おねだり



 10月になっていた。
 楽観的に考えれば関係は、良い方向に向かっていると思う。
 お互いの激情を隠さずにぶつけられて、いい兆候だろう。
 カップを傾けて、口につける。
 大人の飲み物だと感じてから、好んで飲んでいるレモンティー。
 あの日二人で買いに行った紅茶は新しいものを買い足している。
 青が持ってきてくれたり、自分で買ったりして切らすことはなかった。
 二人の関係と同じように。
 カップを飲み干すとテーブルの上に置いた。
 バッグの中から、文庫本を取り出して読み始める。
 今日は、あの人は仕事で、夜から会うことになっていたが、
 食事も一緒に外で取ろうと言うことで、カフェで待ち合わせた。
 窓から眺める人の波に、彼はいるはずもない。
 車で乗りつけてどんな表情で、目の前に現れるのだろう。
 第一声は、何を言うのかな。
 想像を巡らせていると、ちっとも読書に集中できない。
 壁の掛け時計は、8時を指している。
 ぱらぱらと捲って、無意味な行動だと気づいて止めて、
 読むのを諦めてバッグにしまった。
 どうせならファッション誌でも持ってくればよかった。
 飲んでなかった水を飲んで、喉を潤す。
 忙しいのだ。来れないなら連絡をくれる。
 何も言わずに、会う約束をキャンセルしたことは一度もなかった。
 微笑んでみる。
 いつか自然な私を見せられるのかしら。
 メニューを抱えて顔を埋めていると、目の前に影が差した。
「……遅くなってすまない」
 申し訳なさそうな声。顔を上げれば、青が見下ろしていた。
「……会えるだけでうれしいの」 
「お前はいつもそう言うな……」
 向かいに座った青が、苦笑している。
 耳に心地よい、甘い低音。
 普段でもウィスパーヴォイスに近い。
 冷静に話すからこそ、きつい口調になると怖いのかもしれない。
「ここで食べるか?」
「……いいえ。出ましょう」
 青は来た早々慌ただしく席を立つことになったが、彼はそうしたいようだったし、私にも異存はなかった。
 空腹を我慢できないわけではない。
 私が、次の行動に移る前に、テーブルの上に置かれた明細を手に青は背を向けた。
 無言の背中は、ついて来いと言ってくれているみたいで、胸がきゅんと疼いた。
 ゆっくりと後ろをついて歩く。
 スマートに会計を済ませると、青が立ち止まった。
 驚いて彼の背中に頭がぶつかりそうになってしまう。
 後ろにちらりと向けた視線の意味が分からなくて、
「あ、……ありがとう」
 慌ててお礼を言った。
 いや、と言う風に青は横に頭(かぶり)を振り、手を差し出した。
 手を繋いでくれることは、心に灯りをともす。
 単純なことが何より嬉しいのだ。
 握られた手が温かくて、瞳を細める。
 店を出て歩き出すと、人の視線を感じてそわそわと話し声が聞こえた。
 やはり青は人目を引く。
 初めて見た時よりももっと、セクシーでかっこよくなっていると思った。
 二人で歩いていると恋人同士に映るかな。
 ……何考えているんだろう、私。
 ぶるぶると首を振って歩く速度を速めた。
 背の高い青は歩幅を緩めてくれている。それが申し訳なく感じる。
「……無理するな」
 気遣うような声に、恥ずかしくなり顔が真っ赤になった。
「うん」
 ゆるやかに歩いて、車まで向かった。
 先に助手席を開いて、青は運転席に乗り込んだ。
 シートベルトを締めて、隣を見る。
 助手席のシートに腕をまわされ、ドキッとする。
 さりげないのに動揺してしまう。バックをする為だと知っているのに。
 鳴り響く心臓に気づかれたくなくて、胸元を手で押さえたが、
 鼓動の音をよりリアルに実感しただけだった。
 運転操作には、少しも危ういところはなくて、
 停止する時も、ほとんど振動が起きない。
 バスに乗った時は、割と揺れるので、青は、ずば抜けて運転が上手いのだ。
 とろい私が、免許を取るのは一生無理だろうな。
「……待たせてばかりなのに見捨てて帰ったりしないんだな」
「もし無理な場合でもちゃんと連絡くれるし、
 約束を軽く考えたりしてないでしょ」
「お前の気持ちは?」
「待つのは慣れてるの。だから大丈夫」
 走り出した車の中で、静かに話す。
