02.錬成

紡ぎましょう、恋の錬成。

 がさごそ、と植え込みをかきわけて茂みに入ると、そこには見慣れた背中があった。小さくしゃがんで、地面に何かを書いている。
 俺は、くわえていた煙草をひょこっと口で上下させて喋った。
「まーた何やってんですか、大佐ぁ」
 びくっ!と体が跳ねる所を見ると、自分が近づいてきたことに気づいていなかったらしい。軍人にあるまじき無警戒さである。中尉が口をすっぱくして、銃を携帯しろと言っている意味が朧げながら理解できた。
「……こんな所でさぼってぇ。中尉がかんかんに怒ってますよ」
「……だって、あれは中尉が悪い」
 だってって。
 いい年した男が言う言葉かい。
 内心呆然としつつ(この人と付き合っていて、呆然としなかったことなんてなかったんだが)煙草を口から離し、もぞもぞと未だに立ち上がろうとしない大佐の横に座った。何か言いたいことがあるのだろう。言って貰ったからといって、それをどうすればいいのかは別問題なのだが。
「私はきちんと、仕事をしていたぞ」
「そうみたいですねぇ。なのになんで、喧嘩したんです?」
「……お前また知りもせずに、探しに来たのか」
 俺――――ジャン・ハボック――――は肩をすくめる。理由を聞いたからなんなのだ、と言外に苦笑する。彼ら二人の口喧嘩など、日常茶飯事なのだ。探せと言われれば探す。それまでのことだから――――
「だから聞いてるじゃないですか、ホークアイ中尉からは聞く余裕がなかったんすよ。もうもの凄い勢いで怒ってたんすから」
「……そうか」
 大佐はそう呟いて、またかりかりと地面に何かを書いている。時折内ポケットから手帳を取り出し、戻し、取り出してはかりかりと書いているのだ。俺はそっと覗き込んだ。
「……それ、錬成陣すか」
「ああ」
「まさかそれ、仕事中に書いてたんですか」
「ああ。聞いてくれ、酷いんだぞ中尉は。私が一生懸命に書いていた錬成陣の紙を、目の前で燃やしてしまった……また一からやり直しだ」
「………」
「なんだその目は。ちゃんと仕事もしてたんだぞ」
 ホークアイ中尉が、怒った理由がなんとなく分かってきた。彼女は、以前の事件を思い出し即座にやめるように言ったのだろう。
「サインを書いて、書類に目を通しては時々錬成陣に手を加えていた。まだこれは研究中だったからな……昨日の夜に新しいことを思いついてな。忘れないうちに実験もしたかったし」
「……そりゃ、中尉も怒りますよ……」
 以前、彼がまだ中佐の時。軍部でも部下いびりで有名な男が、上司についていた。出世頭で、見目もよく、仕事も出来て――――錬金術師で。当時のロイ大佐は格好の的だったろう。本来なら上司が受け持つはずの書類も、全てロイ大佐がやらされていた。(だから今でも仕事が嫌いなのか?)それは見ているこちらが哀れになりそうな程で、ちょっと同情的な目も集めていたくらいだ。いじめ抜かれていたそんなある日、国家錬金術師が世に現れて以来有名な事件が起こったのだ。
 ロイ大佐は、その日も書類に追われていた。丁寧にサインされたそれを、嫌われていた上司が受け取る。そしていつも通りに、上司はその書類を持って本部に赴く――――と。提出しようと取り出した途端、上司の目の前で全ての書類が灰と化した。それはまるで夢の様に綺麗に、窓から入った風に飛ばされたそうだ。
 少将以上の位の者に報告する、大切な書類だったにも関わらず……だ。それもタイミングの悪いことに、衆目の集まる場所で。当然ながら、上司は慌てた。報告書はどうしたと尋ねられても、要領は得ず。(ロイ大佐に任せていたなんて、口が裂けても言えないし。またその所為で悪戯されて燃えてしまったなんて尚更!)結局その上司は、その小さな事件を綻びとして最終的には賄賂を受け取っていたことを公安に暴かれ。早々に退職させられた。
 もちろん犯人は大佐だ。いびられる腹いせに、当時開発中だった発火布に染み込ませる特殊インクを使って、水分が乾ききった瞬間に発火するよう一枚一枚書類に錬成陣を描いていったのだそうだ。
 ホークアイ中尉は、その事件を思い出してデスクで錬成陣を書き始めたロイ大佐を叱ったのだろう。『珍しく仕事をしていると思ったら、あの人は……!』と、しきりに呟いていたのはそのことだったのだ。
「早く戻って下さい。書類が山になってるんでしょ。俺も忙しいンすから……お願いしますよぅ」
「どうして忙しいんだ」
「へ? あ、あぁ……今朝未明。どうやら食糧庫に泥棒が入ったみたいでですね。その調査を……って大佐?」
 ごそごそと、それまで一生懸命に書いていた錬成陣を足で踏みつぶして。急に立ち上がったのだ。
「そうか。では戻ろう」
「ちょっと待った! 一体何の錬成陣だったか、教えてくれてないっすよ」
「いう必要はないな」
「ならその裾についた小麦粉は何なんすか。俺のこの目はちゃーんと見えてますが」
 大佐が立ち上がった瞬間、大佐が体で隠していたモノが白日の下に晒されていた。大量に盗まれて食料庫の小麦粉の袋。高価な卵が十二個パックが三つ(うち一つは空のようだ)に、牛乳瓶が三つ。鍵つきの冷蔵庫に隠されていた、苺と生クリームまで茂みの影から垣間見えている。
「一体何を作るつもりで、材料盗んだりなんかしたんですか」
「盗んでなんかない」
 いい加減短くなりかけて煙草をくわえて。俺は、しわくちゃになった調査書を開く。立ち上がって内訳を確かめた。
「盗まれた内訳と同じものがそこにあるんですが。いいから吐いちまってください」
「う……だから、研究のために、だな」
「アンタは国家錬金術師で。研究費なんて馬鹿みたいにあるでしょうが。なんでわざわざ……」
「それはだからな、昨夜急に思いついたからで……」
「だからって盗んだりしますかねぇ?」
「………。」
 お、黙り込んだ。拗ねた子供のように、頬を心なしか膨らませてるような。全く、と内心俺は苦笑する――――それも多分に好感を含めて。
「自費で買った。だが、それでも足りなかった……先週から、街で大量に買い込んだが……失敗ばかりで……でも、失敗ばかりで間に合わなくて……」
「失敗? 大佐が?」
 ますますぶすくれたように、そっぽを向く。
「実験なんだ。失敗だってする……とにかく、街でほとんど買い占めてしまうことになって……業者から断られたんだ。だから……」
「はぁー……そんなに失敗したンすか……」
 だから、即日に材料を欲して盗みを働いたわけだ。東方司令本部では、上司があまりいない状況の大佐でも……盗みは大罪だ。軽々しくするものじゃない。
(……それほどのリスクを背負う、実験ねぇ)
 ますます興味が増した。何を作ろうとしていたのか……。
 じ、と大佐を見つめる……と。彼はぽろりと言葉を吐いた。

