に出した途端、そのことを後悔した。巫女だというからには、神を信じているのだろうに、信じている人間に向って言うことではない気がした。
「いや、その…」
「いいんです。そう思う人はたくさんいるから。少なくとも、私はいると思ってます。神でも仏でも他の宗教の神さまでも、何か絶対的なものがあって、それが流れのようなものを作っているんだと思う」
「流れ…」
「生きて死んで。現世で死んだら尸魂界へ。尸魂界で死んだら現世へ。そういう流れ」
恋次たち死神が作法どおりにやれば魂は輪廻に乗り、そう流れる。その流れを手助けするから俺たちは死神なのか。恋次ははっとした。力を持つことが死神だと思っていたし、その名称について深く考えたことはなかった。
「お前すごいヤツだな」
「そうですか?普通ですよ。最も私みたいな巫女はもうほとんどいないと思いますけど」
巫覡を行う人間そのものが、少なくなってきている。巫女は神社祭祀に於いて助手的な役割しか任されなくなり、本来の意味で巫女である者たちは急激に減った。
喋りながら歩いていたせいで、十番隊隊舎が見えてきた。
「その……悪かったな」
「なんでです?」
「いろいろだ。あ、それと敬語止めろよ。なんかくすぐってえよ、その丁寧な喋り」
「……そう?でも良かった、仲良くなれて」
「え?」
百合がはにかむように笑ったので一瞬目が釘付けになった。
「ルキアが名前を呼んでて、仲が良いんだなって思ってた。ルキアの友だちと仲良くなれて嬉しい」
ああそういうこと…と恋次は心の中で肩を落とす。俺個人が問題なんじゃねえのかよ。
「秋月」
「ん?何?」
「改めて、よろしくな」
恋次は汗をかいていた手を袴で拭って、差し出す。百合から差し出された手は少しひんやりしていて、小さかった。
「よろしく、恋次」
「おう。それじゃ俺帰るわ」
「うん、ありがとう。朽木さんにもお礼言っておいて。それと」
「なんだよ」
百合はふっと笑う。
「百合って呼んでよ。私も恋次って呼んでるし」
「…分かった。じゃあな百合」
そう初めて名前を呼んだときに、一瞬身体の中が熱くなった気がして、恋次は空いている片手を袴に擦りつける。
「じゃあね、恋次。またね」
ひらりと身を翻した百合は十番隊の隊舎に入っていった。おかえり、という声が聞こえてくる。恋次は百合の手を握ったほうの手を開いて見つめる。小さくて、少しひんやりしていた百合の手。刀など握ったことのない、手。
「やべえな」
天を仰いで恋次は笑った。
書類を無事に渡せたことで百合に任せられることが少しは増えて、一人で持っていける量ならば百合に頼む隊員が増えた。百合自身が喜んで請け負うからだが、最初に頼んだ日番谷は渋い顔だ。
「隊長、素直に言わないとだめですよ」
「……何をだ」
「百合に頼みごとしていいのは俺だけだーとか。そういう」
「言うか!」
素直じゃないところも隊長の可愛いところなんだけどねえ、と思いながら松本は茶を啜った。
ある日のこと、書類渡しから戻ってきた百合がいつも居る客間に入った途端びっくりして声を上げた。客間の座卓には本が積みあがっている。
「え、これ…」
「本ならたくさんあるんでな。どうだ、読めるか」
筆で書かれたものもあるが、活版印刷が出来るのか、印刷されたものもある。当然百合が知らない本ばかりだ。一冊手に取ってめくる。草書ぐらいを覚悟していたのだが、意外に読みやすいものだった。
「うん、読めるみたい。これ、日番谷さんが用意してくれたの?」
「おう。お前いつも暇してるみてぇだからな」
運んだのは松本と三席だが。
「嬉しい、ありがとう」
そう言った百合の笑みは本当に大輪の花のようで、大振りな牡丹や八重桜を思わせた。
「…大したことじゃねえよ。今日はそれでも読んで大人しくしとけ」
「分かった。後でお茶入れにいきますね」
日番谷が客間の障子を閉めたとき、松本がすっと近寄ってきた。
「なんだよ松本」
「本運べって言われたときは何かと思いましたけど、こういうことだったんですねえ」
「……執務に戻れ」
「これなら百合、当分大人しくここにいますから安心ですよねえ」
「松本!」
「最近じゃあ百合を訪ねに他の隊の隊長格が訪れるしで大変でしたもんねえ」
「まつもと!」
松本はにやにや笑うばかりで一向に席につく気配がない。日番谷は諦めたように肩を落とした。
「ふふ。隊長もなかなかやりますねえ」
これは自分がここを離れるしかないと悟った日番谷はさっさと執務室に引き上げていった。
「百合ちゃーん!」
のんきな声が十番隊隊舎に響く。呼ばれた百合は読みさしの本を置いて客間から詰所のほうに出て来た。
