夜の海
少しずつ深まっていく秋の気配。
相変わらずの関係にため息は増えるばかりだ。
突然の電話で彼の誕生日を教えてくれ、いきなり会うことになった。
こんなに唐突なのは、初めてで、戸惑ったけれど、
嬉しくて仕方なくて、少しはしゃいでしまったのを覚えている。
呆れられたくなくて、落ちつかなければと自分に言い聞かせたけれど、
努力が功を奏したかは、分からなかった。
あの日、次に会う日を約束して別れた。
10月最後の土曜日、海に行くことになったのだ。
泳ぐことではなく、見るのが目的だ。
夏以来の海で、自然とあの日がよみがえる。
浜辺で性急に求めながら、
途中ですぐ踏みとどまったのは、
結局本気ではなかったからだ。
衝動的に戯れただけ。
携帯の時間を確認する。
迎えが来るまでは、まだ時間がある。
メイクもばっちりだし、お気に入りの服にも着替えた。
後は、何をすればいいかと言えば心の準備くらい。
ときめく心は止められないのだから、
余裕を持たなければ。
冷静な彼は、動揺した姿を決して見せやしない。
変なところを見せないように、気をつけよう。
まだ、離したくないと思ってもらえるように。
ブラシで髪を梳かす。
艶が増していく髪に、微笑む。
目覚めると、彼が髪を梳いていることがよくあるから、
きっと青は私の髪が好きだ。
そろそろ、出よう。
鍵等部屋の中を確認し、ハンドバックを手に部屋を出た。
バス停の側に佇んでいると、一台の車が近づいてきた。
最初は、遠くに見えたように感じたのに、あっという間に隣に来ていた。
「乗れよ」
少し乱暴に、けれど、限りなく優しく響いた声に、笑みが浮かぶ。
彼は、いつも眩しい。何度会っても変わらない。
助手席のドアが、開かれ、車内に身を滑りこませた。
「……どこの海まで行くの?」
「横浜」
「楽しみだわ」
シートベルトを着け、視線を横に向けると、青は、フッ……と微笑んだ。
ドキンと心が弾む。
彼の仕草のひとつひとつに、過剰反応してしまう。
どんなにささいなしぐさでも意識を奪われる。
(あなたは、知らないのかもしれないけれど)
高速に乗った頃には、午後4時を回っていた。
窓を開けると潮風が鼻をくすぐった。
車は、スムーズに流れに乗り進んでいく。
目的地に着いた頃には、夜になっていた。
一旦ホテルにチェックインし、荷物を置いてから散歩に出た。
波が押し寄せては引いていく。
距離感を保ちながら、浜辺を歩く。
そっと、腕につかまってみても、拒まれなかった。
振り払われるどころか、掴まりやすいようにしてくれている。
チラ、と横眼で見れば、とても静かな表情だった。
怖いくらいに美しくて危うげな魅力に惹きつけられる。
手を差し出されて掴むと強い力で握り返された。
夜の闇の中、波にさらわれそうだ。
「夜の海って、黒いのね」
海の色が、青く光り輝いているのは、太陽の光を
受けているからで、日が沈んだ今、暗いのは当たり前のことなのだ。
青は、無言だった。
私は、ふと立ち止まって、彼の手を離す。
しゃがみこんで、砂を掬う。白い貝殻をいくつか拾った。
あの歌のように、思い出を残せたらいいのに。
明るい結末が待っているとは限らないのだとしても。
立っている彼を見上げると、海を見ていた。
表情は分からない。
「青……?」
するりと差し出された手を取り立ち上がる。
足元に押し寄せる波の勢いが、怖くて、思わずしがみつく。
「形あるものがすべてだったら、よかった」
青は、私の手のひらの貝殻に触れながら、ぽつり呟く。
息を飲む。
とりとめのない言葉が、心に降り積もる。
ふいに重なった唇に身を震わせる。
「あなたと手を取り合って泳ぎたい……」
胸がしめつけられる。苦しい。
肩に長い腕が回され、ハンドバッグが砂の上に落ちた。
髪を避けて、肩に手を置いてキスを繰り返す。
お互いに独り言をつぶやいて、すれ違うもどかしい二人。
ふわ、と香る煙草の匂い。
強く、引き寄せられ、息が止まるかと思った。
