Étolie sérénade Le septième mouvement

 

四月下旬。恐怖の身体検査も何とか(主に鏡夜の家の力によって)クリアしたホスト部に、また一つ騒動が持ち上がった。
『常陸院兄弟に暇を与えるべからず』
この言葉は後にホスト部員の脳裏に深く刻まれることとなる。
終礼が鳴り響く校舎を、環が猛ダッシュで走っていた。いつも朗らかな環が必死の形相を見せているので、行き交う生徒たちは何事かと環の顔を見ては通り過ぎて行く。北廊下の突き当たりにある第三音楽準備室の扉を勢い良く開け、開けたと同時に怒鳴り込んだ。
「光!!馨!!」
「環先輩」
準備室で双子と一緒にチェスをしていた百合が顔を上げ、にっこり笑んでみせるも環にはそれに笑顔を返す余裕が無かった。
「部のHP管理は真面目にやるという条件でまかせたんだったなぁ…」
環は握り締めた拳を震わせるほどの怒りようで、初めてそんな環を見る百合は半泣き状態だが、双子は全く動じない。
「ハァ〜?やってますぅ」
気だるげにそう返したのは光で、傍にいた馨は百合との間にあるチェス盤の駒を動かしてから、顔を上げた。
「だから昨日だって明け方までかけて…」
「「ハルヒと百合の合成写真作ってたんじゃん。なつかしいフレーズにのせて」」
ほらね、と二人が指差すノートパソコンの画面には、百合とハルヒの上半身裸(下はジーンズ脱ぎかけ)のツーショット写真が映っている。写真には『脱いだらスゴイんです』の文字。
「!!!?」
「きゃぁ!」
パソコンを覗き込んだハルヒと百合は全く正反対の反応を見せた。ハルヒは青筋立てながら凝視しているが、百合は一瞬目を向けただけで、顔を両手で覆ってしまった。既に悟の状態になっているので、短い髪から覗く耳まで真っ赤になっているのが傍から見ても分かる。
「ひゃー、百合ちゃんにハルちゃんかっこいー!!」
光邦は単純に感嘆しているが、百合が顔を両手で覆ったまま小さく震えているので心配になって近寄っていった。
「百合ちゃん、大丈夫?」
「…みっちゃん…」
応える百合の声はかぼそくて、光邦は困り顔で眉を寄せた。崇はまだ剣道部に出ていていない。
「百合、気にしちゃだめだよ。あの双子の遊びなんだから。ね」
ハルヒが心配そうに声をかけると、百合はややあって顔を上げる。環は大声で双子に説教中だ。
「馬鹿者ォ!!!!技術の無駄遣いだ恥を知れ!!!」
もともとの写真は環と鏡夜のツーショット写真で、顔の部分を百合とハルヒに合成したものだ。ハルヒのほうが百合より幾分背が高いので、背の高い環の身体にハルヒの顔を、少し背が低い鏡夜の身体に百合の顔を合成してある。
「あ、あのね…」
百合は言いにくそうに唇をもごもごさせた後、ハルヒを手招きしてそっと耳元でささやいた。
「男の人の裸なんて、見たの初めてなの。だから、どうしていいか分からなくて…」
「ああ、そういう…」
ハルヒは双子のせいで百合が泣いたわけでないことが分かり、少々ほっとしたが純粋培養っていうかここまで来ると本当に天然記念物だな、と思いながら百合の背を撫でた。
「小さい頃お父さんと一緒にお風呂入ったりとかしなかったの?」
百合は首を振った。現当主である父親と仲が悪いわけではないし、愛されていないわけでもないが、秋月家にはそういう習慣がない。
「お父様はお忙しい方だし、お風呂にはメイドさんに入れてもらっていたわ」
「…今は?」
好奇心のみでハルヒが訊ねると、百合からは恥ずかしいから一人で入っている、と返ってきて、なぜかハルヒはほっとした。ハルヒと光邦が百合のケアに追われている間、なぜか環は双子に耳打ちして頼みごとをしている。
「やるならこのアイドル写真集と合成しなさい。百合はこれで、ハルヒはこっち」
「こんなの本人に着せたほうが早いよ」
「やめて下さい」
ハルヒが怒りながら環の提案を却下したが、環はめげずにキング私物の中からフリフリの服を漁っている。
「なんか最近ヒマなんだよなー。ハルヒおまえん家行っていい?」
「ダメ。どーせバカにするから」
光がそう訊ねると、ハルヒは即座に却下した。
「んじゃ、おまえの女疑惑タレ流していい?ヒマだから。百合でもいいや」
「えっと、その」
「あのね、人を一体何だと…」
馨の言葉に困る百合を助けるように口を挟んだハルヒの言葉に、光と馨はシンメトリーなポーズでにやりと笑ってみせる。
「「決まってんじゃん『おもちゃ』」」
「…おもちゃ…?」
百合が小首を傾げ(人をおもちゃ呼ばわりする意味が分かっていない)、その様に環が顔を赤らめている最中に、重い音を立てて準備室の扉が開いた。扉の向こうは廊下のはずだが、なぜか暗い。暗い廊下の中から扉に姿を見せているのは、黒いフードに黒髪、そして白い猫の人形。
「おもちゃがお好きならぜひ我が部へ〜〜」
「??」
見たことのない光景に百合は目を瞬かせてはこすったりしている。
「悟は初めてか。あの人は、黒魔術部部長の猫澤先輩だよ」