「やちるちゃん、こんにちは」
「あのね、鬼事しない?剣ちゃんもつるりんたちも一緒なの」
「鬼事…?」
聞き慣れない死神用語に百合が戸惑うと、松本が助け船を出した。
「現世でいう鬼ごっこね」
「ああ、鬼ごっこ」
百合が納得して頷くと、やちるは待ち切れない様子で百合の腕を引く。
「みんな待ってるから早くー!」
「じゃあ乱菊行ってくるね」
「はいはい」
松本は慣れた感じで百合を送り出し、仕事に戻った。
やちるに引っ張られた百合はそのまま十一番隊隊舎に連れられた。十一番隊の隊員とおぼしき死神たちが隊舎入口に集まっている。
「剣ちゃーん!百合ちゃん連れてきたよ」
「よし。いつも通り、負けたやつは勝ったやつの言うことを一つ聞く。いいな」
剣八の言葉に隊員が真面目な顔で頷く。
「鬼は誰なの?」
「毎回俺だな」
鬼が隊長なので、隊員はみな必死だ。勝てたら給与も休暇も思いのままである。一回限りだが。
「じゃあ始めるぞ。百数えてやっから逃げろ。一、二、三…」
百合はとりあえず剣八から離れて隊舎の間の小道に入った。やちるは瞬く間に消えてしまったし、どこに行けば見つからないか見当もつかない。
霊圧でばれそうなので、気配を絶つために魂鎮の印を組む。合わせた両手を上下に振り、霊圧を鎮める。その次に両手を広げて風と気配を同化させ、百合本来の気配を絶つ。舞を行う上で自然と同化するのは必要なことであり、百合にもおのずと身に着いた技術だった。
気配は消しても探し回られたら見つかってしまう。とりあえず人目につかないところを探して歩いていると、不思議なものを見つけた。巨大な柱と大きな武器が並んで立っている。
「何だろう、あれ…」
何かのシンボルなのか、実用なのか。実用にしてはさすがに大きすぎる気がする。
「後で乱菊に聞こうっと」
百合はその場を後にして、近くにあった森に入っていった。
その頃、剣八は。手当たり次第に探し回って、席官の大体と平隊員のほとんどを見つけ出していた。見つかっていないのは一角、やちる、百合だ。
「おい弓親、秋月はどこだ」
探索の苦手な剣八は、わりに探索が得意な弓親をいつも真っ先に探し出す。その後で弓親に聞いて探しに行くのだ。弓親は負けて鬼になっているので剣八に協力している。
「それが彼女の気配が見当たらないんですよ、隊長。副隊長と一角なら分かりますけど」
「ちっ。とりあえずそっちが先だな」
剣八がこうまでして頑張る理由はただ一つ、負けた隊員に書類仕事を押しつけるためである。十一番隊は書類をとにかく溜め込む傾向にある。三番隊のように隊長だけが溜め込むのでなく、全員が嫌がって溜め込むのだ。再三の注意が来て始めて書類仕事を押しつけるために鬼事を始める。そうでなくともよくやっているが。
「一角はあっちの木の上で、副隊長は向こうの屋根の上ですよ」
「俺が戻る前に秋月を探し出せよ」
だから気配が見当たらないって言ってるじゃないですか、という弓親の文句を聞かずに剣八は去っていった。
あっち、と弓親に指された方に歩いていたはずの剣八はなぜか違う方向に来ていた。当然一角は見当たらない。
「一角の野郎、どこにいやがんだ」
剣八が闇雲に探していると、近くから異様な気配がした。森の中からだ。双極の近くにあるこの森はあまり人が寄り付かないところだが、森の中からやたら濃密な気配がする。死神とも人とも思えない気配。
「まさか虚がいやがるとかじゃないだろうな」
剣八が足を踏み入れてしばらく、森の中心にあたる場所に人影が見えた。
「なんだありゃあ」
近付いた剣八の見たものは、百合の舞だった。最初森の中で身を潜めていた百合だったが、この森の気配があまり良いものではなかったので、場を清めるために舞っていたのだ。いつも舞の練習をしていた生活から離れたので、練習の意味もある。
動きやすいようにとつけた帯をほどいて、袿袴姿になった百合は舞扇を手にゆったりと舞っていた。剣八が生まれてこのかた見た事のなかったものだ。
「おい秋月」
「待って」
百合は剣八にそう答えて舞を続ける。やがて舞が終わり、百合は舞扇を畳んで帯を元通りに締めた。
「見つかっちゃったわね」
「さっきのあれは何だ」
「この森はあまり良い気配じゃなかったから、出過ぎた真似だとは思ったけど祓いの舞を舞っただけよ」
剣八にとって舞はどうでもよいもののはずだった。百合が何をしていたって、百合を見つけて勝負を持ち込めればそれで良かった。なのに。
さっきの百合の舞を見ていると、ずっと見ていたいような気分になる。初めての体験だった。ずっと見ていたいような気分になったことも、一人から目が離せない思いになったことも。
