Kochende Krake
久し振りの二人だ。
部屋替えが済んでからと云うもの、級友達がやれ引っ越し祝いだ憂さ晴らしだと
入れ替わり立ち替わり乗り込んできては大騒ぎをして行く。
何が祝いだ。
奴等の目が揃いも揃って邪魔をして居るのを楽しんでいる色をして居るのが金子は気に喰わない。
序に云わせて貰えば其れなりに楽しんでいる風の土田が一番気に喰わないのだが。
それがそろそろ金子の堪忍袋の尾が切れ掛かっているのに気付いたのか今夜は来ない。
――――――まぁ大方の理由は飽きたのであろうが。
で、同室に成ってようやくの二人なのだ。
5人も6人も部屋にすし詰めの時には、何とは無しに引っ付く事は別段当たり前の事ではあるのだが
改めてこう成ると、どの辺に自分の場所を作って良いものやら金子は少々迷う。
仕方なく土田が自分の寝台の枕元に座っているので其の隣、寝台の一番端の足元辺りに腰を下ろした。
金子は改めて二人に成ったのだが別段したいとも思えず、かと云って手持ち無沙汰で土田に話しかけた。
しかし話すのは金子ばかりで何を云っても土田の返答は「ああ」とか「いや」ばかり。
朴訥も此処まで来ると嫌がらせじゃあなかろうか、金子は胸中で呟いた。
「土田、で、お前は?」
流石に話のタネも付き、金子が聞いた事が無いと云えば此処を出た後の話と思い訊ねてみた。
「海軍学校だが」
何と無く途方を眺めていた土田が視線を此方に向けて素っ気無く答える。
それまでは視線が無かったので与太話も出来ていたものの、しっかり此方を見据えられると金子も些か身構える。
土田の視線は厳しくは無いのだが、金子の胸中の全部を見透かされる様な感が有る。
何か上手い返答をしてやろうと思ったが、金子は蛇に睨まれた蛙の様に視線に固まり何も云えずに居た。
「どうした」
目を白黒させている金子に、頭を捻ってちょっとばかり土田の顔が近づく。
「あ、あぁいや、ちょっとばかり寂しいと思ってな」
――――――しまった。
いや、正直に云うと云われた時にそう思ったのだから嘘ではないが、ちと恥ずかし過ぎた。
金子があからさまに口に蓋をしたのを見て、土田がくるりと向こうを向いてしまった。
「この馬鹿力!こっちを向かんか!」
ムッとした金子が土田を此方に向かさんと頑張る。
土田は何故か寝台を引っ掴んでそっぽを向いたまま此方を向こうとしない。
金子の方も意固地で力を込めるが体格の差は大きくがんとして動かない。
「…お前いい加減に…」
金子は一発ぶん殴りでもしてやろうかと手を離すと
土田の手だけが動いて金子の顔の前で待ったをした。
金子が動きを止めると、ようやっとの声で一言「ちょっと待て」とだけ発した。
待てと云われた以上金子は何も責める事は出来ず、
仕方なく土田の真横に座って相手の出方を待った。
一寸のだんまりの後、振り向いた土田の…
土田の顔が赤い。
「何だお前の其の顔は。まるで茹蛸だな」
金子自身の顔がさっきまで赤かった事は見られていないようなので棚上げだ。
「すまない」
顔を背けられない分首が折れたように下を向いてまた絞りだすような声で土田が云う。
「…なぜ其処で謝る?」
少々睨みを効かせて土田の方も見るも、
土田の首は下の方で折れ曲がって居るので金子の睨みは空しくもすり抜けて行く。
(そうか、そう云うことか)下方の大きな塊に金子が凄む。
「土田お前…笑っているのだな?」
金子の台詞は確かに女々しい台詞だっただろう。
卒業して一人立ちせんとする男同士の会話としてはおかしいだろう。
しかし、ならばせめて大声を張り上げて笑っては暮れぬものか。
真っ赤な顔をして声を殺して笑われては金子のプライドが傷つく。
土田の肩に手を掛けて金子がまた力を込めると即座に其の手を払われた。
「いや、笑ってはおらん」
土田は云うが顔は相変わらず下を向いたままだ。
「なら顔をあげろ」
「それは出来ん」
全く持って埒が開かん。
土田に根性が有るのは認めるが、こんな所で発揮されても有り難くも何もない。
金子はさてどうしたものかと考えあぐね、流石に根も尽きんばかりだ。
自慢じゃないが金子の気は然程長くもない。
金子がいい加減得意の力技でやり込めようかと腰を浮かすと土田が口を開いた。
「…金子。やはり寂しいものか」
いい加減、この搾り出すような声も止めてはもらえんものか。
「お前、まだからかうか」
金子はしつこいぞ、と一喝するつもりだったのだが…。
相変わらずの茹蛸が何ぞ決心したような厳めしい顔をしているので飲み込まざるを得なくなってしまった。
「その、卒業をしたら、逢えなくなるものだろうか」
「は?」
「いや、だからな、滅多に逢えぬようになってしまうものなのだろうか」
(質問は良いが、支離滅裂だぞ)
金子は云ってやろうと思ったが、真っ赤な顔をしたまま、真剣にこっちを見据える目に負けた。
致し方なく、金子は自分の憤りは後回しにする事にして土田に差し向かいに座り直した。
「いや、努力如何だと思うが」
「そうなのか」
「何と云うか、あれだな。逢わんとする気持ちが重要なのだろうな」
土田が馬鹿みたいに真っ直ぐ此方を見るものだから黙るわけにもいかず。
「逢いたければ何を置いてでも逢いに行けば良いだけの事だろう」
しかし金子は言い終えてからふと思う。
そうは云ったものの努力だけで其れが出来れば苦労は無い。
思いながら金子はついでに自分自身を考えてみる。
此処を出て、俺は何をしたいのか。
此処を出た後の土田との接点のない生活。
「土田。何故そんな事を聞く?」
金子は頭の中の詰まらない想像を掻き消すつもりで土田に尋ねてみた。
金子が何か云わないと、相変わらず今日の土田は何も云わない。
「お前が寂しいなどと云うものだから」
まだ引きずるのかそれを――
金子は腹が立つのを通り越して頭を抱え溜息を付く。
「お前にそう云われてみれば寂しい等と思ったのだが」
「なに?」
金子が勢いで顔を上げてしまったものだから
土田の顎に頭をぶつけそうになった。
金子の間近で固まった顔がまた茹蛸になっている。
「の、脳味噌が茹で上がるぞ土田」
金子もそう云うのが精一杯だ。
土田が寂しいだと?