人前とあって、鏡夜は百合のことを悟と呼び、猫澤を紹介した。
「黒、魔術…?」
近代西洋魔術を日本で公に紹介している作家がいるが、高校生にも浸透しているのだろうか。
「知らない?悟。魔女狩りとか」
「知ってる。自分の欲求のために悪魔や悪霊と契約して術を使うのが黒魔術だよね」
黒魔術は社会的に好ましくない欲求に使われることが多く、天使や精霊の力を借りる白魔術は好ましい欲求に使われることが多い。
「…何でそんな詳しいの」
馨は驚き顔だ。
「オーストリアにいるお父様のお知り合いに、ウィッカの方がいらっしゃったんだ。一度お会いしたときに、ご高説を受けた」
ウィッカは魔女狩りに会った魔女(ウィッチ)とは違い、ヨーロッパで認められたシャーマニズム的な宗教の一つだ。魔女を弾圧したキリスト教以前に信仰されていた神々を信仰し、様々な秘術を行う。
「へー。まあウチの黒魔術部はそんな感じじゃないけど」
「世界の古魔道具市開催中〜〜。今ならもれなく素敵呪い人形プレゼント〜〜」
扉の向こうに立っている猫澤は白い猫の人形をはめた左手で手招きをしている。
「なんであんな隙間から…」
「入って来ないのかな」
「猫澤先輩は明るい所がお嫌いだからな。寿命が縮むそうだ。このシャンデリアの明かりは無理ということなんだろう」
ハルヒと百合の疑問に答えた鏡夜はかちゃりと指で眼鏡を押し上げた。
「あの人に関わってはいけない…」
「環先輩!?」
「関われば必ず呪われ…」
いきなり背後でささやきだした環に驚いた百合は声を上げ、ハルヒは身体を震わせた。
「呪われる?」
百合が不思議そうに猫澤を見ていると、懐中電灯を手にした双子が両サイドから猫澤に近づいて、最大限の光量で猫澤を照らし始めた。
「呪い人形って何?」
「これくらいの光は?ダメ?」
「ぎゃー!!!!人殺しィ〜!!!!」
光と馨の攻撃にあった猫澤はあらん限りの声で叫びながら、明かりから逃げようと手をかざしていたが、ややあってぱったりと倒れる。
「わー!光!!馨!!」
慌てる環の後ろで、黒魔術部の部員らしき黒フードを被った生徒たちが猫澤の容態を見ている。
「なんて事を…。おまえらには真の恐怖がわかっていない…!!俺が誤ってベルゼネフの端っこを踏んでしまったあの日…」
ああ、口にするのも恐ろしいが…と震える声で付け足した環は、回想に入っているらしく、口元に手を当てていた。
「直後受けた試験では、わけのわからぬ呪詛のごとき文字が羅列され、不審に思い辺りを見渡せば、見知らぬ人間ばかりの異空間と化していたのだ…!!」
「そんな…」
いつの間にやら黒魔術部員は部長の猫澤含め、皆いなくなっていた。百合は回想で恐れおののく環に悲しげな目線を寄せる。
「それは動揺したお前が勝手にギリシャ語講座の試験を受けてただけだ」
大騒ぎする環と寄り添う百合の後方で、鏡夜が冷静に解説した。ハルヒは鏡夜の解説に、呆れ返った目で環を見る。
「違う!!呪いだ!!その三日後の朝はなぜか足が鉛の様な重い物体と化し」
「前日がマラソン大会だったろう?ね?」
鏡夜に訴えかけるようにすがる環だが、冷静に鏡夜に諭された。百合は真相が呪いでないことを知って、ほっと胸をなで下ろした。
「「そういえば…猫澤先輩の悪口を言った者は×××が△○☆に…」」
「わー!!!!ハルヒ!百合!おとーさんの×××を見てくれェェェ!!!!死んじゃうよゥ〜〜!!!!」
「…?」
必死に環から逃げるハルヒとベルトの金具に手を当てる環を止めようとしている光邦を見て、百合は首を傾げた。全員がはっと百合を注視する。
「ひょっとして百合…」
「あの、××…むぐ」
「やめなさい、百合!女の子がそんなこと言っちゃダメだ!」
百合は知らないものを訊ねようとしただけなのだが、言いかけたところで環の手に口を塞がれた。
「んー…っ」
「保健体育とか受けて…って、学校に来たの最近からだもんな、知らないか」
ツッコミを入れようとした馨だが、百合の事情を思い出し、ため息をついた。環にいまだ口を塞がれている百合の頭を撫でる。
「殿、強く押さえ過ぎ。あのね、百合。家に帰った後で、家にいるメイド長とかばあやさんとか、ともかく女の人に聞くこと!分かった?」
百合は馨の言葉に神妙に頷いた。人前で女性がみだりに言ってはいけない言葉だったらしい、と理解できてなんだか顔が暑く感じられる。
「ほら、殿、離してあげてよ。百合が苦しそうでしょ」
馨はそのまま環の手を離し、百合の乱れた髪を直し始めた。
「家で勉強してたんだろ?誰か教えてやればいいのに」
「お前、一対一でそういった生殖に関する事情を中学女子に説明する勇気があるのか?」
百合をかまう馨が不満なのか、ふて腐れる光に対して鏡夜が突っ込むと、光はしばらく黙って諸手を上げた。
「んー…進んではやりたくないかもね。百合の周りの人もそうだったんだろうけど、ここまで純粋培養だとなんか犯罪とかに遭いそう」
