春雨が溶ける?馬鹿、お前それァ春雨もどきだ。よく似てんだ。
天人の店の中は薄暗く、百合が着ている紺の忍装束はすっかり周りに溶け込んでしまっていた。おまけに音楽が爆音で鳴っているので、気配を掴むのにいつもよりよけい神経を使う。フロアで踊る天人の隙間を縫うように移動して、銀時たちを捕捉する。銀時と新八はソファ席で話し合っており、神楽がカウンターで店員の天人に話しかけていた。神楽は写真を持って店員に見せている。
「あー?知らねーよ、こんな女」
店員の言葉に百合はすっと眉を顰めた。女?誰かを探してる?
「この店によく遊びに来てたゆーてたヨ」
「んなこと言われてもよォ嬢ちゃん、地球人の顔なんて見分けつかねーんだよ…名前とかは?」
「えーと、ハ…ハム子」
「ウソつくんじゃねェ、明らかに今つけたろ!!そんな投げやりな名前つける親がいるか!!」
「忘れたけどなんかそんなん」
「オイぃぃぃ!!ホント探す気あんのかァ!?」
神楽と店員のやりとりを聞いていた百合は、少しだけ銀時たちのいるソファ席に近づく。銀さんは桂に協力してるんじゃなくて、全然別のことをやりに来ている…?
もしそうだとしたら、完全に百合の読み違いだ。
「銀さん…神楽ちゃんに任せてたら、永遠に仕事終わりませんよ」
「あー、もういいんだよ。どーせどっかの男の家にでも転がり込んでんだろ、あのバカ娘」
新八は仕事、と言い銀時はバカ娘、と言った。そのバカ娘、とやらを探すのが仕事、ということか。銀時は頭を抱えており、薄暗い店内で見ても具合が悪そうだ。
銀時が立ち上がったすぐ後、新八が人影とぶつかる。何気なくそれを見ていた百合は一瞬で目を見開いた。新八とぶつかって何事か言ったその天人、手配書の顔と全く同じ、宇宙海賊春雨日本支部の頭、陀絡。性格は残忍で非情、そして極度の潔癖症。日本支部がここに集まっているのだとしたら、何か手荒なことをするかもしれない。
神楽はカウンターの店員に悪づいて新八のところに戻ってきた。瞳孔の開ききった男を連れている。
「もうめんどくさいから、これでごまかすことにしたヨ」
「どいつもこいつも仕事をなんだと思ってんだ、チクショー。大体これでごまかせるわけないだろ、ハム子じゃなくてハム男だろーが」
「ハムなんてどれ食ったって同じじゃねーかクソが」
「何?反抗期!?」
新八が声を上げたときに、いきなりその男が床に倒れこむ。受身の心得のない人間でも、倒れる時には手をついたりして庇うものだ。しかし、この男は全くそのような動きをせずに倒れこんだ。意識がないのかもしれない。
神楽と新八がその男に近寄っているとき、百合の視界の端に黒い集団が移った。この店で遊んでいる、悪ぶっているヤツらとは格が違う匂いがする。そしてその集団の目はなぜか新八たちを見据えていた。
銀さんたち、なんか危ないことに首突っ込んでるんじゃ…。百合は銀時の商売が万事屋だとは知っている。しかし、万事屋の仕事がどういったものかはあまり知らなかった。
男が店員によって連れ去られ、新八と神楽は元のソファに戻る。銀時を待っているのだとは百合にも分かったが、こんな性質の悪い店に子どもを残してどこかへ行く銀時の心情が知れない。二人が俯いていたとき、さっき見た黒い集団がいきなりソファを取り囲んだ。神楽に銃口を突きつけている。
「てめーらか。コソコソ嗅ぎ回ってる奴らってのは」
「なっ…なんだアンタら」
「とぼけんじゃねーよ。最近ずーっと俺達のこと嗅ぎ回ってたじゃねーか、ん?」
百合はソファので歯噛みした。それは桂の仲間だ。地球人の顔の判別など出来ない天人にとって、さきほどから神楽がいろんな人に聞き込んでいるのが目障りになって、同じ仲間だと思ったのだろう。もっと早くどうにかして二人だけでも連れ去っておけば良かった。
「そんなに知りたきゃ教えてやるよ。宇宙海賊春雨の恐ろしさをな!」
