「何という事をしてくれた」
すごすごと刑事課を後にした糸鋸の背中を思いながら、御剣は言った。
病室に戻って荷物をまとめている冥が振り返る。
負け犬と言って憚らないその男の言葉を意に介さずに見下したように片方の頬が上がる。
「…何の話かしら」
「糸鋸刑事の事だ」
「ああ、そんな事…当然の処分だわ」
「彼は刑事であるべき男だ。それを、」
「弁護士相手にぺらぺらと情報を漏らす者など刑事とは認めないわ」
「それには事情がある」
「事情ですって?」
冥は一層唇を歪めるとムチを構える。
「だからといって漏洩が許されて?そんな事だから負けっぱなしで終わるのよ。逃げたのは誰だったかしら。御剣怜侍!」
「…」
口をつぐんだ御剣に勝ち誇ったように冥は続ける。
「これであの男が使えるのならまだ考えるわ。捜査させても証言させても穴だらけ。あなたが直属にしていたというから使ってみたけど、あれではあなたが負けたのも当然ね」
「メイ!」
突如変わった御剣の形相に冥はびくりと体を震わせ、後退りした。
「知ったような口を利くのはやめたまえ。我々はずっと共にやってきた。成歩堂の弁護に対して無力だった事は否定しない。だがそれは真実が証され、被告人の無実が明らかになっただけだ。糸鋸刑事のせいではないッ!」
「な…何よ!あなた達が負けたのは事実!言い訳などみっともないだけよ!」
「キミはまだ“成歩堂に負けた”と思っているのだな」
一瞬激昂したかに見えた御剣だったが、今は口の端に皮肉を滲ませ、肩を竦めている。
「それでは真実が遠ざかる」
言い負かした、と思った冥がムチをしならせる。
「完璧な証人と証拠品が揃えば、真実など後からついて来る」
「…ならば楽しみにしていよう。キミがたどり着く先を」
「それは私のセリフよ。アナタがどれだけ戦えるか見物ね。成歩堂龍一を叩きのめすこの機会。精々楽しむといいわ。足を引っ張る部下も、もういないことだしね」
そしてそのムチを御剣の鼻先に突きつけた。
「今さら庇って上司気取り。だったら何故逃げたのかしら。何故今戻ってきたというの?あの時、成歩堂龍一が怒っていたのも分かるわ。そして怒る事も出来ずに去ったオトコがいる。それを忘れない事ね」
負傷も感じさせず、冥は颯爽と病室を後にした。
最後の冥の言葉にはさすがに傷ついて、御剣はうつむいたまま彼女を見送った。
確かにメイの、言う通りだ。キミは怒っているだろう。勝手に去り、また戻った私のこの振る舞いに。キミは何も言わない。
ただ真実のみを明らかに。私なりに見出だした、法廷に立つ理由だ。
だが、一人の人間としての私にはそれよりも優先されるべきものがある。
御剣は顔を上げると静かに歩き始めた。
さあ、キミはまだ走っているだろう?キミを助けに行こう。私も走るのを止めたりはしない。そう決めた。
キミの前を走り続け、そしていつか、キミに捕まらない、そんな自信が持てるように。
またキミと共に走る事が出来るように。