08. 賢者の石

「フラメルの十字架にかけられた蛇」
硫黄と水銀という相反する物質を結合させることで、
賢者の石が与えられることを現す。

 リンゴーン、と。鐘の音が聞こえる。セントラルの観光名物の一つ、クライム礼拝堂だ。今では内装が変えられ、大きな博物館になっている。面白い趣向がこらされていて、現在存在する多数の宗教についての資料や、関する建築物のミニチュアが飾られている。一種の宗教歴史博物館だ。別館はそのまま市民の為の礼拝堂になっている。鐘の音は、その屋根裏から響いているのだ。
「ねぇ、そのマークはなに?」
 下から可愛らしい子供の声が聞こえた。てっきり親に向けられているのだろうと思った私は、そのままシグを待っていた。と、くいっと服の裾を引っ張られる。見れば赤いリボンでポニーテールにした女の子が、大きな目で私を見ていた。
「私?」
 両親とはぐれたのだろうか――――。沢山の観光客が訪れていたが、当たりを見回しても親らしき人がいない。
「そう、それ、何?」
「どれ?」
 かがむと、少女は私の鎖骨の部分にあるタトゥをにゅっと指で押した。
「ああ、これは「フラメルの十字架」っていうんだよ」
「ふらめる?」
「そう、錬金術師や、その弟子が好んで付けるんだ」
「どうして?」
 歳は幾つくらいだろう。身長は、私の膝より少し上程度……七歳くらいだろうか。利発そうな顔をしている。
「これはね、『賢者の石』を表してるんだ」
「……ふぅん?」
「不思議な石なんだ。錬金術師になる人はね、殆どの人がそれを作りたいと思ってる。『賢者の石』は、錬金術師の夢なんだよ。だから、こうしてタトゥをつける」
「そうなんだぁ……」
「どうしてこれが気になったの?」
「うん……この間ね、列車で仲良くなったおにいちゃんも、それしてたから」
「ほぅ」
「それとね、さっきあそこにいたおじさんもしてた。だからどうしてかなあって……お母さんに聞いても分からないって言ってたから。どうも有り難う」
「どういたしまして」
 礼儀の出来る子供だなぁ、と頭を撫でてあげる。女の子は、にこっと笑ってふ、と顔を礼拝堂広場の中央にある噴水へと向けた。ままー!と駆けていく。母親らしき女性が、息を切らせて走ってきた。父親も少し遅れて走ってきて、少女を抱き上げる。少女は父親に何かを話して、私の方を指さした。きっと会話したことを教えたのだろう。両親が頭を下げてきた。私も軽く会釈する。この作法は確か、西部から中央に近い村だったなぁ、等と思いながら。
 ばいばーい、と。少女が手を振りながら家族と去っていく。
 リンゴーン。三つ目の鐘が鳴った。昼休みが終わり、礼拝堂が再び開けられる。
(シグ遅いなぁ……行列でも出来てるんだろうか)
 パンフレットを買いに行ってくれたのだが、休み時間が終わっても帰ってこない。礼拝堂が開かれたら、先に中に入り座席をとっておいてくれと言われていた。もう一度シグを探してから、ため息をつき礼拝堂の中に入る。広場に集まっていた人たちも、どやどやと騒ぎながら入っていく。
 夏が近づき、暖かい日差しでほてった肌だが、礼拝堂の空気で一瞬で冷やされた。うなじを撫でられるように、上からの通り抜ける風。背筋が自然と伸びた。ここは一瞬で、別空間に移されたようで。見事な天井のステンドグラスから差し込む光が、白い床に鮮やかな模様を描いていく。あんなにざわついていた観光客たちも、次第に静まり返っていく。不思議と、人を黙らせる効果がある――――何処の国でも。こうやって祈りを捧げる神聖な場所は。
「こちら、よろしいでしょうか」
 静かな空気を壊さないように、慎重に落とされた言葉だった。はっとして顔をあげると、肩までのびた金髪の壮年の男が座椅子の端に立っていた。席があいているのか、という意味だろう。ええ、と小さく頷く。
「連れがいますので、一つだけあかせて頂けますか」
「分かりました……失礼します」
 男は割と背が高かった。顔はなかなか端正で、眼鏡を外せば尚いい。顎にはえている無精ひげが、なんとも衣服とミスマッチだった。センスのよいスーツに身を包んでいる癖に、全体にまで気が回っていない。
 隣りに座ると――――シグの分を開けたにも関わらず――――ふわんと何かが匂った。この匂いは何だろう、と思考を巡らす。香水ではないのは確かだった。不快までは催さないが、決してよい香りでもない。
(……アクセスの砂……)
 錬金術師が使う、砂糖と特殊な岩を砕いて混ぜてつくる砂だ。これを蝋燭で熱し、空気中の水分と結合させて爆発しやすい物質を精製出来る。
