「そういえば今度、お出かけするんです。もう少しおとなしい服を用意してって言われちゃいました」
ほんの少し口を尖らせて、美雲は唐草模様のマフラーを触る。
「ホウ。どちらに行くのだね」
「それが、行くまでのお楽しみって言われて。教えてもらえないんですよね」
上級検事執務室でのいつものアフタヌーンティー。ゆったりと楽しみながら用意を始める御剣の目の前には、ウキウキとした目で待つ糸鋸と美雲が並んでいる。
「ははぁ、デートッスね?」
「ううん」
「違ったッスか」
「もー、ノコちゃん、どうしたらそんな推理になるの。連れてってくれるの叔母さんだよ」
「そんな大層なもんじゃないッス、ミクモちゃんもお年頃ッスから、デートの一つや二つと」
美雲にまで異議を申し立てられる糸鋸の推理と、おとなしい服が要求される場所に連れて行かれる美雲の災難を思い、御剣は肩を竦めて笑うと口を尖らせたままの美雲を眺める。
「それにそういうの、あんまりピンと来ないんだよねー。それよりヤタガラスのメンバー集めの方が気になるんだ。清く正しく健全な活動のために」
「そうッスか。こりゃ失礼したッス。……オホン! この先気になる男の子が出来ても、ヤタガラスのモットーを忘れずに、清く正しく健全なコーサイをするッスよ」
「刑事」
「なんスか?」
「キミの場合は、その、」
温めたカップを置いた御剣が椅子に掛け、頬杖をついた。その長い睫毛の奥に潜む不安を見た美雲が心配そうに糸鋸を見やるが、それより前に糸鋸は頭をかきながら椅子の背に回った。
「そりゃもう、これ以上無いほどケンゼンッス! 何しろ自分が付き合わせてもらってるのは、誰より清く正しく美しい人ッスから」
「……」
「そんな人に恥じないコーサイを心がけたい! と自分は思っているッスよ」
目を落とした御剣の肩に腕を廻そうとしたが、砂時計が目に入る。興味津々の美雲の目もある。仕方なく椅子の背にそっと手を置くだけにして我慢した。御剣にも伝わったのだろう。うつむいていたせいで見えていた御剣の綺麗なうなじは隠れ、さらりと揺れた髪に安堵が感じられた。
「ノコちゃん」
その様子を眺めた美雲がホッとして口を挟む。
「ノコちゃんのコーサイの話、聞きたい!」
「あ、イヤそのあの」
思いがけず真相に近づいて来る美雲に糸鋸が慌てる。彼女、ではなく交際の話、とわざわざ言い換える自分の機転に、美雲はこっそりウインクしてヤタガラスのバッジを弾いた。
「じ、実は自分には今、大切な人がい、いるッス!」
「教えて! ノコちゃんのデートってどんな感じ?」
「え? それは……」
的確な美雲の追及にたじたじの糸鋸が助けを求めて縋る声に、御剣はあごの下で組んでいた手を口に再び笑いを堪える。弁護士相手に情報をうっかり漏らしてしまう様子が目に浮かぶ。
面白がりだした御剣の様子に糸鋸がほっとしてまた頭をかいた。
「……自分は勤務も不規則で、まとまった休みもなかなか取れないッスから、なかなかデートらしい事も出来ないッス。今日は当直明けで明日は休みッスけど、平日ッスからね。なるべく土日を狙ってるッスが」
「そっか。じゃないと相手の人も仕事なんだよね」
「そッス」
「糸鋸刑事は大変だな」
「検事ー……」
「そんなに大変なのに、ミツルギさんにもちゃんと挨拶しに来るんだからスゴいね、ノコちゃんは」
勿論ここに糸鋸がいる理由は上司への挨拶どころか彼のいじらしい気持ちの現れだと気づいている。しかしここはまた知らないふりをして、冷や冷やさせてしまった糸鋸へのお詫びをしようと美雲は彼を誉めそやした。
糸鋸はこうして何とか時間を合わせて少しでも御剣と一緒に過ごしたいのだと改めて知らされる。御剣からのアフタヌーンティーの誘いも、もう少し遠慮した方がいいのかも知れない。そんな事を思う美雲を他所に、糸鋸の声が明るさを取り戻した。
「そんな事無いッス。どんなに行き詰った時もこのティータイムが待ってると思うと頑張れる! 自分の力の源ッス。特に当直明けは検事の顔見ないと寝つきが悪くなっちゃうッスから」
その言葉に御剣は立ち上がり、目を伏せて微かな笑みを浮かべ、ポットを手にした。
静かに注がれる紅茶。その香りが厳しい執務室の空気を一瞬で柔らかなものに変える。
「あ、でも今紅茶飲んだら目が冴えちゃうんじゃない?」
「心配は要らない。ミクモくん」
「そうッス。これ、カフェインほとんど無いらしいッスよ」
「ええっ!」
いつもと変わらず素晴らしい香りを立てる紅茶に隠されていた気遣い。さっきまで絶好調だったヤタガラスの面目は丸つぶれだ、と美雲は瞬きする。
「当直明けの糸鋸刑事にはこの茶葉に限る。鎮静効果もあるのだよ」
カップを大事そうに持って、糸鋸は美雲と一緒にソファに陣取る。紅茶の香りを楽しんだ美雲が声を掛けた。
「ミツルギさんは? デート」
「……あまり考えないな」
デスクに優雅に寄り掛かる御剣が、カップで顔を隠している。
「そういえばいつだったか、その人がいればもう何もいらないって言ってましたっけ」
「そう。忙しい事は十分分かっているのだから、何がなくともかけがえの無い時間となる。それなのに多忙の合間を縫って私を楽しませたいと頑張ってくれるその気持ちに……感謝している」
美雲が横目でちらりと糸鋸を見ると、こちらも真っ赤になった顔をカップで隠そうと紅茶を啜っている。
「だが敢えて希望を言うなら、」
真っ直ぐ糸鋸を見つめる御剣の視線は少し不安そうで。
「旅をしたい。二人で」
「偶然ッスね。自分も旅行に行きたいって思ってたッス」
真っ赤な顔を上げた糸鋸の顔は嬉しさでいっぱいで。
二人が自分に気がついてやたらと誤魔化す事の無いように、美雲は気配を消す。
この真実。もしもそれが何かに脅かされたならその時は、二代目ヤタガラスが再び穏やかなこの場所に取り戻そう。そう、二人が懸命に自分の真実を取り戻してくれた様に。美雲はそっと瞳を閉じる。
いつか同じ観光地のご当地スイーツがこの執務室のアフタヌーンティーのおやつになる日が来る。それを突っ込めば、やはり二人は口を揃えて偶然だと言うのだろう。
目を開けると視界の端に、見つめあっている二人がいる。どんなに疲れていてもいそいそとやって来る糸鋸を癒すための穏やかな香りのこの紅茶に込められた気持ちを、美雲はありがたく味わって微笑んだ。