いつもの夜。いつもの電話。
仕事を終えた糸鋸の電話はいつも、自分の仕事の話から始まる。
御剣が何より聞いてくれるのがその話だから。御剣に恥ずかしくない報告をするために、今まで以上に捜査に打ち込む糸鋸。
そうすると余計に御剣の不在が身に染みる。
本当は検事の事、聞きたいッス。
誰に会って、何を見て。日本とは違う向こうの法廷で、どんな事を感じているのか。
そして何より、心穏やかに過ごせているのか。
けど、
『変わりはない』
いつも一言で終わりッス。せめてそばにいられれば、どんなに楽になるッスかね…
「ひどい話だったッス。マコクンはうまいこと利用されて逮捕されてるし、しかも犯人はあの成歩堂龍一のフリをして、適当な弁護でマコクンを有罪にしたッス」
『成歩堂のニセモノとは驚きだな。そこまで力を付けたか。さすがだ…』
ホラ、またッス。アイツの名前を出せば、検事の声色は、どこか柔らかくなって。
マコクンは自分にとってはやっぱり危なっかしい後輩で。努めて意識しようと思ったりもしたッスよね。後輩としてではなく女の子として見よう、と。
そうすれば検事の事、こんな風に思わずに済む、そう思って。
「…で、もう少しで証拠が奪われるとこだったッスよ!ギリギリで飛び込んで、なんとか二人を逃がしたッス」
『何だと?ケガは!?』
これッス。分かってるッスよ。検事をがっかりさせる訳ないじゃないッスか。
「大丈夫ッス。二人とも、もちろん証拠品も無事で」
『キミにケガはなかったのか聞いている!』
え。
『刑事!?』
何言ってるッス…
「やー、なんともないッス。いざ一対一になったら急に怒鳴るだけ怒鳴って逃げて行ったッスよ」
『…本当だな?』
検事今、ほっとしなかったッスか。今聞こえたの、ため息ッスよね?
『無茶はするなというのに』
「んぐ」
あ、声出ちまったッス。ひどいッス。そんな言葉。反則ッス。でも止まらないッス…
『約束なのだから守って欲しい』
良かった、バレなかったみたいッスね、泣いたの。
「男、糸鋸圭介、約束は絶対守るッス!」
『ならいい』
やっぱり。やっぱりムリッスね。検事の事、自分の中から消すなんて。
「それから、…」
糸鋸からの電話が鳴り出す。
御剣は定時連絡と名付けているが、もちろん内容はそんな無味乾燥なものではない。
糸鋸が伝えてくる毎日の仕事ぶりは相変わらずで、それが何より安らぐ。落ち着きなく動いて貪欲に各国の法廷の在り方を吸収する御剣がいつか帰る理由。
キミに助言を求められる時が一番の喜びだ。私などいなくても立派にやっている。それを頼もしくも寂しく感じている私を見透かしたように頼ってくれる事が嬉しい。
キミの期待を裏切らぬよう、私は今も学び続けている。見ていたまえ。
『…まあ、今となっては笑い話ッス。マコクンが殺人なんて出来るはずないッス』
マコクン、か。彼女に好意を寄せているのだろう?笑い話と言うが、彼女の名前を出すキミにはいつもの陽気さが無い。真剣なのだな…
「キミも辛い立場だったな」
私が被告となったあの事件。キミが証言台に立った姿、忘れるものか。
キミは先生に責められながらも、私に不利な証言をするまいと必死だった。
そのキミが他の誰かを、それも彼女を思いやる言葉。本当は聞きたくないのに、私は話の分かる元上司でいようと努めている。
キミに嫌われたくはないからな。
それが苦もなく出来るようになった時、私は本当に帰ることが叶うのだろう。
『マコクン、今度お礼するって言ってたッスよ。自分、当たり前の事しただけだから何もいらないって言ったッスけど』
「せっかくの好意を無にしてはいけない」
だから本当に自然にこの言葉が出る事が誇らしくさえ思えるのだよ。知っているだろうか、刑事。
『…そうッスか』
「そうとも。礼を受けるにふさわしい行いだったという事だ」
『それより検事…』
浮かない声だな。
『自分、頑張ったッスよ?』
それはもう充分聞いた。キミの大好きな彼女も、きっとキミを見直したはずだ。もっと喜びたまえ。
「キミはよくやった」
『やっともらえたッス!』
…何?
『褒めてもらえたら検事が帰ってくる日が近づく気がするッス!だから…』
何故今、キミはそんなに声を弾ませた…
「ふっ…く」
『あ、笑ったッスね?こうなったら無理やりでも連れて帰るッスよ!?』
御剣は受話口を塞ぎ、嗚咽を飲み込んだ。
刑事の性か。私を追い詰めてどうする。
電話ならキミに分かりようもないといっても限度というものがある。
邪魔をするな。あとわずかで検事、御剣怜侍の仮面は出来上がる。
「バカな。…」
※油断大敵