R15としまして、大人向けに改稿しました。





fall in down



 銀の指輪を華奢な指先からするりと抜き取った。
 これは今は目障りな余計な輝き。
 戸惑いつつ身を任せていたあの頃が、懐かしく思える。
 今では、恥じらいながらも、俺に抱かれることが至上の悦びだと
 言っているかのように微笑んで、自ら指をつなぐ。
 彼女ージュリアーに与えられた私室のベッドで
 絡み合う俺たちは、裁きの時を待ちわびている。
いくつもの夜を越え、罪だと知りつつ想いを交わしてきた。
 最初に一目見た時から、彼女が欲しかった。
 どんなことをしてでも手に入れると決めていた。


   あの月さえも眠る晩、俺は遂に彼女を手に入れた。
 案外やすやすと上手くいったものだと拍子抜けすらした。
 この美しい人妻を自分のものにするにはもう少し時間がかかると思っていたが……
 天は俺に味方した。
 彼女が俺を愛したのは、幸運。
 ジュリア夫人は結婚して何年も経ち、既に子供がいてもおかしくないというのに
 まだおらず、夫と二人広い屋敷に暮らしていた。
 寂しそうに笑いながら背中に腕を回してくる女の力は存外強く、
 堕ちたらとことんまで堕ちていく覚悟をしているように見えた。
 頬に流れ落ちる涙は何よりも美しかった。
 指先で、唇で拭い去りながら、俺は、ただ強く彼女を抱いた。
「ジュリア様……」
「ジュリアよ、イアン」
「ジュリア」
 熱に浮かされて何も見えなくなる。
 すすり泣く声に急かされて、一層強く、抱き返した。
 俺の胸に伸ばされた指が、腰骨までゆっくりとたどる。
 感じる声も表情も、二人だけの物だと思えば、これ以上何を欲すればいい?
 敬称を付けずに呼ぶことを求めたジュリアは、
 俺のものであるという証が欲しかったのだろう。
 無自覚に、支配欲を満たしてくれたのだ。
 キスをしながら、繋がって、一度高みへ昇った後、
 抱きあげて再び、一つになった。


 彼ーイアンーが下から私を見つめていた。
 甘やかな愛撫に背筋がぞくりと震えた。
 こうして、貪るように求めてあなたを確かめて、
 私は心密かに涙する。
 痛みより強い快楽で、すべての感覚がもっていかれた。
 「後悔しているの?」
 イアンはいつもの笑みを浮かべた。邪笑と呼べる類の。
 わざとらしく聞こえた声に口の端を緩く持ち上げ、
 シーツの皺を伸ばす手に力を込めた。
 私を罠に落としておいてよく言うものだ。
 彼は瞳を細め、見上げている。
 繋がれた指先が離れることを許さないと言っているようだ。
 髪が乱れ、肌に落ちる。
 自分を取り繕うことさえ意味のないことだ。
 何でも見透かす彼は、最初から私を手に入れるつもりだったのね。
 欲情の先にある愛を見出したから、身を許したのだけど。
「君を鳥篭の中から放ってあげたい」
 さらりと髪を撫でる手に頬を寄せる。
「……素敵ね。どんな幻想よりも綺麗な夢だわ」
 本気にはしない。
 現実主義の彼の言葉を本気として受け取れば後が辛くなるから。
 偽りを言っているわけではないと知りながらも
 微笑さえ浮べて、流した。
「叶えてみせるよ、きっとね」
 彼ーイアンーは余裕綽綽の態で口元を吊り上げた。
 強い力で腕を引かれて今度は彼に見下ろされる格好になる。
 組み敷かれて、すぐに覆い被さってくる。
 熱い背中に腕をまわして縋りついた。
 綺麗なイアン。
 許されない恋心を植えつけた男性(ひと)。
 彼との関係は極上の甘さと手に負えないほどの苦しみを  与えるばかり。
 私たちはいつ露見されるかも分からない秘密裏の関係の
 スリルを楽しんでいるのだ。
 恋は危険だと誰かが言った。
 恋は愛より無謀だからなのだろう。
 何度キスをしても、私たちは終止符を打つことはしないのだ。
 それほどまでお互いに執着してしまった。
 多分最悪の形の終わりを迎えることを望んでいる。
 悲しみも喜びも生きている間だけ味わうものなのだ。
 無に帰ればすべて消えてなくなるだけ。
「愛しているよ、ジュリア」
 「ええ、私も愛してるわ、イアン」
 海よりも深い青で見つめられ湖の底の青で  見つめ返した。