男がそう言うなり、二人の背後に仲間が周り、鼻と口に布をあてがう。百合はすっと飛んで仲間たちを一人ずつ昏倒させていった。こんなに人が密集していて、しかも動き回っている店内で飛び道具を使うと不測の事態が起こりかねない。確実に、頚動脈を手刀で強く圧迫して昏倒させ、集団から仲間が一人ずつ減っていった。
「…ん?」
銃を持っている男がそれに気がつき、捉え切れない百合の素早い動きを見切ろうと目を細める。
「おい、そこでうろちょろしてる奴。この二人の命は惜しくねェのか」
意識のない神楽に銃が突きつけられる。その光景にはっとした百合は思わず手を止めた。
「…忍か。妙なモン飼ってやがるな、桂の野郎」
桂の仲間だと思われているのが釈然としないが、わざわざ訂正する必要もないと百合は黙った。男があごでしゃくって、百合の顔を覆っている布が外される。頭から口まで覆っていた布が取られて、百合の顔があらわになった。
「なんだこいつ女じゃねぇか。おい、思いっきり嗅がせてやんな。可愛がってやろうぜ」
百合の口鼻に布があてがわれる。何か、馴染みのない匂いがして、意識がふわっと浮きそうになったとき初めて正体が分かり、百合は唇を噛んだ。何か、神経性の薬に違いない。大体の薬物には耐性があるので、意識さえ途切れなければ、身体に支障はない。唇を思い切り噛みながら怪しまれないように顔を俯かせて、身体の力を抜いて自分から床に倒れこんだ。
「陀絡さんにバレねェように、この女だけ奥に運んどけ。後のやつらは甲板でいい」
甲板、ということは船に運び込むつもりらしい。百合は目を閉じて神経だけを研ぎ澄ませながら、辺りの様子を探った。音がするフロアを過ぎた辺りで、銀時の声が聞こえた。
「新八!!神楽!!…百合!?」
出来るだけ顔がバレないように俯いて髪で隠していたというのに、分かったのか。銀時の鋭さに舌をまいた百合だが、面倒なことが起きそうだと顔をかすかにしかめた。
「てめーらァァ!!何しやがった!!」
銀時の声があからさまに上ずっていて、驚いていることが分かる。そんなに大事な子どもたちなら目を離すんじゃないよ、と心の中で説教した。聞こえてないが。
「お前目障りだよ…」
地を這うような陀絡の声が聞こえて後、大きなガラスが割れる音がした。銀時が叩きつけられたか何かしたのだろう。陀絡は残忍な性格の持ち主、目障りなものは徹底的に排除する性質だ。
店を出てから車に押し込まれ、車から出たときには既に辺りに潮の匂いが満ちていた。海だ。
「この女は奥だ。陀絡さんにも見せるなよ。このガキどもは陀絡さんに預けとけ」
やばい。陀絡が子どもに容赦するようには見えないし、殺される可能性が高い。百合は微かに腕に力を入れて、手首の戒めが堅いかを確かめた。ひやりと金属の感触がする。縄などではなく、手錠らしかった。人気のないところに運ばれて、投げ捨てられる。気絶したふりをしているので、全く受身が取れずにぶつけた頭が少し痛い。自然な流れで仰向けになって、手を周りの目から隠した。少し腰を上げて、その隙間で片手の関節を外す。ごきっという音の後にするりと手錠が外れ、もう片方の手も関節を外し、順番に元に戻した。腰の帯に忍ばせてある手裏剣を指の間に構えて機会をうかがうためにうっすら目を開ける。大きな倉庫のようだ。辺りには四角い箱が山のようにある。転生郷か。
「おい、起きろや姉ちゃん」
ぐい、と髪を掴んで顔を引っ張られる。そろそろか、と目をゆっくり開けて辺りを見回す。
「お前は特別にイイ女だから、俺達が相手してやろう。ありがたく思えよ」
「……ありがとう」
抑揚のない声のすぐ後、百合の姿は消えていた。
「!?」
倉庫に集まった男たちが辺りを見回す度に、一人、また一人と押しつぶされたような声を上げて男たちが倒れていく。
「手錠が外れてます!…っぐ」
声を上げた男に手刀を落とした上で蹴り上げて叩きつける。
「お前…」
「イイ女だから、相手してくれるんでしょ?」
百合はにやりと笑って手裏剣を構えた。男どもが銃を構えようとしたその一瞬の隙に手裏剣を首筋に投げつけて床に叩きつけた。数人が叩きつけられる。残っているのはもう二人だ。
