07. 等価交換

『逃避出来ない運命を孕む幻想』

 体が大丈夫になっているかを確かめるのに、毎年旅行に出ている。旅行に行くことで、体の調子を確かめているとも言える。年々、少しずつ遠くへ、少しずつ長い滞在を続けている。最初は自分の体調もうまく把握出来ず、旅先で大騒ぎになったこともあった。けれど三年もたってくれば、何となく分かってくる。
 最近、専ら観光に向かうのは東部になってきていた。特に何かがある訳じゃない。(というか、観光というのならば南部の方がある)けれど遠方に向かうことを前提とするのなら、東部が最も安定している治安だった……というのが理由だろうか。北部は冬になれば絶対に出かけられないし、そうでなくても冷え切った冷たい風は体に触る。どうしてもそうなってしまうのだ。東部には観光用の土地も多いし、また健康に関する湯治場も多かった。近くにイシュヴァールがあったせいで、負傷者が多い土地柄というのもあるだろう。
「困ったなぁ……凄い雨だぞ、イズミ」
「本当だねぇ……こりゃ、列車は動かないだろうね」
 荷物をすっかり整えていたのに。
 リゼンブール。ここが今回の旅行の最終地点だった。あちこち小さな祭りを行う街を渡り歩き、一番最後はここの花畑を見る予定だった。昨日のどかな、素晴らしい花畑を見て、料理を堪能し、さて一泊して帰ろうとしたらこの猛雨だ。
「……昨日のうちに、花畑を見れてよかったね、シグ」
「本当だなぁ。これじゃ、あの花は全部萎れてるだろうな」
 元々ここは観光地じゃあない。特別何という見る場所もなかった。それでも、ここを一番最後の”観光地”にしようと決めたのは、その丘に咲き続ける”クリューレ”という珍しい花畑があるという噂を聞いたからだ。
 クリューレという花は、東部では咲くことはない花だ。元々は西部地方に群生している。水分を多分に必要とし、三十度以上の熱さに当てられると萎れてしまう地方独特の植物だ。
 けれどある錬金術師が、クリューレの種を錬成して乾燥に強くしたらしい。繁殖率は相変わらず悪かったが、随分と丈夫に作り替えられた。(……元々水をよく吸う植物だからといって、これだけ降られては花が痛むだろうが)この花は、薬草にすると滋養強壮の効果を持つ。花畑の管理人が、そのクリューレで料理を振る舞ってくれるコースがある、というので来たのだ。
 もちろん、私の体を鑑みてくれたこその目的地、なのだが。
 しかしこのクリューレという花は、本当に見事だった。透き通った水色の花びら。宝石のように水を多分に含んでいる莖。葉は丸く、幾重にも僅かにずれながら重なっている。
 それを見ていて、私は思わず考えてしまった。
(このクリューレの性質を替える為に、錬金術師そいつは何を『等価交換』したんだろう?)
 と。
 あんなに綺麗なものを、その花の本質を失わずにどうやって錬成を成し遂げたんだろう。
 『錬金術師よ、大衆の為にあれ』
 それをその錬金術師は実行したわけだ。東部の人間(医者も含めて)は、これで西部の業者に対して法外な金を払う必要がなくなったわけだから。
「……ん? 何だか外が騒がしいな」
「ちょっと見てくる。待っていろ、イズミ」
「ああ」
 外を見ようにも、猛雨の所為で窓からは何も見えない状態だ。でも宿の中でも、ざわざわと騒ぎ出している様子だけは分かる。
「……大変だイズミ、近くの川が決壊しそうなんだそうだ」
「決壊?」
 どういうことだ? と聞き返そうとすると、宿屋のオヤジがノックする間もなく駆け込んできた。そのままドアにいたシグの背中にぶつかってしまうが、何とか持ちこたえて雨合羽を着ながら叫ぶ。
「ここら辺は、滅多に大雨は降ったりしねぇ。堤防なんぞ、形だけなんだ! お客さんも念のために高台へ避難してくれ!」
 そう言って、ばたばたとオヤジはまだ駆けだしていった。私たち夫婦は、ぽつんと残されるしかない。
「……だ、そうだ。イズミ、行くか」
「うーん……」
「どうした?」
「『錬金術師よ、大衆の為にあれ』、だな」
「……川に行くのか?」
「実行するのは私にどうにか出来そうか、見てからだけどね」
 に、と笑うと。シグはもっと嬉しそうに笑った。



