「キミがいけないんだ、成歩堂」
薄く光る携帯電話の画面を眺めながら、御剣は呟いた。
さっきまで糸鋸の声を届けていたそれは今はもう正確な時刻を伝える事しかしていない。
窓には暗幕が垂れ、光は入らない。御剣が選んだこの小さなフラットの防音は完璧で、外の喧騒も届かない。
それが今の彼には必要だった。
そしてその暗闇の中、彼は思う。
成歩堂の弁護が暴いた真実について。
今でも心のどこかで信じたくないと叫ぶ自分がいる。彼が現れなければ叫ぶ事すら叶わなかったと分かっているのに。
そして、検事として生きたこの数年が崩された事で、その年月を共に過ごした刑事への想いが浮き彫りになった事が御剣には苦しかった。
「確かにキミに救われた。だが、それが引き起こしたものを見たまえ」
そのままベッドに倒れ込む。暗闇にもかかわらず両腕で顔を覆って御剣は呻く。
さっきまで話していた糸鋸の顔が浮かんでくるのが怖いからだ。
糸鋸から電話がかかってくるのを待っている自分。忙しい彼の事、電話がない時も勿論ある。そんな日は自分から電話をしたくなるのを御剣は必死に我慢するし、次の日に大変な勢いで謝ってくる事に心底ほっとする。そしてそんな自分を御剣は恐れる。
捨てられない想い。時が解決する。離れていれば忘れられる。そう御剣は願うしかない。
「あのままでいればきっと全て失っていた…分かっている」
まるで憑き物が落ちたように事件の悪夢を見なくなった。それにとって変わった悪夢が御剣を苛む。
“近寄るなッス!”
夢を見た後で受ける糸鋸からの電話は喜びよりも恐怖が勝る。現実の糸鋸は身を隠した彼を思いやる言葉ばかり伝えてくる。それが分かっているのに。
“そんな目で自分の事見てたッスか。…最低ッスね”
違う!顔を覆ったまま御剣はかぶりを振る。ただの夢。なのにさっきまで話していたはずの糸鋸との会話が思い出せない。
そうじゃない。キミがそばにいてくれるのが嬉しかった。優しくしてくれるのが嬉しかった。気にかけてくれるのが嬉しかった…初めて人を好きになったんだ。
“あり得ないッス。今までのアンタは全部ウソだったッスね。人の罪をどうこう言う前に自分の変態ぶりを裁いたらどうッスか。お笑いッス”
許してくれ。これは必要な嘘だ。キミが好きだ。ずっと前からキミを、キミのその優しさを私だけのものにしたいと確かに思ってる。それでも、私には過ぎたものだと望まぬようにしてきたし、それが危うくなった今、こうして。全て投げ出して逃げた。
これ以上どうすればいい…!
「糸鋸刑事…」
何故私についてきた。何故あんなに優しくしたんだ。
「私に対するキミの行いは…」
私が何に苦しもうがキミには関係ない。私個人の感情が君達の仕事を無駄にした事などあっただろうか。むしろそれをばねにして成果を挙げてきたではないか。
「一、刑事の範疇を大いに逸脱するものだ…」
ここを訪ねたいなどもっての他だ。キミには検事、御剣怜侍が必要かも知れない。だが今の私は、キミがそれ以上の想いを持ってくれてはいないかと、あるはずもない事を思っては打ちのめされる。
「私が何を思うか考えもしない愚か者め」
そうとも。キミの方が余程私を苦しめている。私にどんな処分を下されてもおかしくはないんだ。私がキミから離れている事を感謝するがいい。
…最低だな、私は。このような醜い感情、本意ではない…キミが、
「キミがいけないんだ、刑事…」