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05.禁忌
「残念ながら、死産じゃ」 仕事場で急に視界がすぼんできて、意識がなくなったところまでは覚えている。私は、突然倒れたらしかった。気づいた時私は横たわっていて、上から降ってくる言葉を、なんとはなしに耳にしていた。背中の診察台の冷たさが、肌に痛い。 (何のことだろう……) 呆然と、見開いた瞼。目はずっと天井を見つめていた。視界には、なじみの産婦人科のオヤジがいた。いつも口に煙草をくわえていて、けれど妊婦には毒だからと一度も吸った所を見たことがない変わった医者だ。 「……奥さんはよく頑張った。これ以上無理をすれば、母胎が危ない。奥さん本人の承諾を受けなかったのは、本当に申し訳ないと思う。シグ、責められたらワシの名を言いなさい」 「先生……」 「何て言うことなんだ……」 「どういうことなんですか」 夫シグ・カーティスと、先生は診察台の私を挟んで会話していた。唐突に私が声を上げたので、先生はびっくりしたようにくわえていた煙草を落とした。そのままぽとんと、私の胸元に落ちる。動こうとしてけれど、僅かに肩を動かすのが精一杯だった。背筋は固まったままだし、何だか下半身の感覚がない。 嫌な予感がしていた。 「全身麻酔をしていたんだぞ……もう起きられるのか」 「私を普通の妊婦と、同じ扱いにしたのが間違いですよ。まあ、さすがに起きあがれませんが」 「馬鹿者! 動くんじゃない、体に触る!」 先生は慌てたように、ばたばたと走り回った。甲斐甲斐しく私の頭の後ろに、枕を挟んだり。強ばって動かない私の両足を(診察台の上だったので、私の方からは布がかけられて見えない。)そっと閉じたらしかった。体が冷えないよう、ガンガンに暖房はかけられていたし、その上二重三重と服を着せられた。普通ならあり得ない格好だ。熱くていられない筈だから。なのに、私は動けない以上にその好意に体が喜んでいた。どうやら、極端に衰弱していたらしく。 ふぅ、と。先生は一息ついて椅子に座った。シグも、進められて座る。 「……こんなに早く説明するハメになるとは思わなんだ」 「………」 「落ち着いて聞いていなさい、奥さん。子供は死産した」 「………」 「その様子からするに、もう聞こえておったんじゃな?」 「ええ、ほんの少し。どういうことですか」 私が、冷静であると見えているのだろうか。だが、そうではないと夫のシグだけが理解している。……そしてシグからの視線は、痛いほどに感じていた。それは責めからでもない、同情からでもない。心から私を心配するものだと分かっている。だからこそ、尚、私はシグを見返せずに顔を逸らしていた。まだ、分からない。分かっていない……頭も、心も、体も――――現実を。 「お前さんの風邪は、ただの風邪ではなかったんじゃ」 「……え?」 「一ヶ月前には、胎児は元気にしておった。だが、そうここの所風邪ぎみだったそうじゃな?」 先生はすっと。私を通り越し、シグへと視線を流した。彼は頷いたようで、先生も小さく頷く。 「妊婦が風邪をひいてはならん理由は、知っておるな?」 「はい。……だから、すぐに寝て……薬も飲まないようにしました。年があけたら、すぐに先生の所に来るつもりで……」 「そう、症状も軽かったし、奥さんの対応も間違っておらん。ワシもちょうど忙しく……あちこち回っておったしのぅ……こんなことは通常ありえん」 「………?」 「アルチュ・パーセン病じゃ」 「え……?」 「あの……子供特有にかかる病気ですか」 「そうじゃ。かかったが最後、まずたすからん。だが近年ワクチンが開発され、軍の支給で五歳までに注射が義務づけられておる。大人はまずかからん病気なんじゃ。希にワクチンを受けても、十代でかかるものがいるが……」 ふぅーと。彼は深いため息をついた。 「まず風邪とほとんど同じ症状じゃからな……周りの者にはわからんだろう。ワクチンのその小さな穴も、ごく最近になって分かってきた所なんじゃ……。ましてや妊婦がかかるなんていう症例は、初めてだろう」 「赤ちゃん……死んでたんですか」 自分の声が、震えているのが分かった。 「そうじゃ。……二日たっておった。奥さんが気絶しなければまずわからんかっただろう。痛みもなかっただろうしの。そのままにして、今月の検診にきていたら、死体は子宮の中で腐ってお前さんの体を汚染しただろう。倒れたのは、子供が奥さんを助けようとしたのかもしれんな」 そうでもなければ、普通の妊婦じゃないお前さんが倒れたりする筈もない。