「煩い。お前の顔も赤いのだが…」
「う、うるさい!」
どうにも今日の此処は座りが悪過ぎる。
恥ずかしさに耐え切れず、金子は外に逃げ出す事にした。
倉庫で煙草でも吸えば落ち着くだろうと金子が腰を浮かし掛けた途端、
土田にしっかりと抱きすくめられてしまった。
金子は勢いで土田の膝の上に腰を下ろす羽目になってしまった。
「…なにをしている」
金子はどすを利かせて怒った声を出すが、
いかんせん土田の膝の上に座り込んだままでは威厳も何もない。
「すまない」
金子の肩の辺りから土田の声がする。
「いやかまわんが。一体何だ」
「逢えんだろうか」
まだ云うか、しつこいようだが今日の土田は土田らしく無い。
仕方なく金子は根負けする事にした。
「いや、逢いに行ってやらん事もない。お前が逢いに来るのも一向に構わん。
其れならいつでも逢えるのだから寂しくは無いだろう」
だが流石に恥かしいので早口に捲くし立てた。
茹蛸が肩口で照れている。
釣られて笑いそうに成ったが金子にはまだ全部は許す気は無い。
金子は土田の膝から下りて今度は謝らせよう、としたが
どうにも顔を見られたくない土田は腕の力を緩めてはくれない。
仕方ないので膝の上から金子は尋問する事にした。
「で、だ。それなら何故さっきお前は俺を笑った」
土田を見下ろす姿勢に金子は奇妙な気分になる。
「だから、笑ってはおらんと云っているだろう」
「いい加減に…」
金子がまた土田の頭を引っ叩こうとすると土田が遂に真意を吐いた。
「お前も寂しいと思うのだな、と思ったら嬉しかっただけだ」
照れの余りか金子が苦しくなる程土田の力が入っている。
俺もこいつも本当に馬鹿なのだ。
そんな事、深く考えるから恥かしくなるんだ。
普通に云えば唯の下らない感傷ではないか。
金子は諦めでは無い溜息をひとつ、ついた。
土田がどうにも離してはくれんので仕方なく、金子は持て余した手で土田の頭を抱く。
「そうだ、土田お前俺と同じ職を探せばいい。親父のつてを使うと云う手も有る」
「いや、俺はお前の得意とする事はどうにも苦手だ。それよりも、俺と一緒に来る気は―」
「そ、それは絶対断る!訓練三日で死ぬ!」
「おお、それよりも土田」
金子は手の下の頭をぽんぽんと叩いて呼びかける。
「お前の家事の腕はかなりのものだそうじゃないか。嫁に来、痛っ!」
軽い冗談のつもりだったのだが土田の癇に障ったようだった。
土田に背中を馬鹿力で思い切り引っ叩かれた。
どうやら土田は真面目に話していたようだ。
お互いの進路など今更一緒になる筈など無い事は判っているのにだ。
「いつ何時も一緒に居ると云うのも煩わしかろう?」
金子は謝罪と慰めを一緒にして、誤魔化して云いながら土田の頭にキッスしてやった。
誤魔化しの割には効力は有ったようだ。
土田の腕の力が何やら少し緩んだので見てみると
土田の目が少し潤んで赤い。
…今日の土田は実に面白い。
土田の様子に金子の気持ちも少し傾いてきた。
何時もの金子なら片眉を上げて意地悪く可愛がってやる所だが、
可愛げに免じて優しくしてやろうと膝から下りた。
…所でドアをガンガンと叩かれた。
今日は遅れたが酒を持ってきたと怒鳴る声がする。
奴等、飽きたのではなかったのか。
土田がやれやれと云った風でドアを開けようと立ち上がる。
金子も興醒めはしたがこのまま素直にドアを開けるのは詰まらない。
素早く立ち上がって土田の腕を引っ張り、軽く唇を合わせた。
あっ、と云って立ち止まった土田の肩を叩いて金子が扉を開ける。
どやどやと煩い連中が部屋の空気をかき乱してくれた。
其の一人が怒鳴る。
「おー何をしていた貴様等!土田の顔が茹蛸のようだぞ!」