Happy Holidays  the second day

 

 

昼食をとった後で、私があてがわれていた部屋に今まで世話をしてくれたメイドさんたちではない、別の人がやってきた。男の人と女の人。
「秋月さま、パーティでご着用なさるお着物を見せていただけますか」
「ええ…」
頷いたものの、何故見せなければならないのか分からず、不思議に思いながら、衣桁にかけてもらった振袖と帯を見せる。二人のうち、片方は眼鏡を指でくっと押し上げて、振袖を眺めていた。
「これは、良い品ですね」
「ありがとうございます。あの、どうして今着物を…?」
二人揃って顔を上げ、揃って頭を下げる。
「失礼致しました。私どもは、跡部家のスタイリング等を担当しております。本日のパーティで秋月さまが着物をお召しだと景吾さまにお聞きしまして、秋月さまのお着物に合わせて景吾さまのスタイリングを致したいと思ったものですから」
「…そうだったんですか」
スタイリストがいたこと自体が驚きで、開いた口が塞がらない。そっと手で隠しながら、改めて跡部という家の凄さを知る。確かにすごい大きな家で、やっていること(商業)の規模も大きい。けれど、家に専属のスタイリストがいたとは。ひょっとして、所作の先生とかもいるんじゃないだろうか。フィニッシングスクールみたいな。
「このお着物ならば、景吾さまにはあれがいいんじゃないだろうか、濃紺の」
「ええ。私もそう思いました。でしたら、タイは…」
景吾の私服はいつもシンプルで、品もあるし彼にとてもよく似合っている。けれど、景吾がいつも着るものまでスタイリストに任せているとはとても思えなかった。こと自分に関して、彼はとてもプライドが高い。
「…秋月さま」
「はい」
「お着物の着付けはご自身でなさいますか」
「もしよければ、お願いしてもいいですか。あの帯は一人で結べなくて」
扱いやすい、柔らかい帯ならともかく、良い織の袋帯は、結ぶのに力が要る。彼らは笑って頷いた。
「もちろんでございますよ。髪とお化粧も致しましょうか?」
「ええお願いします。髪飾りはいくつか持ってきていますので、良ければお使い下さい」
「はい。それでは、夕食の後にまた伺いますね」
彼らは失礼します、と頭を下げて去っていった。思わず、長い息がもれた。ケタが違いすぎる。普段、景吾といてもその違いを思うことはあるけれど、この二日間でずいぶんと思い知らされた気分だ。だからといって、それが何かに影響するわけではないけれど。





