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12. 無能
はぁ、はぁ、はぁ、と。荒い呼吸を繰り返していた。血が何処までも広がって、私の軍靴まで伝ってくる。避けようと思った。血で汚したくない――――でも足は動かない。 「はぁはぁはぁ………」 (うるさい。) 自分の呼吸が、五月蠅い。 「ご苦労だった、少佐」 (うるさい。) 怒鳴り返さなかった自分が、もう人間じゃないような気がした。 手が震える。まだ、撃って間もない銃が熱い。震える。かちゃかちゃとベルトに当たって五月蠅い。 (うるさい……!) 命令だった。 処分しろ、と。命令されて、反抗なんて出来る筈もない。殺すしか、なかった。 (ロックベル夫人の眉間に一発。ロックベル医師の脇腹に一発、逃亡出来ないよう太股に一発) 彼らに非などなかった。ただ、医者として当然のことしていたまでなのに。傷ついたものを救う、敵・味方など関係ない。 (担当した患者の名簿の居場所を、吐き出させるために更に腕に一発……) みっともなかった。手の震えがまだ止まらない。 (名簿が見付かった後は、口封じの為に眉間に一発) 苦しまずに、逝ってくれただろうか。 私は、ロックベル夫妻を処罰せよと言われた時。とっさに馬鹿なことを言った。 『炎を使ってはいけませんか……死体が残りませんから』 『君、室内で燃やせば焦げた痕跡が残るだろう』 『は……』 司令官はキィ、と。椅子をまわし笑った。 『血は拭えば消えるのだよ』、と。 馬鹿なことを……! (ただ、見たくなかっただけだ……! 私は……!) 彼らの死体を、見たくなかっただけだ。 がさがさと、後ろで司令官が書類をめくる音が聞こえる。 「……ふむ、情報部にこれを回せ。名前だけでもまぁ……何とかなるだろう」 ぎり、と。唇を噛む。このまま振り向いて、この男の頭に最後の一発を撃ち込みたい。 私がこの仕事を負わなければ、確実にロックベル夫妻は拷問にかけられることは分かっていた。軍の拷問……どんなものか、私も見たことはない。だが、死体焼却所へとまわされる遺体を見れば何をされるのかなど一目瞭然ではないか。 (言い訳か) 今度は言い訳か。自分が彼らを殺した事への、言い訳なのか。 「はぁ、はぁ、はぁ………」 冷や汗がでる。銃をホルダーへ戻せない。 目が、血に触れたロックベル医師の手から離れない。その手にしっかりと握られているのは、彼らの愛しい一人娘だ。聞いて知っている。内乱の為に、彼らは可愛い娘を、一人故郷に残して従軍してきてくれたのだ――――この私の願いで。 (嗚呼……血が、) 血が、まだ、溢れている。もう、死んでいるのだろうか。痛く、ないだろうか。 (すまない……!) あなた達が、殺される理由なんてなかったのに。 「何故です! 何故彼らを殺したのですか!!」 びくっ!と。自分自身ですら驚愕するような。それほど激しく私は体を震わせた。この震えを、他の誰にも気づかせたくなかったのに。体が強ばって、後ろを振り向けない――――この声は、結晶の錬金術師……ティム・マルコー氏だ。 「ここが、イシュバールの民との中継地点になっていたのだ」 「馬鹿な……! 彼らは、敵も味方も関係なく、ただ傷ついた人たちを癒していただけです!! 医者として、それは当然のことだ!!」 「だが彼らが癒した者が、私の部下を殺す」 「……!」 「私も当然のことをしたまでだ。……死体を運び出せ。少佐が銃で撃ってくれた。家族には戦場で銃弾に巻き込まれて死んだと伝えろ」 「――――――――!?」 私は背を向けたまま、衝撃に体を貫かれていた。 (初めから……!!) 怒りで。目の前が真っ暗になりそうで。 そんなことも予測出来なかった自分が、あまりにも不甲斐なくて。 (もしも私以外の誰かが、彼らを処罰すれば私は動いただろう) イシュヴァールの民と、連絡を取っている筈がないと庇っただろう。もしも銃弾で殺されれば、尚更疑問を抱いた筈だ。『増幅器』を使って、虐殺を行っているのだ。そもそも『流れ弾』など戦場にありはしない! 「失礼します」 三名ほど、特務班の人間が部屋に入ってきて遺体の近くに担架を置いた。彼らはロックベル医師の手から写真立てを外そうとしたが、既に死後硬直が始まってほどけない。 「それも一緒に持って行け」 自分の唇から漏れた声が、あまりにも震えていて笑うしかない。 「は……」 戸惑いながらも、彼らはてきぱきと処理して出ていった。血も拭かれた。司令官はとっくに退室し……残されたのは私一人だ。まだうつむいていた。震えたまま、銃を握りしめたままで。 「何が血は拭えば消える、だ……!」 その場にはまだ血が残されていた。