夜明けのコーヒー



 彼ー青ーはコーヒーには拘りがあるみたいで、豆の産地なんかも
 じっくり選んでコーヒー豆を揃えている。
 インスタントなんてとてもではないが飲めないらしい。
 サイフォンは喫茶店で見かけるような本格的なものだし、
 慣れた手つきで豆を引き、コーヒーを作る様は、見ていて惚れ惚れする。
 青は悔しいくらい何でもできる。
 好きなことにはとことん拘る。
 家の中でも服装に手を抜くことは許してくれないし、
 私に似合う物を把握していて、服もよく買ってくれる。
   好きなものにはとことん拘り、手をかけるのが青という人なのだ。
 その代りどうでもいいものにはとことん無頓着だ。
 はっきりきっぱりを絵に描いた性質。
 彼の生き方は到底真似できるものではない。

青は豆を挽いた粉を瓶に詰め、テーブルに置いた。
「飲むか?」
「うん」
午後9時を回った所。窓の向こうは夜の闇が広がっている。
 洗練された仕草でコーヒーをカップに入れ、お湯を注ぐ。
 昔は、私がよくカップを温めて彼を待った。
 あの頃は紅茶ばかり飲んでいた。
 こくんと飲み干すとほろ苦さが口の中に広がった。
「青、あのね」
「何?」
「夜明けのコーヒー飲んでみたい! 今まで飲んだことなかったでしょ」
「……意気込むほどのものでもないだろ」
 青は嘲るような顔をした。
「そういうのに憧れる気持ちってあるものなのよ」
「じゃあ入れてやるから、ちゃんと起きろよ?」
 含み笑いをされ、ちょっとだけむっとした。
 起きられないのは、青だけが悪いのではないから言い返せない。
「私が入れたいの」
「俺より先に起きられたら良いんだがな」
「起きてやるわ」
 びしっと言い放ったら、青は無表情になった。
「今日は手加減してやるか。それとも、新しいことを試してみるか」
 聞いてはいけないことを聞いてしまった気がした。
 素直に俺がコーヒー入れたいんだと言えばいいのに。

 シャワーを浴びていると青がやって来た。
 後ろに立ちはだかる大きな影。
 カチャ。
 後ろ手にきっちりと鍵をかける音がした。
 どうも青は密室や閉所というシチュエーションが好きらしい。
 顔には出さなくても妙に楽しそうなのが分かるのだ。。
 浴室は特に声が反響するから好きなのだろうか。
 ぬる目のシャワーが降り注ぐ。
 シャワーヘッドは固定したままだなので正面から浴びている状態だ。
 髪をかき上げながら、浴びる。
 さっき青も同じようにシャワーを浴びていた。
 一度浴び終えた後、私が浴室に入ったのを見計らってまた戻ってきたのだ。
「沙矢」
 強く背が引き寄せられ、体が包み込まれた。
「青」
 吐息混じりの切ない声で囁かれ、名を呼び返す。
 見つめ合っていると、体が熱くなってくる。
 逃げられぬよう、両腕を壁について閉じ込められる。
有無を言わさず唇が重なる。
奪うように唇を合わせ、舌を絡ませる。
『深い口づけを交わした時既にその先のことも人間は本能的に考えているものだ』
青は言った。不自然なことじゃない。
別にお前だけが淫らなわけじゃないと。
その後についた言葉が、彼らしかったけれど。
『相手が俺だしな』

