椿
乱菊は、さっきから自分の上司の目が書類の上を滑っていることに気がついていた。一通り目を通しているように見えるが、その実、ろくに中身を読んではいないだろう。執務室の机に置かれている書類を日番谷の背中越しに立って目を通していた。
「……隊長。判がずれてます」
「…あ、ああ」
決裁の判も、ずれたスペースに捺していて、日番谷の混乱振りが知れた。乱菊は、はーっと長いため息をつく。
「お気持ちは分かりますけど」
十一番隊に大虚の討伐命令が下り、討伐に出かけていったのは今朝のことだ。その中には、無論四席の百合の姿もあった。
「更木隊は戦闘集団なんですから、無事ですよ」
十三番まである護艇十三隊の中で、十一番隊が最も戦闘能力に長けていると言われている。隊長である更木の気風なのだろうが、実際に十一番隊の死神には戦闘能力に長けている者や戦闘慣れしている者が揃っていた。百合もその一人だ。
「百合は現世でも刀を振るっていたそうですし、戦闘には慣れてますから平気ですよ、きっと」
「ああ…」
乱菊も日番谷の心配が分かるだけに明るい言葉を掛けるものの、確定的なことは言えずにいた。大虚だと思ったものが、巨大虚だったり、大虚の巣が近かったりして隊を壊滅状態に追いやることは、そう少ないことではないからだ。
百合がいかに戦闘に慣れていようと、それは怪我をしない保証にはなりはしない。いつ何時、何があって大事に至るとも限らない。そんな綱渡りのような状況下で、それでも己の想いを真っ直ぐに貫いているこの二人が乱菊はとても好きだ。日番谷が自分の上司で、百合が自分の友人で、というだけでなく。
「百合も朝言ってたじゃないですか、無事に戻るって。あの子は約束を守る子だってこと、隊長がよくご存知でしょう?」
「…まぁ、な」
乱菊の言葉に日番谷が軽く頷いたとき、瀞霊艇内に一気に霊圧が増えた。日番谷が立ち上がる。
「隊長、どこに行かれるんですか」
一応問うてみたものの、乱菊には日番谷の答えが分かっていた。乱菊も同じものに気がついたからだ。
「百合が帰ってきた。ちょっと顔見てくる」
「…どうぞ。今日は特別な日なんですから、そのまま帰られて結構ですよ」
「分かった」
日番谷は返事をするや否や執務室を出て行く。乱菊は苦笑を噛み殺して、書類をまとめた。
十一番隊の隊舎はすぐ隣なのだが、詰め所には人が少なかった。近くに居た死神を呼び止める。
「おい」
「あ、日番谷隊長!どうかしましたか」
「今日討伐に出た部隊はもう帰ってきたんじゃねぇのか」
「帰ってきたには帰ってきたんですが…」
死神が言葉を濁したので、日番谷は苛立って奥歯を噛み締める。いつも顔に刻まれている眉間の皺がより深くなったので、死神は畏れて直立した。凍てつくほどの霊気が辺りに漂っている。
「何だ。どこにいる」
「四番隊のところへ…怪我人が多く出たものですから」
怪我人が、の時点で日番谷は地面を蹴って十一番隊の隊舎を後にしていた。残された死神が胸を撫で下ろす。
「どうした」
「いやさっき日番谷隊長が来て、すごい形相にきつい霊圧だったもんだから、ビビっちまって…」
「あぁ、あの人は秋月四席の恋人だからな。ちゃんと伝えたか?秋月四席は無事だって」
同僚の言葉に、日番谷と対面していた死神の顔色が変わる。
「やべぇ…言ってねぇ」
「あー…それで日番谷隊長急いでたのか…」
「どうしよ…」
日番谷が走って四番隊の救護所に着いたとき、救護所は人で溢れかえっていた。十一番隊の死神と救護に当たっている四番隊の死神が入り混じっている。
「あー、ひっつんだー」
死覇装が所々黒ずんでいるやちるが日番谷に向かって駆けてきた。
「元気そうだな草鹿。十一番隊で怪我人が多く出たと聞いたが」
「うん。いっぱい怪我してるけど、みんな元気だよ。百合ちゃーん」
