限界
冷たく乾いた風が頬に纏わりつく。
寂しい季節が音をたてて忍び寄っていた。
前に進んだ気がしてもそれ以上に下がっているから手に負えない。
決断を下さなければ、いつもと同じ冬を迎えるのだ。
（沙矢のこともなかったことにして、別の女を抱いているというのか？）
自問自答しても否としか浮かばなかった。
彼女の代わりなんていない。
きっと失ったものの大きさに恐れおののいて、
振り切るかのように仕事にのめり込むのだ。
いずれ実家に戻れば、会う機会もなくなるだろう。
恋の名を借りた戯れになど身を投じることはない。
空を見上げて、歩き出す。
車に乗り込むと携帯を開いた。
「今から、迎えに行く」
電話越しに、深い息を吐き出した。
「うん……待ってる」
震える声はどうやら泣いているらしい。
そこまで、喜んでもらえるなんて複雑な気分だ。
沙矢の感受性の強さは、長所でもあるのだが。
携帯を切ると、静けさが戻ってくる。
焦燥に駆られ、アクセルを踏んだ。
少し離れた場所で、クラクションを鳴らすと、彼女が駆け寄ってくる。
ぱたぱたという足音が聞こえてきそうだ。
助手席のドアを開けると、すっと身を滑りこませた。
「待たせたか？」
「私が来るのが早かっただけだから」
にこっと笑う姿に、やるせなくなる。
連絡は入れたものの、肌寒い中待たせてしまったのは確かだ。
腕を伸ばして、重ねた手は冷えきっていた。
「手袋忘れちゃって……」
恥ずかしそうにしている様子に溜息をついた。
「取りに帰ろうとは思わなかったのか？」
至近距離なのだから手袋くらい取りに戻る時間はあったはずだった。
「会社に忘れたの」
「それなら、仕方がない」
元はといえば待たせたこちらが悪いのだ。
チラ、と様子をうかがうと髪を指に絡めては放すことを繰り返している。
目が合うと、もどかしげに手を膝の上に落ちつかせた。
女の子らしい可愛らしい仕草だ。車を出さずにこのまま見ていたい。
ふと、そう思った。
一ヶ月ぶりに招く自分の部屋。
「……お茶入れてくるよ」
突っ立ったままの沙矢をソファに座らせ、お茶の準備を始めた。
カップを温め、茶葉を入れるとふわりと甘い香りが漂う。
ストロベリーティー。
赤く艶めいた色合いのお茶は、沙矢を想って選んだものだ。
彼女の唇も同じく赤く甘い香りを放っている。
自分のカップにはレモンティーを入れた。
カップの縁には薄くスライスしたレモンを飾って、二つのカップをトレイに載せる。
リビングに戻るとテレビのリモコンを握ってそわそわしている沙矢がいた。
見ていられなくて、やや乱暴にリモコンを奪い、
「見ないのか？」
「……手持無沙汰だっただけ。ごめんなさい」
申し訳なさそうな顔で、俺を見上げてくる。
「いや……」
リモコンを手に持ったまま、トレイをテーブルに置く。
カップとソーサーを差し出すと、おずおずと受け取った。
「ありがとう」
さりげなく、テーブルの上にリモコンを置く。
俺が目配せすると沙矢は頷いてテレビをつけた。
沙矢は暫くしてもテレビに釘付けになったままだった。
やけに真剣な様子に声がかけ辛い。
俺は、半分ほど飲んだところでカップを置いた。
「……意識しすぎないようにしてたつもりだったんだけど」
「無駄なことを」
突然くるりと振り返った沙矢は切なそうに微笑んだ。
カップを手に持ってスプーンでぐるぐるとかき混ぜている。
「砂糖いるか？」
「ううん……」
ぶるぶると頭を振ってカップに口をつける。
俺はカップに残っていたレモンティーを飲み干した。
「やっぱりレモンティーって大人っぽい」
しみじみ呟く。
「あなたに似合うわ……」
カップを置いた彼女に、触れるか触れまいか考えて止めた。
「悪い……待っててくれ」
律儀に言い置いて立ち上がる。
「私も一緒に行ってもいい？」
「……ああ」
苦笑した。
後ろをついてくる沙矢は、こちらの様子を見守っている。
