互いに別の法廷から戻った二人が待ち合わせの上級検事執務室で落ち合ったのは、そろそろ陽も落ちる頃だった。
「証拠品の捏造…腑に落ちん」
「まあ、被告人の行方が分からない事には手が出せないッス」
「私のゴシップを知って弁護士になったほどの男がする事ではない。…もう少し情報が欲しいが」
がっかりした顔を隠さずに隣に座る糸鋸の手を御剣が包む。
「他意は無い」
「分かってるッスけど…面白くないッス。せっかく成歩堂からイッポン取ったのにケチ付いちまったッス」
「…では例の新人の様子を聞かせてくれないだろうか」
御剣とはまた違うお坊ちゃんぶりを発揮していた新人検事を糸鋸は思い出す。
「あのボウヤッスか」
「サラブレッドの呼び声も高い彼の法廷を楽しみにしていたではないか」
頭の後ろに腕を組み、糸鋸は伸びをした。
「そりゃ…初めて会った時の検事みたいな若い才能を間近に見るチャンスと思ってたッスけどねー」
「違ったのか」
「ノリは良かったッス。さすがあのガリューウェーブのリーダーで、」
「バンドの片手間に検事、か」
糸鋸の言葉を遮り、御剣は肩をすくめる。
「本人はバンドの方が遊びだと言ってたッスが」
「そうでなければ困る」
御剣が眉をひそめ、足を組み替える。
「それはおいといても、余程の天才でもないとあの成歩堂龍一相手じゃ分が悪いッス。手の平の上でコロコロ〜っと」
今度は糸鋸が肩をすくめて笑った。
「見事なコボウズ検事っぷりだったッスな」
「コボウズ…」
振り返った御剣が口の端で笑う。
「初めて法廷に立とうとする私をコボウズと呼んだ新人刑事がいたな」
「わ、忘れて欲しいッス」
「それにしても容赦の無い評価だ」
皮肉のにじんでいた御剣の口の端が緩む。
「確かに、自分は点がカラいかも知れないッス。何しろ刑事になって初めて組ませてもらったのが御剣検事だったッスからね」
糸鋸が胸を張る。
「色んな検事を見てきたッスが、御剣検事は特別ッス」
「特別、か」
腕組みをして、御剣は目を閉じる。
「先生の教えを体現して有罪を勝ち取る事だけが検事の仕事だと信じていた。小さな世界しか知らずに、それを全てと思い込んでいたコボウズだった」
「けど、そのコボウズはマヌケな新人刑事がぶちこまれそうになるのを助けたッス。あの時はまだ分からなかったッスが今はもう知ってるッス。あれがどれだけスゴい事だったか。並の検事なら終わってたッス」
眩し気に自分を見つめる糸鋸に、御剣は首を横に振る。
「父を奪った人間を師と仰いだ愚かな私だが、検事になって良かった。キミに、出会えた」
「自分もホントに刑事で良かったと思ってるッスよ。けど…」
薄暮の広がる窓の外を眺め、糸鋸は呟く。
「御剣検事が検事でも、弁護士でも、自分が刑事でも、そうじゃなくても、絶対どこかで出会って、こんな風に一緒にいたッス」
ソファーにもたれた御剣に向き直る。御剣の顔には、少し疲れが滲んでいて、糸鋸はいとおしむようにその頬を両手で包む。
「出会う事に、なっていたッス」
「私は今も不思議だ…キミがいて、私を見ている」
糸鋸の手のひらの温かさに御剣が目を伏せる。
「何言ってるッス」
「まるで奇跡だ」
「…」
糸鋸の手に自分の手を添えて首を傾げている御剣。抱きしめるのを我慢する代わりに、糸鋸は御剣の柔らかな髪をくしゃくしゃにした。
「刑事!」
「キセキはこんなイタズラしないッスよ」
くしゃくしゃにした髪を元通りに撫でつける糸鋸の照れた笑みに、御剣はまた目を伏せて身を任せる。
手櫛で柔らかな髪を漉きながら糸鋸は尋ねた。
「ピアノが聴きたいッス…ちょっと出掛けないッスか」
「キミはピアノよりロックの方が好きではないか。その…彼の歌のような」
そっぽを向いてソファーの背に頬杖をつき、呟く御剣。彼が拗ねているのだと気づいて、糸鋸は目をしばたく。
「それともそろそろ一杯やりたくなったのだろうか」
「ホントッス!聴きたいッス!」
顔を覗き込んで必死に訴える糸鋸を横目で眺め、子供っぽい嫉妬が恥ずかしくなった御剣は、顔を赤らめる。
「フ。それではなかなか大変な一日を過ごしたキミを労わせてもらおう。だが」
御剣は立ち上がり、手早くデスクを片付けてコートを手に振り返る。
「食事が先だ」
振り返った御剣は、まだ少し眉間に皺を寄せて自分にヤキモチを焼いている。それが嬉しくも恥ずかしく、糸鋸の顔は自然とほころんでくる。
ここを出て、車に乗ったら。そうすれば彼は法廷から自分の手に戻る。
「いつもの店でいいッスか?」
「ちょっと行ってみたい店がある。今夜は私に任せてくれないか」
今日はなんだか待ちきれない。
さっきまで法廷で証言を漏らさず絞りだし、完璧な有罪判決を勝ち取ってきた天才検事。
その天才が自分で新人検事の事を聞いておいて、そして彼に興味を持ったのかと嫉妬している。
糸鋸は御剣の手からコートを取ると、後ろを向かせて羽織らせた。
糸鋸はそのまま腰に手を回して御剣を誘い、二人は執務室を出る。
御剣が鍵を掛ける。検事局の廊下に響いたその音を合図に、糸鋸は御剣の耳に口を寄せ、囁いた。
「今日の自分のゴホウビは怜侍クンのピアノとウイスキーッスね」
「…やはり酒目当てではないか」
赤くなった顔を隠そうと先に立って歩き出した御剣の後を糸鋸は誇らし気に微笑んでついて行った。
※ピアノバーでたまに演奏を披露しているミッちゃんとかカッコいい