 ざぁぁ、という地面を叩き付けるような雨。その音を飲み込むように、近づくにつれて川の音が聞こえてくる。ドドドド、と。揺れているような錯覚さえ、思わせるようなもの凄い量の水だ。
「まぁーせー! 早くまぁーせー!」「こっちがあぶねぇぞー!」「囲め囲め!」「奥に投げるんじゃねぇ! 手前に重ねてくんだばぁーろー!」あちこちから怒声も聞こえる。少し高い場所に位置する街道から、土手を見下ろせば街の男達が走り回っていた。
「こりゃ凄いね……」
「確かに今まで決壊しなかったのは、運がよかったとしか言い様がないな」
 川の水の量が、比較的ゆっくりと増えていったお陰だ。もしも一気に水かさが増えていたら、この街は半分以上沈んだことだろう。徐々に水かさが増えて流れた為に、土を抉りながら幅を広げたのだろう。その為、今はなんとか淵で水がせき止められている。
「……そうだね。でも、あそこ、もう決壊しかけてる」
 一個所、穴から水が零れはじめ、みるみるうちに水たまりが出来ている。そこから溢れないようにと、人々はやがて楕円を描くようにその周りに土嚢を重ね始める。しかし、一段階下のその場所も水が零れ始めていた。完全に決壊するのも時間の問題だ。
「できそうか、イズミ」
「ああ。土はまだ流されていないのがあるし……ちょっと行って来るよ」
 一歩踏み出すと、途端に雨が私の体にぶつかってくる。一粒一粒は大したことがないが、大量に降り続ける為に滝に打たれているような感覚すらした。
 一歩。また一歩。ぬかるみを歩いていく。斜面をすべりおり、皆が集まる決壊しそうなその場所へ向かった。
「堤防が切れるぞー!」「おーい、堤防が切れるぞー!」「高台へ逃げろー!」「避難させろー!」怒号が連なっていく。と、傍らの男が叫んだ。
「え、お、おいアンタ!」
「あぶないからはなれててください」
 パン!と両手を打ち合わせる。ヴ、と内からの淡い錬成反応を確かめながら言った。この辺一体の土を全部かき集め、高い堤防を作るのだ。近くにいると土と一緒に巻き込まれて、上に投げ出される可能性がある。
「そりゃ俺のセリフだ!! ここはもうじき決……」
 男の言葉を待つまでもなく、私はとん、と手を地面に押しつける。グゥン!という振動が身を震わせた。
(くる――――)
 ズズズ、と。水を含んだ重い土が波が引くように堤防に向かって集まっていく――――。
「……壊……っ!?」
 ズドン!と、重い音が空気を震わせる。まるで地震の如く地面が揺れた為に、転ぶ者が数名いた。幅四メートル、高さ約八メートルは軽くある壁が少しずつ横に重なりながら左右に展開した。
 ……ン、と。遠くから錬成の名残である音が響く。感触でいけば、この街を囲める程度には高い堤防が出来ている筈だ。
 ふぅ、と。安堵のため息が漏れた。あとは隙間を土嚢で埋めて補強すれば、充分だろう。
「これでしばらくもつでしょう。あ、一応土嚢で補強しておいて下さい」
「お、おう!」と男はすぐに駆けていった。状況判断の素早い、男だ。感心すると、体が楽になっていることに気づいた。軽く横を向けばシグがいた。傘をさしかけてくれているのだ。
「ああ、足下陥没させちゃってごめんなさいね」
 スコップで抉ったように、ゆるやかではるけれどもかなりの土がなくなっていた。周りに視線を流すと、何名かがよろよろと立ち上がるのが見える。
「信じられねぇ……こんなバカでけぇの一瞬で……」
「あんた何者だ」
 感謝と不信とが交じり合った人々の視線に、私は笑って言う。
「通りすがりの主婦です」
 ――――それ以外の何者でもない。
 このまま颯爽と立ち去れればカッコイイのだが……。
「げほっ」
 ぶばっと盛大に血を吐いてしまった。シグは慣れているとはいえ、周りは血相を変えて騒ぐ。結局担架で運ばれてしまった……。助けたのか助けられたのか、微妙な所だ。