 窓から流れる景色を見つめて、視線を横に戻した。
 表情を見て気持ちが図れるなら楽だ。冷静な表情を崩さない彼は手ごわい。
 私もそれくらい器用であれば。
「……酷な台詞を吐かせているな」
 突然漏らされたセリフに、目を瞠り顔ごと彼の方を向いた。
(慣れているのは昔から。青と会うようになって慣れたのじゃないの)
 心中ひっそりと呟いていた。
 あの時泊まったホテルに向かっていると気づく。
 定宿にしていると言っていたと思う。
 広い駐車場に車を止めて、彼は私をエスコートする。
 まるでお嬢様にでもなった気分で彼の手を取る。
 こまやかな気配りと紳士的な態度はどこで身につけたのだろう。
 立ち振る舞いの優雅さは、育ちの良いのだと安易に想像できる。
 ホテルに入って、フロントでカギを受け取るとまっすぐエレベーターに向かった。
 落ち着きなく尋ねるまでもない。部屋で食べるのだ。
 鍵を開けて、扉を開けると私をソファへと導いた。
 青はいきなりタイを外し始め、ジャケットも投げた。
「……暑かったの?」
「もう仕事は終わったから、脱いだだけだ」
 くつろいでいる様子に、こちらも和んでいた。
 おくれ毛を耳にかけて、後ろの髪を背に流す。
「ルームサービス頼むか?」
「任せるわ」
 ルームサービスは経験したことがなくてよく分からなかったので青に任せることにした。
 電話で頼むと、暫くしてルームサービスが運ばれてきた。
 丁寧に頭を下げて去って行ったボーイさんにこちらも頭を下げた。
 テーブルの上に置かれた料理は彩りも鮮やかで、うきうきとした。
「……美味しそう」
「好き嫌いはなかったよな」
 頷く。青はグラスに水を注いでくれた。
 グラスを合わせて、静かに食事を始めた。
 品数は多くはないがステーキがある。
 その代りデザートとしてフルーツがあった。
 綺麗に切り分けられたりんご、バナナ、一粒ずつ分けられたブドウ。
 シンプルにフルーツのみなのが逆におしゃれだった。
 水を口に含むと、フルーツの香りがした。
 果実水という物だろうか。
 ステーキを器用に切り分けて口に運ぶ姿に見惚れて、自分の方の手が進んでいなかった。
 フォークを持った手は宙で止まっている。
「食べないのか?」
 訝しむ視線に、
「食べるわ」
 止まっていた手を動かし始める。
 一気に口に入れて蒸せてしまった私に、青は慌てて立ち上がった。
「だ、大丈夫」
 水を流し込んでもごもごと口を動かす。
「驚かせるな……」
 不器用な仕草を見兼ねてか、なんとナイフで切り分けてくれた。
「……ありがとう」
 何の反応もなく、青は自分の食事を再開した。
 食べやすくカットされたステーキを、口に運ぶ。
 所詮、取り繕うのなんて無理なのだろうか。
 しゅんと沈んだ気持ちでメインの料理を食べ終えた。
 大皿に盛られたフルーツに視線がいく。
 指で無造作に掴んで青は口に運ぶ。
 同じようにしてみたら、手に果汁がついてしまった。
 いつの間にか青が私の手を取っていて、動きを止めた。
「……っ」
 ぺろり。指を舐められて口に含まれて吸われた。
 執拗に指を舐めつくす動きに、吐息を吐き出してしまった。
「我慢できなくなるだろうが」
 ぞく、とした。腰を抱かれてそのまま体が浮く。
 抱えられ、ベッドの上に横たえられた。
「ボーイさんが、片づけに来るんじゃないの」
「問題ない。呼ぶまで来ない」
「ん……っ」
 耳朶に這う舌の動きにめまいがする。
 逃れられない。
 誘われれば受け入れるのは、彼が欲しいから。
 さら、と髪がひと房掬われる。
 鼻を近づけて匂いをかいでいる。
「お前の肌の匂いを味わいたかったのにな」
 目を見開く。
 お風呂に入ってきたことを言っているのだろうか。
「……あなたも今日お風呂に入ってるでしょ」
「朝シャワーをするからな……」
「私だけ汚いままなんて嫌よ」
「……意味が分からないならいいさ」
 唇が重なる。
 甘いフルーツの匂い。
 煙草の味じゃないキスは久しぶりだ……。
「……さっき食べたフルーツよりもお前の唇の方が甘い」
 殺し文句に、心がとろける。
(言わないで。いつか覚める夢だったら甘い思い出にはならないのよ?)
