本能



 不安、焦燥、ひたすら愛しいという気持ち。
 全部が彼の為のもの。
 藤城青、八つも年上の美丈夫。
 不条理な関係しか二人の間には存在しなくても、私は自分の気持ちを捨てるつもりはない。
 言葉にして伝えることは、できないけれど。
二人で出掛ける機会がまたあるなんて夢のようだ。
 これから、二人で紅茶の専門店に行く予定なのだ。
「……青」
 名を呟くと切なさで胸が苦くなる。
 誕生日を告げたらちゃんと後からお祝いしてくれた。
 中央に三連のピンクベージュ色のパールがついたネックレス。
 それは洗練された大人の女性がつけるようなもので。
 嬉しくて心が跳ね躍った。
 今日は鎖骨がのぞくブラウスを着て、ネックレスをつけている。
 ドアのノックの音が微かに聞こえ、ぱたぱたと走っていく。
「……迎えに来てくれてありがとう」
 恐る恐る見上げたら、指が伸びてきた。
 髪に触れられて、どきどきと心臓が暴れ始めた。
「ネックレスつけてくれているんだな」
「うん……私にはもったいないくらいだけど」
 あなたがくれたものだから。
 最後の言葉は胸にしまい、はにかんだ。
「そんなことない。今日の服装にも似合っている」
 つくりものめいた無表情に淡々とした言葉。
 瞳がやさしく細められたのは気のせいだろうか。
「行こう」
 差し出された手に、手を重ね、後ろに続いた。
 駐車場につくと、先に彼が車に乗り込み中から助手席のドアを開けてくれた。
 喜々として微笑んだ私は、
 隣りに座る彼が緩く眼を伏せたのを見て表情を変えた。
 シートベルトをつけたのを確認すると、ゆっくりと車が動き出した。
 車窓から流れる風景を眺め、沈黙の時間をやり過ごした。
 一人ではしゃいで、興醒めさせてしまったら嫌だ。
 あの日から一週間後の休日に会えたことは、何にも代えがたい僥倖。
 それを台無しにしたくはない。
スムーズに駐車スペースに止まった車に、もう着いてしまったのかと愕然とする。
 バッグを握りしめていると、外からドアが開けられた。
 彼が先を歩き、ついていく。
 隣を歩いたって誰に見とがめられるわけではないのに自然と背中を見るのを選んでいた。
 広くて逞しい背中。長身痩躯でスタイルも抜群だと思う。
 誰もが振り向くが、彼は奇妙に冷めた目をしているだけ。
「何ぼうっとしているんだ」
「……ごめんなさい」
 言葉とは裏腹にきつい響きはないが、逆に余計責められているような気がした。
「いや……俺も歩くの早かったから」
「え……」
 思わず走り寄って、見上げた。
 自分にも非があるのだと言った彼は言葉通り申し訳なさそうな顔をしていた。
 無言で差し出される手をおずおずと掴むと、握りしめられた。
 痛いほどの強さに困惑するけれど、不快ではない。
 店の中に入ると、紅茶の香りが、ふわりと鼻腔をくすぐった。
「試飲できるのね……」
「ああ、飲んでみるといい」
 青の言葉にこくりと頷いた。
 店員さんに話を聞きながら、好みのお茶を何種類か試飲した。
 どのお茶も個性があって美味しい。
 どんな味が欲しいとか全く考えていなかったので、どうしようと悩み始めた。
「どれを飲んだ?」
「名前を知ってる銘柄のお茶をいくつか飲んだんだけど、どれも欲しくなっちゃって」
 隣を見れば離れた場所にいたはずの彼がいて、静かに問いかけてきた。
 指をさしたり、品物を手にとって伝えると、それを全部手にして
 歩いていく。待ってと言う隙もなかった。
 レジに行く前に紅茶を保存するための缶も何個か手にとっていた。
 名を呼べないので、止めることもできない。
 レジで支払いを済ませ、一緒に店を出る。
 車に乗り込むと、口を開いた。
「……お金、払うわ」
「気にしなくていい」
 彼にしてみれば、ささいなことかもしれないが、買ってもらうのは気が引けた。
「でも……」
「いいって言っただろう」
 きっぱりと撥ね退けられ口をつぐむ。
「ありがとう」
 素直にお礼を言った方が、彼だって嬉しいに決まっている。 
 私の小さなわがままを叶えてくれたのだから。
 ギアの横にあった私の手にそっと彼の手が上から重なり、びくっと震えてしまう。