何一つ綺麗になどなっていない。まだ残ってる……私が彼らを殺した証し……! 「………!!」 反射的にがちゃりと銃口を、自分の顎下に押しつけた。あとは引き金を引くだけだ。あと一発。最後の一発が残っている。僅かに指先を動かせば、この馬鹿で愚かな男は地上から消え去れるのだ! 「待ちなさい!」 「!?」 ばっと振り返れば、そこにはティム・マルコーが立っていた。こんなことなんじゃないかと、思ったんだと。彼は息を切らしながら言った。あなたが心配だったと。 「マスタング少佐……君の所為じゃない。命令だったんだ……」 「……しかし!」 「彼らを殺したのは私だ……君じゃない」 瞬間、かっ!と。頭に血が上った。けれど口から零れた言葉は、冷たい響きを含んでいた。怒りは興奮を通り越して、異常にさえ渡る冷静さを私にもたらす――――そうだ、と。 「いいえ。彼らを殺したのは私だ」 「そうさせたのは私なのだ。紛れもなく」 「私の罪まで勝手に背負わないで欲しい」 思えば失礼な物言いだ。だが謝るつもりはなかった。これは教訓だ……無力であるということは……それだけで誰かを殺す。こんなにも、容赦ない力で命を奪う! はぁ、と。彼は苦しそうにため息をつき俯いた。 「そうか……では、少佐」 「……なんでしょう」 「私を見逃してくれないか」 「な……?!」 その言葉が何を意味するのか。分かっていただけに驚きで一瞬声を失った。 「……私を見逃してくれ。サンプルと研究資料……全て持って私は逃げる」 「………」 「頼む……」 何故彼は私にそんな事を言うのだろうと。すぐに理解した。この部屋を出て左に曲がれば。そこはすぐに軍の基地の端だ。ただ、私だけがここにいるから当然――――……。 「……分かりました。お元気で」 「……有り難う」 これが重大な軍法違反であることは分かっている。だが私には、引き留めることが出来なかった。彼はこれ以上、軍に『賢者の石』を使わせないつもりなのだ。反対などしない。 私はそっと、ポケットに入っていた指輪を取り出した。支給されていた『増幅器』だ。彼の前に突き出す。 「これも、処分して下さい」 「……ああ」 彼は穏やかに微笑んで、しっかりとそれを受け取った。そうしてすぐに身を翻し、ばたばたと走り去っていく。その音が消えるまで、私はずっと立ち続けていた。ぱたぱた……消えてから。数秒後……がちゃり、と。入り口に向かって銃を構える。 「おいおい、撃つなよロイ」 「……報告するんだろう。逃がすわけにはいかない」 出てきたのはヒューズだった。たぶん、司令官に言われてティム・マルコーを付けて来たんだろう。ひょこ、っと。戯けたしぐさで両手を上げたまま、私の所へと近づいてくる。 「……そんなに震えた手で、当たるわけねぇだろ。馬鹿」 「!」 はっと手を見れば、かちゃかちゃと異常な程に手が震えていた。照準が定まらない。 「はいよっと!」 「ヒュ……!」 私が視線を外すタイミングに合わせて、ヒューズが銃ごと手を掴んだ。そのまま引き抜かれてしまう。重さを失って、不可思議な感覚が腕と指に残っていた。あまりにも長い間持って緊張をしていたために、筋肉が固まって動かない。 「馬鹿だなぁ、お前ぇ……なんで、断らなかったんだよ」 「………」 ぐいっと。 あまりにも自然に。私は抱きしめられた。私の銃は、弾を抜かれてそのままホルダーに戻される。 「こんなことさせられて……」 「……命令は、絶対だ」 「目ぇつけられてんだよ、お前があんまり大総統のお気に入りだから」 「…………」 「優秀なやつは大変だねぇ」 「優秀じゃない」 「………」 「優秀なやつなら、殺させたりしない」 ヒューは、くいと眼鏡を持ち上げて抱きしめていた腕を緩めた。覗き込むようにしてくるから、顔を慌てて逸らす。腕の中が暖かくてほっとしただなんて、思った自分が恥ずかしい。 じ、と。自分の手を見た。まだ震えている……ふっと笑いがこみ上げる。 「……部下が欲しいな。有能な部下が」 「……何で」 「決まってるだろ。楽がしたいからだ」 「自分で動かずに、部下にだけやらせるのか? お前らしくもない」 「私は無能な男なのだよ」 そう告げると、ヒューズは深いため息をついた。 「……期待して待て。お前に最高の部下を、見つけてきてやるよ」 「……期待している」 背中をぽんぽんと叩かれた。まるで、ぐずる子供をあやすような仕草で。 「とりあえずそれまでは俺で我慢しろ」 くつくつ、と。私の喉がなった。それじゃあ、お前以外の部下などいらないではないか。 それでもって、これに関連して二つか三つ、 更に書いてみたいなと思っていたり。 予想としてはリサさん編。 04/01/17 by珠々 |