「……っん……」
熱を絡めて、唾液を交わらせて、体の熱が上がっていく。
いきなり唇が離れたので、慌てて息を整える。
煽るだけ煽っておいて、甘い余韻を残してキスは終わりを告げた。
再び、歩き出す。
ぼうっとしていた私は、繋いだ手に導かれ、
まるで引きずられるように、海を後にした。
白い貝殻が、砂の上に落ちたのも気づかずに。
ホテルに戻ると、食事を取るためにレストランに向かう。
海が良く見える絶景のロケーションだ。
椅子が、引かれ、座ると視線が絡んだ。
眼差しで、縫いとめられる。
やがて言葉もなく見つめ合う時間に堪えられなくなり、先に目を反らしてしまう。
戸惑いに瞳を揺らし、瞼を伏せる。
膝の上にある震える手のひらに気づいたのだろうか。
向かい側から、長い腕が伸びてきて、大きな手のひらが重なった。
頬張った手のひらは、こちらの手を包み込めるくらい大きい。
目を見開く。声を抑えるのに必死になった。
指の腹で擦り、撫であげる動きに、きゅっと目を瞑る。
顔は真っ赤に違いない。
二人きりの部屋でのいたずらならともかく、
公衆の面前でされるとは思いもしなかった。
確かに貸切状態で他の客はいないし、
未だに料理が運ばれる気配はないが、
気恥かしさは隠せない。
羞恥に襲われて、彼を睨みつける。
「これぐらい、大したことないじゃないか。もっとここでは言えないような事してるだろ」
信じられない一言に絶句する。
「な……」
空気に溶けるほど微かな囁きは、私だけに届くよう狙って発せられたものだ。
頬が熱く、火照っている。
翻弄され続けて、食事がのどを通るか不安だ。
グラスを掴み水を流し込む。
喉は潤っても、体の熱は逃げてくれない。
窓の方に顔を向けて、夜の海を眺める。
黒く染まった波にさらわれて、消えてしまいたいと一瞬、思った。
(ばかみたい。さっきは怖くてしがみついたくせに)
テーブルに置かれていく料理に視線をやる。
青の方を見ると頷いてくれた。
「いただきます」
お互いに、静かに食事を開始した。
醜態をさらさないように、気をつけて食べ進める。
なぜ、見つめ合うと苦しいのに対面で座っているの?
毎度思うのだけれど。
デザートも全部食べ終わるまで、気が抜けなかった。
席を立ち、彼の後ろに従い、エレベーターに乗り込んだ。
食事代は宿泊費に含まれているのでこの場での支払いはないのだ。
エレベーターを降りて部屋の鍵を開ける。
先に入るように促され、入ると後ろで鍵の閉まる音がした。
全面ガラス張りの広い部屋。
海と星空が見渡せ、思わず感嘆の声を洩らす。
夢のように、美しい。
きらきらと、瞬く星が、ひとつ流れた瞬間、
頬に熱の雫が伝ったのを感じた。
「あ……あれっ?」
ぬぐおうと伸ばした指は、彼によって捕われ、代わりに唇が頬の雫を拭い去る。
熱い。
彼の体の熱そのものなの。
淡く重なるキスに背筋が、ぞくりとした。
「そんな顔するな……頼むから」
懇願に、きょとんとする。
「泣いてなんかいないわ」
すっと腕を引かれ、抱きしめられる。
閉じ込められた胸の中、嗚咽を忍ばせる。
あまりに優しくされて、呆然としていた。
はらはら、と零れる涙の中、縋りつく。
胸に置いた手のひらに力をこめて、見上げて彼を捉える。
欲情を隠そうとせず、彼が見つめてきた。
強く指が絡められ、どくんと心臓が鳴り響く。
あの時、彼の手で女になって、変わっていく自分を自然と受け入れていた。
今は、あの時と違って、好きという気持ちで張り裂けそうだけれど。
ゆっくりと、ベッドに押し倒され、視界の全部は青で染まった。
上質のベッドは、柔らかくこちらを受け止めてくれる。
いきなり唇に舌が入り込んで来て、情欲を目の当たりにした。
舌を吸われ、吸って、濡れた息を洩らす。
息を継ぐ次の瞬間には、また口づけられている。
おずおずと差し出した舌を逃さず、縫うように絡めて触れ合わせる。
糸を引き顎を伝う雫を彼の唇が啜った。