 気になって視線を横に移すと、男のうなじに「フラメルの十字架」が見えた。
(ああ、この人があの子の言っていた……)
 タトゥをしていたおじさんだろう。なるほどと思った。確かにこの男の風貌は、研究者(錬金術師)然としている。
「あなたも、お仲間ですか」
 視線に気づかれたらしく、男は微笑んで私を見つめてきた。胸元は開いているから、タトゥもすぐに分かっただろう。ええ、と相づちをうつ。
「お一人ですか」
「いえ……人を待ってるんですが……。失礼でなければ……あなたも、錬金術師ならば『賢者の石』の精製を夢みていらっしゃる?」
「……はぁ。それは、まあ……」
 最初の頃だけだが。曖昧に答えながら、この男は何処にいたのだろうと考えを巡らせる。少女との会話を聞いたのなら、近くにいたのだろうが。この匂いが側にあれば気づいた筈なのに。
「実は私、『賢者の石』について研究しているんですよ」
「へぇ……」
「『賢者の石』について、どれほど知っています?」
「……一般人に毛が生えた程度でしょうね」
 何だこいつは、と。内心むかついた。錬金術師に対して、その質問は科学者に光合成とは何かと聞くのと同じだ。当たり前に分かっているものなのだから、わざわざ説明を求めるようなものじゃない。錬金術とは一言で言えば、賢者の石を発見するための一大学問体系なのだから。
 『賢者の石』は、錬金術において卑金属を金に変え、人間を不老不死にする力を持つとされる聖なる物質のことだ。第五元素として他の四つのエレメント(土、火、水、風)を内包し、創出し、育む媒体で、一般的に赤い色をしていると言われている。別名「哲学者の石」「天上の石」「大エリクシ−ル(錬金霊薬)」、「赤きティンクトウラ(染色液)」「第五実体」とも呼ばれている。
 軽く答えていると、シグが私を見つけて近づいて来た。男に小さく告げ、私がずれて、シグが座る。まだ礼拝堂の儀式は始まらない。騒音にならない程度の音量で、男は再び話始めた。
「……実は私。『賢者の石』について……研究しているのですが」
「素晴らしいですね」
 ご高説願いたいものだ。シグが手ぶらで帰ってきた所を見ると、パンフレットは売り切れていたようだ。時間はまだあるし、暇つぶしに拝聴したい。特に口にした訳ではなかったが、男には通じたのかつらつらとしゃべり始める。
「錬金術の作業は大きく2つの作業があります。一つは『賢者の石』を見いだす作業で、もう一つは『賢者の石』を使って実際に金属を変成させる作業です。『賢者の石』は「自然によって最終的に完成された状態では蜜蝋やバタ−のように可融性があり、外観は半透明で赤い色」をし、また「このような物理的特性に加えて浸透性、絶対的な不変性、耐腐食性、耐火性、化学薬品に反応しないなどの化学的特性」を持っているんです。賢者の石とは一種の「黄金比」ですから。
『賢者の石』は単なる金属を変成させるだけのものではなく――――ああ、ご存じでしょうが――――術師が変成させたいと思うあらゆるものに効果があります。すなわち『賢者の石』には鉱物的な元素も、植物的な元素も、霊的な元素も含まれているため鉱物界にも、人間界にも、動物界にも植物界にも影響を及ぼす事ができるのです。「不老不死の霊薬」も『賢者の石』から作る事ができます。もちろん、病気だって治すことができる」
「………」
「まず、工程を始める最初の材料、第一質料(プリマ・マテリア)を用意します。これは金属の性質を持ちながら見た目には金属には見えないありふれた物質です」
「それは何なんですか」
 するりと質問してみた。と、彼は笑う。
「それは教えられません。私の研究内容ですから……」
「でしょうね。……それで?」
「……そして第一質料は熱や特別に調合した酸によって破壊されます。このように物質がは一旦分解するのですが、次の段階で再び結合されます。垂直な異対の鏡が水平な同対の鏡の収束形であるように、王と王妃の婚姻は、兄と双子の姉妹との近親相姦の収束形と考えられる……これは王と王妃の結婚、または男女の交合のようなもの。物質は容器の中で加熱され、やがて「死」を迎えます。これを「黒化(ニグレド)」とよんでいます。しかし物質の「魂」は密閉された容器の中で生きており、凝縮して液体に戻る。これが「再生」でその前兆として「孔雀の尾」と呼ばれる美しい虹色が現れるんです」
「ほぅ」
 おかしな男だ。心底そう思った。『賢者の石』は、すなわち錬金術師たちの切望の研究物質だ。貴重な研究資料であろうに、それをすらすらと私にこぼしている。
