口無し

                                                   〇久



 口無しというよりこれでは・・・息も出来ない。
 要は霞む頭の片隅でそんなことを思った。
 憲実が自分の秘密を他者に漏らさないという、約束の印の口付け。
 そう提案したのは自分だけど。

 最初の誓いの口付けが、もうずいぶん長く続いている。
 抱きしめた体から伝わってくる心音は、自分と同じで少し速い。
 暖かく、優しく、愛しい気持ちが溢れて、唇を離せないのは二人とも同じ。
 要は夢中で憲実を求めて、憲実は要を求めて、また口付けが深くなる。
 角度を変えて、深く、強く。

 交わされる蜜の甘さに、抱きしめられる腕の強さに、密着した体の熱さに、要の体が次第に熱を帯びる。
 朝の光の入る明るい部屋の中、窓からは夏の緑の匂いを含む風が吹き込んでいるのに、鳥の澄んだ鳴き声が聞こえるのに、頭の中が甘く、淫らな想いで満ちてしまう。
 なんだか凄く浅ましくて恥ずかしい。
 深い口付けをほんの少しずらして、切れ切れに息を吸う。
「・・・・・はぁ・・・っ」
 漏れてしまう熱を含む吐息に、感じてしまうのは二人とも同じ。



「要さん。朝餉が出来てますよ。」
 階下からかかった大家の声に、二人はとっさに体を離す。
 憲実の顔が赤い。おそらくは自分も、似たような顔色をしているに違いない。
「すまん。」
 憲実が照れくさそうに目線を逸らす。
「いえ・・・僕のほうこそ・・・」
 お互いにしっかりと抱き合って、体を密着させていたから、伝わっている。
 大家が声をかけなかったら、あのまま・・・

 何とはなしに気まずい雰囲気が漂う。
「朝餉、ご一緒しませんか?」
 要はぎこちない笑顔を憲実に向ける。なんだかまだ、体は熱い。
「いや、俺は戻って寮で食うから・・・」
「寮の学食は美味しく無いのでしょう。大家さんのつくるご飯は美味しいですし、
 食卓を囲む人数は多いほうが楽しいですよ。あ、僕、大家さんに聞いてきます。」
 逃げ出すように、要は部屋を後にして、階段を降りた。


「いただきます。」
「いただきます。」
「はい。」
 結局、要と憲実は、同じ食卓を囲んでいる。
 大家が、憲実の分まで魚を焼いて並べてくれた。
 憲実は箸で器用に身をほぐし、口に運んでいる。
 まっすぐな姿勢と、綺麗な箸使いは、きっと厳しくしつけられた結果なのだろう。
 つい、要の目線は憲実の手元を追いかけてしまう。
 味噌汁、そして白米。一度に口に運ぶ量も多いし、食べる量も多い。
 開かれる口元、租借する顎の動き。なんだかとても・・・
 ふいに憲実が要に視線を向けた。
 突然要は恥ずかしくなって目を伏せた。
 人の食事してる姿をまじまじと見つめるだなんて、無作法だ。
 要は自分の手元だけを見て、大急ぎで朝餉をたいらげた。
 そして、その少し前に食べ終えてお茶など飲んでる憲実に、自分は支度があるから、どうぞ先に学校へ行っていて下さいと声をかけて、要は自室へ戻った。

「はぁ・・・」
 小さくため息をつく。
 今日の自分は、絶対に何処かおかしい。
 あの・・・誓いの口付けの時から、地に足がついていない感じがする。
 体の中の熱が収まらない。
 気持ちはふわふわとしていて、なんだか思考がまとまらないし、ずれているような気がするし、でもなんだか幸せな気もするし。
「いけない、いけない。 これから仕事なんだから。」
 両の手のひらで自分の顔を叩いて、要は気合を入れた。




 結局、その日一日、要はいつにも増して失敗をやらかした。
 言付けは忘れる、梯子は倒す、バケツは転がす、自分も転ぶ。
 とうとう、小使い長から、早めにあがっていいと言われたくらいだ。

 落ちこみながら返り支度をして、要は裏の林に足を運んだ。
 こんな時間に帰ったら、大家は心配して何か言うだろうし、それに上手く答えられる自信は全く無かった。
 少し、時間を潰すと共に、落ちつこう。
 要は木の根元に腰掛けた。
 見上げた木々の緑が美しい。木漏れ日も暑い、夏の夕方。
 ほとんど手入れされていない学校の裏の林は、うっそうとしていて、身を隠すには最適だ。
「そういえば憲実さんも・・・」
 憲実もこの場所が好きなはずだ。
 授業をサボタージュするのはこの場所だし、大事な話がある時も・・・そして・・・。
 要は顔が赤くなるのを感じた。
「ダメだ。僕、今日は絶対おかしい。」
 思い出してしまう。 この場所での行為を。
 体が熱い。今日はずっとそうだったけど、今は特に。
「憲実さん・・・」
 小さく呟いて、要は木にしがみ付く。
 もちろん、代わりになるわけは無いのだけれど、何かを抱きしめたくて仕方が無い。
「憲実さん。」
 今度は少し、大きな声で。どうせ誰もいないのだし。

