14. 忠誠
『天を見つめて地の底で』 2


 ”生きながら、死なせるつもりですの。”
 母は、知っていたのだろうか。
 惰性で生きている、この自分の葛藤を。


「逃げている、か」
 苦笑した。
「まあ、そう思われても仕方ないのだろう」
「責めているわけではありません」
 妹はブランデー入りの紅茶を飲む。かちゃりとおき、じっとテーブルごしに私を見つめてくる。
「お兄様が、そんなに無自覚な人だとは思っていません。医者としての才能も、政治家としての才能も充分におありになる。何よりアーチャー家のものとして、自負がないとは考えられません」
「褒めすぎだ、リィゼ」
「いいえ。褒めたわけではありません。事実です」
 くす、と笑う。彼女は本当にアーチャー家の人間だ。
「ただ……兄上がどちらにもならない理由はわかります。ですが、それが決定的な理由になるものなのですか?」
「理由?」
 リィゼが言いたいことは分かっているのに、わざとはぐらかす。彼女が拗ねた様子はなかった。言葉遊びは慣れている。
「私が素直に言うと?」
「お兄様は、ハルバートやゲルグと違って優しいですから」
「こら、呼び捨てにするんじゃない」
 ふん、と。そんな時ばかり子供らしい態度で反抗的になった。
「フランクお兄様は、……御自分にカリスマ性がないとお考えなのでしょう?」
「……ああ」
 医者としての、天才的技能は長兄に受け継がれた。
 学術にしても、次兄の閃きには及ばない。
 政治家に必要な、人心の掌握は妹の方が天性があった。
 この一家の中で、自分はそこそこでしかない。幸い、長兄次兄と妹の間に時折喧嘩がちらりとある程度。円満であるといってもいいだろうこの中で、私は自分の位置を探していた。体が弱く、おとなしい末弟という地位など……とっくに卒業しているのだから。
 補佐してほしい、と。上の二人や父には言われた。また妹にも、自分がつけばきっと役に立つだろう。それくらいの自負はある。だが、自分自身がそれで満足できるかと問われれば否だった。プライドが、それを邪魔している。

 どこかで。誰かに。唯一無二と必要とされたいのだ。

「贅沢な夢をお探しになるのね」
「ゆめ……?」
「お兄様が欲しがっているものは、きっと誰もが手に入れられるものではありませんわ」
「……リィゼ」
「お兄様は、何を求めて軍に入られるの?」
「……分からないよ」
「忠誠ですか」
「!」
 わずかにぴくり、と。震えた指先を見逃す妹でもない。
「私たち一族に、忠誠を誓うものはいますわ」
「それは……お前たちはな」
 アーチャー家には、その職業上生涯、つかず離れずその身を守るものがつけられる。護衛者(守護者)のことを、本人以外誰にも知らされない。相手の名も姿も、守られる者だけが知っている。兄たちにも、両親にも。一族の存亡に必要とされる人間には必ずつく。ただ一人───自分以外は。
 幼い頃、母が流産しかけた。私の命を危ぶんだ母がつききりで介護をした。その後も、ずっと傍を離れずに十まで過ごす。結局、私は母の護衛者に守られて生きてきた。父は私に護衛者をつけようとしたが、護衛者をつけるタイミングを逃し、今に至る。いまさらつけたところで、無用の警戒心を生むだけだ。
「……おにいさま」
「私が求めているものが、忠誠に近いことは確かだね」
「誇り高きアーチャー家の者が、軍などに傅くのは気に入りませんわ。医者も政治も、人を救うことができますが……軍は個人では動けません。苦しむだけかと存じます」
「心配してくれて、有難う」
 その台詞が、己の言葉を軽く受け流されたと感じたのだろう。リィゼは唇を噛む。
「お兄様は、御自分がわかっておられないのです」
「それも、よく分かっているよ」
「……っ」
 分かっていません、と。言いたかったのだろう。だが、リィゼは口を噤んだ。アーチャー家の一族は、鸚鵡にはならない。
「……応援、いたしますわ」
「有難う」
「それと……たぶん、ですけれど」
「なんだい」
「お兄様……私を父上に世継ぎと薦めたんでしょう?」
「ああ」
「有難うございます」
 そっと、彼女は頭を下げた。そうしてゆっくりと席をたつ。優雅に、一歩下がってお辞儀をした。