「てめェ…」
「後で警察に引き渡すから、殺すのは止めておくわね」
そう言いながら百合は男の背後にすっと飛び移り、首に手を当てて頚動脈をきめる。泡を吹いて男が倒れ、残された男は恐怖で腰を抜かしている。倒れている男は、ざっと二十人だった。
「あ、ちょっと質問に答えて。ここにあるのは転生郷よね?」
「…は、はいぃ」
「他にも転生郷が置いてあるところは?」
「こ、ここ、ここしか…」
男の指は震えて、何を指しているのかもう分からない。
「そう。あ」
携帯が鳴っている。百合はさっと男の背後に回って、同じように頚動脈をきめて落とした。誰もいなくなった倉庫で携帯に出る。
「あたし」
『山崎です。桂らしき人物と旦那らしき人物が船の中に入っていきました』
「あたしも中にいるの。もうちょっとして、合図したら大江戸警察に通報して」
『了解。お気をつけて』
百合は通信を切り、身体を伸ばして関節を整えた。頭の布がどこかに行ってしまい、替えを持っていなかったので、しかたなく笄で髪を結い上げる。
「こいつらの服切って使うっていう手もあるけど…なんか嫌だし」
人の足音が近づいてきて、百合はすっと扉裏に身を顰めた。
「ここか…天人どもの持っている悪魔、転生郷の在り処というのは」
桂!百合は一気に身体を硬直させる。
「これぐらいでよかろう」
ぽいぽい、と何かを投げていて、何だと目をやれば爆弾だった。転生郷を滅ぼすのが目的なのか。銀時と一緒に来た意味が百合にはまだ分からない。爆弾がすぐに爆発しだしたので、桂はさっと身を翻して去っていく。十二分に待ってから、百合も外に出た。本当に奥につれてこられたようで、なかなか甲板に出る道が見つからない。音がする方へする方へと歩いていくと、幾人もの声、そして爆発音に出会った。煙だらけの甲板の上で、銀時らしき人物が刀を構えている。百合は暴れまわっている残党を処分しながら、その様子を眺めていた。百合は、銀時が戦っているところを見るのは初めてだ。
「知るかよ。終わんのはてめーだ」
「いいか…てめーらが宇宙のどこで何しよーとかまわねー。だが、俺のこの剣、こいつが届く範囲は俺の国だ」
銀時がすっと刀を正眼に構えている。残党がいなくなったので、百合は新八と神楽の背後に回り、手錠を切り壊した。
「あ?え?」
二人が振り向こうとしたときに身を飛び上がらせ、船の一番高いところへ移る。眼下には爆弾を投げつけている桂、そして刀を構えている銀時。銀時が陀絡を斬りつけるさまを見ながら、百合は携帯を鳴らした。
『百合さん!?どうなって…』
「桂が暴れてる。早いとこ通報して。真撰組に今から言っても遠いから、大江戸警察に」
『了解』
少し船から目を離せば、コンテナの後ろに隠れている山崎の姿が見えた。
「さてもう一仕事っと」
桂は銀時が陀絡を斬った後、爆弾を投げるのを止めて銀時と新八たちが合流する様を見ていた。背後に忍び寄った百合は、桂が振り向く前に忍刀を押し付ける。
「動くと斬る。何の目的あってここに来た」
「…天人のもたらした悪魔、転生郷を根絶やしにするためだ」
「一般人を巻き込んだのはお前の策か」
桂は刀を突きつけられても身じろぎ一つせず、刀を取る様子もない。慣れているのだろう。
「銀時のことか。銀時は拉致られた仲間を連れ戻したかった。俺は転生郷を滅ぼしたかった。協力したまでのこと」
転生郷はいつか誰かが滅ぼさねば、この国の若者がみな滅びの道を辿るところだった。桂のしたことは暴挙だが、間違いとはあながち言い切れない。
百合は逡巡して唇を噛んだ。その瞬間、甲板から大声が上がった。
「ヅラァ!お前なにやってんだ!」
「なにやら捕まったようだ」
「テロリストがあっさり捕まってんじゃねェよ!って、百合!?」
銀時の大声に百合が一瞬動揺した隙に、桂は刀を抜いて振り向いた。百合の刀と桂の刀がかち合う。百合の忍刀は所詮脇差、まともに斬り結んでは勝ち目はない。