痛いほど、きつく抱擁され、深いキスを交わす中、意識が朦朧としてくる。
カーテンが引かれる音。ゆらゆらと二人の陰影が描かれる。
その様が、エロティックに感じられ、心臓が跳ねた。
はっとした瞬間、衣服の中に手が忍び込んでいて、
冷たい手が皮膚の上を這いあがっていく。
膝を割られ、スカートの中にも指が入ってきた。。
太ももから足首までを行き交う手の動き。
衣服の中で、うごめく指先。
くすぐったいような刺激に、ぼんやりと火がともっていく。
足を曲げて絡ませると、青の動きをスムーズにしたようだ。
カップの下からもぐりこんだ手が、直に素肌に触れた。
下腹では、下着の脇を指が撫でている。
脱いだ方が、楽に決まっているのに、こんな風にされると余計に興奮してしまう。
瞳は、熱く、大きく見開いて彼を見つめている。
クールな青の冷たい瞳が、激しい炎を宿しているのが分かった。
「……っあ……」
下着の上から蕾をいじられ、擦られた。
触れられるほどに熱を帯び、やがて、じわりと潤んだ。
指の動きが速くなる。
カップを持ち上げて、ふくらみを弄ばれながら、
下着の上を爪でひっかかれる。
声にならない声を上げて、背を仰け反らせた。
沈みかけた体を、逞しい腕が引き寄せる。
ブラウスは淫らに肌蹴られ、スカートから下着が引き抜かれた。
青の背につかまりしがみつく。
両脚を彼の腰に絡ませてバランスを保った。
鋭い衝撃とともに彼が入って来て、鼓動が暴れた。
なんて、激しい熱。腰が突き出され、自ら腰を揺らして応えた。
カーテンに映る二人は、まるで踊っているかのように、妖しく淫らだ。
開いた唇の隙間から、舌が潜る。
舌をねっとりとからめ合って、繋がり合う。
何回かに一度、直に繋がることができてうれしい。
ピルを飲むことを選択してよかった。
直に繋がれるのは五本の指に足りないほどだけれど、
やはり、肌同士が触れる喜びは何物にも代えがたい。
恐ろしいほどの快感に今にも意識が飛びそうになる。
太ももを伝う液体を感じ、ぶるりと身震いした。
ぶつかり合う水音が生々しい。
奥で、彼自身が大きく主張し、跳ねた瞬間背中に爪を立てていた。
肌蹴たシャツが、汗で体にまとわりついているようだった。
ベッドにうつ伏せて眠っていた。
背筋を指が這いまわっている。私も背中合わせの彼も素肌だ。
こちらが意識を飛ばしている間に、脱がされたらしい。
背中に触れる彼の胸板が熱く、しっとりと汗ばんでいた。
指は腰を行き過ぎ、臀部で円を描く。
首筋から臀部まで何往復かした後、割れ目を押し開いた。
「乾く隙もなかったか?」
卑猥な台詞は耳のすぐ横で聞こえた。
「っや……っ」
なめらかに侵入した指が壁を探している。
敏感に快感を伝える場所を。
ざらざらとした所に指が当り、うめいた。
腰を高くかかげていることには気づかぬ振りをする。
肘をついているせいで、重力に逆らえずふくらみが下に垂れている。
重力には逆らえないのだ。
二本の指が入りこみ、蜜を掻き出している。
シーツの下で揺れる胸のふくらみを大きな手のひらが包み込んでいた。
「は……っ」
頂きごとふくらみを揉まれ、奥を指で突きあげられ、体が弛緩している。
こぷ……と蜜が溢れる。
舌が入りこんで、中をかき回した。
乱暴に愛撫され、ふくらみが弾んでいる。
甘く媚びる声を上げて啼き叫ぶ。
ぐったりと体を丸め、シーツに沈むと乾いた音が耳に届いた。
横から貫かれる。
ぐいぐいと、勢いよく突かれて、朦朧とする。
シーツを掴んだ指先を押さえつけられたかと思えば、
体をうわ向けにされ、正面で視線が絡んだ。
青の顔に、手を伸ばし、微笑む。
その柔らかな髪から、ひと滴の汗が落ちた。
二の腕を掴んだのを合図に、入ってきた彼自身。
最初からクライマックスを誘う動きに、
翻弄されながらもついていく。
抱き合って、交わすキスはより興奮を呼びこむ。
動きが緩やかになって、少し責めるように唇を尖らせた。