昨日よりも早めの夕食を済ませ、景吾の部屋に居た時、外からノックが鳴らされた。ビバルディの音を絞る。
「景吾さま。秋月さまはこちらでしょうか」
「ああ。もう準備する頃だな」
景吾はちらりと壁にかけてある時計を見上げ、頷く。時計は八時半を過ぎていた。
「ずいぶん早いのね。年越しのパーティなんでしょう?」
「気の早いゲストは十時過ぎには現れるからな。ホストの俺たちは早めに準備することになってる」
「分かったわ。じゃあ、着替えてくるわね」
迎えに来たスタイリストさんは景吾に服を手渡して、扉を閉める。後ろをついて部屋に戻った。部屋にはもう一人のスタイリストさんが待っていた。
「お待たせしました。始めましょうか」
足袋を履いてから、長い髪をとりあえず結っておだんごを作る。服を脱いで肌着を身につけてタオルをウエストに巻き、襦袢を身につけ(長襦袢を着るまでは男のスタイリストさんには後ろを向いてもらった)、襟を調える。おはしょりを作って上から紐で締めて、振袖を纏った。袖を合わせ、正中を合わせて襟を合わせる。腰で一度紐を締め、おはしょりを作ってから伊達締めで締める。たるまないようにぴしりと整え、スタイリストさんが袋帯を手にした。
「それ、初めて締めるので硬いと思います、大変でしょうけどお願いします」
「分かりました」
二人で分担して、手際よく締めていく。どんな締め方にするのかと思っていたら、ふくら雀の変形版、花結びになっていた。華やかだけど落ち着きもある。金地に刺繍のある帯の、て先が花になっていて、花の部分には朱色の紐が結ばれている。
「帯締めや帯揚はございますか?」
「ええ、あの鞄に全部入ってると思います」
紺の帯締めに、朱色の帯揚。帯止めをつけようとしたスタイリストさんは、急に手を止めた。
「…?それではやはり変でしたか?」
あまり持っていない帯止めから数個持ってきていたが、どれも半貴石で、実は格が合わない。礼装である振袖なら、五大石ぐらいのレベルが要るのだ。着物は好きで着ているけれど、あまり格式ばった着方をしてこなかったのが裏目に出た格好だ。
「少しお待ち下さい」
一人が部屋を出ていく。残った女性のスタイリストさんが、先に作っていたおだんごを解いて髪を梳かし始めた。櫛を何度も入れているうちに、さっき部屋を出て行ったスタイリストさんが戻ってきた。
「こちらなどはいかがでしょう」
桐箱に入れられていた帯止めは、ダイヤモンドで出来ていた。親指の先ぐらいはある。
「え、だって、これ…」
ダイヤモンドで、この大きさならば、相当するだろう。戸惑って顔を上げると、持ってきたスタイリストさんは笑う。
「これは奥様の品で、今日はお召しになられませんので、是非にと仰っておられました。いかがでしょうか」
「……」
分不相応、という言葉が頭を過ぎる。普段からこれぐらいの格で育っているのならばともかく(たとえば景吾はそうだ)、ただ招かれたにすぎないのに、そこまで装ってもいいものかどうか。けれど、お断りしてしまうと、景吾のお母さんやスタイリストさんの善意を無にすることになる。一緒にホストとして並ぶのに、私だけ格の低い装いというのも、ゲストから見たらおかしいものだろう。
「…分かりました。お願いします」
一つ瞠目することで懸念を押しやって、スタイリストの人に返事をした。彼は笑って頷いて、帯締めに帯止めを通した。女性のスタイリストさんは髪を結い上げて、逆毛を立てている。化粧まで全部お願いして(いろいろ化粧のコツを教えてもらった)、全ての準備が終わったのは九時半になっていた。十時過ぎにはゲストが来るかもしれないと言っていたから、丁度いい時間だろう。
鏡台で姿を確認し、二人のスタイリストさんに笑顔でオッケーをもらう。全てが終わってしばらく、部屋の扉がノックされた。強めに三回。景吾だ。
「入るぞ」
景吾は返事を聞く前に入ってきて、私の姿を見た途端に少しだけ目を丸くした。景吾は濃紺のタキシードを着ていて、黒の蝶ネクタイを締めている。髪はゆるいオールバックになっていて、手でかきあげただけのような、ラフな感じが似合っていた。
「前見た帯も良かったが、これのほうが似合うな」
「そう?良かった。全部していただいて、本当に助かったわ。景吾の御家にスタイリストさんまでいるとは思わなかったけど」
「ああ?スタイリストは、たまにしか来てねぇな。公式の場合だけだ。親父はどうか知らないが」
「…それでは私どもはこれで。失礼します」
スタイリストさんたちは出て行って、扉をぱたんと閉めていく。景吾は私の周りをぐるりと歩きながら、全身くまなく眺めるので、なんだか気恥ずかしくなってきた。
「あんまりじろじろ見ないでよ」
「お前、もうしばらくしたら、嫌って言うほど周りから見られるんだぜ。これぐらい慣れろ」
くくっ、と喉にこもった笑い方をして、景吾はにやりと口の端を上げた。ああ、全くもう。すっと景吾の腕が腰に伸びた。
「そろそろ一階に下りておかねぇとな。行くぞ」
「ええ。…景吾」
「ンだよ」
大きな階段をゆっくり下りながら、景吾を見上げる。景吾は言葉のわりに優しい目でこちらを見た。
「言葉に詰まったら助けてね」
「さァな…お前ならなんとかなるだろ」
「景吾は自分が出来ることは皆出来ると思ってるんだから…」
「百合のことを認めてんだよ」
景吾は先に降りて、私に手を差し伸べた。軽く手を重ねて階段から降りる。今まで行ったことのあるダイニングや朝食室、リビングとは逆の方向に歩き出した。
「そういえば、パーティってどこでやるの?」
「広間だ。玄関から直接繋がってるな」
広間につくと、忙しそうに働いている人たちに混じって、セッティングを確認するようにゆっくり歩いている男女が一組。景吾のご両親だ。景吾のお父さんはブラックのタキシード、お母さんはブルーのイブニングドレスにセーブルのショールを巻いている。
「あら、百合さん」
景吾のお父さんは執事らしき人に何か言っていて、お母さんがこっちに気づいて歩み寄ってきた。景吾と重ね合わせていた手をすっと外して、一礼する。
「話には聞いていたけれど、本当に素敵なお着物ね。帯もよく合って。…その帯止め、使って下さったのね」
「私なんかには本当にもったいない品を、お貸し頂いてありがとうございます」
「いいのよ。私はあまり着物を着ないから、その帯止めもあまり使ってなくて。使ってもらったほうがいいのよ。もし宜しければ、差し上げましょうか?」
「……!!」
話の成り行きにびっくりして、二の句が告げない。だって、これ、ダイヤモンドなのに!!親指の先ほどもあるダイヤモンドなんて、見たのも初めてなら着けたのももちろん初めてで、値段なんて分からない。とりあえず、私の年収よりはるかに高いことだけは確かだ。一生働いても無理かもしれない。
「…母さん。百合が驚いてるだろ」
「あらあらごめんなさい。私よりよっぽど着物がお好きだと聞いたから、使っていただけるなら、そのほうがいいかと思ったんだけれど…。ものには順序があるわよね」
景吾がフォローに入ってくれて、お母さんはころころと喉を軽やかに鳴らして笑う。
「じゃあ私は厨房を見てくるわ。景吾、しっかりエスコートするのよ」
「ああ」
景吾のお母さんは凛とした姿で去っていった。なんだか、長い息が出てしまう。
「すまねえな。あの人、しょっちゅうあんな調子なんだ。物に執着がねェのは長所だと親父は言うがな」
「それは良いことだと思うけど、これはさすがに貰えないよ…」
首を下にやって、帯止めを見る。広間の光に煌いて、ダイヤモンドはまばゆい光を放っている。ダイヤモンドを持っていないわけではないけれど、それは二十歳のときに記念で買った小さなピアスで、そのピアスが幾つ集まっても、こんな大きな塊にはならないだろう。同じダイヤを揃えるのも、と思ったので珊瑚のピアスをつけている。珊瑚が花の形に彫られているもので、沖縄旅行に行ったとき自分に買ったものだ。グラスを傷つけては大変なので、指輪もブレスもしていない。
「そういうもんなのか。俺としちゃ、お前がつけてるほうがいいがな」
「また気楽にそう言うことを言うんだから…」
ため息をつきながら、広間を見やる。テレビなんかで見る、宮殿とかの大広間をちっちゃくしたような感じで、でも、私の実家がすっぽり入るぐらいの大きさがあった。シャンデリアが吊ってあって、テーブルにはキャンドルが用意されている。
「景吾さま、秋月さま、そろそろ玄関にお願いいたします」
「分かった。行くぞ」
頷いて、小さく唾を飲み込んだ。嫌でも緊張する。玄関にはご両親の姿もあった。景吾と一緒に並んでゲストを待った。








