「本当にミツルギさん思いだね、ノコちゃんは」
糸鋸の出した煎茶を飲みながら、呟いた美雲がチョコボールをつまむ。
「そうッスか?」
糸鋸も茶をすすりながらチョコボールを一緒になってつまむ。
穏やかな日差し。御剣はまだ来ない。弓彦の法廷に付き添っているのだが、やはり長引いてしまったらしい。
「だってこうやってミツルギさんに付き合ってチョコボール食べる人、他にいる?」
「今日はミクモちゃんのおかげで助かってるッス」
「それは…なんかヤッパリ責任感じるかな」
きっかけは美雲がバレンタインに二人にあげたトノサマンチョコボールだった。
応募券を集めて送るとオリジナルストーリー収録のファンディスクをもらえるキャンペーン中で、それを見つけてウズウズした御剣の顔に糸鋸が気づいた、という訳だ。
「ミクモちゃんがこのチョコくれなかったら、検事も自分も気づかなかったッス。検事はスゴく喜んでたッスよ」
「で、ノコちゃんはチョコボールの処分に巻き込まれてる、と」
美雲は肩をすくめて煎茶の似合わない、御剣自慢のティーカップを口に運ぶ。
「コレ、結構ウマイッスよ。それにこれだけの量を検事一人で食べたら、絶対鼻血出ちゃうッス。異議あり!って叫んだ途端に鼻血出たら…」
御剣が眉間にシワを寄せ、指を突きつけたまま、法廷で盛大に鼻血を噴出しているシーンを思い浮かべてしまった美雲が、吹き出すのを必死にこらえる。
一方の糸鋸は自分の湯飲みで煎茶を飲みながら、あっという間に一箱を片付けた。
御剣が、自分がいない時にはティーセットを自由に使って欲しいと糸鋸に言っているのを美雲は聞いている。
だが糸鋸は頑としてそれを聞かず、自分が持ってきた湯飲みを使うし、茶葉も御剣のコレクションではなく、自分が買ってきた日本茶という徹底ぶりだ。
「けど、どうしたんだろうねミツルギさん」
「そうッスね…まさか捜査に不備でもあって、そこを突かれてるッスかね。やっぱり自分も傍聴したかったッス」
どうやら御剣ご自慢の超高級ティーセットを壊すのが怖いらしい。
美雲は自分の持っているカップに目を落とす。この一客が一体いくらするものなのか、見当もつかない。以前、御剣に尋ねた時には、優雅に両手を広げて肩をすくめるお得意のポーズで誤魔化されたが、もう手に入らないのだから慎重に扱ってくれたまえ。と釘を刺された。
そして紅茶は、その茶葉毎の適温や抽出時間が御剣の中で完璧に設定されているから、とても自分には真似出来ない、と糸鋸は言っていた。
「相棒だもんね、ノコちゃんは…あ、」
規則正しい静かな足音が止まり、扉が開く。
「ミツルギさん、お疲れさまです!先に始めちゃってまーす」
「ああ、遅くなって済まない」
「お疲れさまッス!」
「刑事、キミも待たせて済まない。しかも結構食べてくれてるな。私も負けてはいられない」
「まだまだ食べるッス。…お茶どうッスか?」
「ああ。欲しい」
「お疲れの時は…コイツッス!」
いそいそと用意を始めた糸鋸の背中。だが取り出したのは、美雲が手にしているカップと同じ。しかも紅茶の缶とポットまで手にしている。
「…」
御剣がそっとソファーに掛け、襟元を少し緩めて目を閉じる。
御剣が淹れる時と同じに華やかに漂ってくる紅茶の香り。
その一部始終を瞬きも忘れて見守る美雲。
音も立てずに落ちた砂時計を見て、糸鋸は慣れた手つきで紅茶を注ぐ。
「…良し!さあ検事」
「…ありがとう」
立ちのぼった香りに目を開けて体を起こし、しゃがんでいる糸鋸からカップを受け取ると、御剣の唇には笑みが浮かぶ。
「ミクモちゃんも、これでよかったらおかわりあるッスよ」
振り返った糸鋸に曖昧な笑みで美雲は首を振る。
それよりどうして当たり前に紅茶なのか知りたいよ、ノコちゃん…完璧なミツルギさんの淹れ方、真似出来ないって言ってたよね。ましてミツルギさん、当の本人だよ?