先生はそう小さく呟いて、白衣のポケットに入っている眼鏡をぐいっと乱暴にかけた。 「……その体にむち打つようだがの、言おう。奥さんの体に関わることじゃ」 「……」 「もう子供は望めん」 「!?」 「幸い子宮を摘出する場合には至らなんだが……凝った血が体に巡っておる。体に負担が掛かりすぎるんじゃ……またパーセン病にかかる確率が高くなる」 「……そんな」 そんな、馬鹿な。 後少しで、安定期に入る所だった。苦しいつわりも、持ち前の体力馬鹿でなんとかのりきって。低い靴を履いて、栄養をとって。まだ膨らみもしない腹を撫でて。 (……子供がいる実感など、まだなかった) 味わう時間さえ、まだなかった。 「そろそろ動けると思うが。家では絶対安静じゃ。一週間後、母胎の様子を見る……また来てくれ」 先生の声は、耳元でしている筈なのにどこか遠くに聞こえた。 赤ちゃん。 出来たと知ったとき、最初にあったのは驚きだった。自分が女であるという自覚が薄かった私は、新しい生命を産めるという体であることに関心があまりなかったのだ。若い頃の私は、”イズミ”であること、自分であることというものの方が優先で、強くあること……そして錬金術を学ぶことが自分を確立させるものなのだと思いこんでいたから。 そんなとき、シグと出逢った。彼は強い男だった。同時に、とても懐が深く思いやり深く……許すことを知っている。また思慮深い男。人生で初めて、恭順でない感情を覚えた。愛していると告げられて、自分も同じであると分かった時の喜び。彼と共に人生を歩む、決意をした自分自身に驚きながらも、幸せの連続だった結婚生活。 子供が欲しいと、彼に言われたことは一度もなかった。私の性格からして、期待していなかったんだと思う。 そのシグに、子供が出来たかもしれないと、告げた時の反応ったらなかった。彼は他人よりも少しガタイがよく、一見強面の顔をしているから子供達が怖がって寄ってこない。でも、本当はとても子供が大好きで、出来ることなら欲しかったのだと。嬉しそうに顔をほころばせて。やんわりと、今まで以上に優しく抱きしめられた。 私自身にあまり感動はなかった。そうなのか、私の子供がなぁ……そんな簡単なもの。近所の奥さんに聞けば、最初はそんなもので。次第に自覚するものなのだと。 小さい頃、はやり病で家族をなくして育ったシグは。家族が出来るのだということが、本当に嬉しそうだった。出産は死ぬほど痛いそうだし、夜泣きするし、驚くほど弱いし、大変だから嫌だなと正直思っていた。けれど彼がそんなに喜んでくれるのなら、産んでみようと。病院に行けば、確かに子を宿していると診断され……。 まだ、二ヶ月ちょっとだぞ……? 母親の自覚のじ、さえなくて。ほんの少しずつ、体に気を使い初めて。シグは、赤ちゃんの日常品を少しずつ買い始めて……。 (どうして、こんなことになったんだ……?) 「すまん……シグ」 部屋に抱きかかえられて、そっと寝かされた時。私は呻くように言った。だるくて、麻酔が切れると下腹が切り裂かれるように痛んだ。もう、そこに何の命もない。 「わたしの……私の所為で……すまない」 涙が出ない。 流せない。ひたすら、私には謝るしかなかった。 「お前の所為じゃない……いいんだ。イズミ」 「……すまない……」 何度謝っても、私は許されないと思った。側について、看病してくれるシグに。何度謝っても謝りきれずに。謝るたびに、絶望は、じわじわと押し寄せた。 明るい日差しの差す部屋で寝ていても、私の視界に光はなかった。まるで盲いたように、真っ暗で。倒れた私を看病しながら、一人店も切り盛りするシグが大変そうだった。「大丈夫だ、ゆっくり休め」そう言って、私の頭を撫でてからでていくシグ。 永遠に与えられない、彼の家族。 また失われてしまった、彼の唯一の家族。 「…………」 寝ている時間は退屈だった。外を走り回る子供たちの声を、ずっと遠くに聞きながら。異様に時間が長く感じた。眠っているのか、起きているのか。それすら曖昧な時間になっていく。 もう一度、頑張れば産めるんじゃないのか。 ただ、私が頑張れさえすれば? 何度となく考えた。だた、アルチュ・パーセン病は血の病だから。血で繋がる子供などは、もろに病気にかかって体を弱らせてしまう。穢れた血で、もう一度子供を育もうとすれば、それはもう一度子供を殺すということだ。そんなことは耐えられない。 (……私の赤ちゃん) 欲しい。欲しかった、この両腕に抱ける筈だった、新しい命。 