あくまで光は他人事だ。馨は納得のいくスタイリングが出来たらしく、百合に手鏡で見せている。
「なんか面白い事ないかねー」
光が窓際の椅子に腰掛けてため息をつくと、すぐ傍の椅子に馨が腰を下ろした。
「ハルヒも部に馴染んできたし、百合も慣れてきたしねー」
つまらなそうな双子に拳を震わせた環が近寄る。
「…光…馨…、ちょっと来い…」



その日のホスト部営業時間。お客の女生徒たちは『接客禁止』『しゃべるな動くな』の張り紙をされている双子を不思議そうな顔で見ていた。
「ねえ、悟くん」
「何でしょう?」
お茶を運んでいた悟を呼び止めたのは、いつも双子を指名しているお客だ。
「光くんと馨くんはどうしたのかしら?」
「…諸事情で部長に怒られまして。反省するように、とのことですよ」
「まぁ…おかわいそうに…」
お客は悲しげな目線で双子を見つめる。すぐ傍のテーブルではハルヒが接客についていた。
「ねぇねぇハルヒくん。右分けが光くんで左分けが馨くんなのは分かるんだけどー」
「他に分かりやすいポイントってないかしら?」
髪型変わると分からなくって…と小首を傾げるお客に尋ねられ、ハルヒは傍に立っていた百合に声をかける。
「悟はどう思う?」
「うーん…私には全然違って見えるんですけどね。…馨のほうがちょっとだけ落ち着いてる、ような気がします。ハルヒは?」
「強いて言えば…光の言動のほうが一割増し性格悪そうですよ?」
「そうかなー?」
悪気が全く無いハルヒの言動に首を傾げた百合だったが、双子が座っている椅子周辺ではなにやらどす黒い空気が漂っていた。
「…適当言わないでよ。光の我儘につき合ってんのは僕だろ」
「言いだしっぺは僕でも掘り下げんの馨じゃん。イヤなら止めろよバカかおまえ」
普段が兄弟愛をテーマに売り出している双子なので、双子のかもし出すあまりに険悪な雰囲気に、音楽室中のお客と部員(鏡夜除く)が息をつめて見守っていた。
「あまりに光がアホで見てられないからだろ。大体おもちゃとかいいつつさぁ…光、ホントはハルヒのこと好きなんじゃないの〜〜?」
「ハァ!?そんなこと言ってる馨だって悟のことが好きなんだろ?」
「何ィ!?」
二人の父親を自負する環はあまりの展開についていけない。鏡夜は光が百合、と口走らなかったことに人知れず胸をなでおろした。
「光、明らかにハルヒによく触ってるしさ、おもちゃとか言うのも小学生みたいなアレじゃないの?」
「馨のほうこそ悟によく構ってるじゃん。さっきだって悟の髪触るとき嬉しそーでさー、にやにやしちゃってダッセーの」
「二人とも、言っていいことと悪いことがだな…」
環が止めようとしているが、双子は全く聞かずに言い合っている。百合が少しだけまなじりを下げて双子を見ている様を光邦と崇が全く別のテーブルから見ていた。
「いい加減にしろよ、僕よか数学弱いくせに!このチビ」
「光はもっと語学系勉強したほうがいいかもね!このデブ」
真正面から向かい合って双子はぎゃんぎゃんと言い合いを続けている。
「人の布団にいつも入ってきやがって、いーメーワク」
「光が寂しそうだから仕方なく添い寝してやって」
「馨の歯ぎしりが」
「光の寝相が」
「いちいち風呂覗いてこのヘンタイ」
「エロガッパ」
飛び交う双子の言葉に、お客の女生徒の一部は顔を赤らめて成り行きを見守っていた。お互いを罵っているのだか、暴露をしているのだか、さっぱり判断がつかない。
「「絶交だッ!!!」」
荒い呼吸の後に二人はそう互いに言い合って、顔をそらしてしまった。
「……」
百合は立ち尽くしたまま、ぱちぱちと瞬きをしながら双子の様子を見つめる。本当に対等な友だち、というのが光邦と崇しかいなかったせいもあるが、百合はケンカらしいケンカというものをしたことも見たこともほとんど皆無だ。親子ケンカならしたことがあるが、兄弟ケンカだとか友だち同士のケンカだとか、対等な間柄でのケンカをしたことのない百合は間近で目にしたのも初めてだ。瞬きしたついでに少しだけ目を眇めて二人を見やる。
いつも明るい色の空気に包まれている二人なのに、今はかなり澱んだ色に見える。澱んだ色にいつもの明るい色や初めて見る色が混じっていた。第三音楽室内の空気も、二人に引きずられていてあまり柔らかではない。
双子が絶交してしまって、それを心配するお客があまりに多い上に、部員にも多少の動揺が見られたので鏡夜はいつもの閉店時間を切り上げて早々に閉店することにした。双子は先に立ったほうが負け、とでも言うように長椅子から動かない。
「ちょっとどいてよ。掃除の邪魔」
「「……」」
ハルヒの声に一瞬だけ目線を交し合った二人だが、頑として立とうとしない。困った顔のハルヒが百合を見て、ため息をついてみせる。
「馨、ちょっといいかしら?」
助け舟を出すつもりで馨に声をかけた。馨は驚いた顔で動かなかったが、にっこり笑ってみせると仕方ない、とでも言いたげな表情で立ち上がる。光は何も言わずにそっぽを向いて馨のほうを見ようともしない。