「百合!お前なにやって…」
喋りながら銀時には意味が分かったらしい。百合は真撰組隊士、そこにテロリストがいたら捕まえるのが仕事だ。しかし、これではもう雑用だという言い訳は通用しないだろう。忍装束を身にまとって刀をつきつけている様を見られたからには。
ファンファンファン、というパトカーのサイレンが遠くから聞こえてくる。
「ちっ」
桂はそれ以上対峙するのを止めて即座に場を離れ、船から下りる。
「山崎!」
百合は外に待機している山崎に声をかけたが、なぜか山崎は出てこない。
「逃がすか!」
仕方なく百合は船から飛び移って桂を追う。その様を銀時たちは呆然と見ていた。
「…あれ、百合さんですよね」
「百合格好いいアル!おまけに手錠も壊してくれたアル」
「え、あれ百合さんだったの」
「眼鏡のくせに何も見てないなんて、眼鏡キャラ失格アルよ」
「目ェ悪いから眼鏡かけとんじゃァアア!」
新八と神楽が言い合ってる最中にも、銀時は百合の姿だけを追っていた。あの装束、身のこなし、やはり忍。幕臣の忍といえば…。
「とんでもねェ女だなァ、オイ」
銀時は一つ、ため息をついた。
屯所に戻った百合の機嫌はマックスに悪かった。土方たちに戻った報告もせずに、監察の詰め所の戸を乱暴に開けてソファに倒れこむ。着替えてもいないので、忍装束のままだ。
「どうかしましたか、隊長」
「…もうちょっとだったのにィ…」
うめいてはまたソファに顔をうずめる。
「桂が動いたと吉村に聞きましたが」
「もー、聞いてよ!桂が転生郷滅ぼすとか言って春雨の船に乗りこんできて、その戦いの最中に桂を捕捉したと思ったら、銀さんに邪魔されて山崎に追尾させようとしたら山崎出てこなくて、結局桂を取り逃がしちゃって…あーあ」
「ヤツは逃げの小太郎ですよ。また追い詰める機会もありますぜ」
隊士になだめられ、百合ははぁ、とため息をついた。湯のみが差し出される。
「ありがと」
お茶を受け取って、ふうふうしながら飲んでいたときに、詰め所の戸が慌しく開いた。
「百合さん戻って……ます…よね…」
「やーまーざーきーィ」
湯のみをテーブルに置いて、百合はゆらりと立ち上がる。戸口にいた山崎は引きつり笑いを浮かべながら戸を閉めた。
「弁解は聞くわ。何があったの」
「その…船を張るのに必死で、後ろに人がいたことに気がつきませんで…」
「誰がいたの。桂の仲間?」
「仰るとおりで…」
はーっと長いため息をついた百合は髪を結い上げていた笄を抜いて、長い髪を揺らした。
「桂の仲間に気絶でもさせられて桂を追えなかった、と。なにかある?」
久々に百合が怒っていることが分かり、詰め所内の空気がぴぃんと張り詰める。山崎は戸口で自主的に正座している。
「ご明察通りです…すみませんでしたァ!」
勢いよく頭を下げた山崎の姿を見て、百合は再度ため息を漏らした。
「前に言ったわよね、張り込むときに対象物だけを見て神経を尖らせるのは三流だって。危険な状況に身をおいていることを自覚して、常に意識を尖らせて辺りにも気を配るようにも言ったわよね」
「はい…」
山崎だけでなく、詰め所にいた全員の隊士がなぜか椅子の上で正座していた。
「今回、桂の仲間が春雨を張ってたけど、春雨には筒抜けで、結果的に関係ない一般人を危険に晒してたわ。張り込みっていうのは、気づかれたらリスクが何倍にも跳ね上がるものなの。よく、分かったわよね?」
一旦戻ってきていた吉村、篠原の両名も正座のまま何度も頷く。山崎に至っては張り子の虎のようだ。
「…分かったならいいわ。仕事しましょ」
空気が瞬時に解かれて、みんな揃って小さくため息をつく。百合は怒るときは徹底して怒るので土方たちにも恐れられているのだが、反省を促した後はけろりと元に戻り、普通に隊務をこなすことが出来た。気配が瞬時に変わるので、後々まで引きずることはない。
「あ、あの百合さん」
「なぁに山崎」