(まあ、抽象的に誤魔化されて私には意味不明だけどな)
 この男は、研究書には男と女に物質を表してメモしているんだろう。
「王と王妃の結婚によって生まれた子供を、大切に育てるために工程の初めの頃に抽出された液体を養分として加えます。適切な栄養と熱を与えると、物質は次第に「白色化(アルベド)」し、第一段階の「錬金霊薬(エリクシ−ル)」が完成します。これが「白い石」であり、物質を「銀」に変成させる力を持ちます。または「女性の染色液(ティンクトゥラ)」とも呼びます。さらにエリクシ−ルが赤くなるまで熱し続ければ、物質を金に変成させるティンクトゥラをを得る事ができます――――ここで大切な事は誕生、死、再生などの言葉は単なる連想ではなくて物質や錬金術師の精神が実際に通過しなければならない段階を示しています。すなわち『賢者の石』を得るためには、実験を淡々と事務的に進めるだけでは決して得る事はできず、自分自身の精神を変成させる事を伴う必要があります」
「……大変お詳しいんですね」
 シグにはちんぷんかんぷんだったろう。かろうじて私も、内容が意味する所が分かった程度。つまりなんだ……『賢者の石』を作るには、作る側も何らかの変化を伴わなければならないと?
「ええ、まあ」
「そんなにペラペラと私に喋ってもいいんですか。大切な研究内容でしょうに」
「構いません。あなた、興味がないでしょう?」
「……」
 びっくりした。『賢者の石』に興味をもたない錬金術師など、ほとんどいない。だが、そのほとんどに、私は入っているのだ。
「大抵の錬金術師は、『賢者の石』と口にした時点で私にもの凄い目を向けますからね」
「あぁ……」
「すみません……つい語ってしまって。お二人のお邪魔でしたね」
「いえ……」
「もうすぐ長年の望みが叶うのかと思うと、あんまり嬉しくて……」
「……のぞみ?」
 くすり、と。男は笑った。
「ええ。その為に旅を続けましたし、あらゆる事をしました……。あなた、この世界を引き替えにしても、何を犠牲にしても叶えたい願い……ありますか」
 うっすらと。
 その瞬間、眼鏡の奥にある瞳が細くなり笑んだ。
 ぞくっと、背筋に悪寒が走る。その時まで、男が一度も笑んだりしないことに気づいたからだ。ずっと無表情だった。
「本当はね、錬金術師になることが目的だった訳じゃないんですよ。医術にも、哲学にも足を踏み入れました。色々調べ尽くして、これしかないと知ったので研究を始めた」
「………」
「神の所業を真似るのは、ことのほか楽しかったですよ」
 くつくつと笑い、待っている人物を見つけたのか男は何処かに向かって手をあげた。そうして腰をゆっくりと難儀そうにあげて、立ち上がり私を見下ろす。
「ご紹介が遅れましたね。私の名はホーエンハイムです」
 それでは。
 こちらが紹介するのもまたずに、彼は立ち去っていってしまった。
「……なんだったんだ。あれは」
「さあね。まあいいじゃない、さ、儀式が始まるよ」
 男の残した言葉は、少なからず私の心をひっかいた。ひりひりする――――そっと、鎖骨のタトゥを撫でた。『賢者の石』……錬金術師が目指す極地。手にした者は『等価交換の原則』など、必要もなく何でも出来る。すなわち神が世界という器の中で人間を創造したように、錬金術師は実験室の中で『賢者の石』を創造する……。
 あの男の望みは何だったのか。それは分からない。だが少なくとも、人類が皆幸せになるようなものではないだろう。
(また、私が例え手にしたとしても……)
 だからそんなものは、永遠に伝説の存在であればいいと思う。もしも『賢者の石』が存在すれば……きっとこの世界は新たなる争いを起こすだろうから。
 聖歌隊の歌を耳にしながら、祈る。
 私の大切な人たちが、幸せになりますように――――。

「賢者の石」とは「光の最大量を含む物質」、
「光の凝縮された手に触れることのできる有形のもの」であった。

(F.S.テーラ箸『錬金術師』)



ええと。
色々とごちゃごちゃしたお話ですみませんでした……。
本編でいっていた、エルリック兄弟の父親とイズミ師匠の「セントラル観光地での出逢い」を捏造してみました……。もっと錬金術について語りたかったけど。わけのわかんないものになりそうなので却下。
それでは……(ぴゅー!)
04/01/23 by珠々


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