窓を開けてバルコニーに出る。
「……やはり待っていればよかったじゃないか」
沙矢は早速、肩を震わせていた。
俺は着ていたジャケットを沙矢に羽織らせたが、
思った以上にサイズが大きかったようだ。
ロングコートと化してしまったが、逆に保温効果もあるかもしれない。
彼女は、襟元に頬を寄せている。
煙草を銜えて、火をつける。
体の向きを変えて、紫煙を逃がす。
「……先に入ってる」
二本目の煙草に手を伸ばしたのを見て、沙矢は
忙しなく俺にジャケットを返すと、部屋に戻っていった。
（手持ち無沙汰になったのは俺も同じということか）
携帯用灰皿の上で、煙草の火を揉み消すと揺れる長い髪を追いかけた。
部屋に戻ると、トレイは片づけられていた。
それほど時間差はなかったはずだが、相変わらず気が利く女だ。
水の流れる音がして、湯を使えばいいのにと思う。
白い綺麗な手が荒れてしまう。
リビングに戻ってきた彼女を腕を引いて抱き寄せた。
「ありがとう」
首を振る様子に愛しさを感じた。
顔を傾けて奪うように口づける。
いきなりの展開についてゆけず、驚き眼を見開いている。
大きな瞳が瞬きし、吐息をもらす。
いつの間にか、ふいに漏らす吐息にさえ色香が滲んでいる。
無意識で醸し出しているフェロモンの効果は絶大だ。
「もう……テレビはいいのか」
今更な問いに沙矢はきょとんとした。
「……う、うん」
「意識しすぎないようにするなんて、悲しいこと言うなよ。
せっかくの二人きりなのに」
傲慢な言葉にさえ酔っているようでおかしくなる。
鳴り響く鼓動の音がシグナルになり、迫ってくる。
清らかな少女（おとめ）だった彼女ー沙矢ーを女にしたあの時よりも強い気持ちで求めている。
危険だとブレーキをかける心より本能の方がずっと勝っていて、
浅ましい己に困惑してしまう。
ソファに一緒に座る。
膝に置いた手は震えていて、たまらず掴んで引き寄せた。
胸元に倒れこんでくる無防備な沙矢に
「どうして震えている？」
「分からないから……聞かないで」
いたいけな姿に喉を鳴らす。獲物を目の前にした獣になった気分だ。
肩を抱いて、髪を梳いた。
こんなに華奢で脆いのに、見事に女なのだから信じられない。
空いているの手は彼女の手と繋いだ。
「暫く……このままでいて」
甘える声に、理性なんて一気に飛んでしまいそうだが、
今はただ、黙って要求を飲むことにした。
（後でたっぷり返してもらえばいい）
握り返してくる手の力は存外強く、彼女の意思を伝えていた。
ニットのワンピースの色は白で、胸元で切り替えになったデザインだ。
首元に結ばれたリボンを唇でほどいてしまう。
「清純っぽい恰好なのに、お前が着るといやらしいな」
「そ……そんなつもりじゃ」
体にぴったりと添ったワンピースは、ふくよかな胸が強調されている。
思わず食指が動き、揉みしだく。
押し返してくる弾力に酔いしれていると表情が段々ととろけてきているのに気づいた。
「……っん」
吐き出す息が甘い。
ニットの生地の上から、頂きに触れても固くなっているか分からなかった。
次第に体の力が抜けて、柔らかく身を預けてくる。
（あの日のように、誘ってみればいい。狂うほど求めて、壊れて見せろ）
抱き上げて、寝室へと運ぶ。
ベッドに横たえながら、ワンピースのジッパーを下ろしていく。
白いコットンレースの下着だけの姿でくったりと体を投げ出し、
うっとりと瞳を細めている沙矢。
何を思っているのか。
指先はシーツを掴み、ベッドの上に自分を縫いとめているかのようだ。
背を流れているストレートのロングヘアはしっとりとしていて、
よく手入れされ整えられているのが分かる。
舌を絡めるキスを交わしながら、立てた膝に手を伸ばし押し開く。
下着が、湿っているのが確認でき、ぞくりとする。
胸への僅かな時間の愛撫で濡れたということだ。