やちるが救護所に向かって大声を出した。救護所の中から人影が現れて、日番谷は一瞬息をのんだ。
「副隊長どうしたの…って、日番谷隊長」
百合は日番谷の顔を見るなり、驚いたように口を少し開けた。日番谷は近寄って、繁々と百合を眺めた。やちると同じように死覇装がだいぶ黒ずんでいて、所々切れていた。切れている死覇装の隙間から覗くのは白い包帯だ。日番谷はそれに気づいて顔をしかめた。
「お前、怪我してんじゃねぇか。ちゃんと休めよ」
「ちょっと切れてるだけだから平気。私は怪我が少ないほうだから。一角とかのほうがよっぽど…」
百合はそう言って、心配そうな目を救護所に向ける。日番谷の眉間の皺がくっきりと深くなった。
「……おい、草鹿」
「なぁに?」
「今日はこれで隊務終わりなんだろ?」
やちるはこっくりと頷いて肯定を示した。
「うん。剣ちゃんがそう言ってた。だから休めって」
「そうかよ。じゃあコイツ連れてくな」
「え?」
日番谷は無言で百合の手をとり、ずるずると引きずって歩き始める。
「副隊長、失礼します!」
「また明日ねー」
やちるの手に合わせて手を振っていた百合は、姿勢を戻して、日番谷の横に立って歩き出した。
「日番谷隊長、そちらの隊務はどうしたんですか」
普段であれば、日番谷は隊務を可能な限り優先させる。公私混同するようなこともしない。人の上に立つからには、といってその姿勢を貫く日番谷が百合は好きで、尊敬もしていた。
「終わらせてきた。松本にも許可をもらったしな」
日番谷が歩いている方向が十番隊隊舎ではなくて、十番隊隊首室だと分かって百合は日番谷の手を握りこんで笑った。仕事は、もう終わりだ。
「ねえ冬獅郎」
「…なんだ」
「私の部屋に来ない?」
一瞬驚いた表情を見せたものの、日番谷は頷いて歩く方向を変えた。
「お前、どこ怪我してるんだ」
「脇腹と腕とあと足をちょっと挫いた」
はーっと長い息を吐いて、日番谷は空いている片手で髪をがしがしと乱暴に掻く。
「血は止まったのか」
「うん。元々そう深くない傷だったしね。さすが四番隊って感じ」
百合はそう言いながら、空いている片手を脇腹に添える。
そうこうしているうちに、百合の部屋についた。四席である百合は平の死神よりは広い家に住んでいるが、隊長である日番谷の部屋に比べればもちろん狭い。
「ただいまー」
「…ただいま」
百合の声に日番谷の声が重なる。まだ夕刻だが、冬とあっては陽も落ちかけて部屋の中は薄暗かった。
「冬獅郎、灯り点けて?」
「おう」
手慣れた様子で日番谷はマッチを擦って灯りを点す。百合は土間の台所にいたが、お盆を持って居間に上がってきた。
「…?」
お盆には布が掛かっており、日番谷は怪訝そうな顔を百合に向けた。
「百合、これ」
「あ、その布取っちゃダメ。お茶淹れるから待ってて」
日番谷は大人しく炬燵にもぐりこんだ。百合はてきぱきと煎茶を入れて、湯のみを日番谷の前に置く。自分の分を持って、こたつの反対側にもぐりこんだ。
「じゃーん」
効果音を自分で言いながら百合はお盆に掛かっていた布を取る。そこには、箱が載せられていた。箱の中には日番谷の斬魄刀の鍔と同じ形の和菓子があった。脇には大福や干菓子が散りばめられている。鍔の形の和菓子には、一文字「祝」と書かれていた。
「お誕生日おめでとう、冬獅郎」
真ん中にある和菓子が自分の斬魄刀の鍔と同じ形をしていることに気がついた日番谷は、百合がわざわざ頼んだのだと知って、いくらか頬を染めた。しかし、その和菓子を幸せな気持ちで見ていたら、ある事に気がついた。
「百合、これもしかして古里屋のじゃねぇのか?」
「あれ、気づいちゃった?さすがお茶関係には詳しいね、冬獅郎」
「ばっ…お前、古里屋の菓子がいくらすると思ってんだ!」