一番怒られていた山崎は及び腰ながら百合に話しかける。
「陀絡たちの船から、幕府の役人が出てきたのですが…」
「!!」
百合だけでなく、詰め所にいる隊士全員が山崎を注視している。
「誰か分かる?」
「カエルみたいなヤツです、でかいカエル」
百合は額に手をやって、過去の記憶を総動員した。幕府の役人にでかいカエルみたいなのは何人かいたが、海賊とも付き合いそうなのは誰か…。
「名前は?」
「部下が『禽夜さま』と言っているのを聞きました」
「あいつか!」
百合は立ち上がって山崎の側に寄った。怒られたばかりなので山崎は身を竦ませる。
「…よくやったわ山崎。それ、すごいことよ」
ぽんぽん、と背を叩かれて褒められたので山崎は顔を綻ばせた。
「隊長、禽夜って誰なんですか」
「あたしが昔お庭番やってた時に幕府にやってきて、あっという間に高官にのし上がったカエルよ。これがまた差別的なヤツで、地球人なんて塵とも思ってない。金の亡者だしあくどいことが好きなヤツだったから、春雨とつるんでても不思議はないわね」
百合はそのままソファに座りこんで、あーそうかーと呟いては一点を見つめている。深く考えるときの百合の癖だ。
禽夜が春雨とつるんでた、ってことは転生郷があんなに出回るようになったのにはカエルの力もあるってことか。別にカエルは警察機構には絡んでなかったけど、圧力をかけるぐらいなら出来るはず。見返りに金をもらったりしてね。カエル金が好きだったもんなぁ。ってことは、春雨っていう武力がなくなった今のカエルが叩き時なんじゃない…?
百合はやがて顔に笑みを浮かべだした。隊士たちは何が起きるかと眺めている。
「あのカエルねぇ」
「はい」
「大昔、あたしがまだ子どもだった頃に一度守ってやったことがあンのよ」
「お庭番衆の頃ですか」
頷いて百合は過去を紐解く。お庭番になって五年、それなりに実績も力もついてきた百合に出された指令は禽夜の警護だった。あくどいことをやっていた禽夜を目の仇にしている浪士たちは多く、襲撃予告があったので守れということだった。襲撃自体は単調なもので、百合にとってはたやすい仕事だった。しかし、守っている禽夜の態度の悪さに百合はほとほと手を焼いていた。そこにいろ、といっても大人しくしていない、あれが欲しいこうしたいだの駄々をこねる、あまりの態度の悪さにキレた百合が刀をちらつかせると禽夜は黙って大人しくしていたが。
「あのカエル、大人しく守られてればいいのにああだこうだわがまま言ってね」
「…どうしたんですか」
「黙らせたわよ。だって警護の邪魔なんだもの」
邪魔でも警護する相手なんじゃ…と思ったが誰も口には出さない。
「その頃まだカエルはそれほど位が高いわけじゃなくて、単に天導衆のお取り巻きに過ぎなかったから、少々手荒な真似してもお咎めなかったけどね」
あの頃あたし若かったからー、と言って百合は笑う。
「…カエルを叩くわよ」
「百合さん、それ」
百合はにっと笑って指を唇の前で立てる。オフレコ、のポーズだ。
「局長命令でもなんでもないわ。警察として犯罪者を見過ごせないだけよ」
いやその過去の因縁もあるだろ絶対…と一人の隊士は思ったが口には出さない。
「これはあたしが個人的にやりたいことだから、ちょっといろいろ調べものするわね。もしカエルがまだ転生郷を持っているんなら、カエルを捕まえられるわ」
「でも上が守るんじゃ…」
百合は笑ったまま頷いた。
「利用価値のある間は守るでしょうよ。その価値がなくなったら、すぐに捨てられるわ、あんなカエル。ヤツは高官とはいえ天導衆の部下にすぎないのだから」
隊士たちは百合がしようとしていることが分かって、ごくりとつばを飲んだ。百合は、禽夜の利用価値を無くさせようとしている。一人の幕府高官を一介の警察官が失脚させようとしているのだ。
そのとき、百合の携帯が鳴った。いつもと着信メロディが違う。
「松平さま?良かった、ちょうど話したいことがあったの」