 次の日になると、昨日までの豪雨が嘘のように空は晴れ渡った。ラジオでは豪雨も峠を越えたらしい。帰り際に川に立ち寄って、あの壁を直して置かなければならないなぁとシグと話していた。と、ノックの音がする。リゼンブールの街の人が、私が目を覚ますのを待って見舞いに来てくれたのだ。
「東部には、観光に来てただけですよ。この雨で足止めをくらって困ってたんですけど、お役にたててよかった」
「いや本当によかった」
「とても助かったんです。有り難う御座います」
「すげぇ錬金術だったな!」
「おお!あんたアレじゃねーの。国家錬金術師とか言うやつ」
 ……おいおい。それは錬金術師に向かって侮辱の言葉だそ、と内心の言葉を押さえつつ、私は笑って言った。
「ただの肉屋の女房ですよ。イズミ・カーティス。こっちが旦那のシグです」
 思った通り、シグが静かに威嚇している。『大衆の為にあれ』が原則の錬金術師にとって、『軍の狗』たる国家錬金術師ははっきりいって敵に近い。裏切り者のようなものだ。ただ錬金術の技術が凄いからといって、国家錬金術師と間違われるのでは気分が悪くなる。シグはそれを知っているから、気分が悪いのだろう。自分が侮辱されても怒らないのに、私が侮辱されそうになっていると威嚇するところ(下手したら暴れる)が、そこがシグのいい所だ。愛らしくて溜まらなくなってしまう。
「私たち、ダブリスから来たんですよ。こちらの素晴らしい花畑を、見に来たんです」
 笑って世間話に促した。一般の人に、その辺のことを熱く語ったからといって大したことではないのだから。
 へぇー、と彼らは笑って色々な事を教えてくれた。乾燥させたこの地方の木の実も、血の病気にはとてもよいこと。幾つか分けてくれることや、南部でも安く手に入る漢方薬のこと……。
「おばさん! オレ達を弟子にしてよ!」
 問答無用でベットを持ち上げ、声の主に叩き付けた。
「おばさんちょ――――っと耳が遠くて聞こえなかったなァ、も一回言ってくれるゥ?」
 それが、エルリック兄弟との出逢いだった。
「ボク達、少しだけ錬金術が使えるんですけど……」
「もっと腕を上げたいんだ! だから!」
 錬金術師は、完全な徒弟制だ。研究はもちろん生涯をかけるが、完成しない時もある。それを受け継ぐ為に弟子を育てるのだ。また、錬金術師というものは才能が必要であり、大衆に広めるべきものではない。必然的に師が適正を見定め、弟子を側につける。私は、人体錬成を為したという後ろめたさもあり、弟子をとるつもりなど生涯なかった。
「だめ! 私は弟子はとらないの! それに店もあるからすぐにダブリスに帰らなくちゃならないし」
「なんでー! どうしてー!」
「連れてってー!!」
「弟ー子ーにーしーてー!!」
「あーもうしつこいっ!! 錬金術の腕前をあげて、何をしたいのあんた達は!」  ぎくりっとしたように、二人は体を震わせる。弟らしい子は口ごもったが、きかなそうな兄は「人の役に立ちたい!」っと叫んだ。
 そんなバカなことがあるか、と私は思った。成熟したならいざしらず、まだ遊びたい盛りのこの子達が人の役にたちたいと錬金術を学べるわけがない。大方、錬成の楽しさを満喫したいのだろう。そう思ったのだ。だから少し意地悪な気持ちになって、「……両親の許可は?」などと言ってしまった。
 よくよく考えれば、子供がこんなことを言い出したら親が止める。子供たちだけでここにいる筈がないのだから……。
「ああ、イズミさん。今はあたしが保護者みたいなもんだけど……この子らには両親がいない」
「あ……」
 しまった、と思った。子供達を見れば、くいいるように私を見つめている。思うに、この街に錬金術師はいない。独学では、これ以上望めないと思っていた二人の前に、私が現れたのだ。必死に縋り付く目に向かって、私はもうすげない態度をとれなくなっていた。
(……私の子も、生きていればこのくらいなんだろうか)
 ずきり、と。少し胸が痛んだ。可愛い盛りの子供を、残したままなくなった両親はどう思っただろうと。
「……一ヶ月! とりあえず、仮修行ということで一ヶ月この子たちを私に預けくれますか。本当に錬金術を教えるに値するか……この子達の才能を見極めさせて下さい」
「もし才能なしと判断したら?」
「すぐにここに帰します」
「あの……それで仮修行に合格したら……?」
 不安げな二人の肩を抱き、しゃがんだ私はにっと唇をあげた。
「そのまま本格的に、修行だね」
 その瞬間、左側に立っていた兄の目の色が変わった。身に纏う気迫が、がらりと変わったと言っていい。「人の役にたちたい」と叫んだ時よりも、張るかに桁違いの気合いを。
「ばっちゃん!! オレ達、一ヶ月じゃ帰ってこないから!!」
 そう宣言した。手が白くなるほど拳を握りしめる兄弟。一体こんな年の子供たちに、そんな決意をさせるものは何だろうと思った。
(何かをするつもりなんだな……)
 漠然と、それはいい事じゃないと直感が告げていた。



