『それでは、行こう』
ホークスが嘶いて返事をするのに、ルシアは思わず吹き出した。
少しだけ心が和んだ。
険しい道は、魔界の入り口でクライヴが言った通り
複雑に曲りくねっていた。
ユグドラシルまでの道のりはより厳しいのだ。
ルシアとホークスのみだったら迷ったし魔物に襲われていた。
行き先を示すだけではなく、ケルベロスは最初から共に来てくれるつもり
だったのだと、ルシアは思う。思い上がりだったら悲しいけれど、
一人では、魔界から帰還もできないしどうもできなかったのだから。
何度となくケルベロスの存在に感謝した。
上級の魔物が現れるようになった。
見た目からも強大な力を感じ取れる。
ルシアは立ち竦みつつも、話をしようとしたが、無駄だとケルベロスが
制し、話が通じなかった場合は闘った。
ケルベロスが闘っている間は、クライヴを預かり安全な場所まで離れていた。
ケルベロスは、さすがに何度も闘い、消耗していた。
放っておけば自己治癒できる魔獣にとっては大したことはないのだが。
ケルベロスの負担を軽くする為、ルシアでも闘える相手の場合は、魔術を使った。
本来なら魔術を使うことは禁じられているけれどこの場合は仕方がないと開き直る。
彼女が魔術を使えることに最初は驚いたケルベロスだったが、
自分の分を弁えて行動する様子に、感心し微かな手助けなら
欲しいところだったので文句があるはずもなくただ喜んでいた。
健気で優しいだけではなく勇敢な所も併せ持つルシアに。
深い森をいくつも抜けて、周りの景色が開けてきた。
乾いた大地から、緑鮮やかな地へ。
深緑の匂いが鼻を掠める。
血を思わせる真紅の花がそこかしこに咲き乱れているのにルシアは目を奪われた。
手に取ろうとして、凄まじい勢いでケルベロスに止められた。
『その花は毒を持っている。安易に触れれば指先から全身に毒が回って即死だ』
ルシアは唾を飲み込んだ。
クライヴに心配されるようなことをしてしまう自分。
彼の事を心配性だなんて言ったら天罰が下る。
勝手な行動を慎もうとルシアは身を引き締めた。
旅をしているのは、クライヴを助ける為。
一歩一歩ユグドラシルまで近づいていると思えば気が逸る。
もう少しでクライヴを救えるのだ。
ユグドラシルの手前には大きな沼があった。
行く手を阻む蛇は、ケルベロスの気配を察して自ら姿を消した。
「ケルベロスさんって偉大なんですね! そんなあなたを
味方にしてる
クライヴと私もすごい気がするわ」
『……呑気だな』
「これでも気を張りつめてるんですよ。
暗い顔してると悪いことがやってきそうだから明るく努めてるんです」
ルシアはきっぱりした口調で言った。
『なるほど一理あるな』
「へ?」
『何でもない。先を急ごう』
ルシアが明るく元気でいることで
自然と柔らかな空気が流れていく。
ルシアは、進む道中、クライヴの手を常に握ったままだった。
自分がここにいることを示して彼を安心させるかのように。
微笑みかけてクライヴを励ます。
まぶしい金髪を揺らして青い瞳の少女は、弱音を漏らすこともなく突き進んでいた。
最初こそ不安でいっぱいの様子だったけれど終始、彼女は前向きな姿勢を崩さなかった。
ケルベロスは、銀髪のクライヴとルシアはまるで対をなしているようだと感じた。
背中に目に見えない双翼を持っているが、
二つの翼は片翼でも傷ついていては飛べない。
二人からはそれだけ強い絆が感じられた。
木の実を取って食べる時もルシアは先ずクライヴに食べさせてから自分も食した。
ルシアは長く旅を続けている気分になっていたが、実際はそうでもない。
クライヴが大事に至らなくて済んでいるのは
魔界の世界の時間の流れが遅いことも大いに関係している。
時間が過ぎていたらと想像すると恐ろしかった。
膝までも覆う草の中を越えていく。
ケルベロスが、匂いを嗅ぎながら先を進み、ルシアは彼にOKをもらってついていく。
ケルベロスは食物の匂いから危険な匂いまで
嗅ぎ分けられ、
遠くから広い範囲を見渡せた。
優れた嗅覚と、視覚の持ち主な辺りに魔獣っぽさを感じたルシアである。
普段は驚くほど人間くさい所を見せるケルベロスだが。
進むほどに清浄な空気が濃くなる。
