「異議あり!」
割れ鐘のような糸鋸の声が御剣の執務室に響き渡る。
戻って来た御剣は廊下中に響いていた糸鋸の声にやれやれと苦笑しながらドアを開けた。
「検事!おかえりなさいッス!」
「一体何事だ」
笑っている御剣に、糸鋸は恥ずかしそうに頭をかく。
「待ってる間にちょっと練習を…」
「異議の?何故そのような練習を」
「だって自分相棒ッスよ?息が合ってるところを見せたいッス」
誰に見せるというのだ…御剣は肩をすくめ、ため息をついた。後で同じフロアの検事達に騒々しかった事の詫びを入れなくては。
「結構サマになってきたと思うッス。合わせてもらっていいッスか?」
糸鋸が御剣の後ろに付く。御剣は苦笑しながらも、いつも自分の背中を守る糸鋸に応えるべく、姿勢を正した。
「こうやって自分が後ろで、公私共に検事を支えてるところをアピールッス!…じゃあ行くッスよ!せーの!」
「「異議あり!」」
「バッチリッス!これで次の現場は自分達が主役ッスね」
その前に、キミは現場で私と同時に証言のムジュンに気がつくのだろうか…と、御剣は困惑したが、大喜びしている糸鋸に水を注すのもどうかと思ったのでとりあえず笑っておいた。
小さく開いていた執務室のドア。その隙間から見慣れたブーツの足が差し込まれる。ひょいっと覗いた美雲の笑顔に御剣が笑顔でうなずき、糸鋸に気づかれぬようにそっと人差し指を唇に当てる。
「その…リクエストしてもいいだろうか」
「ん?なんスか?」
一層嬉しさの増した笑顔に御剣がほくそ笑む。
「トノサマンさみだれ突き」
「えっ!それは…」
「お願いする」
「うう…どうだったッスかね」
御剣がトノサマンスピアー代わりにハタキを握らせる。困った顔でポーズを取る糸鋸に御剣の演技指導が入る。
「もう少しこちら側の肩を入れて…」
「こ、こうッス?」
「そうだ。…ム。顔に真剣さが足りない。先程の異議あり!を思い出すのだ」
「ハッ!では、行かせていただくッス!“トノサマン、さみだれ突き!!”」
ノッてきた糸鋸に見得を切らせて少し離れて御剣は腕組みをして頷く。
「よし。そのまま動かないでくれたまえ、刑事」
「この態勢結構ツラいッスね…それにハタキじゃカッコいいような気もあんまり…ん?何で笑ってるッス?」
「…ハーイ!オーケーでーす!」
「うム。ご苦労、ミクモくん」
美雲が目の前に現れる。その手にはスパイカメラが握られている。
「あっ!ミクモちゃん…まさか検事、ミクモちゃんがいる事、」
「もちろん気づいていた。ミクモくんの期待を裏切らないためにもキミに協力してもらったという訳だ」
「ちょ、ちょっと待って、」
「ノコちゃん、カッコ良かったよ!」
「…ホントッス?」
「うん、最高!ね!ミツルギさん」
「うム。刑事の真剣な顔は大変レアなのだ」
「あっ!ヒドイッス!自分いつだって真剣ッスよ!」
「うん。知ってるよ。けどノコちゃんいつもイイ笑顔だから」
「うーん。なんか腑に落ちないッス…」
「さて!いい写真も撮れたし、今日のおみやげはそんなノコちゃんにぴったり!とのさまんじゅうです」
「ご苦労だった刑事。お茶にしよう」
満足してうなずきながら御剣は、糸鋸のお気に入りの茶葉を取り出した。
「圭介…」
「なんスか」
「ミクモくんから先ほどの写真が送られて来たのだが…」
「え?…あっ、ホントッスね。どれどれ…」
糸鋸はスーツのポケットに入れたままだった携帯を取り出し、座卓に戻って開いた。
「あんなはしゃいだトコ見られてたなんて、なんか照れるッスねー」
「イヤ、それが…」
携帯を手にしたまま、喜ぶどころかどこか上の空の御剣に首を傾げながら、糸鋸は美雲からのメールを開く。
「アレ?なんかファイルがいっぱいあるッスね」
とりあえず一つファイルを開くと画面いっぱいに表示されたのは。
「これ、二人でキメた異議ありじゃないッスか!」
「そうなのだ」
御剣は頬杖をついて他所を見ながら茶を啜る。
「怜侍クンの異議あり!の顔はヤッパリカッコイイッス」
「…ミクモくんはいつから来ていたのだろうか」
「そりゃ、怜侍クン来てすぐ後には来てないと、これ撮れないッスよ…アレ?ミクモちゃん来てたの、気付いてたって言ってなかったッスか?」
様子のおかしい御剣にせんべいを押しやると、糸鋸は次のファイルを開く。
「ぶッ!こ、これは…」
「うム」
そこには、糸鋸にもたれている御剣。その御剣の肩には糸鋸の腕が回され、二人してこれ以上無い程のムードを醸し出している。
「イイ笑顔ってもしかしてコレッスか…」
「迂闊だった。だが送ってくれている以上、ミクモくんもおかしな想像をしてはいまい。していないと思いたい…」
「でもこれ、すごくイイッス。写真立てに入れて飾りたいッス」
急須にお湯を注ぎながら、糸鋸は嬉しそうに画面に見いっている。
「心臓に悪い。ヤタガラスにはもう少し活動を控えてもらわなければ」
「さあ、落ち着くッスよ」
御剣の湯飲みにおかわりが注がれる。
「ああ。イヤ、今のは言葉の、」
幸せそうに画面に見いっている糸鋸を見て、御剣は皆まで言うのをやめ、茶をすすった。
「ミクモくんに返信をお願いする」
「ハイッス」
「明日はフォトフレームを探しに行こう」
「!やったッス!自分のデスクに飾るッス!海外ドラマの刑事みたいに!」
「…やはりやめよう」
「えっ?なんでッスか!どーしてッスか!?」
「刑事課がちょっとした騒ぎになる」
危機感の無い糸鋸に、御剣はやれやれと首を振る。
「やっぱりおかしいッス?」
「うム。何の言い訳も思いつかない」
「うー、行きたかったッス…」
あからさまに肩を落とした糸鋸の様子に、御剣はため息をつく。
「…私のデスクに置くので我慢できるなら、行ってもいい」
「え?」
「私のデスクを見るのはキミだけだからな」
静かな御剣の微笑みに、糸鋸は胸を張ると、
「いつか自分のオフィスを手に入れるまで、預けておくだけッスからね」
と大きくうなずく。
頬杖をついた御剣は得意げな糸鋸の顔にうなずいて目を伏せると、パリ、とせんべいをかじった。