幼年期の終わり


「だからどうして、お前があんな所にいたんだ?」
 テーブルマナーもなんのその。
 金子光伸はカツレツの突き刺さったフォークを目の前の火浦あずさに向けた。
「だって先輩、卒業してから全く連絡くれなかったじゃない。
 それは、こっちから追いかけるしか無いでしょ?」
 火浦あずさは、堂に行った仕草で自分の皿のカツレツを刻んで、やや小振りの口に運んだ。

 休日の夕方、夕食を楽しむ人々で賑わうこの洋食屋で、二人のついているテーブルは、少々赴きの違う空気をかもし出していた。
 男二人で食事をするというのは、さほど珍しくも無いかもしれない。
 その二人が二人とも、人並み以上に整った外見をしていて、仕立ての良い服を着て、値の張る酒なども注文している辺りはいかにも良家のご子息同士の交流にも見える。
 が、痴話喧嘩にしか聞こえない口論を繰り広げているとなると、話は違う。

 給仕がさり気なく様子をうかがっていることを、知ってるのか知らないのか、二人の言い争いは続いていた。

「当たり前だ。何故お前に連絡をつけなければならないんだ。」
 光伸は憮然としている。
 偶像崇拝や同性への憧れは、少年期独特の、一過性のはしかのようなもので、時間が立てば自然とおさまってゆくものだという説は知っている。
 あの事件から卒業まで、ひたすらに光伸にくっついて回っていたあずさも、光伸が卒業して、学校という接点が無くなれば、幻想も覚めるはずだと、連絡をとらないでいたのだ。
 もっとも、それは理由としては後付で、純粋に、仕事に遊びに忙しくて忘れていたのが本当だが。
「ほんっと、先輩って追いかけるしか一緒にいる方法無いんだね。
 菊千代さんの言った通りだ。」
 呆れたというより、諦めの口調であずさは呟いて、また一口、カツレツを頬張る。
「菊千代から俺のことを聞いたのか?」
 通う回数は激減したが、未だに光伸は菊千代との交流を続けていた。
 仕事柄なのかそれとも本人の性格なのか、菊千代といる時間は気を張ることが無いので、慣れない仕事の息抜きにはもってこいなのだ。

「ううん。違う人。でも、さすがに、電話や仕事なんかの個人情報は教えてくれなかった。
 ただ、見たがってるキネマくらいは教えてくれたよ。」
 あずさは悪びれずに笑う。
 すでに最上学年に達したあずさは、身長が伸びた上に、顔つきからも女の子っぽさが抜け、美少年というよりは、美青年というほうが的確な外見に変っている。
 この外見なら、芸者遊びで門前払いをくらうことも無いだろう。
 実際、あずさは良家の息子で、金は持っているわけだから、その潔癖性な部分さえ消えれば女遊びなどしたい放題だろう。
 芸者から自分の行動がバレることになろうとは。
 光伸は頭を抱えた。職業柄、客の情報は秘密であるべきなのに。全く、なっていない。

「それで待ってたっていうのか? 朝からずっと?」
 光伸がキネマへ出かけたのは昼過ぎ。
 開演間際、場内が暗くなる瞬間に隣に座ったのがあずさだった。
 さすがに席を立つわけにもいかず、並んでキネマを見た後、話を聞くためや、一応キネマの感想など語るために、こうして一緒のテーブルを囲むことになったのだった。
「そう。何時に来るかなんて、わからなかったしね。
 だから実は僕、キネマ3回見てるんだ。」
 あずさは山場における主人公のセリフをそらんじた。
「ほぉ。」
 長いセリフの暗唱に、純粋に光伸は感心する。
「最初は寝そうにもなったけど、ちゃんと判ると面白いね。」
 あずさが好むキネマと光伸が好むキネマは種類が違う。
 以前、キネマを一緒に見た時は、その半分以上の時間、気持ち良さそうな寝息を立てていたはず。
「本当にわかってるのか?」
 光伸は唇の端を上げて、あずさを見た。
 外見はそれこそ、大分大人になったが、人の中身はそうそう変らない。
「あれでしょ? 主人公の内面の葛藤が、極限の状況において・・・」
 いっぱしのキネマ評論に、光伸は耳を傾け、また、茶々を入れた。
 案外そんなやりとりは楽しくて、夜がふけるまで二人は洋食屋で語らっていた。


