::: #09: 腕の中 :::

::: 2004/06/21 :::


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A Moveable Feast
 
がたんがたっ!
がしゃんっ!

 強風に煽られて、ガラス窓が軋む。そのたびに、腕の中にすっぽりと納まった体が震える。
 台風が来るという予報は、少し前から届いていた。当然のごとく、東方司令本部の面々、プラス部下はロイ・マスタング大佐の指示によって、防波堤を築いたり、氾濫の恐れのある川の付近の住民を避難させた。万が一の為に通常よりも多い兵がここの詰め所に集まっている。
 なかなかいい守備だった─────ただし、その指示した本人以外は。
「大佐……大丈夫ですよ」
「……っ、べつに」
 別に、怖がってなどいない。語尾は消えて聞こえなかったが、そう呟いているのだろうことは容易に予想できた。
「台風の何が怖いんですか? 南部のハリケーンなら分かりますけど」
「別に、怖くない!」
「はいはい」
 どうやらやぶへびのようだ。大佐は、自分の唇が青くなっていることに気づいてない。そういえば、この部屋(大佐の資料部屋……通称物置部屋だ)に入ってきたとき、顔色が悪く見えた。部屋が暗い所為かと思ったが、そうではなかったらしい。
「ふぅ……っ」
 呻くように、自分の腕の中に顔をうずめて。ぎう、と。縋るように。
「怖くなんかない……落ち着かないだけだ……っ」
 そっと、宥めてやりたくて額に手を置く……と、熱い。改めてうなじにも手を当てる。確実に体の不調による発熱だった。その所為で、精神が不安定になって台風のたてる家じゅうの物音に落ち着かなくなっているのだろう。
「大佐……」
 そう耳元で囁いた自分の声に、きっと優しい色が溶け込んでいたんだろう。
 せめて仮眠室で横になりましょう、そう告げて体を抱き上げる前に。牽制するように背中にぎゅっと両腕をまわされてしまったのだ。
「……いやだ」
「大佐……」
「……このままだ」
「こんな状態で、体が休まるわけがないでしょう」
 呟く声はため息交じりに───けれど、心の中では安堵のため息をついていた。
 やっと捕まえたのだ、この柔らかな魂を。
 ヒューズ准将が亡くなって、彼の行動は以前よりも切れ味を増した。セントラルの人間は知らないかもしれないが、以前のロイを知っているものなら顔をしかめただろう。ヒューズ准将がいたなら、落ち着け、と忠告したに違いない。それほど、功を焦っているのが分かる。
(いや……それを分かっているのは、きっと俺たちだけだ)
 そして、それをやめさせたいと考えているのは、尚更に絞られて自分ひとりだ。
 中尉は、ロイを決して慰めたりはしない。
 それが彼女なりの慰め方だ。また、女性であるが故に。
(背筋が凍るような恐怖だ、それは)
 もしも自分だったら、きっと発狂しかねない。自己嫌悪に自殺しかねない。
 中尉は、己が女であるからこそ上司であり───また至上であるロイ・マスタングを慰めることが出来ない。
 ロイにとって、女性は守るべきものに入ってしまう。
 共に戦う同胞と思っていても、弱りきった心までは曝け出せない。そもそも、弱音を吐けるほど彼はまだ余裕がない。それが、一番の問題だ。
 
 だからよかった、と。
 
 腕の中の上司を抱きしめて、思う。背中を幾度となく撫で、少しでも体勢を楽にしてやりたくて机に深く腰かける。だがこのままではまだ不安定で、互いに無理な格好だ。ちゅ、と額にキスをして、背中と膝の裏を支えてやりながら体を持ち上げる。
「いやだ、いゃだ、ジャン……っ」
「分かってますよ、俺が辛いんで、ソファに座るだけです」
 机から離れ、窓際に設置されたソファ。山積みになっている貴重であろう本を足で蹴り落とし、ぎしりときしませながら腰かけた。
(───こんなに弱っている大佐は、珍しい)
 抱き寄せると、頬に熱い額が触れた。熱は段々と上がっているようだ。眠りについたら、医務室へ行こうと心に決める。
「どーして、俺の腕の中がいいンすか」
 小さく優しく問いかける。ぴくり、と。うっすらと開いていたまぶたが震える。
「……こわくない」
「俺の腕の中は、安全だから?」
「ちがう……」
 すり、と。耳を心臓の位置にずらして吐息を漏らす───ほぅ、と。
「……お前、まだ、いきてるだろ」
「!」
「イシュヴァーる、の、とき……マース、と……よくこうしてかみんを、とった……」
「ああ……お互いに、交代で休んだんですね」
 宥めるように、頬をなでると。大佐は心地よかったのか目を細めた。熱でこもった吐息を、小さく吐く。
 そうか、と思う。イシュヴァールの内戦のとき、台風でも襲ってきたことがあったのだろう。そのときのことを、思い出してしまったのかもしれない……と。
「このまま、なら……れ、る」
「……はい? 大佐?」
「…わ、たしのそばを、はなれるな……───ズ、まも、て……やる」
(あ……!)
 天井を仰ぎたかった。
 衝撃と、後悔と、憧憬と、嫉妬とが。ないまぜになって俺の唇を封じ込めた。
 はい、と。深く頷いてやれる以外に何が出来たのだろう?
「…ら…ジャ、ン…も…そばにいろ。……ころさせたり、しない」
 ここでアンタが、泣けたらいいだろうに。
 ぽつりとそう思う。どれほどの後悔を、この人は抱いているのだろうと思う。後悔を、後悔といえない強さと脆さに変えてたつこの人は。
 誤解を解くきも、理解者もいらない。
 そんな生き様に涙が出そうだ。
「───傍にいますよ、あんたが、嫌がったって」
 そして、俺もアンタも生きるんです。口には出さずに、指先でなでて伝わったらと執拗に髪を撫でた。苦笑する、こんなのはただの恋に理性を失った行動で。愚かな祈りでしかないのに。

 がたがたんっ!

 突然大きな音がして、驚いて大佐の体が跳ねる。窓ガラスが、また強風で軋んだのだ。俺はぎゅっと抱きしめた。そしてそれ以上に、強い力でもって抱きしめ返される。
 細い肢体。
 柔らかく、愛おしい魂。
 明日の朝になれば、またこの腕から去るのだろうと思うと悲しかった。
「何度でも、探して捕まえますけどね……」
 アンタも、それを望んでるんでしょうから。


ずっとあなたを捜し求めて、生きていく
見つけて抱きしめて、いつか……
この腕の中が、隠れ場所になるように。



書いてみました。タイトルは、十個の中にご自由にっていうのがあったので……
つーかあたしが熱あるみたいです。
台風怖いし。
2004/06/21 珠々 拝

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