上級検事執務室1202。デスクの前で、二人の男が対峙している。

「今日こそはハッキリさせてもらいますよ、イトノコ刑事!」

「はん!アンタこそ、この証拠を見て吠え面かけばいいッス!くらえッス!」

そう叫んだ糸鋸は持っていたファイルを自信満々に成歩堂に突き付けた。
そこにある写真には、糸鋸が紙吹雪を撒き散らす中、誇らしげに立つ御剣。
一目見て若いと分かるその写真の御剣は、確かに壁に飾られているあのヒラヒラとした衣装を着ていた。

「記念すべき、初勝利の写真ッス!」

「わあ、ほんとに着てるよ、なるほどくん」

真宵が目を輝かせながら写真に食いつく。

「い、異議あり!」

「どこがッス」

「これでは検事じゃなくて、その、…テーマパークのキャストじゃないですか!法廷に立ってた事にはなりません!」

「ちゃんと見るッス」

「えっ?」

「撮影はアンタも良く知ってるはずの場所で行われているッス」

「…あ、あああああっ!裁判所の控え室だ!」

「惜しかったッスね」

片方の眉を得意げに上げて、糸鋸はニヤリと笑う。

「御剣検事はホンモノの麗しの王子様ッス!!」

「う、うわあああああ!」



「スゴいな。アイツ子供の頃はいかにもなお坊っちゃんファッションでさ。でもまさかこんなに…」

「さすがかるま検事の愛弟子ってところだねー」

「分かったッスか?この衣装はダテじゃないッス!」

「なんだろう。ボクの事、法廷でけちょんけちょんに言うクセに、こんなツッコミどころ満載の服着てたなんて。なんだか腹が立ってきたぞ」

「何言ってるッス。華麗な立証には華麗な衣装がいるもんッス」

「さすがイトノコさん。みつるぎ検事の事なら一切疑わないよなるほどくん」

「おい、もう少し小さい声で…」

「アンタ達ッ!」

成歩堂と真宵が一緒になって飛び上がる。

「ハッ、ハイッ!」

「検事のこの天使のように無垢な美しさがまだ分からないって言うッスかッ!」

「いや、確かにボクもこの年の頃はちょっと恥ずかしい思い出が無い訳じゃないけど」

「イトノコさんはずっとみつるぎ検事と一緒だから、たまにはそういうの見てるのかも知れないけど、あたし達が見てるみつるぎ検事はコワイばっかりだよ…」

「それにあいつ、あの頃も“リッパな弁護士になるのだよ”なんて、どっちかと言うとカワイげの無い子供だったよ」

「でもすごいねー。こんなキラキラした目の人が何年かすると、そんな怖い顔でなるほどくんの前に立ちふさがる宿命のライバルになるんだから」

ふと、何かに気づいたような顔をした真宵が、ファイルされた写真を行ったり来たりめくり出す。

「鬼検事の黒い疑惑!なんて噂が流れたり、ボクに逆転されて白眼剥いてぐぬぬうぅぅッとかなったり。時の流れはザンコクだよな」

「そうそう、こんな天使みたいな顔して、自分の給料をドカドカ下げて来た時はもうアクマに見えて…ってなんスか!」

「誰がアクマだと言うのだね、刑事」

「わっ!」

腕組みをしてらんらんと目を光らせている御剣。その後ろで執務室のドアが音も無く閉まる。
成歩堂は飛び上がり、真宵はキョロキョロと辺りを見回し、糸鋸はデスクにのけ反ってその背でファイルを隠す。
つかつかと音を立てて御剣が歩みよる。その鋭い追及の眼差しに糸鋸が震え出した。

