自分は黙秘するッス。ずっとあの人のそばにいるために。自分の不利になる証言は出来ないッス。

自分には閲覧を禁止していたあのファイル。
それを使ってあの弁護士は鮮やかに大切なあの人を救った。
ずっとあの人を苦しめていた悪夢から解放した。
喜ばしいことだ。それを糸鋸自身望んだからこそ資料室への立ち入りを許可した。

だが悔しい気持ちに変わりはなかった。過去と別れた御剣と一緒に犯罪に立ち向かっていくはずだったのに、今度は捏造事件が御剣を苦しめた。
辞表まで書いていた御剣を何とか救いたかった。だが御剣は糸鋸を復職させると法廷に立たなくなり、挙げ句一通のメモを残して消えた。

どんな手を使ったのか、文字通り消えていた。
行方不明者でもなければ捜査も出来ない。糸鋸には自分の足を使うしかなかったが、それでも思いつく所には次々足を運んだ。
的外れな事をしているのは分かっていた。だが動いていないとどうにかなってしまいそうだった。

真夜中になって部屋に戻った糸鋸は、今日も何一つ成果の無かった事に落ち込みながら、携帯を開いた。
未送信ボックスには一件のメールがある。御剣と知り合ってしばらくした頃に打ったそのメールは、これからも送られる事はない。
送ってしまったら。自分が御剣に対して何を思っているかを知ったなら。今までどんな目で彼を見ていたか知ってしまったら。

あの日、糸鋸は恋をした。
震えながら自分にすがる、涙の滲んだその顔を見た時に。
地震が起きると前後不覚になり、ひどい時には気を失ってしまう御剣。
初めてそれを目の当たりにして焦りながら、必死になって助けようとしたあの日。
意識を取り戻した御剣は、糸鋸にしがみついたまま、情けないだろう?とぽつりと呟いた。

着信音が鳴って驚いた糸鋸は、落としそうになりながら着信を確認する。
見慣れない数字の羅列。だが着信している以上、それは電話番号に間違いない。
(これは海外?…!)
「検事!」
通話ボタンを押すやいなや、糸鋸は叫んでいた。
「御剣検事ッスね!?大丈夫ッスか!どこにいるッスか!」
『いや、その…大丈夫だ』
紛れもない御剣の声が、疲れ切った糸鋸の体にあっという間に力を与える。無事だった。がくりと膝を折り、座り込むと涙が溢れてきた。
「ホントに、ホントに良かったッス…検事にもしもの事があったら、自分はもう…うう」
『キミこそ、その…きちんと仕事を、』
「何言ってるッス!そんな事してる場合じゃなかったッス!検事の足取りを追うために自分はずっと駆けずり回って、」
『やはりか。そうなるのではないかと今気が付いたのでね。こうして連絡を、』
「無事だったッスね…」
受話器の向こうから御剣の当惑が伝わってくるがこみ上げる涙をどうしても止められない。
『済まなかった。本当に』
「もういいッスよ。で、いつ帰って来るッス?」
『う…』
言葉に詰まった御剣の様子に、糸鋸の安堵が陰った。
『まだ分からない』
「どうして!」
信じたくなかった。こんなに近くに聞こえる御剣の声。なのに手は届かない。
今までも我慢していたのに、それすら叶わなくなる。
『時間が欲しいのだ。どうしたらいいのか、わからない。そのせいでキミにもたくさん迷惑を掛けた』
「迷惑なんて思った事無いッス!自分頑張るッスから。…なら、自分が今すぐそっちに行くッス!」
『ダメだ。キミはそうやって私を放っておいたりはするまい』
「当たり前ッス!自分じゃダメなんスか!?そんなに頼りにならないッスか!」
『そ、そうではない』
電話の向こうの声は心細さでいっぱいだ。それなのにどこまでも拒否してくる事に糸鋸は憤り、携帯を握りしめた。
『これは私が自分の力で向き合わなければいけない。そう思うのだ』
警察への不信はそのまま自分への不信になるのか。糸鋸は歯噛みする。
『どうか分かってくれ。きっと答えを見つけてみせる。いつか必ず戻る』
「…分かったッス」
全力で拒否する自分の心を必死で押さえつけ、糸鋸は返事をした。
「けど…約束して欲しい事があるッス」
『なんだろうか』
「自分、毎日電話するッス。必ず出て欲しいッス」
普段なら言えなかった事が言えてしまう。構いはしない。彼は、死を選ぶ、などと書き置きを残したのだ。糸鋸に躊躇はなかった。
『刑事…』
呆れられたのか、苦笑しているような御剣の声が届く。
「自分、心配でずっと眠れなかったッス。どうしても会えないならそのくらい許して欲しいッス」
『分かった。約束しよう。だが電話はとりあえずこちらからさせてもらう』
「ダメッス!もし連絡がなかったら、自分は今度こそ、」
『海外への通話料金は…』
「あ…」
『少し待っていたまえ。キミからの通話をこちらで払えるようにしておこう』
「は、ハイッス!」
『周りに気付かせないように気を付けて欲しい。私がこうしている事はキミしか知らない。他言無用だ』
「了解ッス!」
『ではそろそろ休みたまえ。話せて良かった。感謝している』
「そんな、滅相もないッス。本当に良かったッス」
『ゆっくり休んでくれ』
「おやすみなさいッス!御剣検事。明日、明日電話待ってるッス。約束ッスよ!」
『約束だ。また明日』

電話は切れた。二人の秘密が出来た事に糸鋸はしばらく携帯を握りしめながら呆けていたが、気がついて携帯を閉じると横になった。

あの人が連絡をくれた。まだ自分は信じてもらえている。そのはずだ。
握ったままの携帯をもう一度開いた。今は御剣と自分をつなぐ唯一のもの。その未送信ボックス。そう、自分は…

黙秘するッス。証言を拒否するッス。あの人がこれ以上遠くに行かないように。ずっとあの人のそばにいるために。

「…愛しています」

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