 お互いに話疲れて、一息入れた時にふと、会話が途切れた。
 光伸は腕の時計を見た。
「もうこんな時間か。そろそろ俺は帰る。」
 伝票を持とうとした光伸の手をかわして、あずさは先に伝票を取った。
「僕が払うよ。」
「は?」
 光伸は、心底意外そうな顔をする。
「今日は楽しかったし。僕が払う。」
「何故、社会人で年上の俺が、学生で年下のお前に奢ってもらわねばならんのだ。」
「えー? いいじゃない。」
「良くない。」
「勝手に隣に押しかけたのは僕なんだし。
 ・・・そうだ。じゃあ先輩、僕を送ってくれない? 圓タク代を奢ってもらうことにする。」
 いいことを思いついた、と、あずさの顔が明るくなる。
 光伸はあずさの頭から足元までを見た。
 休日だからか、あずさは私服だ。洒落た服が良家の坊ちゃんらしさをかもし出して、物取りには狙われるかもしれない。
 自分のように、適度に金を払って追い払う、という方法を知っているとも思えない。
「それに僕、もうちょっと先輩と話したいし。」
 言うが早いが、あずさは会計へと走った。
 光伸が歩いて追いつくと、あずさは満面の笑みを浮かべた。
「僕が払ったから、次は先輩ね。行こ。」
 光伸はその子供っぽさに肩をすくめた。
「はいはい。」
 光伸の子供嫌いの原因のひとつには、子供の理屈には勝てない、というものがある。
 ここであずさを振り払った場合、公衆の面前であるのに、「先輩ずるい。」とか、大声で叫ばれそうだ。
 学校の寮までなら、そんなに遠くない。
 光伸は諦めてあずさと一緒に圓タクに乗り込んだ。




「でね。僕、今度はボート部に入ろうと思うんだ。」
 圓タクの中、あずさが楽しそうに学校の様子を話している。
「ああ。」
 光伸は生返事を返す。
「この間の生物部は結構面白かったんだ。実験とかもしたし。
 僕と入れ替わりに要さんが入るみたいだよ。」
「ほぉ。」
 出てきた人物名に、光伸は興味を覚える。
 あの、学校で起った凄惨な事件の当事者である日向要。
 多少興味を覚えたのも確かだが、隣にいる月村があまりに厄介そうで、手を出すのはやめた。
 事件解決後、何故か日向宛に残されたという遺産を使いすぐに入学するかと思いきや、そうでもなく、結局光伸の卒業と入れ違いに入学してきた。
 詳しい裏事情など、調べたら面白そうではあったのだが、陰気な顔をした奴が、さらに陰気な声で「そっとしてやるべきだ。」などと言うものだから、機会を逸してしまった。

「要さんは今年の1年の中で一番優秀だからね。部活もひっぱりだこなんだ。
 生物部を勧めたのは、僕が実際入っていい感じだったからなんだ。」
 あずさの、どことなく得意げな物言いに、光伸は何かひっかかりを覚える。
「この間、要さんは髪を切ったんだけど、その時の周りの反応ったら凄かったな。
 僕は知ってたけど、周りは要さんが美人だって知らなかったから、大慌てみたい。
 親衛隊なんて出来たみたいだよ。ほんっと、学校ってやること変らないよね。」
 あずさは楽しそうに要について語る。
「親衛隊って言ってもさ、なんだか見てるだけで満足、って感じの隊でね。
 こう、そっと眺めては溜息をついてるような、妙な連中なんだよ。」
 あずさは、いかにも物憂げ、という溜息を真似してみせた。
 やはり、どこか妙だ。
 以前は、こんなに要に対して興味を抱いていた風では無いのに。

 圓タクが寮に通じる道へ入る。あと僅かだ。
「あ、ここで止めて。」
 寮までまだ距離があるのに、あずさが圓タクを止めた。
 そこは、日向要が住んでいる下宿。
 光伸は疑問が確信に変るのを感じた。
 あずさの憧れの対象が、自分から要に移ったのだ。
「ああ。それじゃぁゆっくりとな。」
 揶揄を込めて光伸は笑みを浮かべる。
「え? 何言ってるんですか先輩。先輩も降りてください。」
 意外そうなあずさ。
「何故だ?」
「送ってくれるんでしょ? 僕の部屋、まだ先です。」
「お前なぁ・・・」
「送ってくれるって言いましたよね?」
 あずさの強い口調と強い瞳。
 昔と同じ、何を言っても効かない態度に、うんざりする。
 でもまぁ、これが最後かもしれないと思うと、少しはサービスしてやろうかという気にもなる。
 ここから寮まで歩くのは、遠くは無いが近くも無い。
 一度圓タクは返したほうがいいと判断して、光伸は金を払った。

「じゃ、先輩、行きましょう。」
 にっこり笑って、あずさは下宿の門をくぐった。
「おい?」
 光伸の制止の声も聞かず、あずさは玄関を開ける。
「校則が変って、学生は寮に住まなくても良くなったんです。で、僕が今住んでるのはここ。部屋は要さんと同じ、2階です。
 要さんも、きっと先輩を見たら喜びますよ。」
 光伸は憮然とする。
 やられた。
 自分は、日向要を喜ばせるための、餌らしい。
 してやったりのあずさの表情に腹が立つ。
 どうにも、あずさの計画に乗せられた感がある。
 これは、一矢報いなければ気が済まない。
「ああ。お邪魔させてもらう。」
 光伸は表面上、非の打ち所の無い笑顔を作り、玄関をくぐった。




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