今までとは明らかに違うのだ。先程までは度々見かけた魔物達が見当たらない。
ここは魔界なのかと疑ってしまいそうになるほど、穢れを寄せつけない雰囲気が漂っている。
葉が生い茂ったとてつもない巨大な木をぐるりと周りを見渡せば緑、緑、緑。
ルシアはこれだけ大きな木を見たことがなかった。
あまりにも高いので雲にまで届きそうな気がした。
『ユグドラシルの領域内だ』
「……あの」
『何だ』
「どうすればいいのかさっぱりなんですけど」
『てっぺんまで登って露を含んだ葉っぱを取ってくるんだ』
「なるほど」
ルシアはぽんと手を打った。
『その辺から伸びている蔓が助けてくれる』
ルシアは、木に開いた穴から蔓が伸びているのに気がついた。
よく見れば穴は無数で、どこへ登ろうか迷ってしまうほど。
一番近道はどれだろうと考えあぐねるルシアの横でケルベロスが、
『私はここでクライヴと共に待っている。頑張って来い。
魔物はいないから襲われる危険性は無いからな』
ルシアに告げた。
「わかりました。頑張ってきます! じゃホークスいこ?」
名を呼ぶとホークスがルシアを案内するつもりなのか、
鳴き声を上げ、羽を忙しなく動かし始めた。
「どこから登ればいいかしら?」
ぱたぱたと大げさに音を立てると羽が一枚ひらひらと地に落ちた。
ルシアについてこいと、東側へと飛んでいく。
「待って」
ホークスもクライヴを早く助けたいのだろう。
ルシアは精一杯、ホークスを追い駆ける。
しゅるしゅると伸びる蔦に掴り、上を見上げると、体に巻きついた蔦が、
ルシアをもの凄い勢いで上に連れていく。
宙に体が浮いて悲鳴を上げるどころか
嬉々とした表情を浮べているのが彼女らしい。
ひゅんと無事に着地し穴の中に入ったルシアは、濡れた大きな葉の上を
歩いていく。跳んだ方が早いかもと思いジャンプしたら
葉っぱが弾んでルシアの動きを助けてくれた。
「何、これ、おもしろーい!」
意外な場所で楽しみを発見してしまった。
奥の方にまた穴を発見した。
どんどん、先へと続いているのだろう。
ルシアは、ぴょんぴょんと飛び跳ねて葉っぱの上を進んでいった。
何個目の穴を進んでいた所だろうか、ルシアは
「きゃあっ」
足をつるりと滑らせた。葉っぱは濡れているのだ。
気をつけなければならなかった。
ホークスが彼女の肩を嘴で掴んで引き上げてくれ事なきを得たが、
ルシアは、またやっちゃったと気を落とした。
「ありがとう」
恥ずかしそうに礼を述べるルシアにホークスはくすくすと笑っているような。
「うう、ごめんね。気をつけるから」
木の内部でも蔦が這っていてそれに掴るとまた上へと運んでくれた。
穴に入り葉っぱの上を跳んで次の穴で、蔦に掴って上へ登る。
何度か繰り返す内に、違う風景の場所に出た。
弾む葉っぱもなくなり、草の道が真っ直ぐと一つの方向に向かって伸びている。
踏んだ葉っぱの隙間から下を見れば、随分高い場所まで登ったのだと気づく。
ここまで無事に来れたのはホークスがいてくれたからこそだ。
ルシアは名前を呼ぶと肩の位置まで降りてきたホークスの頭を撫でた。
頬を緩めて接していると嬉しそうに鳴き声を上げる。
草の道を進んだその先には太い幹があり、その上から蔓が伸びていた。
ルシアは、浮き出し立つ心を抑えられずに、蔓に手をかけた。
違和感を感じた彼女は、何回か掴み直してみるが、駄目だった。
どうやら上に引っ張り上げてくれる仕組みではないらしい。
「……下は見ないようにしよう」
深呼吸をして蔓を体に巻きつけた。
重力に逆らっている為不自然だが、気にしている場合ではない。
ルシアは枝の上を直接登っていく。
早く頂上に着いてと心で唱えることも忘れない。
ぐんぐん登っていくと穴があった。
最後の穴かもしれない。
不自然な体勢で、ルシアは穴の中に滑り込んだ。
するすると蔦が解けていく。
「……わあ」
奥には、湧き出した泉があった。
泉の中には葉っぱが何枚か浮いている。
「うん、あれを取ればいいのね」
ルシアは、勇み足で進んでいく。
辿り着いた泉の水は澄んでいて見たことがないほど透明な色をしていた。
すっと泉の中に手を入れる。
水のせいで滑って葉っぱが中々掴めない。