「そこをどきたまえ」

「あ、あの、これは」

「今すぐだ!」

「は、ハハァッ!」

返事はしたものの動けない糸鋸の肩を御剣が掴んで彼を払いのける。
デスクの上に開かれているそのファイルにますます眉間のシワを深くした御剣は、鬼の形相で振り返った。

「どういう事だ…おい、成歩堂!どこへ行く!」

真宵を連れて逃げようとしていた成歩堂はびくっとしてゆっくりと振り返る。

「キサマにも聞きたい事がある。そこへ直れ!」



「説明をお願いしよう、刑事」

「…あれは、前にこの二人がここで御剣検事を待っていた時の事ッス」

証言台についている時のようにうつむき加減で糸鋸は口を開いた。

「自分の出したお茶を飲んだ後、二人は壁の衣装に目を止めたッス」

証言する糸鋸をにらんでいた御剣が、その視線を成歩堂と真宵に向ける。

「『さすがの御剣もここまでヒラヒラした服は着ない』成歩堂弁護士は確かにそう言ったッス」

「ふム」

視線を外さず御剣はうなずく。成歩堂がどんどん青ざめていく。

「自分は、検事はデビューからしばらくはこの衣装で法廷に立ってて、ワレワレの間では法廷の王子様と呼ばれていた、と言ったッスが信じてもらえず…
けど、その時思い出したッス。自分が完璧な証拠品を持っている事を!」

「それがこれか」

御剣がファイルをめくる。確かに検事となった時からの自分が糸鋸と一緒に写った写真が順に並べられている。

懐かしい。

思わず郷愁に耽った御剣はかぶりを振って糸鋸を睨み付けた。

「私の目からこれを隠しておくとは…来月の給与査定を楽しみにしておく事だ」

「とほほ…アンタ達ッ!天使がアクマになっちまったじゃないッスか!」

糸鋸は成歩堂と真宵に人差し指を突き付ける。

「どーしてくれるッス!」

「それで…見たのか、成歩堂」

「ああ。こうまで完璧な証拠品を出されたら、認めるしかないよ。ボクの負けだ。御剣」

「認めるな!い、イヤ、そうではなく…頼む!忘れてくれッ!」

真っ赤になって慌てている御剣に成歩堂は首を傾げる。

「なんでだよ。今だって大して変わらないじゃないか」

「ウソだッ!」

「まあまあ、みつるぎ検事、」

唇を震わせる御剣と飄々とした成歩堂の間に、真宵が訳知り顔で割って入る。

「ウチの青二才がすいませんねえ」

「…真宵くん。彼はもう青二才などとは言えない活躍をしてきた」

御剣はもう息も絶え絶えだ。

「私もなるほどくんも、みつるぎ検事にカワイイ頃があったの、信じますから!」

「カワ…イイ…」

「そうッス!なんと言っても御剣検事は王子様ッスから」

「糸鋸刑事ッ!」

顔を真っ赤にして御剣が叫ぶ。

「先程から聞いていれば天使だの王子だの、私がこの服装で法廷に立っていた事を証明するのに必要な情報ではない!」

「いいじゃないか。きっとイトノコ刑事はそう思う事でオマエの皮肉と減給に必死に耐えてるんだぞ」

成歩堂の指摘に御剣が言葉を失う。

「弁護側の主張はこうだ。確かにイトノコ刑事はおまえの写真を持ってた。
けど、あの衣装を着ていたおまえの姿はイトノコ刑事の心にしっかりと焼き付いている!何しろどの写真もおまえの隣にはイトノコ刑事がばっちり写っているからね。
写真が無かったとしても、いずれそれを認めざるを得ない証言が出たよ」

