「こんな夜は、うさぎが作り過ぎたお団子お裾分けに来てくれないかと思うッス」
私は非現実的な話は好きではない。
月には空気が無い。うさぎがいるはずもないし、そもそもうさぎはモチなどつかない。
なのに私は、隣で瞳をきらきらさせて話す男に異議を唱えられない。
そして私は、今夜きっと彼はそんな事を話すのだろう、と期待までしていた。
皓々と光る見事な満月。薄い雲が紗を掛けたようだ。
私は非現実的な話は好きではない。
だが今は、科学で説明の出来ないこの感情を心地よく感じるのだ。
「うさぎが作った訳でも持ってきた訳でもないが、団子なら、ある」
途端に糸鋸の瞳が輝きを増す。
「ホントッスか?」
「ああ、ワインセラーに、」
「お茶淹れて来るッスー!」
慌ただしく戻る糸鋸の背中を見送り、御剣は目を閉じて空を仰ぎ、そしてその瞼をそっと開けた。
私はこんな時間を過ごせるようになった。
月は眼下に広がる闇をいつもより明るく照らす。
まるで糸鋸の視線のように、良いも悪いもなく、ただ静かにそこにあるものを照らす。
初めは眩しかったキミの光。今はその光無しでは歩けない。
「…お願いだ」
私は非現実的な話は好きではない。
「もしも私の声が届いたら、一度顔を出してはもらえないだろうか」
バルコニーに出る窓から、お盆を持った糸鋸が目をしばたいて、月を見上げる御剣の背中を見ている。
「私の大切な人が、キミ達に来て欲しいと言うのだ」
糸鋸は、茶はキッチンに戻って淹れようと、温かな御剣の声を噛みしめながら気づかれぬようにそっと踵を返した。