「なんだよ」
「ちょっとそこの椅子を持って欲しいの。下を掃きたくて」
「ん」
アンティークの椅子を示すと馨はそのまま持ち上げて百合が掃くのを待っている。さっとモップで掃くと馨が丁寧に椅子を戻した。
「こういうのは殿とかモリ先輩に言ってよね。アンティーク家具ってしっかりした木で出来てるからけっこう重いんだよ?」
「今度からはそうするわ。でもありがとう」
唇を尖らせて主張する馨にそう返すと馨はふっと顔をそむけてしまう。
「馨?」
「別に。…僕もう帰るね」
一人で音楽室を出て行く馨の背中は、なんだかいつもより寂しそうだ。光も今追いかければいいのに、と思って光を見ても窓の外を見たままだった。




常陸院双子がケンカした翌朝。別々に帰ったとはいえ二人は同じ家なのだし、家に帰ってから仲直りしてるといいな…と百合は思いながら登校したのだが、そうはいかなかった。朝にいつもやっているピアノの練習が少し長引いてしまい、いつもより遅く登校してみると、ハルヒを挟んだ位置にあるはずの双子の席に、ピンク色の髪をした光が座っていた。
「…?」
既に一騒動あった後のようで、二人はハルヒを挟んでいがみ合っている。ハルヒは心底迷惑そうだ。
「ハルヒ、ごきげんよう」
「おはよう、百合」
ハルヒは百合の挨拶に少しだけ笑みを見せたが、双子がいがみ合ったままなので、複雑な表情のままだ。
「オハヨ、百合」
「ごきげんよう、馨。大丈夫なの?」
「大丈夫って何が。ちょっと夢見が悪かったけど、優雅に一人寝したし体調は…」
百合は手を伸ばして、馨の側頭部を撫でる。馨は少しだけ決まり悪そうな顔になった。
「ドアにでもぶつかったの?痛そうよ。腰も」
「……別にヘーキ」
抑揚の無い馨のセリフに百合はため息をついて、窓の外を見ている光に声をかけた。
「光、ごきげんよう。あなたもぶつけたの?」
「オハヨ。…別にどーってことないよ。それよりホームルーム始まるから、席についたら?」
「ええ」
光の声に教室の前方を見ると担任の数学教師が教卓につこうとしているところだった。廊下側の一番後ろにある自分の席に戻る。
「秋月様、ごきげんよう」
「ごきげんよう」
笑い返してきたクラスメイトの気配がなにやら澱んでいる。体調でも悪いのだろうか。日直の掛け声に従って起立礼をし着席した後、そっと小声で話しかけた。
「お加減大丈夫ですの?どこかお悪いのではなくて?保健室に…」
「…!!」
クラスメイトは瞠目した後に笑みを作った。
「そ、そんなことありませんわ。お気遣いなさらず」
そう言うのならば、百合にはこれ以上何も言えない。体調が悪いわけではないのなら良かったけれど、ではなぜ澱んで見えるのだろう。小首を傾げながらも教師が言っている中間テストの予定を手帳に書き留めていった。




それからは散々だった。移動教室にハルヒを誘おうと思えば光と馨がハルヒの両手を取り合っていがみ合うし(倉賀野さんに助けてもらって三人で行った)、その後も吹き矢が頬を掠めたり無関係の生徒に水がかかったりして、昼休みを告げる鐘が鳴ったとき百合は次何が起きるかと少々びくびくしながらクラスメイトと一緒に食堂へ向かった。
お昼はいつも食堂で食べている。ハルヒが教室でお弁当を食べているので一緒に食べたい気持ちもあるのだが、ぜひお昼を一緒に、と声をかけてくれるクラスメイトが多く、食堂に行ってばかりだ。家の料理人たちに頼めば弁当の用意をしてくれることも分かっているのだが、せっかく声をかけてくれたクラスメイトの気持ちを無碍にはしたくない。何より、食堂に行けば光邦と崇に会う機会がある。
「あら、ハルヒくんたちだわ。ハルヒくんが食堂なんて珍しい」
一緒にお昼を食べていたクラスメイトの声に目線を入り口に向けると、双子に引きずられるように連れられてぐったりしているハルヒの姿があった。手にはお弁当を持っている。今度双子が何を起こすのか、それがとても怖い。誰かに迷惑がかかることが怖いわけではないし、それで自分が不利益を蒙るわけでもない。ただ、純粋に二人の悪意が怖いのだ。隙あらばお互いをどうにかしてやろう、という感情が傍目からも分かって、見ているだけでとても怖いし辛い。いつも明るい色に包まれている双子が澱んだ色に包まれているのを見るのはあまり好ましいものではなかった。仲直りして欲しいけれど、仲直りってどうやれば出来るのだろう。百合が高校に行きたいと言ったことと髪を切ったことで両親とケンカをしたときには、少しの冷却期間の後に話し合いをして解決した。ケンカをして言い合ったのは一日だけだったし、お互いに相手をどうしようなどど思ったことも何かをしたこともない。だからしばらく後には話し合って、解決策が見つかった。けれど、双子の場合は、相手に悪意が向けられていて、このまま話し合いが出来るとも思えない。
「…でも…」