「ここは処刑の場所だからな」
「え?」
「あの矛と磔架は処刑用だ。重罪の死神を裁く」
森の木立ちの間から見えるさっきの武器を指して剣八がそう言うので、百合は押し黙った。あれはやっぱり実用だったんだ。
「隊舎に戻る前にやちると一角見つけてくか。秋月、気配分かるか?」
「やちるちゃんと斑目さんの気配?ちょっと待ってて」
霊圧を元に戻してから、注意深く他の気配を探る。尸魂界はいろんな霊圧がごっちゃで分かりにくい。
「……ありましたよ。やちるちゃんは屋根の上?辺りを飛び回ってて、斑目さんは向こうの木に登ってる」
「行くか」
「え、ちょっと、え?」
剣八はひょいと百合を掴み上げて、腕に抱えた。
「重いんですから、ちょっと降ろしてくださいよ」
「つべこべ言うな。行くぞ、案内しろ」
剣八が百合を抱えているとは思えない速度で移動しだしたので、百合は振り落とされまいとしがみついた。やがて一角のいる木に辿り着く。そこは見晴らしの良い場所で、大きな木に一角は登っているのだった。
「一角、降りてきやがれ!そこにいるのは分かってんだよ!」
「ちぇ…見つかったか…ってあんたも見つかったのか」
一角はするすると降りてきて、百合を目に留めたのか、声を上げた。
「ええ、さっきね。後はやちるちゃんだけみたい」
「そうか。いつも隊長と副隊長の一騎打ちみたいなもんだからな」
他の隊員は一縷の望みにかけて頑張ってはみるものの、結局隊長に見つかってしまうのだった。
「一角、時間あとどれくらいだ」
「そうですね、半刻でしょうか」
「てめえは自分で戻ってろ。俺はやちるを見つけてから戻るからよ」
「はい」
それなら秋月をここに置いていってもいいんじゃ…と一角は思ったが口には出さない。百合は変わった格好をしていて、それは弓親に言わせると昔の姫君のような格好らしいのだが、その百合が剣八に横抱きにされているのだから、まさしくお姫様だっこ、なわけだった。
「隊長秋月のこと気に入ってるもんなー」
一角はそう言いながら弓親のいる隊舎のほうへ戻っていった。
「屋根の上に上がれるの?…ひゃあ!」
勢い良く剣八は飛び上がり、屋根の上に着地する。あまりの跳躍に驚いて百合は奇声を上げてしまった。
「これくれえ、どの死神でも出来る」
「……死神ってすごいのね…」
「虚は空中に出るからな。地面にいるわけじゃねえ」
「あ、そうか。やちるちゃんならあっちよ」
百合が指差すほうへ、剣八は走っていく。屋根から屋根へ飛び移るわけだから、落ちたらどうしよう…と思うと自然と剣八を掴む力は強くなる。
「おいやちる!」
「見つかっちゃった!」
やちるは飛び移るのを止めて大人しく剣八のところへやってくる。横抱きにされている百合を見上げて笑う。
「百合ちゃん、お姫様みたい!」
「えぇ!?」
邪気のない指摘にあって百合は頬を染める。
「だっておかっぱ(弓親)が百合の服は昔のお姫様の服なんだって!お姫様の服でお姫様だっこだなんて、本当にお姫様みたーい」
そう言いながら自分の指定席である剣八の肩に飛び乗る。剣八はびくともしない。
「それじゃ戻るぞ」
「はーい!」
すぐに戻った剣八はやや嬉しそうに部下に書類仕事を片付けるように言ったのだが、一角の言葉で大問題を引き起こす。
「秋月はどうするんすか?仕事なんて出来ませんよ?」
「雑用ならやりますけど」
「いや。秋月。俺と勝負しろ」
剣八はそう言って百合をまっすぐ見据える。百合も見返し、しばらくその場が静まり返った。百合と戦ってはいけないといわれたせいで、十一番隊の隊員は隊長である剣八にしごかれた過去がある。総隊長が止めたというのに、剣八は懲りていないわけだ。
「…負けましたしね。総隊長がいいと仰ったのなら、一度だけ」
負けた百合がいろいろと指定をつけているが、剣八は承諾されたことに気を良くして全く気がついていないらしい。
「その言葉忘れるなよ。おいちょっと一番隊んとこ行ってくるわ」
「あたしも行くー!」
剣八の肩にやちるが乗って、そのまま二人は一番隊の隊舎へ歩いていった。
「隊長とやるって…隊長めちゃくちゃ強いんだぞ?」
「まさか殺したりはしないでしょうよ。勝負だと言っているんだし。なんとかなるから大丈夫」
百合はそう言って笑ったのだが、一角はこれから先が不安でならなかった。
→第八話
いかがでしたか。ちょっと長かったですかね。恋次と仲良くなって剣八にお姫様だっこされて。逆ハーぽくなってきた?今回一番悩んだのは「やちるが弓親をどう呼んでいるか」です。けっきょくおかっぱ、にしましたけど。
お付き合いありがとうございました。多謝。
2005 10 28 忍野さくら拝