じんわりと熱が、体を凌駕してゆく。
愛より強い感情は独りよがりで、手がつけられない。
純粋すぎて、より凶暴。
背中に口づけを浴びせて指先で辿って、表情を確かめる。
快楽を堪えている表情に、嗜虐的な感情が揺さぶられてしまう。
白い肌は、罪を暴きたてているかの様。
「君は……いや何でもない」
大きな瞳がこちらを見ている。
あどけなさを秘めたまま大人になった少女が。
言おうとした言葉が掴めないままに喉の奥に封じ込める。
壊してしまいたいほどにいとしい。
理性の箍を押さえられなければ、きっととっくに壊していた。
いとしすぎて、がんじがらめにしたい。
「言いたいことがあれば言えばいいのよ?」
くすくす。小悪魔が微笑む。
この細い首筋を何度手折ってしまいたいと願っただろう。
気を失っている時に、手を伸ばしたことは数知れない。
力を込めれば、永遠に自分のものになるのだと。
「考えていること当ててあげましょうか」
柄にもなくびくりと肩が揺れた。
「……」
「私の命を手折ってしまいたいのでしょう」
息を飲んだ。
知られてはいけないことを暴かれている。
この醜い心のありさまを。
彼女は、肌蹴られていた着物をするりと纏うと俺の後ろに回りこんだ。
首にきつく腕を回される。
絞められているのではない抱きつかれているのだけれど、
妙にぞくっとした。
醜い欲望を抱いたこちらの方が恐怖を抱いている。
ああ、そうだった。
どちらの命も互いに握っているのだと思い至れば無性に笑い出したくなった。
決して彼女を支配しているわけではない。
耳朶に触れた唇。
甘い香りがする。
「あなたは私を愛しているのかしら?」
淡々と問いかけられてはっとする。
確かに愛してはいるだろう。
そうでもないと好き好んでこんな行為に及べるはずもない。
いともたやすく相手の命を捻りつぶせるのだから。
「愛している」
「そうね、私もよ」
「歪んだ想いを抱くような男でも?」
「人間っぽくていいのじゃない。真っ当すぎるのはつまらないもの」
向き合ってみれば紅い唇が弧を描いている。
深遠の瞳は、覗きこんだら吸い込まれそうだ。
闇よりも深い黒を纏っている。
くすくすと笑いながら、彼女は俺の足の指に口づけた。
操られているのは俺の方なのだろう。
「あなたといる時間が好きよ。とても生きているって感じがするの」
生々しい程の生を感じているのは俺も同様。
いささか愛情が固執してしまっただけ。
黙って見つめていると、彼女がふと無表情になった。
「あなたは私を殺せないわ。最後の最後で踏みとどまってしまうもの。
そのやさしさに殺されないように気をつけてね」
意味深な言葉と毒のある微笑。
噛つくようなキスでおしゃべりな唇をふさいだ。
時折漏れる吐息の妖しさに全身の血が沸騰する。
悪魔に魅入られているのだとしても君が悪魔ならかまわない。
喜んでこの身を差し出そう。
ささやかれる愛の言葉に陶酔する。
絡みついた棘で動けなくなる。
衣擦れの音。漆黒の髪がぱらぱらと散らばり、寝具の上に広がる。
闇の中では分からない着物の柄は白の地に黒い蝶。
頬に伸ばされた腕。暗い瞳。
覆いかぶさり、キスをすると彼女は満足気に笑った。
紅い唇が、まがまがしく光る。
化粧をせずとも、白い肌と赤い唇。
妖しい美しさは、この世のものではないのかと錯覚してしまう。
俺を愛していると言った唇が、肩に触れた。
じんとした痛みに顔をしかめてみれば、赤い血が滲んでいる。
啜りとる感触に、背筋が泡立った。
恐ろしく官能的な仕草。
ぺろり。舌なめずりして唇を拭う。
腕を伸ばし引き寄せる。
こんなに小さな体の女性に俺は何一つかなわない。
抱きしめたら、こてんと体を預けてきた。
手櫛で寝乱れた髪を梳いてやる。
ほんの少し指先で撫でただけで艶を増す黒髪。
「結わえようか」
「好きにして」
さっと襟元を整えて、桐箪笥の中から手鏡とりぼんを取り出した。
彼女に似合う青いりぼん。
一つに結わえて背に流す。
差し出した手鏡を覗き込んだ彼女はうっとりと目を細めた。
「素敵。ありがとう」
鏡越しに俺を見つめて微笑む。
まったく少女なのか大人なのか。
「私、あなたになら殺されてもいいのよ」
彼女なら言いかねない台詞だと今なら解るが、