こんなところにも彼女の感受性の強さが表れていた。
下着の上から、秘部のつぼみをなぞりもう一方の腕で、
胸のふくらみを覆う窮屈なしがらみを外した。
「はっ……ん……あ」
鼻から抜ける声が絶えずもれている。
己の欲望は、痛いほど張りつめてスラックスを押し上げていたが、どうにか堪える。
肉体的には解放を求めていても精神的には未だじっくりと楽しみたいのだ。
（欲を処理して終わりという関係じゃないから？）
髪を撫でて首筋を辿り張りつめた二つのふくらみを包みこんだ。
頂きを指で挟んで、下から押し上げるように揉みしだく。
下着の上から秘部をまさぐり反応を確かめる。
爪を噛む姿がいじらしくて唇から指を外させた。
「どこまで無意識だ？ 男を狂わせる術を身につけておきながら！」
「……ん……っ」
指の腹で頂を擦る。下着の隙間から
指を差し入れて秘部に直接触れた。
粘ついた糸が絡んで、指を動かす度卑猥な水音が増していく。
唇で胸の頂を挟んでひっぱるとびくと背が跳ねた。
内部に入れた指もきつく締めつけられた気がした。
「声を抑えなくても、どうせ俺しか聞いてやしない。
それに、このマンションは完全防音だから窓を開けない限り外には漏れない。
最上階だから見えることはまずないだろうし」
沙矢は瞬時に顔を赤らめた。
じれったくなり、下着を引き下ろし床に投げた。
甘酸っぱい香りに誘われ、自分の体の位置をずらし脚の間に頭を移動した。
彼女の足に挟まれる格好。
外側から内側へと舌を這わせて蜜を啜る。
猫がミルクを飲むようにぴちゃぴちゃと音を立てる。
ぶるっと腰を震わせ、快感を隠せない様子の沙矢に口の端を上げた。
「……やっ」
「言葉と体が別の反応だぞ」
じたばたと足を動かす可愛らしさに嗜虐心が首をもたげる。
足首を押さえつけて勢いよく覆いかぶさった。
「……っ」
声にならない声。
そそり立つ俺の欲望が体に触れたのだ。
「ちゃんと責任を取ってくれるんだろう。無邪気に誘惑したんだからな」
沙矢の上で、シャツを脱ぎ、腰を押しつける。
足で彼女の体を固定し、束縛した。
細くしなやかな腕が背中に回った。
「まだ我慢しろよ」
指を奥に侵入させる。
そこは熱くぬかるんでいて、するりと指を受け入れた。
収縮を繰り返し、疼いている。
俺を求めて受け入れることを望んでいる。
つ、と吸い上げた頂きがぷくりと膨れ上がって美味しそうだ。
口に含んで吸い上げると体ごとすすり泣いた。
「もっと強くすればいいのか」
勝手に自己完結して、歯を立てきつく吸った。
濡れそぼった頂きが、光り、俺を誘いこむ。
舌先で代わる代わる頂きを転がす。
呻き声ともつかぬ喘ぎが、気をおかしくさせる。
すっかり夜の闇に包まれていた。
照明をつけていない部屋の中、浮かび上がっている裸身の美しさに
思わず見とれ、唾を飲みこんだ。
邪魔なスラックスを脱いで、下着も取り払う。
激しいディープキスでとろかせている間に、避妊具の準備を始める。
ベッドサイドの引き出しから取り出し、パッケージを開けると素早く自身に身につけた。
再び、体重をかけて覆いかぶさる。
腰の位置をずらし、秘部同士を触れ合わせると、びくと、俺の下の体が反応した。
「……ああ……っ！」
いきなり奥まで突きあげる。
縦横無尽に腰を繰り出し繋がり合う。
「もう少し……ゆっくり」
「激しくしてほしいって言ってただろ」
「う……あっ」
大胆に突くと引きつった声が聞こえた。
「夢中になれよ」
出し入れを繰り返す中、それでも沙矢の訴えを聞きいれ、幾分動きをソフトにした。
両脚を伝う雫に、ぶるりと震える。
キスを繰り返しながら、ふくらみを優しく揉みこんだ。
膝をついて一層強く貫く。
抱き上げて下から鋭く突き上げていく。
抑えることのできない声は室内に響き渡っていた。
低く艶を帯びた声色。
重い一突きを繰り出すと胸板を爪でひっかかれた。