「呼んだか?」
 突然後ろから声を掛けられて、心底要は驚いて振りかえる。
 そこにいるのは、紛れも無く憲実本人。
「の、憲実さん・・・どうしてここへ・・・」
 慌てて立ちあがる要。
「いや、要がとぼとぼと歩いている姿が見えたので、気になってな。」
「じゅ、授業は。」
「サボタージュだ。」
「そんな勝手な。」
「は?」
「そんな突然。困るじゃないですか。」
 すでに、自分で何を言ってるのかよくわからない。
 でも、この状況を見られるのも、今、憲実に近くに来られるのも、凄く困る気がする。
「要? どうしたんだ?」
「わわ。近づかないで下さい。」
 要は一歩下がる。けれど、手入れされてるわけもない、伸びきった下生に足をとられて転んでしまう。
「要? 大丈夫か?」
「だから〜。」
 要は泣きそうな声を出す。何故泣きたいのかもわからないが。

 憲実は、要を起きあがらせるでも無く、要の隣に腰をおろした。
「俺は要に何かしたか? 梔の花を贈りつづけた時のように、気づかない内に要を傷つけているのか?」
 不安そうな憲実の表情に、心が痛んだ。
「違う、違うんです。憲実さん。すみません。
 ちょっと僕、今日、調子が悪くて。」
「ああ、朝早くに起こしてしまったから・・・。 無理させてしまったな。熱は?」
 憲実が要の額に手を伸ばす。
「わわっ。わっ。」
 避けようとして頭を下げたら、バランスを崩して、本格的に草の上に仰向けに寝転がる状態になってしまった。
「要?」
 憲実の心配そうな声が聞こえたが、要は赤い自分の顔を見られたくなくて、両手で顔を覆った。
「すみません。」
 顔を覆ったまま呟く。
「・・・。いつもと逆だな。」
「え?」
「今日は、要が謝ってばかりいる。」
 隣で、がさごそという音が聞こえて、要は手の隙間から憲実の様子をうかがった。
 下生の上、組んだ自分の手を枕にして、憲実も横になっていた。
「だって・・・憲実さんが悪いんです。」
「そうか・・・。すまん。」
「くすっ。」
「どうした?」
「だって、やっぱり憲実さんだなぁって。」
「そうか。」
 憲実の何気ない、いつもの一言で気持ちが落ち着いてゆく。

 横目で憲実の目が閉じられているのを確認して、要は自分の手を顔からはずした。
 ついでにまじまじと、目を閉じた憲実の顔を見つめた。
 女性と間違えられることもしばしある自分と違って、男らしい凛々しい憲実の顔。
 羨ましいと思う。
 もっとよく見ようと、憲実のほうへ寝返りを打つように体を向けた途端、憲実と目が合った。
 途端に要の顔は、再び赤くなる。慌ててまた手で隠そうとしたが、憲実の腕に止められてしまった。
「・・・ずるいです。」
「そうか・・・。すまん。」
 きっと、憲実には知られている。顔が赤いのも、手が熱いのも、吐息が甘いのも。
「今日一日、大変だったんですから。」
「俺だって大変だった。」
「え?」
「その・・・ずっと、朝の要の様子が頭にちらついて・・・。かなり、困った。」
 憲実の顔も、赤い。自分の手を掴んでいる手も、もしかしたら、熱い?
「それは・・・すみません。」
 二人して顔を見合わせて、くすりと笑った。
「二人で会った時に、くちなしを現すんだったな・・・。」
 掴まれた手を押されて、要は仰向けに戻る。
 憲実が体を移動させて、斜めに要に覆い被さる形になる。
 ゆっくりと顔が近づいて、唇が塞がれる。


 朝と同じく、それはゆっくりとした、気持ちの篭る優しい口付けから始まって。
 そして、息も出来なくなる。



                                           了(^^;;(2003.0601)


くちなしを、再アップのために読み直していて「こいつら朝っぱらから・・・」とか思ってしまいました。
でも、えっちは無理だろー? とか。
で。せっかく再アップなんだからおまけで続きでもつけようとしたら、こげな物に。
えー? もう、えっちもしてるのに、何この人ー。いや、何この人達ー。かまととー?(苦笑)
・・・だって二人とも純情奥手で恋愛経験無さそうなんだもん。
いいんだ。激甘砂糖は久我様がついてきてくれるって言ったもんっ!
(名指しかい。迷惑な・・・)

まぁ、おまけだということで、許して下さい。
夕方、この場所なら続きも出来るさ。良かったね! (え?)

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