 このぐらいの年の子が、考えつけることは何だろう。揺れる列車の中で、静かに、ゆっくりと私は考えた。
 人体錬成。
 ふ、と。それがよぎった。保護者代わりのピナコさんという人に聞けば、母親を最近はやり病で亡くしたのだという。父親は行方不明だと。人には言えない、そういうことを何か隠している……私の思い過ごしならいいが……。取り越し苦労かもしれない。そもそも二人が仮修行をクリア出来なければ、人体錬成などほど遠いのだ。
「弟子はとらない主義じゃなかったのか?」
「んー……生きていたら、このくらいの歳かなって思ったら、情がね」
 ぐっすりと疲れて眠っている二人に、上着を掛ける。
「それに、錬金術を学びたいって訴えるこの子達の目は真剣だった。その学びたい気持ちの裏に、何か人に言えない理由がありそうだけど、間違った道を選ぼうとしているのなら、その道をただしてやるのも「師匠」の仕事でしょう?」
 もしも人体錬成をしようと考えているのなら。やめなさいと、きつく躾るつもりだった。死んだ人を取り戻したい、そう願って実行した私だからこそ言える。
 クリューレという花の本質を違わずに、その改良をなしえた錬金術師を思った。顔も知らないけれど、その錬金術師のことを思った。
(私にも出来るだろうか……)
 この子たちのいい所を、損なわずに育てることとうかこうかんが。
 否、絶対に道を間違わせないと。
 その時誓った。
「……帰ったらチビどもの寝床を用意をしなくちゃな、家の中がにぎやかになる」
「寝床なんて当分必要ない!ない!」
「は?」
 心なしか嬉しそうなシグに、私は軽快に答えた。何しろ一ヶ月間、彼らエルリック兄弟は無人島に行かせるつもりなのだから。
「ふっふっふっ……段取りをしとかないとねぇ」
 後の彼らのゆく末を、私はまだ知らない。


運命に、致し方なかったと言い訳するのは至極容易い。



イズミ師匠のお話は、実はあともう一話!!
す、すみませんー!!
OPの言葉は、『Pico Magic Reloaded』より引用させて頂きました。

04/01/15 by珠々


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