2

 手を取り合い見つめ合う。
 甘い抱擁の時間だけ、生きていると感じられた。
 生き地獄。
 隠していることが辛いのじゃない。
 いつまで隠し続けられるか不安だった。
 平静を保っているつもりでも、以前と同じように
 彼と接していられているかは、自信がなかった。
 親子ほどの歳が離れた夫は、時間がある時は必ず私を見張っていた。
 この家に来た時から変っていないこと。
 夫を拒絶し始めてから、余計に束縛が強くなった。
 暴力だけは辛うじて受けていないものの、扱いは散々だ。
 夫と私との間に挟まれたメイドは毎日おろおろと立ち振る舞っている。
 あなたは何も悪くないのだからと、視線に込めて
 彼女の働きを労うしかなかった。
「今日はお誕生日ですね」
「……そうだった? 」
「ご自分のお誕生日もお忘れになったんですか」
 クスクスと笑うメイドのアンナにつられて笑みがこぼれた。
「この所思いつめていらっしゃいましたものね」
 なんと言っていいやら言葉が返せず固まる。
「ごめんなさい、言葉が過ぎました」
「いいえ、本当のことだもの」
「奥様……」
 私には帰る場所もなく、往く場所もない。
 生きるのならここにいるしかなかった。
 生きていくのならば。
 カップがかたかたと震え音を立てる。
 否、自分の手が震えているのだ。
「あの……無理なさらないで下さいね。
 奥様の苦しみの全部を受け止めて差し上げることは
 できませんが、話を聞くくらいできるので」
 歳も同じ位のアンナは親しみをもって接していた。
 よく尽くしてくれていつもありがたかった。
「――きっと全ては遅すぎたの」
 うわ言のように呟く私にアンナは瞬きした。
「えっ」
「何でもないわ。心配かけてごめんなさいね。
 もう下がっていいわよ」
「は、はい」
 場を辞したかに思えたアンナが振り返り、
「お誕生日おめでとうございます、ジュリア様」
 柔らかく笑った。羨ましいくらい純真な微笑み。
 お願いだからどうか、私が失くしたものをあなたは失くさないでね。
「ありがとう」
 心の中で呟きながらアンナへ感謝の気持ちを伝えた。
 ぼんやりと溜息をつく。
 今日はイアンは夫について、出かけている。

「お帰りなさいませ」
 メイドの後ろから歩み出ると高慢な態度を隠そうともせず、
 夫は私の顎をいきなり掴み、体を引き寄せた。
 イアンが、その様子をじっと見ている。
「……こんな所で何をなさいます」
 腕で振り払う素振りをした。
 どんな反応を示すか見ものだ。

「ふん、お前に拒否する権利があるのか? 」
「私にだって恥も外聞もあります。他の者に見られて行為に甘んじるなんて
 品性の欠片もないではありませんか」
「最近、生意気になったな。従順だったお前の面影はどこをとっても見当たらない」
 面白くなさそうに鼻で笑い、夫はメイドにコートを預けると私室へと戻った。
 その後を追いながら、ちらりと一瞬、イアンを振り返る。
 彼は苦笑で見送ってくれた。
 従順だった私は、仮面を被っていただけよ。
「お前は美しくなった。出会った日から美しい少女であったが、
 最近益々輝きを増し艶めいた。私以外の誰かの手によってな」
「あなた以外の誰が私を変えたと」
「白々しい!」
 急に怒声を張り上げた夫は、広いベッドに私を押し倒した。
「やめて下さい」
 冷静に返せば、怒りを煽られたのか髪を掴み、ベッドの縁に腕ごと紐で縛られた。
「あの男の下でどんな声を上げるんだ。教えてみろ」
「イアンはどんな風にお前を抱いたんだ」
 抗う間もなく口づけられ、嫌悪が募る。
 身を捩れば捩るほど紐が腕を締め上げ、紫色の鬱血痕が出来上がる。
 傷みより何より、蹂躙されていく体に意識が持っていかれた。
 イアンと関係を持ってから、初めて夫に抱かれた。
 極めて不本意な形で。
 果てなく続く悪夢に、いつしか気を失っていた。
同意のない一方的な行為は、暴力以外の何物でもなかったのだ。
 気がついた時には、薄暗い部屋の中にいた。
 いつから、知られていたのだろう。呑気にもそんなことを考えた。
 