「ぬウ…」

「そ、そうッス。スゴいッス…いつも散々ヤられてたッスけど、味方になるとこんなに心強いッスね…」

糸鋸が感動に胸を震わせる。

「刑事、何をのせられている!」

「は、ハッ!すまねッス!」

「だからさっきのおまえの処分は不当だ!おまえがあれを着て法廷にカワイク立っていたのは事実だろ!」

「カワイクは余計だッ!…だがその通りだ。先程の給与査定は撤回させてもらう」

「良かったね、イトノコさん」

「うおおおおっ!アンタ達ッ!さすが伝説の弁護士と助手ッス!」

唇を震わせる御剣の横で、糸鋸は感動の雄叫びを上げ、成歩堂の手を取ってぶんぶん振り回すような握手をしている。

「ボク達のせいでイトノコ刑事がまたおなか空かせてたら寝覚めが悪いからね」

「そうッス!プロポーズがまた遠のくところだったッス!」

「え?イトノコ刑事、ケッコン相手見つかったんですか?」

激しい握手にガクガクと振り回されながら、成歩堂が尋ねる。

「刑事ッ!」

「なるほどくん、多分それ、イトノコさんのポジティブシンキングだよ」

「失礼な!自分にも心に決めた人くらいいるッス」

「だから刑事ッ!」

「なんだよ御剣さっきから」

衣装の時は真っ赤だった御剣の顔が青ざめている。

「イトノコ刑事の給料下がったら、プロポーズ間に合わなくて他の男と結婚されちゃうかも知れないだろ。そうなったらどうするんだよ」

「ム。そのような事はない」

「なんだよ。さっきは迷いもせずに下げてたじゃないか、ダメだぞ、御剣」

「イヤそうではなく、つまり、糸鋸刑事の意中の人は、どんなに彼の給料が下り坂でも必ず彼からの、そ、その、プロポーズを待つという事だ」

「なんだ、その人知ってるの?御剣」

きょとんとした成歩堂。その横では感極まった様子の糸鋸が成歩堂の手を離し、胸の前で拳を握りしめている。

「今度ボク達にも紹介して下さいよ、イトノコ刑事」

「えっ、それは、その…」

どぎまぎした様子で振り返った糸鋸が拳で目の端を拭う。

「今日、給料下がりそうになったお詫びに、イトノコ刑事の魅力を伝えますよ。このボクが」

「その必要はない、成歩堂」

「なんだよ。元はと言えばおまえがヒラヒラ衣装を着てたのバレた八つ当たりに給与査定なんて言うからだぞ」

「イヤイヤ!大丈夫ッス!えーと、その人は、きっと自分を信じてくれてるッス」

「勿論だ」

いつの間にか普段の不遜な態度を取り戻した御剣が優雅にうなずき、糸鋸は赤くなって頭をかいている。

「ふーん。じゃあ、結婚式の時は呼んで下さいね。楽しみにしてますから」

いつも通りの二人の様子に、何とか御剣の怒りを逸らす事が出来た、と、成歩堂はほっとした顔で真宵を促すと執務室を出て行った。



「没収だッ!」

「だ、ダメッスゥー!自分の宝物ッスよ」

涙目で訴える糸鋸に、渋々御剣はファイルを返す。

途端に輝いた糸鋸の顔を見て御剣が苦笑いした。

「宝物なら大事にしまっておきたまえ。この衣装を飾ったのも、キミがあまり騒ぐから、」

「だって、これ着てる検事、本当にキレイで大好きだったッス…それなのにアイツがあんな事言ったから」

ちょっと口を尖らせて掛けられた衣装をうっとりと眺めている糸鋸に、御剣はため息をつく。

「気持ちはよく分かった。さっきは済まない」

「いいッスよ…あっ、代わりにオネガイがあるッス」

「ムウ…言ってみたまえ」

成歩堂に八つ当たりを指摘されて後ろめたい気持ちになっていた御剣がうなずく。

「もう一度だけ着て見せて欲しいッス」

「…却下」






「ねえ、なるほどくん」

真宵が身を震わせて成歩堂を見上げる。

「気づいてた?」

「何が?」

「イトノコさん…」

エレベーターのボタンを押して成歩堂が振り返ると、真宵がどこか怯えたような目を反らし、うつむいた。

「イトノコさん?」

「そう。イトノコさんのヒミツ。みつるぎ検事の隣にいつもいたんだよ」

「?」

なんだそりゃ?そりゃあの偏屈な御剣の一の部下を自称する、ある意味変わった刑事さんだとは思うけど。
首を傾げながらエレベーターに乗り込む。

「ずっと一緒だったの。何年も」

「確か御剣が初めて法廷に立ったのは二十歳って言ってたからね。その時からずっとだな」

真宵の震えは止まらない。

「それがどうしたんだよ。何か怖がってるみたいに見えるぞ」

「怖いっていうより、ブキミ、かなあ」

エレベーターは一階に到着し、二人はエレベーターを降りる。真宵の様子がさすがに心配になって、成歩堂は休憩用の長椅子を勧めた。

「けど、それがイトノコ刑事なんだよ」

「それじゃ説明つかないんだもん!」

そこで成歩堂はふと、それほどの献身ぶりが示すもう一つの可能性に気づく。
イトノコ刑事が御剣に寄せているのは、暑苦しい信頼なんかじゃない。暑苦しくも甘く切ない…
ならプロポーズって…その相手って…
見る見る成歩堂の顔が青ざめていく。その顔を見た真宵が漸く決意の表情を浮かべる。

