現場を確認した帰り道。目処が立ってほっとした顔の御剣を案内していた糸鋸は、その現場から見えている喫茶店に誘った。御剣が気に入りそうな雰囲気のいい喫茶店。出来れば美味しい紅茶を出してくれる店でありますように。そんな店を捜査中に目ざとく見つけていた自分が糸鋸は誇らしかったが。
いざ近づいてみると、それはあっさり裏切られた。ツタが絡まればさぞ美しいだろうと糸鋸に思わせた外壁はただ汚れてひび割れ、くすんでいるだけ。案の定、その店構えに御剣が憮然としている。だが、しまった、と言いそうになっている糸鋸を振り返ると御剣は優雅に肩を竦め、躊躇せずドアを開けた。自分が楽しむのはこの際どうでもいい。今はいつものように空回りしながらも頑張ってくれた上、自分のわがままでここまで引っ張り回した彼を労うのが大切な事だ。そう御剣は頷く。
そして御剣は中に入ってまた打ちのめされた。清潔感のあまりない古びた店内。コーヒーの良い香りも何も無く、テレビではワイドショーが掛かっている始末。
それでも御剣は、同じ様に、だがまた別の理由で打ちのめされているだろう糸鋸にせめてゆっくり一服してもらおうと、下世話な週刊誌やスポーツ新聞が無造作に突っ込まれたマガジンラックを横目に、窓際の席に無表情のまま腰を下ろした。
奥から大儀そうに出て来た年配の女性が、いらっしゃいませ、と小声でおしぼりと水とを持って来る。
「ブレンド一つ。えーと、検事は紅茶……じゃないっすよ、ね」
「そうだな。ここでは……厶?」
手書きのメニューを蔑むように眺めていた御剣の目が留まる。
「……クリームソーダ、をお願いする」
少し驚いた顔をしている糸鋸に、御剣は頬を染める。
「子供っぽい、だろうか」
「こういう所はオトナが来るものッスよ。ただ、その、自分の田舎では、」
「?」
「その……ハイカラな飲み物だったッス」
「そうか」
――ホントは。
どこを見るでもなく頬杖をつき、汚れて曇った窓の向こうを物憂げに眺めている御剣の白い顔。陽を浴びて青みを帯びた光を跳ね返す前髪。
――自分の田舎じゃ、町の小さな喫茶店で制服姿の二人が、オトコは背伸びしてコーヒー飲んで、女の子はクリームソーダ、がデートだったッス。ちょうど今、検事が見てる様な窓の外からそれを見て、中学生の自分はいつか自分も、なんて思ってたッスけど。
相変わらず愛想の無い女主人がコーヒーとクリームソーダを無言で置いていく。背の高いグラスの中、角氷を縫って細かな泡が弾ける鮮やかな緑色のソーダ。その中に浮かんでいる、茎まで赤い缶詰のさくらんぼにその泡がまとわりついてきらきらしている。そのきらめきを映した瞳を何度も瞬き、御剣がおずおずとストローに伸ばした指が、ふと止まった。
「飲むか?」
「いいッス」
――思いがけない時に、夢は叶うもんッスね。
ほんのり甦る思い出に心を馳せて、糸鋸はすっかり香りの飛んだ苦いだけのコーヒーを口にする。
「このアイスクリームだけでもどうだろうか」
「……じゃあ」
グラスに差し込まれていた柄の長いスプーンを糸鋸はそっと取り上げて、薄くアイスクリームをすくうと口に運ぶ。冷たい甘さが疲れた体に染みる。にっこりして、スプーンを返した。
「……美味いッス」
「だろう?」
糸鋸の同意にほっとした顔をして御剣は瞳をきらきらさせながらアイスクリームをつつき始める。
そんな彼の様子にまごう事無い幸せを感じながら、糸鋸は、これは学生には真似出来まい、とばかりにタバコに火をつけ、御剣にかからないように顔を軽く背けて目を伏せ、煙を吐く。
そのまま横目で御剣を眺めた糸鋸は、今度は自分がタバコをくゆらす姿が大人っぽく見えるのが気になるらしい御剣の視線に気づく。どこか頼りなげな、憧れと恥じらいがないまぜになったその瞳に見つめられて満たされる、まるでオトコと認められた様な喜びを糸鋸は初めて味わう。もっと欲しい。そう思いながらも糸鋸はマガジンラックに手を伸ばし、新聞を取り上げる。足を組んでそれを開き、御剣が仕事を忘れている時間を少しでも楽しめるようにと衝立を作ってやった。