『おう元気そうだな姫。近藤に知らせる前にお前に知らせておこうと思ってな』
「何を?」
『禽夜ってヤツ憶えてるか。あくどいカエルだ。そのカエルがなァ、海賊春雨とつるんでやがった』
「うん、それは私も知ってる。部下が調べてきたよ」
『優秀な部下を持ってンなァお前。んで、カエルが麻薬密売にあたって便宜を図ったってことがそろそろ隠し通せなくなってきてなァ』
「……うん。だって事実でしょう」
『まァな。で、攘夷派の浪士どもが禽夜抹殺を企ててるってェ話だ』
「…あたしたちにあのカエルを守れ、と?」
『ああ。最低なヤツだがそこは我慢しろよ、仕事だからな。姫の話ってのは何でェ』
「そのカエルの話よ。もし…もし、カエルがまだ麻薬を持っているようなら、捕まえて欲しいの」
麻薬をとうに捨てているのなら、カエルと春雨を繋ぐ証拠はなにも無くなる。元より、春雨がつぶれたことでその他の証拠や証人は今頃処分されていることだろう。麻薬をまだ売るつもりで持っているのなら、百合に勝ち目がある。
百合の言葉に電話向こうの松平は押し黙る。
『姫、お前なァ』
「カエルに利用価値がある間は上が守るってのは分かってるわ。だから、こっちが利用価値を無くさせるから、捕らえて欲しいんだけど」
『…どういうつもりだ』
「なんかねぇ、あたしも警察官じみてきたっていうか、不正が許せない性質になっちゃって。手が出せないンならともかく、届く範囲のヤツは捕まえたいのよ」
剣の届く範囲を守ると銀時が言ったように。
松平は再度押し黙って、ため息を吐いたのが電話口でも分かった。
『姫にゃァ借りがあるからな。それぐらいならしてやるぜ』
「ありがとう、松平さま。あたしが追い詰めるから、松平さまは最後に捕らえてくれればいいわ。…どうしても逮捕せざるを得なくさしてやるから」
その言い方に松平は聞き覚えがあり、電話口で薄く笑った。戦姫がターゲットを追い詰めるときのやり方だ。逃げ回って隠れまわるターゲット相手に、戦姫はどうしても出てこざるを得なくさせて、出てきたところを瞬殺する。単純に戦うことでも百合は強かったが、こうやって追い詰めることが得意でもあった。
『あんま無茶すんなよ。…お前の仲間が泣く』
「…うん。だから、しばらくあっちは無理かも」
『…そう緊急なのはねェ。気をつけてやれよ』
「了解。じゃあね、松平さま」
『おう』
電話を切った百合はにこっと微笑んで山崎に声をかけた。
「山崎、松平さまが褒めてたよ。優秀だって」
「あ、ありがとうございます!」
一介の警察官が警察長官に褒められることなどまずない。山崎は身体に芯が入ったように直立した。
「松平さまのオッケーも出たし、動きますか。…真撰組にカエルを護れっていう命令がそろそろ下るはずよ。そうしたら、みんなで手分けしてカエルの屋敷を調べてちょうだい。麻薬が見つかったら、そこを荒らさずに保管して、立ち入りを防いで。何があっても、その場所だけは死守して。きっと浪士が来て戦闘になると思うけどそれでも、よ。それから先はあたしと松平さまの仕事」
「…隊長はどうされるんですか」
「カエルを叩くのよ。数日後の新聞が面白いことになるわ」
百合はそう言って詰め所を後にした。自室に戻り、数日分の荷物と隊服をまとめて一つにし、頭の布を元のように巻きつけてから、忍装束で屯所を後にした。
→next第六訓『カエル触れたら一人前って、お前それ毒カエルだって!死ぬよ!』
いかがでしたか。第五訓。桂に逃げられてしまいました。一度ぐらい捕まえてみたいもんです。次はカエル捕り物帳。真撰組出てくるなかでも好きなシーンなんで気合入れて頑張ります。百合さんと松平のとっつあんは二十年の付き合いがあるのでとても仲が良いです。なんか原作沿いなのに気がついたら百合の姉御の捕り物帳みたいなことに……ラブロマンス、って、つおい?
お付き合い有難う御座いました。多謝。溶けるのは春雨もどきで、緑豆で出来た本物の春雨は溶けないんですよー。
2005 12 2 忍野桜拝