06. 咎人

考える。心が飛んで逝かないように。


 またしても私は、医者の世話になることになった。あの日倒れていた私を助けたのは、錬成の音を聞いて目が覚めた近所の老婆――――とはいえ、悲鳴をあげてすぐ気絶したので、実際に医者へと走ってくれたのはなじみのお客さんだ。私はすぐさま医者に診せられ、瀕死の重体であったところをとりとめた。やはり、私は内臓を幾つか『等価交換の原則』によって奪われていた。持ち前の生命力があったから、なんとかなったのだと何度も聞かされる。
 医者は顔を真っ赤にして怒って。一体何をしたら、こんな状態になるんだ、と。『腹の中の臓器がごっそりなくなっとる。どれも即死に至るようなもんじゃなかったが、腹の中に血が溜まって悲惨じゃった。手術室が血の海じゃぞ!』途中からは泣いていた。申し訳ない気持ちがこみ上げたきた。力がでなくて、漏れるのは呼吸だけだったけれど。
「……ん? なんて言ったんだ? シグ」
 彼と向かい合っていたとはいえ、私の心は違う所へと飛んでいた。何度か瞬きを繰り返して、顔を向ける。彼は少し躊躇ったあと、もう一度私に同じ言葉をくれた。優しく、しっかりと強く――――たぶん、懇願に似た想いすら込めて。
  「旅にでよう、イズミ」
 それはなかなかな提案だな、と私は思った。それならば、心と体の静養にもなり……彼は片時も離れずに私の側についていられるということになるから。
「それはいいね、で、何処に行こうか」
 自分でも意外な程に、私は微笑んでいられた。あんなに絶望に叩き付けられたというのに。この家の居間は、今でも私の血の匂いが、染みが取れずに残っているというのに。こんな風に、穏やかに呼吸が出来ているのが、夢みたいだ。
(……夢のように、過ごしたいんだろうか)
 難しいことを、考える。心が押しつぶされないように。これ以上、壊されないように。
「げほっ、げほっ」
「……イズミ!」
「ん、大丈夫……咳込んだだけだし」
 タオルを口に当てていて、正解だった。替えたばかりのシーツを、血で汚す所だった。喉がぴりぴりする。
「で、希望はどこ? 日にちも早く決めてよ。すぐに体を治すから」
 もはや、健常者とは言えぬ肉体ではあるが。



 しかし、私の台詞は撤回せざるを得なかった。私は、そう言ってから一週間後も、全く回復出来なかったからである。
 私の体は、予想していた以上に病弱になっていた。ただでさえ、血の病むアルチュ・パーセン病に罹っているというのに、私はさらにいくつかの内臓を失っている。これで健常者と同じでいようというのは無理な話だ。心臓を持っていかれなかっただけ、マシというもの。即死は免れたのだから。
(体が思うに動かないというのは、思ったよりも辛いな)
 強者は、弱者の気持ちは絶対に分からない。こんなにもどかしいものだとは、思いもしなかった。歩くことすらままならない。処方された薬を飲まなければ、喀血も止まらなくなる。明かに、アルチュ・パーセン病が、以前とは比べものにならない速度で私の体を蝕んでいるのだ。
(……遠い昔のようだ)
 人体錬成を試みたあの日が。その人体錬成を試みようと、子供を亡くして泣けない夜を過ごしたあの日が。
 体力を取り戻すのにほぼ一年。店を手伝う傍ら、必死に人体錬成の研究を続けることに約三年……。気を失って、気づかずに赤ん坊を亡くして――――人体錬成をしようと試みながら回復するまでに約四年かかった。
 上出来だと思っていた。下手をしたら何十年かかってでも実行するつもりだった。
 それしか目の前になかった。
 真っ暗な視界の中に。ぼんやりと存在するのは、それしかなかったから。
「……イズミ」
 はっとして、私は瞬きをした。また、心を飛ばしていた。少し慌てて、顔を声のした方へと向ける。シグが、大きな体をかがめて食事を持ってきてくれた。その仕草に、ふっと笑んでしまう。
「この家は窮屈だね、シグ。もっと大きな家を建てなくちゃな。頭をぶつけて大変――――」
 大変……呟きかけて、私は言葉を失った。
「イズミ?」
 どうした、と。うっすらと意識の向こうでシグが私を呼びかけてくれているのが分かる。でも、私は返事が出来なかった。たった今、自分が口にした言葉で思い出したことがあるから。

『安くていい物件だけど、シグ、頭ぶつけたりしない?』
『気を付けていれば大丈夫だ。大体、俺の身長でぶつけずに歩ける家なんぞ安くないだろう』
『ははは! そうだね! じゃあ、二人で働いて大きな家を買おう』