何も知らない頃なら、ぎょっと耳を疑っていただろう。
唐突に、何を言い出すか知れない。
「死にたいの?」
とりあえず尋ね返してみる。
どんな答えをくれるのか気分が高揚していた。
「死にたいわけではないわ。
あなたになら命をあげてもいいって本気で思うのよ」
もしかして究極の殺し文句ではないのだろうか。
命を、くれるだなんて簡単に言えない。
何よりも甘く崇高な言葉だ。
「異常なほど愛されていると自惚れてしまいそうだ」
「自惚れじゃないわよ。その通りだもの。
何遍も伝えているじゃない」
鈍感なんだから。
笑いながら耳元でささやく。
「ありがとう、そんなこと言ってくれるのは君だけだよ」
「私以外から言われるなんて認めないわ」
台詞の後、抱きついてくる君のなんとかわいい事だろう。
背を撫でて宥めれば息を漏らした。
力を抜いて体を預けきっている彼女に申し訳ない気持ちがあった。
まともな感情だって持っているのに、
どうして奇妙な欲望が頭をもたげるのだろう。
行動の上では何もしていなくても精神の上では、
彼女を殺しているのだ。
夢の中で何度刃を突き立て返り血を浴びたかわからない。
その時、俺は静かに笑っていた。
決して殺意をたぎらせているわけではないのにおかしなことだと思うが
理性では割り切れないのだ。自分が都合のいい風に結論付けるならば。
普段は、どんな物からも護ってあげたいと思うばかりで憎いわけではない。
誰に認められずとも彼女一人に許されれば問題はないだろう。
「愛くるしいよ」
呟いてみればぴったりはまる。
愛しくて狂おしいのだ。
猫の気まぐれさで翻弄する乙女は、からからと涼やかな声音で笑う。
「ふふ。嬉しい」
恋という病は、このまま進行するだろう。
完治しなくてもいいではないか。
鎖骨に指を添えた。
至近距離にいれば自ずと感じるにおい。
香油が混じった肌は独特の匂いを醸し出している。
艶めいたうなじに口づけ。
後れ毛をよける時に、背が少し揺れた。
「ああ、やはり君は髪は下ろしていたほうがいい」
「さっきは、結わえてもいいって言ったわ」
「いつものことだろう」
頷いた彼女の髪のりぼんを解いた。
無造作に床に落とす。
闇に映える漆黒は、腰よりも長い。
蝋燭灯りを吹き消して、ゆっくりと横たえる。
「思いついたの。腕の中で逝かせて」
「随分情熱的だ」
その意味を知らないはずはなかった。
「片時も離れていたくないの。どうせなら一緒がいいじゃない」
背に彼女の腕。細いけれどしっかりと絡みつく力を持っている。
「一瞬でゆきたいわ。熱い抱擁をくださいな」
ねだる時の喋り方。
「いいよ」
するりと唇を滑りでた。
満足するまでいくらでも愛してあげよう。
始まりの口づけ。浅く甘く。
「あなたが咲かせた花だもの。摘み取るも自由よ、先生」
吐息の合間に、呟かれる。
芸事の師として、琴を教えていた。
関係を変えたのは、彼女だった。
抗えなかったのは自分も許されざる想いを抱いていたからだ。
彼女は裕福な暮らしを捨てて、俺と共にいることを選んだ。
「もう先生ではないよ」
関係が表沙汰になった時に、解雇されていた。
「……道を踏み外しちゃったからね。
ごめんなさい、その事については私も悔いているの」
あっけらかんと言う。
「いいんだよ。一緒にいたくて共に逃げた。悔いは何一つない」
「あなたが優しすぎるから、意地悪をしてしまいたくなるのだわ」
闇の中、見詰め合う君の瞳がしっかりと見える。
「愛しすぎてごめん」
「いいの。もっと愛して」
白い柔らかな肌に頬を寄せる。
甘えてしまってもいいだろうか。
「……そうだな。けれど花は摘み取るべきではない。
俺の腕の中で咲いていてほしい」
君が望むなら、骨になるまで共にいよう。
折れそうな背を抱擁しながら心の中でそっと囁いていた。
「ころして、早く」
彼女はただ微笑んで。
「ああ」
情の強いひと。
共に逝ければ幸せだね。
「君が欲しいものをあげようか」
背筋に立てられた爪。
細い身を強く抱きしめて熱を閉じ込める。
神経が高ぶって、飛翔した。
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