「……ケーキだ」

 ……ぽと、と。衝撃に煙草を落とした。なんだってぇ?
 俺の目はまん丸だったと思う。驚きように、気まずくなったのか。大佐は背中を向けてぶつぶつと言い訳をしだした。
「……今日は、お前の誕生日だったろうが……」
「……あ、はぁ……そうっすけど」
 今の今まで忘れてました、とは口に出来なかった。
「……とにかく、そういうことだ」
「いや、何も錬成陣でやらなくても。ふつーに……」
 普通に作れば早いじゃないっすか、と言いかけて。自然と口を噤んだ。誰が考えたってそうだ。錬成なんかするより、ケーキなんて普通に作った方が早いに決まってる。大佐だって分かってた筈で。
「……失敗しすぎるから、錬成しようとしたんすか」
「ふん……無理だったな。来年までには出来るようにする」
「……ちょっと」
 ちょっと、待って下さいよ……口に出来たのは、前半だけで。
「何だ。何か文句でもあるのか」
 あるわけがない。
 このどうしようもない歓喜を、何処へ解放すればいいのだ。
「いえ。とりあえず、これを食料庫に戻しておきます」
「うむ……どう言い訳するつもりだ?」
「適当に誤魔化しておきますよ。俺の為だったんだから……」
 うん、と小さく頷きながら。俺は言う。
「中尉ン所も、ご一緒しましょ」
 それは一緒に怒鳴られよう、という誘いの言葉で。
「本当か?」
「ええ、もちろん」
 明かにほっとしたように、大佐が微笑んだ。新しい煙草をくわえて、火を点けて。ひょこっと上下させながら俺も笑う。


恋の錬成には、成功してますからご安心を。




何というか、それは無謀だろうと思いつつ。
ケーキは絶対無理だって。円の中に延々と呟きながら、文字を描いていったロイ大佐を予想。
『まず、粉と卵を混ぜる錬成を組み込んで……次に分離しないよう、分子レベルで……』
勝手にハボックの誕生日とかにして、ごめんなさい。(逃)

04/01/02 by珠々


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