古里屋は瀞霊艇にある和菓子屋の中で、最も高級な菓子を扱う店だ。無論、顧客は貴族ばかり。日番谷も上生菓子をいくつか買うことは出来ても、オーダーはしたことがなかった。しかし値段の予想は大体だが、つく。
「だって、いつだったか、古里屋で生菓子買った時に見てたじゃない」
百合と日番谷が連れ立って古里屋を訪れたとき、貴族だろう人物が注文した品を受け取っているところに出くわした。こちらで、と箱を開けて店員が中を客に確かめさせていた時に、二人でこっそり覗いたのだが、さすが古里屋と思わせる素晴らしい品だった。
『一遍で言いから頼んでみたいよな』
そのとき、日番谷がそう呟いたことを百合は覚えていて、一ヶ月前に古里屋を訪れて注文していたのだ。今日は朝から討伐に出ることが分かっていたので、昨夜のうちに引き取って、隠していた。
「言ったけどよ…」
日番谷は、自分が百合の誕生日の時に注文でもして、驚かしてやりたかったのだ。先を越されて悔しい気持ちと、考えていることが同じだった嬉しさがないまぜになる。
「お金のことは気にしなくていいからね、私けっこうもらってるんだから」
「そりゃお前が討伐隊に良く参加してっからだろ」
出撃料はそう高いものではないが、十一番隊にいると、回数を稼げるので自然と給与は増える。百合は進んで参加するので、ことによっては三席の一角と同じぐらいの給与をもらっていた。
「まーね、それしか稼ぐ方法がないし」
死神はそれが仕事だ。百合はさばさばと言ってのける。
「…俺がその度にどんな気持ちになってるか知ってるのか」
日番谷は低い声音でそう尋ねた。百合はふんわりと笑んで答えた。
「だって、十番隊のときには私がその気持ちになってるもの。知ってるよ」
「……そうか」
百合を心配させるから、などという理由で日番谷が討伐に出ないことは有り得ない。同じように、百合が討伐に出ないこともまた有り得ないことなのだ。どちらとも、優秀な戦力なのだから。そのことが分かっていて、刀を持つ意味も力を振るう意味も全て分かっても尚、気持ちを止められずに傍にいるのだから、文句を言う筋はなかった。
「ねぇ冬獅郎」
「なんだ」
百合は立ち上がって、小さな庭に繋がる明かり障子を開け放った。外は雪、日番谷の身体に馴染んだ冷気が部屋の中に流れてくる。
「冬獅郎が好きだって言ってた椿、もう咲いたよ」
小さな庭に植えられている椿が、赤いつぼみを花開かせていた。つぼみが膨らんでいるものもいくつかある。
「ああ、綺麗だな」
「…現世ではね」
百合は死んでそう経っていない。日番谷のように死んでとうに時間が過ぎていったものより、現世のことをよく憶えていた。
「椿は刀を持つ人たちに嫌われていたの。……首からぽとりと落ちるのが、縁起悪いって」
「…咲いたら落ちるより他ないだろ」
「斬首刑とかもあったからね。でも、私もそう思う。咲いたら落ちるより他にないって」
庭に植えられている椿も、二つほど地面に落ちていた。首ごと。
「だから、咲いている間、一生懸命でいられたらそれでいいって思う」
「……そうだな」
死神も人も花も咲いている時は限られていて、咲き終えたら落ちる他ない。
「冬獅郎のお誕生日も、毎年精一杯祝おうと思って。来年、楽しみにしてて」
「おう」
日番谷は笑って百合に受け合った。外の雪は、絶えず舞い続けている。
椿の花言葉は、誇り、美しさ、そして理想の愛。
日番谷冬獅郎、ハッピーバースデー!!ということで、超ギリギリですが。
本当は、もっといろいろ書きたかった。ヒロインが実はけっこう深手を負っているんだけど、日番谷の前では平気そうにしてる、とか実は他にも玉露と羽織のプレゼントがあるとか書きたかった。ヒロイン、金欠になりそうだな…(笑)。全部書いてると、20日にアップできなくなると気がついたので、ここで。
椿の話は絶対入れたかった。
お付き合い有難う御座いました。多謝
2005 12 20 忍野さくら拝