 大きな家を買おう。シグが頭をぶつけたりしないような、大きな家を。
「……やくそく」
「うん?」
「大きな家を、建てるって……約束」
「……ああ、あれか」
 シグは、ほころぶような微笑みを浮かべた。随分昔のことを、覚えてるんだな、と。薬を渡してくれながら彼は水をカップに注いだ。
「……あの資金、私の薬代で消えてる」
 自分の声が、みるみるか細くなるのが分かった。げほっと、嗚咽を漏らしたくても咳しかでない。苦しくなる呼吸の中で、シグの大きな手が私の背中を撫でてくれている。
「金なら働けば溜まる。気にすることじゃ、ないだろう」
「……でも」
「先生も、しばらくしたら薬は安くなると言ってた。大丈夫だ」
「……ぅん」
 私の薬に使われている薬草が、夏にしかとれない種類だから。冬の今作ろうとするとどうしても物価が高くなる。この体は一生元通りになったりしないから、この薬とは末永く付き合わなければならない。値段が気になるのは当たり前だ。
 そもそも、私が四年前に倒れた時から貯金は崩れていたんじゃないだろうか。どう計算しても、うちの儲けからは払い切れていない筈だ。今回私は大がかりな手術をしたから……もしかしたら……!
「借金」
「ん?」
「借金、してるんじゃないか、シグ」
「……何を馬鹿な……」
「何を馬鹿なじゃない! うちにそんな金ないだろ! ちゃんと教えて……!」
 げほげほ!と、叫んだ拍子にまた吐血した。苦痛よりも忌々しい。この体は、まともに喋らせてもくれない。
「いいから、食事して、薬を飲んで寝ろ。イズミ」
「そんなこと、じゃ、なくて……!」
「いいから! 体を労ってくれイズミ……!!」
 ビリビリ……!と、部屋全体がシグの怒鳴りで、確かに、数秒振動した。そんな大声のすさまじさに驚くよりも先に、私はシグの嘆きに驚いていた。咳など止まってしまう。
「……お前は……っ、どうして……!」
 シグはそう呟いて、顔を手で覆ってから傍らの椅子にどかっと腰を下ろした。そのまま呻いて、俯いてしまう。
「シグ……?」
「すまん……怒鳴ったりして……だが、これだけは……許してくれ」
「え?」
 何を謝るんだろう。謝るのは私の方だ。ずっとずっと……迷惑ばかりかけて。
「愛してるんだ」
「!……な、何を……」
「愛してるんだ、イズミ。お前を……失いたくないっ」
 彼は始終、俯いたままで。私は、きょとん、と。するしかなかった。驚いたから。彼がそんな事を言うなんて、プロポーズ以来だから。私が言わせてしまったんだろうか……と刹那、とても悲しくなった。私が彼に、そんな風に苦しそうに言わせてしまったのだろうか。
「……悪かった……お前が、そんなに……子供を……」
「………」
「分かってるんだ……それは、俺の為なんだって……分かった。だけどもういい。俺は、お前を犠牲にして子供を得たとしても、喜べない!」
「シグ……泣かないで……」
 震えて……次第に大きくなるシグの肩の震えに触れて。私は――――やっぱり、泣けなかった。泣けない女なのだ。
『生きていればいつかは死ぬ。その肉体は土へと還り、その土は草花を咲かせる。魂は『想い』となり、糧となり周りの人々の心で生き続ける。世のあらゆる物は流れ、循環し胎動し続ける――――人もまたしかり』
 分かっていたことだ。……錬金術師じゃなくたって、どんな人間だって、知っていることだ。だけど私は、生き返らせたいと思った。
「シグ……」
 腕の回りきらない、大きな背中を抱きしめて。私は……
「シグ……悪かった……ごめんよ」
「謝るな、イズミ……いいんだ」
「ん……」
 泣けない女なのだ。それでも、どうにか取り戻せないのかと。
(もう絶対に無理なんだと。随にたたき込まれた後なのに)
 それでも、まだ心の何処かであの子を生き返らせたいと願ってしまう。諦めきれない、女なのだ。馬鹿でへこたれない女なのだ。それはどうしてか。生来の性格だけだろうか。いいや、今は違うと分かる――――言える。
 シグがいたからだ。私を、愛してくれるシグがいたからだ。
 私はしぶとい。しぶとく生きる女であれた。シグが愛してくれた女である私を、維持し続けられると思っていた。
「一緒に生きよう、イズミ。幸せに……楽しく」
「うん……そうしよう、シグ」
 例えこの人は、私が咎人になろうとも愛してくれるだろう。
 分かっていた……分かったから。この傷が癒されることはないだろうけれど。彼を傷つけた罪が許されることはないだろうけれど。生きようと思った。暗くて、何も見えなかったようなそんな私自身をそのままにはしておけないから。
(よかった……)
 廃人に、ならなくて。それだけ、ほんの小さなその事実だけ。私が私自身を褒められる所。ちゃんと、シグの所に戻ってきた馬鹿な私への。小さな功績。
 この人を一人にするような。
 そんな過ちを。犯さずにすんでよかったと。
 そう思ったら、自分でも体が震えてきた。じわりと、目尻が熱くなるような気がした――――泣いているのだろうか? 自分では、シグの震える肩に押しつけているから、分からないけれど。
(大好きだ……)
 私はこんなにもまだ辛くて。うしなった赤ん坊を取り戻したくて、飢えている。脆い肉体を、忌々しいと吐き捨てている私もいる。もういいじゃないかと、妥協する私もいる。小さな、もう駄目なんだと諦めて無力でいたい私もいる。
 でも。
 一緒に生きたいと。愛おしいと。そう想ってくれる人がいる。
 これ以上何を望むっていうんだろう。彼が側にいてくれるなら、もっと強くなれる。強がりなんかじゃなくて、何かに縋るようなそんな生き方じゃなくて。
 しっかりと。
 彼を支えて生きる。それが出来る女に――――。
「シグ……結婚式、あげたあの街へ行こう」
「……あそこか……」
 嗚咽混じりに、二人で、くすくすと笑いながら私たちは相談しあった。とても近くだから、体調が安定したら行けるだろうと。どうせなら、愛を誓い合った春の記念日に合わせて。
「もう一度……プロポーズしてくれる?」
 小さな声で囁いた。聞こえなかったら、そのままにして何でもないと言おうと想っていた。だけど、シグは私の腕の中で、こくりと頷く動きをした。
「ありがとう……、これかれも、…いっ、しょに……っ」
 今度は、嗚咽に紛れて言えなかった。でも、シグはもう一度頷いてくれた。


こんな咎人ばかなヤツだけど。



……。
………。
…………。
すいません……色々とすみません……
あと一回、続きます……(涙)

04/01/15 by珠々


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