「……考え事をする余裕がまだあるんだな」
 耳元に直接投げられた言葉に背筋が震えた。
 ブラウスの上から、指でなぞられる。
 卑猥な指先がくるくると頂きを周回した。
 直接触れられてもいないのに、何故感じるのだろう。
 両方のふくらみで同じ愛撫を受けている。
 下着の中に隠された頂きが硬く張りつめていくのが分かった。
 察した青が、指の間に挟んでつまみ上げた。指の腹で擦られている。
 反対の胸は、横から包むように揉んでいる。
「はっ……あ」
 押し寄せてくる快感。
 制御できない体は、反応を返す。
 好きだからこうなってしまう。
 もしも嫌悪があれば、おぞましくて気持ち良くもならないはずだ。
 ブラウスのボタンが、緩慢に外されて、下着が露わになる。
「お願い……明かりを消して」
 懇願すれば、照明が落とされた。
 ベッドサイドのライトだけ。淡い光の中で見つめ合う。
「……気づいたことがあるわ。ベッドの中では普段より表情が豊かなのね」
 険しい視線にまずいことを言ったのかと危ぶむが、慈しむキスが落ちた。
 熱を交わす深いキスではない。啄む口づけに心が震える。
 呆然と見上げると、青は一瞬、目を逸らした。
 手を握る。指を絡めて、指先の温度の冷たさにぞくりとした。
 温めてあげたくて手を擦っていると、手の甲に口づけられた。
「本当に優しいのはお前だな」
「え……?」
 手首に唇が寄せられ、舌が触れた。
 肩から脇へと口づけが辿り、身をよじった。
 フロントホックの下着が、外される。軽い音。
 自分で脱ぐのとは違って、奇妙な感覚だ。
 手首を掴まれ、ベッドに縫いとめられる。
 妖しく見つめ、自分の唇を舐めた青を見ることができず枕に顔をうずめた。
(何て卑猥で、色っぽいの)
 捕食される瞬間を待ち侘びて、奥が潤った。
 いやらしく変貌してしまった自分。体も心も全部捧げている。
「ねえ……名前を呼んで」
 焦がれる心が、言葉を紡いだ。
 虚を突かれた様子の彼に内心くすっと笑った。
「沙矢」
「……もう一回」
「……沙矢」
 掠れた声で呼ばれ、心がときめく。
 名前を呼ばれることは、しあわせなことなのだ。
「青……っ」
 彼の名前を呼ぶと、唇が覆い被さってくる。
 吐息を絡ませるほどの情熱的なディープキス。
 部屋の中の熱気も増していく。
「要求が多いということは、お前も応えてくれるんだろうな?」
「あっ……!」
 指の間に挟まれ、吸いつかれる。
 膨れ、尖りを帯びていく頂き。
 舌で転がされ、口内に含まれる。
 ちゅく、湿った音が聞こえた。
 感触を楽しむように手のひらで弄ばれる。
 背を逸らせば、胸のふくらみを突き出すことになった。
 青は、ますます激しくふくらみをもみしだく。
 捏ねて、円を描くように。
 媚びる声を上げ、肢体をくねらせる。
 全身が心臓になったみたいに、支配されている。
 彼の繰り出す愛撫に、酔わされる。解毒できない猛毒。
「っ……や……っあ」
 指が、入りこんで来て、疼き出す。
 溶け出した熱が、滴となって漏れ出している。
 性急な行動に戸惑うけれど、抗う気はない。
 奥をかき混ぜる指、胸のふくらみを愛でる手のひら。
 長い指が、熱の本流を掻き出していく。 
 低く唸って、シーツを掴む。
 指でさえこんなにきついのに、
 柔軟にできている体は、彼の器官を受け入れる。
 驚くほど簡単に包み込んで、縛りつけてしまう。
 視線が、ひとつに結び合わされた。