 3


「ジュリア様はどちらなのですか。朝からお姿を見ないもので」
 自分の主人たる人物は、薄ら笑いを浮べている。
 醜悪で、気分が悪くなる。
「気になるか、自分の情婦のことが」
 主人ースチュアートーはあからさまに言い放った。
「仰っている意味がよく分かりませんが」
 にっこり笑ってやった。
「二人して白を切るのだな。だがもう素直になったらどうだ」
 手に持っている鞭を振るっている様子に苛立ちが表れていた。
 目を伏せ、持ち上げて息を飲み込む。
 ジュリアは、この男によってどこかに幽閉されていると確信した。
 同じように、問いつめられた後で。
 ここで白を切ろうがどうせばれてしまっているのだ。
 開き直る方が賢いだろう。
 何よりも彼女の身の安全の確保が一番大事だ。
「確かに、私たちは愛し合っている。
 情愛に溺れてお互い以外のものは見えない有様でね。
 元より愛情を通い合わせていなかった夫には彼女も未練がない様子でした」
 眼鏡の縁をいじる。
 余裕を崩さないこちらに、怒りが頂点に達した様子で、鞭を振るってくる。
「ぬけぬけと。誰が雇ってやった。恩を仇で返すとは、忠義に反しているんじゃないか」
「感謝しています。貴方のおかげで彼女と出会えたんだから」
 鞭が顔に飛んでくる。
 運動神経の鈍い男だから避けるのは容易かった。
「当時16歳のジュリア様を娶られた貴方は、
 贅沢な暮らしをさせ表向きには大事に幸せにしていた
 ようで、その実、彼女の意思など省みてはいなかった。
 それも10年もの長い間」
「ジュリアは私のものだ。何が悪い」
「お気に入りのおもちゃを自分のものだと主張する子供と同じ理屈ですね」
 鞭を持つ手を掴み、捕らえた。
「は、離せ、無礼者!」
「ずっとそれが言えなかったんですよ、ジュリア様は!」
 鞭を奪い、振るう。
 彼女を守るためなら、この身を血で汚そうとも構いはしない。
 憎かった。
「誰か、誰か、ここへ!」
 必死になって助けを求める姿は滑稽だった。
「誰も来ませんよ、貴方の訴えなど誰の耳にも届かないのですから」
 主人の横暴振りを、使用人たちは嫌っていた。
「あの方は逃げ場所もなく、広いようで小さな箱庭の世界で、
 生きることを余儀なくされていた。助けを求めたくても
 身動きさえ取れずにね。あなたは自分のわがままを押し通し続けた。
 権力を失くしたら途端に無力になるくせに」
 じわりじわりと壁際へと追い込む
 追い詰めるほどに、相手は抵抗する気力を失う。
 権力以外の何の力もない。
 突きつめれば気が弱い小心者だった。
「私は、スチュアート様のように地位も名誉もございませんが、
 彼女を愛する心だけがあれば充分ですから恥じる気持ちはありません」
 凄然な微笑みを見せつける。
「ジュリア様は美しくお若い。
 貴方には勿体無い方ですよ。
 本来このような場所に、いるべきではないのだ」
 シュッ。空を切る鞭が螺旋を描く。
 終止符を打つ時が近づいている。
 彼女を自分の腕の中で守って、そして。