「……シグ」 気配で、側にいるのは分かっていた。閉じていたんだか、開いていたんだか曖昧な感覚と共に目を向け、彼を見た。うん?と僅かに微笑みながら朝食を差し出してくれる。 「……これから頼む本を、買ってきてくれないか。いつでもいいから」 人体錬成。 禁じられた錬金術を、どうしてしようと思ったのだろう。だが、無自覚にも私は傷ついていた。 人体錬成。 どうして忘れていたんだろう。この錬成のことを。ちょっとでも考えれば、分かることだったのに。人一人作ることは難しいかもしれない。だが、赤ん坊なら。もしかしたら……。 「……あ、ああ。分かった」 「久しぶりに、時間が出来て暇なんだ。いいだろうか」 「もちろんだとも」 やっと反応らしい反応を見せ、食事もしっかりと取り出した私を見て。シグはほっとしたようだった。やると決めたら、私の行動は早い。数年のうちに理論をたて、実行日は必ずシグが肉の買い出しに早朝出かけて戻らない日曜日にしようと決めて。体力を取り戻し、しばらく離れていた錬金術を学び直し。 (必ずとり戻してやる……!) 絶望で崩れ欠けていた精神を、それは驚くほどに立て直した。 「水、アンモニア、リン、硝石……硫黄に、石灰……」 「イズミ、なんだ。それは」 「ん? ちょっと錬金術に必要なものでね」 店に復帰した後も、私は人体錬成をすることを目標に生き続けていた。人体錬成に必要なものは、市場ですぐに買える。しかし、すぐに全てを集めてしまったのではシグに気づかれる。だから少しずつ。集めて……整えて。理論がつくれたその日、最後の要素、塩分を台所から持ってきて錬成陣を描いた。 「……これでよし」 シグはもう出かけていない。朝靄があたりを漂い、息が白くなる冬の早朝。私はそっとその要素の上に血を垂らした。シグの血も、ほんのわずかだがちゃんと採ってある。一滴。それをぽつんと垂らして、私は地面に膝をついた。震える両手を、錬成陣の上に重ねる。 ウォオン。 鈍く、低い音がして錬成陣は光を放ち始めた。 「私の……子供を返せ……!」 バチ!と、花火が耳元で爆発するような音を聞く。あまりの轟音に、耳が痛い――――そう感じた瞬間、私の意識が途切れる。 はっと当たりを見回せば、天井も地面も、右も左もない白の世界が広がっていた。 『よう』 何処かで聞いたような、ないような。奇妙な既視感を与える声がした。振り返れば、靄が人のような形をして蠢いている。なぜだかぞくり、とする。 「……誰だ、お前」 『わたしはお前たちが”世界”と呼ぶ存在』 にやり、と。そいつは笑った。顔など見えない筈なのに、笑っているのが分かったのだ。 『あるいは”宇宙” あるいは”神” あるいは”真理” あるいは”全” あるいは”一”』 私は確信し始めていた。何がどうなったのか。私が何をしたのか、しようとしたのか! 『そして……』 すっと、靄が私を指さす。ごごご、と。突如現れた扉が、背後で開き始める。黒い無数の手に捕まり、悲鳴もあげられずに私は引きずり込まれた。遠く、靄が笑って言った。 『わたしは”おまえ”だ』 無理矢理押し込まれていく、真理の知識。自分がまるで消されてしまうんじゃないかと、怖くてみっともなく泣き叫ぶ。悶えて、騒いで、溺れないようにと手をばたつかせる。それでも、その光は私を苦しめて離さなかった。 (シグ、シグ……!) やっとのことで、扉から出された私の体に。靄がそっと触れていった。一瞬、何をされたのか分からずに、呆然と座り込むしかない。すうっと、体の力が異常に抜けていくのが分かった。 にいっと、靄はまた笑う。 『通行料、だよ』 激痛が体じゅうを走り、私は現実に引き戻された。飛びそうになる意識を、必死につなぎ止め。痛みに耐えながら錬成陣の中心を、見る。 赤ちゃん。 (私の……シグの、大切な……赤子!) けれど手を伸ばした先にあるのは、ぐにゅぐにゅと、ただ蠢く肉塊だけだった。 「――――――――ぁあああ!」 悲鳴と共に、血を吐いた。ぜぇぜぇと咳き込む。 (リバウンドだ……ッ! アイツに……!) 内臓 を、もっていかれたらしい。呼吸が出来ない。苦しく、でてくるのは血だけ。たちまち、あたりは血だらけになった。 (どうしてだ……どうして……!) 取り戻せなかった。 再び味わう絶望と恐怖と、痛みとに。私は耐えきれず。 えーっと、イズミ師匠の捏造話でした。 もっとじっくり書けばよかったでしょうか……評判よければ、三割くらい増しにして書こうかなぁなんて思います。スピーディ過ぎましたよね。 ……つーか暗すぎ?(汗) 04/01/08 by珠々 |