 情欲に濡れた瞳は、私を求め欲しがっている。
 潤んでいるであろう瞳でじっと青を見つめ返した。
「あの月の夜のこと、後悔していないの?」
 思いだせば羞恥で逃げだしたくなる。
 モラルを破ることを承知でお酒に手を出した。
 酔いに任せたら誘惑できるという浅はかな考えだった。
「後悔するくらいなら、流されたりなどするものか!」
 激情とともに吐かれた言葉に、びくっとする。
「は……あっ……あっ……ん」
 突き上げられた奥。蜜がこぼれる音。
 どくん、と心臓が波打って、ぱたりと体の力が抜けた。
 微かに見えたのは、ゆらりとベッドを下りる青の姿だった。

 滾った力強いソレが視界に入った。
 薄い膜に包まれている。
「欲しいんだろ……言えよ」
「や……っ」
 ふくらみがぎゅっと掴まれた。
 ぶるぶると首を横に振る。
 言えば、与えてくれる。
 けれど真実欲しいのは……、生身のあなたまるごと。
   呼吸を整え、息をのみ込んだ。
「欲しいの……早く来て!」
 背中に腕をまわしてしがみついた。
 突き立てられて、体が揺れた。熱くて体中が火傷しそう。
 がくがくと揺さぶられる。
 繋がっている場所と同じ動きで、舌を絡めてキスをする。
 足を組みかえて、青を引き寄せる。
 眉をしかめて、低く唸った彼が、より激しくこちらを苛む。
「……っは……何の感情もなくても……こんなに激しく」
 視界が涙で曇っていた。そろそろ教えてくれてもいいはず。
 流されていない。私が抱かれたいから受け入れている。
 好きでなかったら、感じることもイくこともない。
 切なさが滲んだまなざしが降り注いでいた。
 青は何も言わない。
 腰の動きを速めて、連れていく。
『後悔するくらいなら流されたりなどするものか!』
 さっきの言葉が、救い。本音のかけらに違いないのだ。
 近づけるまで、二人が切れない限り求めていけばいい。
 淡く意識が弾ける。
 ぎゅっ、と広い背中に爪を立てた。

 青は膝立ちになっていて、私はうわ向けのまま彼の腰で体を支えられている。
 秘部に、押し当てられた昂ぶりが、蜜を擦るように動く。
 びりびりと甘いしびれが体中を襲う。
「く……っは……あ」
 突き上げられる。
 背中に腕を回され、腰を抱えられ、一気に奥を突かれた。
 蜜が溢れる音。足を伝ってシーツを濡らしているのが分かる。
「っああ……」
 背中にあった手がふくらみを捕らえる。
 頂きごと押しつぶすようにされて、おかしな声を上げていた。
 がく、がくと突きあげられ続ける。
「……せい……っ」
 もう限界だった。攻められ続けたことで感覚が麻痺している。
 名を呼んだのが合図だったかのように膣内で、彼の欲望が破裂した。
 注がれる熱情に、意識を手放していた。

「……いや……行かないで」
 初めて、強請った。
 ベッドを立った彼の背中が悲しくて、涙をこらえられない。
「シャワーを浴びたら戻ってくる」
「……え?」
 彼の言葉を脳内で繰り返す。
 まだいてくれるのだ。
「心配しなくても送っていくから。まだ寝てろ」
 ぶっきらぼうな一言に、また涙があふれた。
 悲しみではなく歓喜で心が潤んだのだ。
 シーツをかぶり、頬を埋める。
 余韻で眠れそうにないから、起きていよう。
 彼が戻ってくるのを待って、それからシャワーを浴びる。
 うつ伏せで、肘をついて微笑んでいた。
 


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