「どうぞ、お忘れなきよう。私は、お兄様が幸せになることが……至上の夢でございますから」

 俯いた彼女は、笑っていたのだろうか。泣いていたのだろうか。




「アーチャー中佐? どうしたんです」
 低い声が聞こえ、寝転んでいる、自分の手から一通の手紙を持っていく。封を切っていなかった妹からの手紙だ。名を見て、うつらうつらとしながら昔を思い出していた。
 軍へと入り、少しぐらい、自分を知ったと思う。
 結局、ここでも自分はそこそこだったな……と。絶望とまではいかなくとも、限界は知ったように思える。だからといって、全てを諦めているわけでもないが。
 ここに来てよかった、と感じたのは。それでも自分に媚びへつらおうとする人間が激減したことだった。コネが必要な社会はどこにでもあろうが、ここにアーチャー家の権力は及ばない。必然的に、へつらってくる者もいなくなる。そうして自分の周りの人間が減っていって始めて、本当に自分は一人なのだと自覚した。
 初めての頃は……ほっとしたような───悲しいような、複雑な気分だった。
「リィゼ・アーチャー?」
「妹からです。返してください」
「ご家族がいたんですか。意外だなぁ」
「キンブリー……」
 ふ、と彼は笑う。ゾルフ・J・キンブリー。紅蓮の錬金術師───爆弾狂の国家錬金術師。第五研究所にいた囚人だ。私がひきあげ、軍に復帰させた男。私の横で、ベットに横たわったまま細い指先で薄いピンクの封筒をもてあそんでいる。
「いえ、貴方に初めてあったときには、そんな風には見えなかったもので」
 きっかけを思い出しながらため息をつく。自分の交換条件に、彼は何の躊躇いもなく食いついてきた。軍に復帰させる……国家錬金術師の地位を与える。不可能ではなかった。彼がもたらす効果を考えれば、かなりの美味しい買い物だったといえるだろう。───ただ、一つを除いては。

 ”あなたの体をいただきたい”

 待ち合わせをした、ホテルの一室で。互いの密約を交わしていたときだった。彼は、誓いのために差し出した手をとり、甲に口付けてきたのだ。
 私はあまりのことに一瞬動揺し、口をぽかんと開けてしまった。くす、とキンブリーが笑ったことに気づき、(口をあけた三秒後だが)慌てて手を振り払う。爆弾狂のキンブリー───人間の体内にある物質を使い、爆発させることを好む男。どうして警戒しなかったのだろうと、反射的に舌打ちをした。彼は、何も持たずにその手のひらだけで自分を殺せるのだ。
『貴方が、何を怖がっているのかは分かりますが。無用の長物というものです』
『なん……』
『私が欲しいといったのは、貴方を殺すためでも実験のためでもありませんよ。ただ、軍への復帰だけでなく、私は私の欲求を解消したいんです』
 にこりと、笑ったつもりだったのだろうが……目は色を隠せない。獰猛な───野生の鷹の目。
『抱かせてください。貴方のようなプライドの高い男を、抱くのが好きなんです』
『……ッ!』
 びくりと肩を震わせた私に、キンブリーは鼻で笑う。待たせるな、と。言外に態度で告げるように。
『まさか、軍で中佐にまでなった男がこういう児戯を知らないとでも?』
『……私は好みません』
『ですから、交換条件になるんですよ』
 男が圧倒的に占める軍社会で、性欲を解消する行為はむしろ推奨されている。もちろん、戦時下でのみだが。一軍人として、私もその行為を強制される可能性はあった。だが、幸いというべきか……今まで一度もない。
 上司と寝て今の階級を得たと、中傷されている男がいる。その名をロイ・マスタング。階級は大佐。国家錬金術師で二つ名は「焔の錬金術師」だ。噂なのか事実なのかは知らないが、確かに彼の容姿は可憐といってもよかったのだろう。年に似合わぬベビーフェイス。彼のような容姿なら、”そういう対象”になってもおかしくない。
 だが私はどうだろう?
 脆弱だったとはいえ、軍にはもう十年近くいる。かけ離れて屈強とはいかなくても、充分「男」の体つきだ。
 その私を抱く?
 正直、戸惑った。申し出の内容ではなく、申し出の相手が”私”であることに。
『……他の者では、代わりにならないと?』
 自分がのし上がるためなら、私はどんなことでもしてきた。体を売れといわれれば、きっと躊躇わずにしただろう。だが、そうした機会は全くといっていいほどなく。逆に正攻法での戦術が功を制してきた。入隊当時のあの悲壮な決意は、今なら笑ってしまうほどのものになったのだが。
 自分が思っているよりも、世界は自分を思っていないし。
 必要とされないものなのだと。
 それが目的で軍に入ったのだし、戸惑いはやがて安堵に変わっていった。
『他の男を抱いてどうするんです? 貴方だから、条件にのってみようと考えたのに?』
『……軍への復帰は、二の次なんですか?』
 そうしながら、手を差し伸べたのは了承の意味だった。
『まさか、同じくらい大事ですよ? 枷から逃げられるのだったら、少しの制約など大したものではない』
『……私にはよく分からない。私の体が、何故交換条件に値するんです?』
 頭脳はあっても。
 キンブリーはくすくすと笑った。おかしそうに、肩を震わせて。
『私こそ聞きたい。貴方の、そのおかしな精神構造はどこで作られたんですか』
 ───抱かれて。
 彼はたぶん、私の 部下ものになった。