百合にはどうしても不思議に思えることがあった。おそらく悪意を示すのだろう、澱んだ色の中にいつもとは違う派手な色が見えるのだ。派手な色は初めて見る色で、でも双子がいつもまとっている色にとても近い。双子の中には、お互いをどうにかしてやろう、という悪意の他にも別の感情があるのだ。それが何かは分からないし、きっと上手く訊ねることも出来ない。けれど、きっとそれが解決する糸口なのだろう。双子は本当に心底相手を憎んでいるわけでも、怒っているわけでもないのだ。多分。
双子が注文の度に声を揃えていたが、その度にいがみ合って、どこから来たのか光邦が間に入った。しかしすぐに泣かされて崇のところに駆けていった。崇の傍には鏡夜や環もいる。
「まぁ、ホスト部のみなさんがお揃いね。悟くんだけ姿が見えないけれど…」
ここにいます。とは言えない百合は崇に泣きついている光邦の傍にすごく行きたくてうずうずしたのだが、食べている最中に席を立つなどというはしたないことも出来ず、少しだけいつもより早いペースでAランチを口にした。
百合が食べ終えて席を辞した頃、双子の間では食べ物での攻防がスタートしていて、怒鳴ろうとした環に向かってフォークが飛んでいた。
「!」
硬く目をつぶった百合が恐る恐る目を開けたときに見えたのは、怪我をした環ではなく、正座をして教頭のお叱りを受けている環だった。
「…どうしたのかしら?」
環にフォークが刺さるかも、という想像で目をつぶってしまった百合には事の一切が分からない。首を傾げていると、お昼を食べ終えたハルヒがやってきた。
「ハルヒ。環先輩はどうなさったの?」
「えっと、光の投げたフォークをすごい姿勢で避けて、その避けたフォークがあの先生の食べてるスープ皿に落ちて、先生の顔がスープまみれに」
「まぁ…」
「で、先生は誰がやったのかって言ったんだけど、光も馨もお互いを指して、その間にあの人がいたもんだから、先生はあの人がやったんだと勘違いしてお説教に」
ハルヒの語る事の顛末に百合は口を片手で覆って、まだお叱りを受けている環を見つめる。そしてその環を遠巻きにからかう双子も。双子から澱んだ色がずいぶん減っていて、初めて見る色がひどく強く出ている。そういえば、長椅子で言い合ってたときもこんな感じだったような気がする。
「ねえ、ハルヒ、二人は…」
「いい迷惑だよね、いい加減。大体食べ物を粗末にするなんて」
双子が食べ物を武器?に使ったことに対してハルヒはご立腹らしい。朝からいがみ合う二人の真ん中に立たされているのだ、腹も立つだろう。
「二人は、本気じゃないわよね?」
確かめるような百合の口調にハルヒは戸惑って眉を寄せる。
「…さぁ…あの二人だし…」


ホスト部の放課後は食堂の清掃から始まった。悟はその場に居合わせなかったのでやらなくてもいい、と鏡夜が言ったのだが光邦や崇もやるのだし、百合はいつものように悟の姿になって清掃に参加した。広い食堂をモップで掃く。第三音楽室も十分広いが、全生徒が集まっても大丈夫なように出来ている食堂はもっと広い。京都本邸にある大広間より広そうだ。
「あの二人はどこに行ったんだ…諸悪の根源が」
「終礼の後、気がついたらいませんでしたよ。仲直りをしているといいんですけど…」
百合の希望的観測に鏡夜は首を振った。
「あいつらならもうちょっと策を練るだろうな。公衆の面前で環に恥をかかせて幾分すっきりしただろうが、そもそものケンカの出発点が…」
鏡夜の思考回路に百合は全くついていけない。環に恥をかかせてすっきりする、とはどういうことだろう?環が叱られているときに、双子がまとっている色が様変わりしたことと関係あるのだろうか?
「やっと終わったな。今日はミーティングの日だし、部室に行って休むか」
食堂の清掃を終えたことを教頭に報告し(環だけお小言をもらった)第三音楽準備室に戻る。慣れないことをしたせいで、皆ぐったりしていた。
「…お茶淹れましょうか」
「ああ、頼む」
ぐったりとテーブルに突っ伏す皆を見ながら百合は丁寧にお茶を淹れていく。秋摘みのダージリンをホットで淹れて、小さなチョコレートを添えて環にサーブした。光邦用のケーキをハルヒが取り出して光邦の前に並べている。
「…何故だ…」
ウェッジウッドのクィーンズウェアを前に、環は疲弊しきった顔を上げる。
「奴らのせいで俺達のほうが憔悴しきっている気がする…」
チョコレートを口にいれ、溶かしながら熱いダージリンを飲む環は疲れきった顔だ。
「…この状態が続くようなら兄弟愛設定も変えざるを得ないが…指名率ダウンは確実だな。ペナルティはおいおい考えるとして…ああ、ハルヒ。それに百合」
「はい?」
光邦と崇の前に紅茶を用意していた百合は急に呼ばれて顔を上げた。
「何も責任を感じる必要はないんだよ?たとえ元凶が心ないお前たちの一言だったとしてもね…?」
「え…」
双子がいがみ合って(無関係の他人をも巻き込んで)騒動を起こしている原因が自分?