 思わず手を竦めてしまったら、そのまま手はギアの上に移動した。
 嫌な気分になっただろうか……。
 自分に歯噛みしたい気分で、アパートまでの道のりを過ごした。
「……お茶入れるね」
「俺が入れるから」
 部屋に戻るとそんなやり取りがあり、
 私は買ってきた紅茶を缶に入れていく彼の側で、お湯を沸かし始めた。
「今日はこれでいいか?」
「うん」
 指し示された紅茶は、レモンティー。
 どこか大人っぽい飲み物だ。
 袋のままの紅茶と、缶に入れた紅茶はそれぞれテーブルの上に置かれている。
 笛を吹くような音が聞こえ、ガスを止める。
 彼にケトルを渡すと、カップを手にして温め始める。
 残ったお湯を電気ポットに入れて、カップに注いだ。
 二人でテーブルに着くと、一瞬視線が絡んだ。
 どくん。鋭い眼差しは何もかもを見透かしているようで、恐ろしい。
 カップを傾けて、紅茶を口に運ぶ。
 背の高い彼がいると、よりキッチンは狭く感じられる。
 それを不思議だなと思いながら、小さく笑っていた。
 一緒にいるんだというのを実感して、心が満たされる。
 紅茶の缶はラベルも貼られ、銘柄も書きこまれている。
 これが、彼の字かと、食い入るように見ていた。
 とても綺麗な字だ。さらさらと走り書きしたのだろうに、そうは思えないほど。
 湯気が立っているうちに紅茶を飲み終えて、どちらともなく椅子を立つ。
「……紅茶はどこにしまえばいい?」
「ここに」
 食器棚を指差すと、彼は確認を取った後そこに紅茶の缶を並べ始めた。
 がらんとしていた食器棚が、お洒落になった気がした。
「わあ、カフェみたい」
「無邪気だな」
 きょとんとしていると、いきなり抱きしめられた。 
「っ……」
 耳元にかかる息が、神経を麻痺させていく。
 自然と椅子の方に下がっていき、再び席についた。
 覆いかぶさるような形で抱きしめられたまま。
 二人分の重力で椅子が軋む。
 バランスを崩して倒れてしまうのではと、不安になったが、杞憂だった。
 腕を引かれ、場所を入れ替えられた為、彼の膝に座ることになった。
 距離がないほど密着している。
「せ……」
 名を呼ぼうとした途端、舌を絡められ、口腔を荒らされて、頭の中が白く煙った。
 どちらともなく、掠れた吐息が漏れる。
 背中に腕をまわしてしがみつくと彼の方も私の体を強く引き寄せた。
「っ……ふ……」
 甘い余韻を残して過ぎ去るキス。
 彼自身と繋がる錯覚を覚えるような滑らかな舌の動き。
 卑猥な想像に、自分自身の浅ましさを思い知らされる。
 舌が遠ざかり、唇同士を淡く触れ合わせた。
 順番が逆じゃないと、言いたいような。
 耳朶に触れた唇のせいで肌が急速に熱を上げていく。 
 がくん、と体の力が抜ける。
 危ないと感じた瞬間、抱きあげられていた。
「青……」
「椅子の上がよかったのか?」
 不埒な問いに顔が熱くなった。
「無理よ……」
 フッと不敵に笑んだ彼が、寝室のドアを開ける。
 少し乱暴にベッドに沈められ、逆に胸が高鳴った。
 この先もこんな風に感情をぶつけてほしいと、願って。
「……あっ……ふ……っ」
 首筋を、なぞる舌先。
 唇で触れないで、舌が滑っていく。
 噛みつかれた場所に、赤い痕が浮かび上がる。
 さり気なく外されたネックレスが、ベッドのサイドボードの上に置かれる。
 鎖骨の上を指が動く。最初の時も同じ仕草だ。
 胸に置かれた手が、激しく動き、ブラウスに皺を作る。
 直接肌に触れられていないのに、やはり気持ち良くて、恍惚とし始める。
 かろうじて声を上げずにいられたけれど、
「何て顔だ。いやらしい」
 羞恥心を煽るように囁かれ、睨んでしまう。
「まだ余裕みたいだな」
 素早くブラウスのボタンが外されて、下着のフロントホックも外され、
 外気に触れた肌が、ぞくりと泡立った。
 解放された胸の頂はすでにとがりを帯びて痛いほど張りつめている。
「……誘っているのか」
 自己完結し、指ではじかれる。
 何度もそれを繰り返された。
 計算された力加減だからなのか、敏感に反応してしまうのが悲しい。
 口に含まれた途端に、呻き声を上げていた。