「美味しい」
カップにそっと口をつけた御剣が安らかな笑みを浮かべ、瞳を伏せてほっと息をついている。
ミツルギさんも!紅茶飲む時のあのウンチクはどこに?それにどこで飲んでも美味しいなんてまず言わないじゃないですか。
ムズムズしている美雲をよそに、糸鋸が労う。
「大変だったッスか」
「ああ、かなり苦戦していた。弁の立つ被告人の挑発に幾度となく乗ってしまい、その度に立証をはぐらかされてしまった。
だが、なんとか冷静さを取り戻し、流れの見極めも大切であると彼自身の力で気がつく事が出来た。
…そういえば証人として来ていたキミの部下もひどく浮き足だっていたな」
「ああっ!すまねッス!ちゃんと予行演習はするように言ってあったッスのに…」
御剣が肩をすくめてチョコボールを口にする。
「何事も経験だ。私もいい勉強になった」
「アイツにはキツく言っておくッス!」
「程々にな」
そんな糸鋸に微笑み、やれやれと御剣は首を振る。
「キミに認めてもらいたいと気負ってしまったように見えた。私を気にしていたからな。何かあればすぐにキミの耳に入ると怯えていたのではないだろうか」
「マッタク、気にしなきゃいけないのは一柳検事ッスのに」
「…ミクモくん、覚えているかな?糸鋸刑事がキミとの約束を懸命に守った事を」
「モチロンです」
答えた美雲が御剣の言わんとするところに気がつく。
「そうか、その刑事さん、デカダマシイの持ち主なんですね」
「そういうことだ」
「え?」
「全く、デカダマシイとは厄介なものだな、糸鋸刑事」
「うう…」
御剣に失態を見せたらしい部下の様子を聞いて一度はいきり立った糸鋸だったが、覚えのある理由を匂わされて頭をかきながら肩を落とす。
「だが、ワレワレ検事は結果的にそのデカダマシイに助けられるものだ。今日もそうだ。一柳くんにもいい刺激になっただろう」
「あれ?そう言えば一柳検事は」
「頭を冷したいそうだ。エントランスにいるだろう」
「え?何か失敗したんですか?」
立ち上った美雲に御剣は目を伏せて首を振る。
「いや。彼は本当に頑張った。まだまだ粗削りで、汗まみれ、涙まみれになりながら、それでも最後には被告の罪を完璧に立証した。
…だが本人は不満があるらしい」
「ちょっと私、見て来ます」
チョコボールを一箱持って美雲が執務室を飛び出して行く。
「そっとしておいて」
手を伸ばした御剣の前で扉は閉まる。
「…やりたまえ」
苦笑する糸鋸が、手を伸ばしたまま固まっている御剣の肩を叩く。
「歳が近い方がいい時もあるッス」
「…」
「サミシイッス?」
「…おかわり!」
ムスッとした顔で突きつけられたカップを受け取ると、糸鋸は陽気な笑い声を上げてまたお茶の支度を始めた。
「結局ノコちゃん、紅茶はミツルギさんにだけって話だったんだー」
美雲はエレベーターを待ちながら、チョコボールの箱をお手玉にする。
ノコちゃんの紅茶はミツルギさんを幸せにするためにあるんだね。
しょぼくれている弓彦の姿が目に浮かぶ。
もうすぐノコちゃんの紅茶飲んで元気になったミツルギさんが、私達に紅茶淹れてくれるよ。今日のおやつ、このチョコボールだけど…
「ミツルギさんの紅茶はみんなを幸せにするの。ゼッタイ効くから!」
軽い音を立てて、落ちて来た箱を華麗にキャッチした美雲は、開いたドアに得意げな顔で滑り込んだ。