 昔からあかずの間といわれている部屋は薄暗く、今が朝なのか昼なのか
 ……何も分からない。どこからか聞こえてくる時計の秒針と
 日に三度差し入れられる食事が、時が過ぎていることを教えてくれるけれど。
 少なくとも私の時間はこの部屋に入れられてから止まってしまった。
 イアンとの恋で鮮やかに色づいた季節は、心の中で息づき
 決して色褪せることなどない。それが救い。
 段々と心が虚ろになる。
 ここで過ごすようになって何日経ったと数えるより
 会えない日を数える方が、早い。
 ここに私がいるということは、彼も無事ですんでいない可能性が高い。
 それを考えると早く脱け出して姿を確かめたい。
 あの残酷な夫のことだ。我を忘れると何をするか。
 歳の離れた夫は当時16だった私を見初め、すぐにこの家に来た。
 両親にお金と引きかえに私は売られたのだった。
 それ以来10年以上、贅沢な監獄の中で過ごしていた。
 自分の意志など全く存在していなかった。
 お金よりも愛が欲しかった。
 そんな時絶望の闇から救い出してくれたのは、イアン。
 彼が差し伸べてくれた手のひらに縋って、ようやく光を得たと思った矢先。
罪を犯したものへの罰なのだろうと自分を納得させても虚しすぎた。
 出してと叫ぶ余力は最早ない。
 この闇があけるのをどうにか待つしか術は残されていなかった。
(イアン……、あなたは無事なの? )
 心の中で独白し、一人笑う。
 笑みというよりは、崩れた泣き顔に違いない。
 衣服に忍ばせていた手鏡を見ても、暗闇の中では役に立ちはしなかった。
 あの彼の眩しいほどの金髪は暗闇の中でも光り輝くのだろうか。
 座り込むと埃が舞う部屋はかなりの年月放置されていたと見える。
 カチャリと扉が開き、人影が部屋に入ってくる。
 息を飲み、身構える。
 だが、事の外ゆっくりと近づいてくる人影に恐怖を煽られることはなかった。
 床に垂れ下がっていた手のひらを優しく掴む手の感触。
 ふと見上げれば差し込んだ一筋の光明。
「待たせたね、ジュリア。迎えに来たよ」
 途端に涙が溢れ出した。
 抱きしめる力強さは私が望んでいたもの。
「イアン……!」
 膝立ちの格好で抱きしめ合う。
「もう大丈夫だ。君を苦しめる悪魔は何処にもいやしない」
 その言葉の意味を考えることすら放棄した。
 イアンが赤く染まった衣服を身に纏っていることすら  気づかなかったことにした。
 立ち上がり、歩き出す。
 共にいられるのなら何処だっていい。
 二人がいることが真実。 
 お金以外の何もかもを与えてくれた人は、本当の意味で救い出してくれると心の底から信じている。

4

「メイドも他の使用人たちも全員出て行きました」
 イアンが、逃がしたのだ。
 この屋敷は、もうすぐ跡がつく。
 赤い絨毯が敷かれた階段を駆け上がり、一つの扉を目指す。
 イアンの私室。
 ベッド一つだけが置かれた狭い部屋。
 縺れ合うようにベッドに倒れこんだ私たちは何度となく口づけを交わした。
 バスローブを解き合う。
 二人でシャワーを浴びて部屋に戻ってきたのだ。
無造作に床に放られた布の塊が色鮮やかだ。
 涙が一筋ぽつりと頬を滑る。
 抱きしめあう力が強まるほどせつなくなった。 
 うつぶせの背中を指先が辿っている。
 唇が後を追うように、首筋から背中を這う。
 甘い感覚と共にちく、と痛んだ。
 消えない印を残されて、旅立てる幸せに陶然としていた。
「地獄に落ちるわね」
「地獄ってどんな所なんだろうか。分からないが、あなたとなら落ちるのも悪くない」
 嘯く彼に、忍び笑う。
二人ならどこに往こうが恐ろしくない。
「そうね、もう覚悟はできているものね」
 さらり、彼の髪を一房掬ってキスをした。
 乾ききってない髪は彼により艶めいた雰囲気を与えている。
「俺とあなたは罪人だ。重くて汚れた罪を背負っている」
 クスクス笑って彼が抱きしめる。
 重みに、二人を乗せた箱船がひどく軋んだ音を立てた。
 笑い合い互いを抱擁しながら、口づけを交わす。
 衝動に突き動かされた結果、ベッドは  壊れそうな程激しく揺れた。
 シーツをつかむ指先に力をこめる。
「いっそ、このまま朝が来ない内に」
 宙に指を差し伸べる彼。私はその手に指を絡めた。
 ビリビリと痺れる熱さ。
 咎を受けなければならない私達はこの身を焼く炎を求めている。
 たとえ、夫がどんな男だったとしても、罪は罪だ。
 私は彼の手を汚させたことが一番つらかった。  苦しみから救ってくれた大切な人に。
「天国まで一緒に……イアン」
「俺とあなたは、地獄へのチケットしか持ってませんよ、ジュリア」
 淡々と口にする彼、イアンに唇を噛み締めてしまう。
 切れて赤い血が滲むのを彼が口づけて癒してくれた。
「無茶をしないで」
「地獄行きのチケットしか持ってないなんてあなたが言うから」
「事実には違いない」
 あまりにも抑揚の無い声にゾクリと震えた。
 表情をフッと笑みに変えて彼に答える。
「そうね、炎の槍で貫かれるんだものね」
 ぐいと腕を引かれた。
 これまで以上に情熱的で、激しく淫らに愛し合っている。
 最期だと身にしみて分かっているからだとしても喜びしかない。
 体が浮いて金の巻き毛が宙へと舞う。
 月明かりに照らされて、鮮やかに光る彼の髪。
 遠く高い場所に舞って沈む体。心だけでも天国に昇りつめて。
「愛しているわ……イアン」
「俺もですよ」
 普段は眼鏡をかけているプラチナブロンドのイアンは、私と会う時には眼鏡を外していた。
 別の顔を曝け出す。
 完璧な紳士の姿から、色香を纏う妖しい男性へ。
 固く繋がれた指先。
 何度となく握り直して、見つめ合って、背中を抱いて。
 二人だけの孤独な美しい世界で、漂う。
 嬉しくて哀しくて、瞳から涙が零れた。
 指先でぬぐって、頬から顎へとキスをしてくれる。
 片方の手は離さずに手を握ったまま、私は空いている方の手を胸元に置いた。
 そして胸元に置いていた手を宙に翳した。