「なるほどくん、」

「あ、ああ。ぼくには理解できないけど、あれは」

「そうでしょ?何年も前からずっとイトノコさんは!」

「や、止めろよ。そういうの」

「見た目がちっとも変わってないよ!」

「…え?」

真宵の言葉に成歩堂はがっくりとへたり込む。

「これはアレだね。何かの呪い」

「…そうか。そうだよな。うん。呪いだ呪い」

乾いた笑顔で何度もうなずきながら成歩堂は立ち上がって腰に手を当て、胸を張る。

「ブキミじゃない?」

「ちょっと怖かったけど、もう大丈夫!真宵ちゃんが吹き飛ばしてくれたよ」

すっかり生気を取り戻した成歩堂。大体、容姿までが変化する綾里流霊媒道の前では些細な話だ。

「考えてもみなよ。イトノコ刑事の様子が変わらなくてもボク達には、」

「?まだいたのかキミ達は」

「どうしたッス?ちょっと顔色ワルくないッスか?」

連れだって現れた御剣と糸鋸。真宵を見た糸鋸が膝に手をついて屈み込み、首を傾げる。隣では御剣が腕組みして微笑んでいる。

「刑事、食事の前に二人を送って行こう」

「そうッスね」

「クルマを回してくるから待っていたまえ。刑事、助手席は取り敢えず真宵くんに譲ってくれ」

「了解ッス!」

「あ!大丈夫です!全然!」

ぴょん、と真宵が椅子から飛び上がり、糸鋸の顔をまじまじと見つめる。

「何かついてるッス?」

慌てて自分の顔を撫で回し、御剣に確認を求めるように困った顔を向けた糸鋸。
その糸鋸に微笑んだまま御剣が首を振る。

「イトノコさんは、イトノコさんだね。やっぱり」

「何言ってるッス?」

「イトノコさんと食事に行くのか」

忘れようとしていた先刻の思いつきが甦り、互いにスプーンを差し出して食べさせあう二人の姿を想像しては瞬きを繰り返す成歩堂を冷ややかに眺め、御剣はうなずく。

「彼が腹を空かせていたら、またキサマに何を言われるか分からんからな。
私がいる以上、糸鋸刑事は空腹とは無縁なのだ。覚えておきたまえ、成歩堂」

「あっ!ダメッス!今日は自分が…」

糸鋸が慌てて振り返り、異議を唱えている。

「刑事、成歩堂がまたプロポーズを持ち出すぞ。先程のお詫びもあるのだから今日は私が出す。
…本当に平気かね、真宵くん」

「はい。お食事楽しんできて下さい。なるほどくん、私もお腹減ったなー」

「分かったよ。じゃあな御剣。イトノコさん、今日はお騒がせしました」

「どういたしまして。…検事、せめてワリカンに…」

「くどい」

頭を下げた真宵を促し、気を取り直して成歩堂は検事局を後にする。

“…この間食べたスゴく大きいネギ、まだあるッスかね”
“あれは美味しかったな。もしあったら途中に一皿加えてもらおう…”

「私はみそラーメンね」

「真宵ちゃんは本当にラーメン好きだね」

「文句ある?」

「まさか」



御剣と糸鋸の楽しそうな会話がだんだん遠くなって。

眉間の緩んでいる笑顔の御剣と、余裕たっぷりに胸を張っているイトノコ刑事。
御剣が変わったのは服や顔だけじゃない。イトノコ刑事の顔は変わらないけど、変わったところが確かにある。

アイツらが過ごした時間はきっといい時間で、これからもそれは続くんだろう。
何だか幸せな気分になった成歩堂は、真宵のイイ笑顔を見るために必要なチャーシューの枚数を考え始める。

自分達も彼らに負けないいい時間を過ごそう。隣ではしゃぐ真宵を見下ろすと、成歩堂は頭の中のチャーシューの山にもう二枚追加した。

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