背筋を反らせて、沈んでいく体を抱きしめて覆いかぶさった。
繋がりを解かぬまま、体を密着させる。
奥で、どくんと跳ねた自信は、未だ沙矢を欲してやまないようだが、どうにか宥める。
繋がって肌の温もりに触れてひとつ息をつく。
意識を飛ばした沙矢は、まつ毛を震わせ、涙を落した。
その雫を啜る。ほろ苦くてしょっぱい雫だ。
髪を撫でて、するりと中から抜けだし、沙矢と自分の処理をする。
壁際に背を凭れさせて煙草に火をつけた。
エアコンのスイッチを入れたので問題はない。
吸って、吐き出し、紫煙をくゆらせる。
縮こまって体を丸めて眠る沙矢。
俺は、幾度も夜を重ねながら、同じ夢の中で彼女と出会ったことは一度もなかった。
ほんの僅かな躊躇のせいだ。
くしゃと乱暴に煙草を揉み消し、顔を重ねる。
ゆっくりと触れた唇は、信じられないほど甘かった。
気づかれないように素早く離れる。
名残惜しくなるのも、耐えがたい。
背中を向けて、隣りに横たわる。
朝までほんの少しでもそばにいよう。
揺れ惑う心のままでも、沙矢しか見ていないのだ。
身勝手に自負する心と独占欲はあった。
「……青」
舌ったらずに俺を呼ぶ声に、まぶたを薄く開く。
小さな手が俺の手に重ねられているのを感じた。
いつの間にやら向かい合う体勢になっている。
「……沙矢」
「え？」
訊き返してくる顔は無邪気そのものだ。
その純真さが妬ましく、苛立った。
正面から抱きつかれる。
押しつけられたふくらみ。頂きはつん、と固くなっていた。
クス。笑った気配。
「寂しいなら抱いてやる。それだけでいいなら」
「……嬉しすぎるのに悲しい。私って贅沢ね」
嗚咽が聞こえてきて、強く抱きしめる。
お互い何も着ていないままということも気にとめないまま。
ふと肩先にほのかな熱がともる。
キスをされたのだと気づいた時には、沙矢は背中を向けていた。
心臓が、高鳴る。俺が動揺するだなんて。
密かに苦笑し、すすり泣いている背中に背中を合わせて眠りについた。
眩しい夜明けの光に目を細める。
沙矢はすでに身づくろいをして、ベッドの端に腰かけていた。
ゆらり、身を起して壁に背を預ける。
「……何時だ」
髪をかき上げた。
頭は覚醒しているが、声はさすがにかすれていた。
「6時よ」
シーツを巻きつけて、ベッドから降りようとしている。
その姿があまりにも危うかったので腕を差し伸べたら、タイミングよく崩れ落ちた。
抱きとめた体を横たえる。
「……もう少し休んでろ」
上気していた肌の色が戻っても気だるさは抜けきらないままのようだ。
顔までシーツに埋めた沙矢の横で、下半身の下着だけ纏いベッドを下りた。
バスルームへと向かう。
彼女を伴えば、濡れた素肌に欲を抑えられなくなっていただろう。
シャワーを浴びて、戻ってくると同時に
ベッドから降りた沙矢は、ぱたぱたと俺のそばを駆け抜けていく。
床に落ちていた衣服は彼女の腕の中だと思われた。
「シャワー行って来いよ」
「……ん」
恥ずかしそうな横顔。捲れたシーツから白い素足が、のぞいていた。
顔を近づけると髪から、ひそやかなシャンプーの香りが漂う。
ドライヤーで丹念に整えた髪は一寸の乱れもなく背を流れている。
俺は、助手席の沙矢の髪に手を伸ばして触れた。
「あの……出ないの？」
「さっさと帰りたいってことか」
皮肉っぽく唇を歪めた。
「ち、違……」
口ごもる様子に、冷めた笑みが浮かぶ。
「だって離れたくなくなるもの……」
息を飲んだ。
唇を噛みしめた沙矢の手をギアの上にある俺の手の上に置いた。
驚いて横を向いた彼女に何も言わず車を走らせ始める。
「沙矢」
車を降りた彼女に呼びかける。
運転席の窓を開けると走り寄ってきた。
「……また連絡する」
「ん……楽しみにしてる」
毎度お決まりのセリフだなと内心、自嘲したが、
うっすら微笑みを浮かべた沙矢の返事は、どうしようもなく嬉しかった。
戻る。