 十字を切れ。
 天高く神に届くように。
 祈りを捧げよう。
 罪の許しを請え。


 瞳を閉じて、指先で空を切る私を彼はクスと笑い、
 私の後に続いて同じように祈りを捧げた。
「最後の祈りよ」
「信心深いですね、あなたは」
「あら、私達はこのまま罪の業火に焼かれるのよ。骨まで焼きつくされて」
 微笑んでも涙は止まらない。
 使用人のイアンは、忠義を裏切り私を愛した。
 私も彼を愛した。
 屋敷の中で咲いた罪深き恋だった。
 秘めやかにしか愛し続けられない関係はもう限界だった。
 出口を求めて、戻れない場所まで辿り着いた。
 私はスチュアートではなくイアンと先に出会いたかったわ。
  「天国って淡い、真っ白な世界だとあなたに会えて知りました」
私の髪を撫でながら、呟く彼の瞳はどこか別の場所を見つめていた。
「夢見てた世界よ。私もあなたに出逢わなければ来られなかった」
 うっとりと彼の背に腕を回す。
「スチュアートさまもお可哀相に……」
 ちっともそう思ってなさそうに嘯く彼はいい性格をしている。
 包み隠さず話したから、イアンも知っているのだ。
 私が愛なんてものを知らなかったこと。
「今更気にしないわ……」
 あなたしか見えないから。
 夫は一方的過ぎたもの。
 地獄しか、与えてくれなかった。
 深く唇を貪り合う。
 強い絆で結ばれたのは夫ではなかった。
 美しいプラチナブロンドのイアン。一介の使用人である男だった。
「悪い方だ」
指先で顎を捕らえ上向かせられる。正面から見つめ合うと胸が高鳴った。
「罪人だもの。あなたも同じでしょう?」
「そう……だね」
 彼はフッと笑った。顔が引き攣るのを何とかこらえている印象。
 ふいに立ち上がり、彼は床へ放られた物の中からマッチを取り出した。
 それを手に取り、擦れば仄かな明かりとなって部屋を照らした。
 綺麗な朱色の光は終末を照らし出す。最後の光。
「眩しくて痛いわ」
「俺達には」
 イアンが、マッチ棒を床に落すと鮮やかな朱色が辺り一面を包んだ。
「ああ……温かい」
「体より熱い物があったんですね」
 抱きしめ合い腕を絡めた。
 キスと同時に全てが同じになって溶けていく。
 ひとつになっている。もはや思い残すことなどない。
「さよなら、イアン」
「いいえ、”また会いましょう”ですよ、ジュリア」
 冗談なのか本気なのか分からないイアンの言葉が肩先に落ちた。

 あっという間に視界が朱色の炎に覆いつくされる。
 高音の熱に、全てが飲み込まれてゆく。
 焼かれる瞬間もずっと抱擁したままに……。



 私と一緒に十字を切って堕ちたあなた、また会いましょう。
 来世で巡り会えたなら。



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