百合は思ってもみなかった鏡夜の言葉に、紅茶をサーブする手を止めてしまう。傾けられていたポットからはカップの許容量を越えた紅茶が流れ出て、テーブルを濡らし床をも濡らした。
「鏡夜先輩!自分はともかく百合は関係ないでしょう!」
「ハルヒ…」
既に空になっているポットをまだ傾けたままの百合は、怒ったような強いハルヒの口調に出かかった涙を引っ込めようと目頭に力を入れる。崇はタオルでテーブルを、モップで床を拭くために忙しく立ち回っている。百合が気づかないうちにと大急ぎだ。
「確かに自分がお客様と話してた直後に二人がケンカしたから、自分が原因かもしれませんけど、百合は何の関係もありません!不用意に百合を追い詰めるようなことしないで下さい」
崇がそっと百合の手からポットを取り離れた場所に置く。
「…心外だな。事実を言ったつもりだが」
「百合は馨のほうが落ち着いてると言っただけで、それぐらいでケンカするなんてどうかしてる」
「ヒカちゃんとカオちゃんがケンカなんて初めてだよねえー」
険悪になりそうだった鏡夜とハルヒの間に割って入ったのは、いつも通りにのんびりした声の光邦だった。カップの縁すれすれに注がれた紅茶を飲んでいる。
「え、初めて?そうなんですか」
「僕、幼等部の頃から知ってるもん。しゃべったコトはないけど。いっつも二人だけで遊んでたしねえ」
年も二つ違うからあんまり会う機会はなかったんだけどねえ、と言いながらショートケーキを食べ進む。
「ああ…俺は中等部からしか知らないけど、かえって浮いてたよな。自分達以外誰も寄せ付けないって感じで。今より数倍性格ゆがんでたし」
環の言葉に、百合はいつもの双子の様子を思い浮かべた。二人の色は本当によく似ていて、いつも傍にいるから色が混じりあうことさえあるぐらいだ。パーソナルスペースに二人で一緒に入っているような、印象。
「そう考えりゃ喧嘩なんていい傾向なのかもな。少しは「世界」が広がってきてるってことなんじゃないの?ね」
まだ鏡夜の言葉のショックから抜け出せない百合の頭をゆっくりと何度も撫でて、環は少しだけ笑ってみせる。だから気に病まなくていい、悲しまなくていいのだと伝えるように。
「環先輩、待って!」
「この際ほっとくのが一番……」
そう言いかけた環を百合がジャケットの裾を掴んで引き戻す。環の進もうとしていた場所には無数の槍が。
「「…ちっ」」
石膏像に隠れていた双子は揃って舌打ちし、準備室から出て行った。
「やっぱ制裁!!!!」
環も猛スピードで後を追う。ハルヒは環の変わりように唖然とし、百合は急な展開に呆然としているが、鏡夜や光邦、崇たちは全く動じていない。
「百合、なんであれが分かったの?」
ハルヒが床に散らばっている無数の槍を指し示すと、百合はこともなげに笑う。
「二人がそこにいるのは見えていたから、きっと急に出てきて環先輩を脅かす気なんだろうと思って止めたの。そしたらあんなものが出てきて、驚いたわ」
「…見えた?」
光邦は笑顔でチョコレートケーキの最後を口に入れる。ハルヒは首を傾げたままだ。百合は環の声に気づき窓際に近寄った。中庭で双子を追いかける環の姿が見える。
「…ハルヒは、お友だちとケンカをしたことがあって?」
「あるよ。中学の頃はあんましなかったと思うけど、小さい頃はしてた」
「仲直りってどうやってやっていたの?」
「どうやってって、ごめんねって…」
そこまで言って、ハルヒははた、と気がついた。双子は初めてケンカをしたのだという。なら仲直りの仕方なんて知らないに違いない。小さな頃からずっと一緒で、他人を寄せ付けないできた二人には仲直りなんて浮かばないかもしれない。なら──…
「百合、行こう」
「ハルヒ?」
「2人を止めなきゃ。仲直りなんて、きっと2人とも知らない」
「大変!」
ハルヒの言いたいことが分かった百合は小さく声を上げて、ハルヒと一緒に駆けるようにして準備室を出て行く。電卓を叩いていた鏡夜も、ケーキを食べ終えた光邦も、見守っていた崇も立ち上がった。
「僕らも行こう!」


中庭中央には、様々なトラップに綺麗にひっかかった環が青筋立てて唇を引きつらせていた。
「────…で…?トラップはこれで全部なのかな?迷惑兄弟よ」
「馨に」
「光に」
「「聞けば」」
環が追いかけるのを止めたのと髪型が崩れてきたのとで双子も走って逃げるのを止め、環の近くにいる。
「冗談じゃない、迷惑してんのはこっちだよ。馨と顔も何もかも一緒でさ」
「おまえに間違われんのもうんざりだし、ホントはおまえなんて大嫌いなんだよ!!」
「……!!」
やっと双子と環を見つけた百合とハルヒを待っていたのは、そんな光の言葉だった。百合は一瞬顔をゆがめて泣きそうになったが、泣きそうになって半眼になったときにあることに気がついた。二人に澱んだ色がほとんど見られない。いつもと一緒だ。
「…どうしたのかしら?」
小首を傾げる。二人がまとう色と言葉とが一致しない。
「そんなのこっちのセリフだよ…っ!見ろ!!猫澤先輩から入手した呪い人形だ!!」
「後ろに光の名を刻んである。人形が受けたのと同じ苦しみを味わうんだ」
変な色の猫形人形を手に馨が宣言して、人形を高々と持ち上げた。
「ちょっと、いい加減に…」
「ハルヒ下がれ危険だ!!」
止めに入ったハルヒをさらに環が止めようとしている。
「おまえなんかこうして…」