「もっと……きつくして……優しくされるのは辛い」
(ひどくされる方がよほどマシだわ)
自分で自分を止められなかった。
頬をとめどなく涙がこぼれる。
「馬鹿だな……」
「え……っ……あっ……」
再び。激しく突き上げられる。
ぐるり、回った腰。
動きによって感じ方も違うということを知った。
「は……っ……青」
優しく重なるキスは触れ合わせるだけのもの。
しっかりと首に腕を回して抱きつく。
すぐに二つに戻るのだとしても、この瞬間は尊い。
彼の思うがまま抱かれていたい。
手のひらが重なり、繋がれた指先の強さに、また涙がこぼれた。
目を覚ますと、手が繋がれたままだった。
数時間前までの情熱が嘘のように穏やかな寝顔がそばにある。
手のひらを離して、真上から覗きこむ。
鋭さを隠した無防備な表情は、見ていると嬉しさと相反して
胸がつまり、泣きそうになる。
長いまつげが朝日に照らされ深い陰影を作っていて、
美貌を際立たせていた。
彼の頬へと涙が落ち、慌てて指で拭う。
すべらかな感触だ。
顔を近づけ、微かに開いている彼の唇に、自分の唇を重ねたが、
ぴく、とまつ毛が震えたので急いで離れた。
繋いでいた指先の力が強まり、きょとんとしていたら、
閉ざされていた瞼が開いた。
青が見ている。観察者の眼差しだ。
「あ……あの」
おろおろとうろたえている私に、指を握る力はますます強くなった。
ぐい、と腕をひかれ、顔が重なる。
「お前の唇は誘うように濡れているな」
間近で言われ、パニック状態だ。顔は真っ赤で、熱を発しているのに、
お構いなしに、唇は触れては離れることを繰り返す。
舌が入りこみ、濃厚になるキスに身震いした。
思考がかすみ淡く濁っていく中、願いが生まれる。
(欲しい……)
こちらの心と体をかき乱しておいて、唇はあっけなく離れていった。
二人の間で白い糸が、ぷつんと途切れた。
「帰るから、準備しろ。一階で朝食を取ろう」
「……うん」
何もなかったみたいに平然としている青が憎らしい。
ぼんやりとしている私とは正反対だ、
自分が、まだ何も着てないことを意識し、顔を赤らめシーツをかぶった。
背中を向けて、床に落ちている衣服を拾い上げると洗面室に向かう。
バッグから新しい衣服を取り出し、かごに置く。
バスルームの扉を開けてひとつ息をついた。
シャワーコックをひねり、正面から浴びる。
丹念に泡立てたソープを体にこすりつけ、洗い流す。
胸元に触れるとどくどく、と鳴る心臓の音を感じた。
触れた感触が普段と違うのは愛された後だからか。
彼の残した痕が、至る所に残っていて、胸がきゅんと疼いた。
喉が引き攣るのを感じ、口元を押さえる。
泣いているのか笑っているのか、自分でも分からず困惑してしまう。
髪をかきあげて、熱い飛沫に身を任せる。
壁にもたれながら、暫くの間シャワーを浴び続けていた。
着替えて部屋に戻ると、ベッドに無造作に腰かけている青と目が合った。
下着だけの姿に目をそらしつつ、
「シャワー……空いたわ」
告げると青が立ち上がって歩いていくる。
すれ違いざま、見た表情にまた、無意味に惑わされてしまった。
戻ってきた青も、昨日とは違う服装に着替えていた。
濃紺のジャケットに、白いYシャツ、ジャケットと同色のスラックス。
ベッドの端に座っていた私は、目が合って頬が熱くなった。
自分が座っていると、身長差をより一層意識する。
彼は、無言で近づいてきて、隣りへと腰を下ろすと、長い足を組んで座った。
「……お前を感じすぎるのは怖いな」
引き寄せられた肩がわなないている。
「行こう」
耳元でささやかれ、頷く。
彼は一瞬こちらを見つめた後、立ちあがった。
背を向けて扉に向かう背中は広くてたくましい。
すがりつきたい気持ちを抑えて後ろをついていった。
バッグを落とさないようしっかりと握って。
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