「あ……」
回想してる余裕なんてなかった。
 繰り返される深い口づけに、体中の力が抜けていくのを感じる。
 腰ががくがくと震え、崩れ落ちそうになる。
 抱えられるかと思いきや、また立たされ、壁際に押さえつけられた。
 後ろから伸びた手が胸を鷲掴み、頂を指の腹で擦る。
「あああ……ん」
 片方の腕で私を壁に押さえつけ、空いているもう一方の腕で愛撫されている。
 私の体は熱を帯び始め、奥底で叫んでいた。
 満たしてくれるそれを求めて。
 耳元に息を吹きかけられ、舌を差し入れられる。
 耳たぶに移動した舌がそこを舐め上げ、唇で引っ張る。
 奥の方がびりびりと痺れる。
「ふぁ……」
 胸に置かれた手はそのままに、私を壁際に押さえつけていた手が一瞬離れる。
 支えを失った体がずるずると、下に移動するから、壁を爪で引っかいてしまう。
 ぐっと腕が引き寄せられ、青の肩にしがみつく。
 両足は、彼の腰の位置で固定された。
 彼の腰に足を絡める。壁にもたれているけれど、何て、格好なんだろう。
 意地悪なことに、浴室内には大きな鏡があるから、
 私達がどんな体勢なのかばっちり映っていた。
 長い間は辛い体勢のはず。私の足は青の腰に絡みまとわりついている。
 青が準備を整え自身を秘所にあてがう。
 腰を抱えられ、一気に奥底を突き上げてくる。
 いつでもどこでも準備万端ねなんて呑気に言い返す余裕はない。
「ああ……んんっ!」
 熱量に満たされ、息も出来ない。
 感じる場所を的確に擦り上げ、容赦ない抽送を始める。
「あ……ん……ふっ」
 途切れ途切れに漏れる喘ぎをキスで塞がれ、胸を揉みしだかれ、
 下部では交わり続けていた。
 あまりにも不安定かつ淫らな体勢。
 青が支えてくれてるから全然平気だけど彼は辛くないのかしら。
 彼の表情は余裕に満ちていて変わらない。
 この体勢で抱かれるなんて初めてのことで、深い結合に荒い呼吸を繰り返す。
 はあはあと息とつき、青の肩に爪を立てる。
「あぁ……はあ……んっ」
 青自身を締めつけるとより一層強い律動が加えられた。
 ぶつかる水音が降り注ぐシャワーの音にかき消される。
 湯気と自分たちが発する熱とで、むせ返りる浴室の中、あられもない嬌声は響く。
 青は、うっすらと笑みを浮かべている。
「ああ……んん……もう」
 熱の奔流が弾ける。
「沙矢」
 深い口づけ。舌が絡み合う。
 唇を塞がれ、そっちに気を取られている隙に、青が一番奥を貫いた。
 唇が離れると、抑え切れない声が、漏れる。
 彼の熱と私の熱が溶け合い、奥底で弾けていた。

 意識を回復した時、寝室のベッドの上にいた。
 横向きになり、肘をついた体勢で青がこちらを見ている。
 あくまで余裕たっぷりの微笑み。
「おはようじゃないよね、まだ?」
「まだまだ夜はこれからだからな」
 そんなに長い時間お風呂にいたわけじゃないから、それもそうかと思い、
 壁に立て掛けられた時計を仰ぎ見た。
 日付が変わり十二時をちょっと過ぎている。
 浴室から私を寝室に運んで青は少し寝たのだろうか。
 ちらと横目で彼を見ると相変わらず意味ありげな視線でこっちを見ているけれど。
「夜明けまで何時間かな。5時間くらい?」
「そうだな」
 呟きと共にぐいと抱き寄せられる。
 背を抱く腕に力がこもった。
「壊れそうな位華奢な体なのに、柔らかいよな」
「青だって細いのに、すごいわよ、色々と」
 あんなことされるなんて思わなかったもの。
「俺は男だからな。女と違って簡単には壊れないさ。
 俺を支えてくれる体がここにあるからな」
「あ……!」
 背筋を辿る指に体がびくんと微かに跳ねる。
 指先のみならず唇での愛撫が始まる。
 この部屋で目覚めた時に再開を告げる鐘は鳴っていたのだ。
『眠ってる女を無理矢理抱いたりしない主義なんだ』
 頭に浮かんだのはいつかの小憎らしい言葉。
 次に目覚めた時は覚悟しとけという意味だ。
「え、何!?」
 思わず声に出してしまっていた。
 急に唇と指先が背に感じられなくなったと思ったら、  ぐらと視界が揺らいだ。
 シーツに両腕両足をつかされ、その上に青が覆いかぶさっている。
 獣っぽい感じがして……さっきの行為よりも淫靡だ。
「はあ……んっ」
 がしと両胸を掴まれて揉みしだかれる。
 さっき浴室内で攻められたばかりで、
 まだ体がだるく、とてもではないが余力は残ってないのだけれど、
 素直に反応してしまうのは何故だろう。
 お尻の辺りに彼の焦熱が辺り、その効果か自分も濡れる。
 微かに隔たりを感じたから避妊の準備も終えているのが分かった。
 薄くて、お互いがより感じあえるものを選んでいるけれど。
「欲しい?」
「……何」
「それともここで止めようか」
青は試している。
私がお願いを口に出せるかどうか。
「相変わらず意地悪ね」
「どうとでも言え」
「あ……っ……やん」
強い力で胸を愛撫され、体の火照りが目覚めてゆく。
「……早く入ってきて」
 くすっと笑む気配。青が腰を進めた。
「ああ……」
 充足感に満たされて、溜息が漏れる。
 何度か円を描いた後、ゆっくりと出入りが始まった。。
 その度に胸の膨らみは揺れる。否、体全体が青を感じ揺れてしまう。
「……っ……あぁ……っ」
 狂い啼き続ける。
 胸の頂を指で挟んで弄ばれ、激しく律動を刻む腰に翻弄されて
 いつの間にか限界を感じていた。
 淡く弾ける熱と熱。
 交わり続ける二人は濃密な夜を過ごす。
「青、青……」
「沙矢」
 互いの名を呟きながら同時に果てる。
 ぼやけた意識の中で、青が床に突っ伏した私を抱え上げ、仰向けにするのが分かった。
 どんな意地悪いことしても言葉で言っても、最後のケアはちゃんとしてくれる。
 とても紳士的なのだ。