焦らずゆっくりと手を入れてみたら何とか二枚取ることができた。
「やった!」
ルシアはホークスに喜びを伝えた。
落さないように注意を払って元来た道を戻らなければ。
一枚はホークスが銜えてくれる。
ルシアは、しゅるしゅると蔦を体に巻きつけて幹から下りて、
再び元来た道を戻っていった。
『おかえり。意外に早かったじゃないか』
「跳んで跳ねて結構楽しかったですよ!」
『よかったな。葉も無事だな』
「当たり前じゃないですか。それが目的ですもん」
『早速その雫を飲ませてやれ』
ルシアは、横たえられていたクライヴの口元で葉を傾けようとした。
苦しそうに喘ぐ口元は半開きになっているので開けさせずともよかった。
『口移しで飲ませないと効果がない』
「……あ、はい」
ルシアは自分の口元で葉っぱを逆さにして雫を流し込んだ。
零さないよう慎重にクライヴの唇に自分のそれを重ねる。
ルシアは、そっと唇を離した。
大怪我をしていた体が、見る見る内にに治癒していく。
傷が塞がり、凝固していた血も跡形もなく消え失せた。
顔色もよくなり、クライヴは虚ろな目をゆっくりと開いた。
生気を取り戻した瞳が輝いている。
ルシアが、抱きつこうと身を乗り出した瞬間逆に抱きしめられ、引き寄せられた。
「ありがとう」
耳元に触れる熱い吐息。
「ううん、元気になってよかった。大変だったけどあなたが治って報われたわ」
「……ルシアのおかげだ」
頬を唇が掠める。
避けられなかったルシアは真っ赤になってうろたえた。
「ケルベロスもホークスもいるんですよ」
「気にする必要はないだろう」
「勝手に判断しないで下さいよ」
二人の世界が繰り広げられ始めた。
ケルベロスは苦笑し、ホークスから受け取った葉を口に入れて飲み込んだ。
噛み砕いて咀嚼するという荒業を披露したケルベロスは、
くつくつと喉を鳴らす。
『帰るぞ』
促され、ルシアは立ち上がる。
クライヴが彼女の手を握ってケルベロスの方に歩いてくる。
「あ、ケルベロスさん、ホークスは口移ししてくれましたか?」
『回復しているだろう』
「本当だ。じゃやっぱり……」
「ルシア、良いように乗せられたことにまだ気づかないのか」
クライヴがくすくすと笑っている。
「……ってことはケルベロスさん、騙したんですね!」
『いつもしていたじゃないか』
「だって……それとこれとは別ですって」
見られていることを意識してするのとでは決定的に違う。
「ルシア、後でたっぷりお礼はするから楽しみにな」
クライヴがルシアの肩にぽんと手を置いた。
「はあ、お礼? とりあえず楽しみにしてます」
ルシアはきょとんとした。
帰り道は、クライヴが魔界の門まで瞬間転移を使い移動した。
「ありがとうございました。また会いに来ますね」
『……つくづくおかしな娘だな』
といいつつケルベロスも満更嫌ではなさそうだ。
「お前のせいで怪我をしたんだから、今回のことは礼を言うつもりはない。
ルシアの助けになってくれたことは感謝しているがな」
偉そうなクライヴにルシアが、苦笑した。
『いいだろう。次の闘いを約束するという事で礼に変えてやる』
「……分かった」
「駄目、もう無茶しないで。心臓がいくつあっても足りませんから」
闘志に瞳をぎらぎらと輝かせている一人と一匹に
ルシアがはらはらとした気分だった。
門から離れて歩いていく道すがらもルシアは、ケルベロスに手を振っていた。
クライヴはルシアの腰を抱いて、
「もう魔界探索はいいんだろ。十分冒険したみたいだしな」
ふと目を細めた。
「意外な展開になっちゃったんで……堪能しましたよ」
「とりあえず城へ戻ろう。またいつでも来れる」
「はい」
クライヴが魔術を唱え、魔界と人間世界との空間を繋ぐ。
ルシアは手の平をぎゅっと握り締められ、そのまま黒い空間に身を投げ出した。
壁を抜けて、城に戻ってきた瞬間、ルシアはどっと力が抜ける心地を味わった。
「疲れたか……」
こくんと頷いたルシアをクライヴが抱き上げる。
ルシアが目を覚ましたのは、サンルームの天蓋つきベッドの中だった。
13.ユグドラシル 14.言の葉の泉
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