玄関に並んでしばらくして、最初のゲストが現れた。いきなり英語で景吾のご両親と挨拶しだしたのでちょっと怯んだけれど、なんとか会話することが出来た。一組目のゲストと挨拶が終わった後、景吾とご両親が対応を褒めてくれたので、それからは少しゆとりを持って接することが出来た。何組ものゲストを迎え、寒くなってきた頃に、執事の人がやってくる。
「お客様、全員お揃いでいらっしゃいます。ご挨拶をお願い致します」
「分かった」
玄関を閉めて、広間に向かう。広間は人が大勢いて、私たちを見ると(というか、見ているのは景吾とかご両親なんだろう)笑って目礼をするので、こちらも笑みを湛えたまま礼を返す。常に誰かに見られている感じがする。
「……変な気分…」
テレビで皇室の人やイギリスなんかの王族の人たちが、国民に向かって手を振ったり笑顔を見せたりしているけど、その人たちの気分が少し分かる気がした。放っておいてもらえないのだ。ひっそりしていたいと思うのに。けれど、景吾はずっとそういう世界で育ってきたんだろう。
「やっぱり、着物はお前一人だな。よく映える」
景吾の読み通り着物は私一人で、玄関でゲストを迎えたときにも、着物ということで質問攻めにあったり『ファンタスティック!』と叫ばれたり抱きしめられたりしたものだった。好きで着ているけれど、こうやって人に喜んでもらえるのは嬉しいことだ。もちろん、景吾が喜んでくれるのが一番だけど。
雛壇の下に景吾のお母さんと一緒に並び、スタッフからグラスを受け取る。見るからに薄いクリスタルのグラスで、持つのに緊張した。中に入ってるのはもちろんシャンパン。
『──乾杯!』
日本人はホストと数組のゲストだけ、ということで挨拶も全て英語だった。隣の景吾と軽くグラスを近づけて乾杯し、一口だけシャンパンを飲む。美味しい。
「…美味しい。ねえ、パーティのホストって何をすればいいの?」
「別にお前は何もしなくていい。ホストの仕事は親父やお袋がやる」
景吾の視線の先には、ゲストと笑顔で話しこんでいる景吾のお母さんの姿。
「じゃあ、景吾はいつも何をしてるの?」
「適当に挨拶してるだけだな。先々顔見せておいた方がいいゲストもいるから、常に会場に居るようにはしてるが」
「そしたら、私は?」
景吾はちょっと私を見て、やがてふっと笑った。
「お前は、俺の傍にいればいい。離れるなよ」
「分かったわ」
頷いて、もう一口シャンパンを飲んだ。細かな泡が喉をすべり降りていった。