 無茶させたかな。
 夜明けのコーヒーの時間に彼女は目を覚ますだろうか?
 自分のした事に後悔はないけれど。
 紫煙を吹かしながら、汗で肌に貼り付いた髪を撫でる。
 艶やかな黒髪。シャワーを浴びた後の濡れた髪を見てまた欲情してしまった。
 人間って濡れたものに弱いよなあ。
 雨宿りしていて恋人同士でもない二人が、過ちを起こしたり。
 変な気分になるのも仕方ないのか。
 ほら、濡れた姿ってどうにも色っぽいだろ。
 髪だけでもな。
「2時か……」
 少し眠るか。
 沙矢の頭を腕で支えて、眠りへと落ちた。

「ぎゃっ!」
眩しい、何時よ今。
 朝陽が燦々と降り注いでいるわね、”あなた”
 隣の人は余裕ぶっていたくせに、起きる気配がない。
「青、夜明けのコーヒー飲みそこなったわ!」
「……は」
「私が起きられなかったら入れてくれるんじゃなかったの?」
「言ったかな……」
「って7時じゃない。夜明けのコーヒーじゃなくてモーニングコーヒーだわ」
「良いじゃないか別に。夜明けのコーヒーもモーニングコーヒーも同じだろ」
「違う」
 こうなるの薄々分かってたじゃないの。
「悪かったな。じゃあここにコーヒー持ってきてやるから機嫌直せ。な?」
 青はにっこり微笑んだ。
「……うう、私が夜明けのコーヒー入れたかったのに」
「俺も入れられなかったんだしお相子ということだ」
 意味がわからないわ。
「待ってろよ?」
 ぽんぽんと頭を叩いて、青が立ち上がる。
 腰にシーツをするりと巻きつけた姿。
 起き上がろうとしたけど体に力が入らなかった。
 青は、シーツを無造作にベッドへ投げるとさっと床に投げていたバスローブを纏い、
 寝室から出て行った。それを無言で見送りながら悔しい思いを胸にしまった。
 シャワー浴びたいけど、気だるくて起きる気になれないし、
 とりあえず青が戻ってくるのを待つことにしよう。

 怒った顔も可愛い。
 拗ねてるというべきか、あれは。
 また見たいかもしれないなんて悪趣味なことを思ってしまう。
 こういうやり取りでの怒りなら、何度でもくらってもいい。
 勝手な男ですまないな。
 クスクスと笑いながら、カップに湯を注ぐ。
 ミルクをたっぷり入れたのが好きな沙矢の為に一つはミルクを注ぎいれ、もう一つはブラックで。
 スプーンを横に置き、カップをお盆に載せ、歩を進める。
「開けてくれないか」
 ドア越しに声をかける。
「ん……ちょっと待って」
 扉を開くと、目の前には足をもつれさせて歩く沙矢がいた。
「朝から酔ってるのか」
「誰のせいよ……何とか起き上がったのに」
「まだまだ鍛えてやらなければ」
 ぽつり。聞こえないくらいのトーンで囁く。
「ん、なんか言った」
 にやりと笑い聞き流す。
「コーヒー飲むんだろう?」
「飲む」
 ベッドに備え付けられているサイドテーブルの上にカップとスプーンを置く。
 ふらふら歩いてくる沙矢を抱きかかえ、ベッドの上に下ろす。
「ありがとう」
 律儀だよな。そんなになったのは俺のせいじゃなかったのか。
「零すなよ……まあどっちにしてもシーツはすぐ取り替えなきゃいけないけどな」
「きゃあ……口に出して言わないで!」
 顔を真っ赤にしてうろたえる沙矢が肩をばしばしと叩く。
「飲もうか」
「うん、今度は絶対実現するからね、夜明けのコーヒー」
「頑張れよ」
「他人事みたいに……。協力してね?」
 カップを持った沙矢がこっちをじっと見つめていた。
「意気ごまなくてもすぐに実現できそうだけど」
 どうやら沙矢は夜明けのコーヒーは特別なものだと考えているらしかった。
 何もせずに眠った朝飲んだコーヒーを夜明けのコーヒーと雰囲気ないとは思うから、

 次は沙矢の為に実現させてやろうかな。
 予定は未定だけれど。
 



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