持ち上げた人形を馨が地面に叩きつけようとしたときに、声が上がった。
「馨!思ってもないことを言っちゃダメ!」
「いい加減に…しろ!」
百合は声を上げただけだが、ハルヒは二人の頭を連続して拳で叩く。けっこう鈍い音がした。
「ハルヒ待って、二人は…」
「ただの喧嘩にこーいう物持ち込むんじゃないっ!!2人とも悪いし、周りに迷惑かけるのはもっと悪いよ!!」
ハルヒは百合の言葉を聞かずに説教をスタートさせる。一番迷惑を蒙った環はハルヒの言葉に感動していた。
「ちゃんとごめんなさいしな!!今すぐ仲直りしないと、一生うちになんか来させないからねっ」
「ふぅん…」
「じゃあ…」
「「仲直りしたら行っていいわけ?」」
ぽかん、としていた双子はいつの間にか、にやりといつもの笑みを見せる。光の手には台本、馨が持っている人形の裏にはハズレの文字。
「え…?」
「ごめんよ馨…!!台本通りとはいえ、あんなひどい事言うなんて…お兄ちゃん失格だな…!!」
「そんな…!!僕こそ光に怪我でもさせたらどうしようって…」
抱き合う二人はいつも通りというかいつもよりスキンシップ過激だ。その様子を見て環とハルヒは脱力のあまり地面に膝をつく。
「馨!!もう離さないぞッ」
「光ぅー」
いちゃいちゃしている双子に百合はほっと胸をなでおろす。仔細はよく分からないが、仲直りしたのならそれでいい。
「なんだー、もー、ウソだったのぉ?」
「「だってヒマだったんだもーん」」
双子の言葉に鏡夜は長いため息をついた。
「…百合」
「崇くん」
「分かっていたのか」
百合は首を振る。分かっていたわけではない。
「お昼ご飯の頃から、二人はいつも通りだったの。だからきっと本気じゃないんだろうって思ってたんだけど、私はケンカをしたことがあまりないから、よく分からなかったし。でも二人が本気じゃなくてもケンカしている時はいろんな人が悲しんでいたから、早く止めて欲しかったわ」
「もう終わった」
ぽんぽん、と百合の頭を崇の大きな手が撫ぜる。崇だって光と馨が仲違いをしているのを見るのは嫌だ。けれど、何よりそのことで百合が胸を痛めたり傷ついたりしているのが一番苦しかった。後輩も可愛いが、何より大事なものは百合と光邦と決まっている。
「百合」
「馨。そのお人形、本当に怖いお人形なの?」
「…さあ。百合に聞きたいことがあるんだけど」
「なあに?」
中庭には放課後生徒の影はほとんどない。百合は悟の姿をしたままだが、誰にも聞かれる心配はないので崇も馨も百合、と呼んだ。百合は馨に手渡された猫形人形を恐る恐る撫でている。
「さっき何て言いかけたのさ?ハルヒに」
「二人は本気じゃないわって言いたかったの。ハルヒは本当に怒っていたから聞こえなかったみたいだけれど」
「……。本気とか本気じゃないとかどうして分かるのさ」
双子だってよく分からないのだ。環に恥をかかせたときは確かにすっとしたし、その後実はこっそり目線を交し合ったときには、確かにいつものように気持ちが通じたのだ。でも、周りが二人のことをケンカ中だと思って接するものだから引くに引けなくなったし、仕掛けた罠にひっかかる殿も見たかったし、でここまでケンカをしていた。
崇はそっと離れて光邦のところへ行った。何か馨が言いたそうにしていたからだ。
「だって二人はお昼に環先輩をからかった後、いつもと同じ気持ちだったでしょう?いつも二人は綺麗な色をしているもの」
「色?」
「二人を包んでいる色よ。とても綺麗なの。ハルヒも環先輩も、みんなとても綺麗」
「それが見えてるの?百合には」
「少し注視すれば見えるわ。身体の具合が悪いところもそうやって見えるの」
ちょっと黒っぽく見えるのね、と馨に告げて百合は恥ずかしそうに口に手を当てる。あまり人に言うことではない、と父親に言われたことを思い出したのだ。
「すごいね、百合」
「そんなことないわ」
百合は恥ずかしそうに首を振った。別にすごいことではない。昔からそうなのだし、何かの役に立つわけでもない。
「いやすげーんじゃね?それで僕と光も見分けてるわけ?」
馨の言葉に百合はきょとん、と目を丸くした。もともと丸くて黒目勝ちなので、そうするとより幼く見える。
「いいえ?馨も光も全然違うから、そういう風に見なくても分かるわ」
「へぇ…」
肩をすくめた馨に百合は笑いかけた。光と馨は全く別の人間だ。まとう色も近いし、傍にいると色が混じりあうことさえあるのだが、やっぱり違って見える。声も違うし顔も後姿も違う。どこが違うと聞かれても困るのだが、やっぱり違うように見える。
環が二人を呼んでいる。二人は環の声に応えてゆっくり中庭を横切っていった。



翌日。仲直りした双子にはさっそくお客がついていた。
「「はーい!久々の『どっちが光くんでしょうか』ゲーム!」
「はいっ!ピンクが光くん!仲直りしてもしばらく色はそのままなのね。分かりやすくなって嬉しい」
「「大当たり〜!」」
はしゃぐお客たちの横をハルヒと悟の格好をしている百合が横切った。二人ともお茶の用意をしに行く途中だ。
「あれ、交換したんだね。似合う」
にっこり笑う百合の姿に、双子のお客たちが頬を染める。双子はぱち、と瞬きを繰り返した。
「だから、今日はピンクが馨なの?」
ハルヒの問いかけにすっかり双子は大人しくなってしまった。
「光はすっかり元通りの色だし、すごいね」