 彼の唇によって、もっと固くなるのが分かる。
「っ……ああっ」
 吸い上げられて、背筋が浮く。
 歯をあてられて、びりびりと電流が巻き起こる。
 潤っているだろう場所に、気づかれるのが恥ずかしい。
 霧がかかった視界でうっすらと見えた彼は、氷のようだけれど、
 瞳の奥にせつなげな光を湛えている。
 そんな顔で、抱かないで。
心が泣き叫んでも体は快楽に従順で、やりきれない。
 衣服の枷から解放された胸をめちゃくちゃに揉みしだかれ、抑えきれぬ声を漏らしていた。
腰が勝手に揺れて、膝を立てて、彼の言ったとおり誘っているみたいだ。
 秘所に、指が触れて確かめている。胸は相変わらず愛撫を受けながら。
 自分が上げる声が、変化している。
 喜んでくれるなら淫らに、応えることだって抵抗はない。
 つ、外側を弄っていた指がふいに中を突いた。 
 髪が触れたと思えば、疼くそこを舌がなぞった。
 甘いしびれが巻き起こり、鋭く声を洩らし、ぱたり、と死んだようにシーツに沈んだ。
「っ……やっ」
 ぺろり、と入り込んだ舌が耳の中で動いている。
 唐突に意識が覚醒させられて、戸惑う。
 隣りに横たわった彼が、愛撫を繰り出す。
 向き合う恰好で、肌を晒していた。
 私が意識を彷徨わせている間に、準備は終えていたのが分かる。
 待ってはくれたみたいだが、一度達した身はささいな刺激にも敏感になっている。
 彼の望みどおりの声を上げて、身をよじる。
 噛みつくキスは、彼の欲情を表していて嬉しい。
 本能のままに荒々しい口づけを繰り返す。
 舌を絡め唾液を差しだして交歓する。
 背中に腕を伸ばし、抱きついた。それが合図となり、彼が膣内に入り込んだ。
 圧倒的な存在感に眉をしかめる。
 窮屈なくらいに満たされて、身震いがした。
「っ……あ……く……うっ……」
 貫かれる度、水音が立つ。
 奥まで突いた後、出入りを繰り返す。
 背筋に爪を立てて、引っかく。
 勢いが増して、より強く攻められる。
 繋がったまま、体が反転させられた。
 後ろから、突き上げられて、無我夢中でシーツを掴んだ。
「……いっぱい壊して」
 無意識で口にしていた。
 ひとつに溶けることができないのなら、いっそ体ごと粉々に打ち砕いて。
 激情で狂う自分をもはや止める術はない。
「……壊したら二度とこんな風に体を重ねることもできないだろ」
 羽が舞うように胸のふくらみに触れられて、瞳の端から涙を零した。
「……っ……ずるいわ」
「どうとでも言え」
 優しくて身勝手な言葉が嫌になるけれど、好きだから許してしまう。
 まだ求めてくれるのならば。
 ゆるやかに動いて、跳ねた彼自身が私の中で息づく。
 腰を揺らして、脚を絡め、あなたを閉じ込めた。
 懸命にしがみついて、のぼりつめる。
 涙が一筋、頬を伝った。

 
 ぼんやりと瞼を押し開くと彼が、側にいた。
 もうすぐ夜明けだ。
 有無も言わせず、腕の中に抱いて、吐息が肌にかかるとたまらなくなる。
 宙に紫煙を吐き出しながら、壁に背を預けている彼が、ふいに視線を向けた。
「俺達の関係が世間では、どう呼ばれるのか知ってるのか」
 びく、と脅える。口になんてしたくない。
 略すとカタカナで三文字で表せる言葉を意識すると虚しい。
 ふるふると横に首を振る。
「……そうか」
 知らないふりを装っていることに気づきながら、淡々と呟いた。
 髪をかき混ぜられ、胸がときめく。
 煙草を吸った唇で、深く口づけられた。
 感じて、勝手に次の展開を期待し始めている自分に呆れ果てていた。
 緩慢な動作でシャツのボタンを嵌めていく背中に、手を伸ばそうとして止める。
「また連絡する」
「ん……」
 まどろみの中、目覚めたくはなかった。
 背中を見送るのは何よりつらい。
 連絡は、すぐにくれるだろうけれど。
 熱を与えてくれる肌を、夢に想い描いて今は眠ろう。
「愛しているわ……青」
 決して振り返らない背中に向けて、ぽつり独りごちた。
 そして、部屋は、沈黙で満たされる。
 睦言も吐息も掻き消えて嘘のように。



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