いろんな人を景吾に紹介されて、景吾はその度に私を『パートナー』だと先方に紹介していた。その響きが嬉しくくすぐったくもあるけれど、私でいいのか、ともちらりと思う。あまり考えないように、会話することだけを考えているけれど。
あっという間に時間が経って、新しくグラスが出席者に配られる。
『もうそろそろ新年になります。あと30秒』
その声を合図に、広間がふっと暗くなる。歓声が上がった中、不意に腕を捕まれた。
「景吾!?」
「こっちだ」
広間に明かりが入らないように、繋がっている廊下も暗くなっていた。広間を抜け出て廊下を通り、テラスに出た。家の明かりが消されていても、テラスには月明かりがこぼれ落ちている。
『10、9、8、7、6、5、4、3、2、1…』
広間でのカウントダウンが漏れ聞こえてきた。どちらともなく微笑んで、グラスを近づける。
『新年おめでとう!!』
「明けましておめでとう、景吾」
「ああ」
景吾はシャンパンをくっと飲み干して、空のグラスを持った手で私を抱き寄せる。広間のほうでは、音楽がかかっていた。
「…抜けるぞ」
「え、ええ?」
耳元でそう囁いたかと思うと、景吾はテラスの脇にある階段を降り始める。
「部屋に戻るの?」
「ばーか、違ぇよ」
閉められたままの玄関には、なぜかジャガーが一台停まっている。これは景吾がよく使う車だ。
「え…」
いつもの運転手さんが後部座席を開けて、私はそこに座らされた。いつもの景吾のサプライズにしては、先が読めない。一緒に後ろに乗るのかと思いきや、景吾は運転席に座ってシートベルトを締めている。
「ねえ、どこに行くの?」
「さぁな」
「行ってらっしゃいませ」
運転手さんはそう言って頭を下げる。景吾は一言彼に返しただけで、車を発進させてしまった。すべるようになめらかに走り出す。
「少し時間がかかるから、お前は寝てろ」
「そんな、景吾が運転してるのに。でも、ねえ、どこに行くの?」
「着けば分かる。…そうだな、今なら飛ばせば三時間ちょいで着くな」
車は走り続けているし、景吾は行く先を教えてくれないし、でも私だって降りる気は毛頭無かった。
「百合」
「なあに」
景吾はちょっとだけ隣の車線を気にしてから車線変更をした。追い越し車線。
「お前は初めてあんな場所にいたから、疲れてるはずだ。俺のことは気にしなくていいから、休んでろ」
「…分かったわ」
本当は、運転してくれている景吾のために起きていたかった。でも、景吾が言うことももっともで、体験したことのない緊張にさらされた私の身体は休息を求めていた。
革張りのシートに少しもたれかかるようにして、目を閉じた。東京から三時間掛かる場所。それは、どこなんだろう。



いかがだったでしょうか。このシリーズの宿命なのか、私の書き方が悪いのか、名前変換が少なくてごめんなさい…。とりあえず、跡部家はこんな感じで。親と確執があっても面白かったのですが、今回はこんな感じ。
次回で跡部と過ごすHappyHolidaysは最後になります。宜しければ、お付き合いください。

お付き合い有難う御座いました。多謝。
2006 1 14 忍野桜拝












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