百合はカラーリングをしたことはないし、どうやってするのかも知らない。用意を急ぐハルヒの後を慌てて追った。
「ピンクが馨くんなの?」
「ハルヒくんも悟くんもすごいわね」
感心しきったお客たちをよそに、双子は目線も交わさずに声を交わした。
「…さすがに双子で泥沼はキツイよなー」
「ハルヒをうちの養子にするってのはど−よ」
「あーいいねソレ」
光の提案に馨は同意してみせたが、百合を養子にするのはさすがのウチでも難しいかな…と思案中だ。ハルヒを養子にするのは何とかなりそうだし面白そうだが、百合はなかなか養子に来てはくれないだろう。秋月家の跡取りだと聞いている。跡取りとなれば婿養子を取るのだろうが、婿養子なんて考えるだけで肩身が狭そうだ(父親も苦労している)。
一方、準備室。養子の算段を練られているとは知らないハルヒと百合は紅茶を淹れるのに大忙しだった。
「ねえ悟」
「なに?」
「悟は誰かとケンカしたことはないの?」
双子がケンカしていたとき、百合はハルヒに仲直りの方法を聞いた。それはケンカをしたことがないということだろうか。ハルヒには信じがたい話だった。小さい頃は誰だって我がままなものだし、おもちゃを取り合うとか遊具を取り合うとかしてケンカするだろうに──。
「お父様とお母様、お二人とケンカをしたことがあるわ。一度だけね」
「…親子げんかだけ?他は?」
「ないわ。みっちゃんとも崇くんともケンカをしたことはないし」
最後の一滴、ゴールデンドロップを静かに落とす百合は事も無げにそう言って、注ぎ終えたポットをテーブルに戻した。
「え…だって、他の友だちとか…」
そこまで口にして、ハルヒは初めて自分が失言したことに気づいた。百合は学校に行くということ自体が初めてなのだと最初言っていなかったか。それは小学校も中学校も行ったことがないということで、そこで友だちにも出会わなかったということ。
「…お友だちはいるけれど、ケンカなんて、させてもらったことがないの」
静かに微笑む百合は本当にきれいで、哀しくて、なんだか泣きたくなった。
「幼稚園にも学校にも行ったことがなかったから、私の周りにいた年の近い子どもはみんなお父様やお母様のお知り合いとかご友人のお子さんなのね。みんな私のことを『百合様』って呼んで、何を言っても従うばかりで向き合ってくれる子どもなんていなかった」
秋月家におもねろうとする親たちが我が子に百合に従うように教え、百合の意に沿うようにと教えた結果、百合はたくさんの子どもに囲まれていてもひどく孤独だった。真正面から向き合って、百合という人間とつき合おうとする子どもなんていなかった。
「みっちゃんや崇くんは違ったけれど、二人はいつでも私に優しいからケンカをしたことはないのね。でも、二人は私の特別」
光邦も崇も声を荒げることもなければ百合のおもちゃを取り上げるようなこともしなかった。しかし、意見が違うときにははっきりと言ったし、百合が何かおかしなことをしたらすぐに丁寧に教えてくれた。
「……さっき、ハルヒが双子に怒ったでしょう。剣幕にびっくりしたけれど、すごく羨ましかったの。環先輩も双子のことをちゃんと考えていたし、いいなって……ハルヒ?」
お茶を淹れ終えてシルバーのトレイに並べていた百合を、横からさらうようにしてハルヒが抱きしめる。突然のことに驚いて、百合は思わず砂糖壺を取り落としそうになった。慌ててトレイに静かに置く。
「悟が何か間違ったことをしたら、自分が怒るよ。ちゃんと。だから羨んだりなんてしなくていいんだよ。自分はこういう世界に疎いから、きっとおかしなことをやるだろうけど、そういうときは悟が…悟?」
応えるように自分のことを抱きしめていた百合が、小さく身体を震わせているのに気づいてハルヒは思わず慌てた。何かおかしなことを言っただろうか。
「…ありがとう、ハルヒ。とても嬉しい」
間近な距離で顔をつき合わせると、百合の目には確かに涙が浮かんでいたけれど、表情はきれいな笑みだった。思わずつられて笑う。大切な友だち。出来ることならずっと仲良くしていたい。たまにはケンカをしても。
「お茶が冷めてしまうから、行かないと」
「そうだね」
二人揃って準備室を出る。微かに赤い目元をれんげ姫に突っ込まれるのはこの後のことだった。



→第八話


いかがでしたか、お嬢様。
原作沿いって難しいね(いまさらか。他の連載もほとんど原作沿いだぞお前)。もう何十回ホスト部を読んだか分かりません。
双子のケンカ話なので、馨とヒロインの話にしたいなあ、と思っていたのでした。環はおろか、光邦も崇もほとんど出番がなかった…。ごめんよ三人とも。次はきっと。ハルヒ落ちになるとは思ってなかったですけど(笑)。女の子が仲睦まじくしているのは大好きです。
ウィッカの話はちょっとやりすぎたかと思いつつ、セレブリティにはけっこうカルト的な宗教にハマる人が多いらしいので、放置(ウィッカはカルトの一種だろうと思いますが、別に危険なことはしません。神道みたいな感じ?)。
次はシロちゃんのピアノ話ですが、そこに行くまでにちょっと時間が空くので(あれはおそらく6月頭か5月後半)オリジナル話を入れようかと。光邦と崇、環を出していきたいと思います!頑張ります!

お付き合い有難う御座いました。多謝。
2006 11 20 忍野桜拝

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