「……なら、どう見えたんです」
「一人に見えましたよ」
 それは言葉遊びではなく。たった一つの言葉に、いろんな意味がこめられているように思われた。解けた長い髪をゆっくりと束ね、封筒を突き返してくる。
「必死に、たっているように見えましたよ。家族に”無条件で”愛されたようには思えない。だが、排斥されていたようでもない。自立しようとする矜持(プライド)が潔くて、でも空回りしている。───家族とは死別したのかな、と」
「ご高説を有難う」
「今まで興味がありませんでしたが……アーチャーというと、もしかして西部の政治家一家ですか」
「……何故そう思われるんです」
「リィゼ・アーチャー。私の記憶が正しければ初の女性政治家です」
「セントラルでも有名ですか」
「いえ、貴方と同じ名前で新聞に載っていたので読んだだけです」
 くつりと笑いで交わされ、からかわれたのだと分かった。
 ぴりっと蝋をはがし、薄い手紙に書かれた達筆な文字を読んでいく。そして息を飲んだ。あまり信じたくないことが書かれている。
「───いけない。今日は何日ですか、キンブリー」
「今日ですか。確か、七月の十九だと思いましたが?」
 寝乱れたベットから飛び起き、キンブリーがいるというのにシーツを引き剥がした。情事の痕跡を一つ残らず消さなければならない。
「一体どうしたっていうんです?」
 まずい、非常にまずい。心の中で連呼しながら、私はばたばたと部屋の中を片付けまわる。私物は少ない、だが、ここには同居人のキンブリーのものがいくつかあるのだ。あの聡い妹のこと───気づかないはずがない。
「妹が来るんです、仕事のついでに私に逢いに」
「すっぽかせばいいじゃないですか。仕事で忙しいといって」
「無理です」
 きっぱりと言い放って、私はがちゃがちゃとキンブリーのものを丁寧に片付ける。部屋はもともと綺麗に掃除してある。ただ、物の配置を変えておけばいいだけだ。
「無理?」
「もう来ているんです、とっくに───」


セントラルこのまち




楽しい。めっちゃ楽しいです捏造小説。
次回は妹君登場。
全くオリジナルですよね。ところで、キンブリーとアーチャの初夜は後日書く予定。
04/07/17 by珠々


□ お手数ですが、ブラウザのバックでお戻り下さい。 □


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