涼ちゃんが好き。
 涼ちゃんといる時間が好き。
 涼ちゃんと交わすキスが好き。 


 甘い香りと共に、赤い花びらが視界に飛び込んでくる。
 真紅の花びらは、とても優雅な雰囲気だ。  今日この日の為に用意された薔薇が鮮やかに目に映る。
 涼を見上げれば、瞳を細めてこちらを見ていた。
 爪先立ちでも、間に合わない距離が未だに悔しい。
 ヒールが、足から浮いてほとんど脱げている状態に、頭上から笑う声が聞こえてくる。
 べただけど心のどこかで憧れていたことを実現してくれた涼に、何も言えなくなった。
悔しいくらい完璧な演出にぐうの音も出ない。
 アルコールなんて口にしていないのに、頭の奥が痺れてぼうっとしていた。
 付き合いはじめて二度目のクリスマス。
 涼と一緒に過ごす二度目の聖夜だ。
 普段は行けないような素敵なホテルを予約してくれた。
 ご飯を食べて、今は予約していた部屋の中。
 きっと忘れられない夜になるだろう。
 そんな夜にきっとしようと思った。
 今日のために涼がどれだけ頑張ったのか知ってる。
 会う時間を割いてバイトに励んだ。
 その事を照れながら話してくれた。
 去年の春みたいな無茶はさすがにもうしない。
 あの時事故まで起こして三日も目を覚まさなくて息もつけなかった。
 睡眠と食事はちゃんと摂って無理はしないことと
 約束してもらって、菫子は影で見守ることができた。
 会えない時間はせつなかったけれど、
 頑張る姿を想像しては、力をもらっていた。
 会えない日々に理由を告げずバイトに勤しんだ過去を
 涼は悔いていて、今は菫子の気持ちを理解してくれている。
 浮気を疑うことは一度もなかった。
 電話とメールで連絡を取り合って、くだらないことでも何でも話す。
 ありがとうと面と向かって言うのは照れるから、耳元で囁いた。
 それだけでもきっと伝わるって信じて。
 無理して背伸びしたせいで足元がふらついた。
 バランスを崩した菫子の身体を長い腕が、抱きとめる。
「マニュアル通りの女って可愛いわ」
「分かりやすくて悪かったわね」
 憎まれ口を叩いてみても本心じゃないって知られている。
 顔が真っ赤だ。
 二人の間の間で押し潰されかけてる薔薇と同じくらい。
 はらりと一枚、花びらが落ちた。
 きつく抱きしめられて、花束を持ったままだった腕が、広い背に回る。
「悪いなんて言ったか? 可愛いって俺は言ったんやで」
 視界が曇る。
(やだ。泣いてしまうなんて。こんな顔、見られたら最悪だわ)
 幸い、肩に頬を寄せてるから見られることはないけど、声で気づかれている。
 涙で肩も濡らしてしまっていた。
「すみれ、隙のない女より、隙を男に見せる女の方がええ。
 完璧になろうとするな。
 俺もお前も足掻いてもがいて無様なまま進んでいこう」
 こくりと頷いた。
 プロポーズじゃないけど、クリスマスイヴの夜に
 こんな言葉をもらえるなんて、とても特別だと思った。
 一緒にいるだけで毎日が特別かもしれないけれど、
 何故だかいつになく真摯な涼の眼差しにときめいてしまった。
 陽気で楽天的で冗談の中に本気を混ぜる人。
 本質はとても誠実だから、時折垣間見せる素にやられてしまう。
 あの時、抱かれたのも涼の真実に触れられたからだ。
 腕の中から花束が、消える。
 窓辺にそっと置いて戻った涼に抱きあげられる。
 視界が高い。ふわふわと夢見心に、柔らかな場所に下ろされた。
 隣に座った彼が、真っ直ぐに見つめてくる。
 視線をどこにやればいいかわからず、ぐるぐるさまよわせていると、顎を指先が捕らえた。
「恥ずかしいってば」
「ええ加減に慣れてほしい部分もあるか」
 ボソッと呟かれて、
「無理!」
 即答した菫子ににやりと笑う涼は明らかに楽しそうだ。
 間近であんなに熱っぽく見つめられたら恥ずかしいに決まっているのだ。
 無性に逃げ出したくなる。
「俺も無理。抑えきれんくらい好きや」
 はっとした時には唇に柔らかな感触を覚えていた。
 瞳を閉じると、時が止まる。
 涼の肩を掴んだ手に無意識に力をこめていた。
 吐きだした息が、鼻から抜ける。
 甘えるような声が出ていた。
 体から、力が抜けて、横たえられる。
 明かりを消して、静かに覆い被さる身体に腕を伸ばす。
浅く深く重なる唇。
 漏れる吐息さえ奪い合いたい。
 何度もキスをして、触れられて、わけが分からなくなっていく。
 やがてすべてを暴かれて、思い通りになるしかなくなる。
 どんなに恥ずかしくても好きだから、堪えられるのだ。
(だって無防備になっても怖くないの。
 自由に泳がせてくれるもの)
 腕の中、安ぎに満ちた眠りをくれる人。
 とめどなく注れる眼差しは、愛情と情熱がこもっていた。
 腕がほどける度に、強く抱きしめてくれる優しさ。
 離したくない。
 涙を啜る唇に、胸が高鳴って、何度となく思う。
 この腕のぬくもりに溶けてしまえたらと。
 口に出すのは、難しいから、感じて。
 こんなに、あなたを好きだって叫んでいる。  心も体もひっくるめて、繋がっていたい。
 抱きあげられ、背中にしがみついて微笑む。
「菫子……好きや……もっとお前をくれ」
「ん……涼ちゃんもちょうだい」
 普段なら口にしない大胆な台詞。
 裸になれば、素直になれるというのは本当だ。
 ボディーコミュニケーションを今後もしていくのだろう。
 隙間もないほど、密着して、淫らの音を奏でて、
 声を紡いで興奮して、飽きることなく、夢中になる。
「大好き……」
 こもった熱に、誘われるように愛の言葉を呟いた時、
 全部、混ざり合って溶けていった。
   
 しあわせな眠りを享受した後は、穏やかな目覚めを迎える。


 ふ、と目が覚めると窓には藍色の景色が映っている。
 もうすぐ夜明けが来るのだ。
 髪を撫でて涼の寝顔を見ながら、
「メリークリスマス、涼ちゃん」
 囁いた。聞こえてなくても、その笑顔に免じて許してあげよう。
 頬に落とした口づけに気づかれませんように。


 朝が来て目を覚ました二人は、互いに向き合った状態だった。
 いつもいたずらに髪をもてあそんでいる涼に、
 菫子は、戸惑いながらも結局好きにさせていた。
 最後はいとおしむように撫でてくれるからいいのだ。
「普段もあれ位甘えてくれたらええのになあ」
「冗談言わないで」
 しっかりと菫子を腕の中に閉じ込めた体勢で、のたまう。
 抱えやすい体格差は便利らしい。
「だって可愛いんやもん。涼ちゃんって潤んだ目で甘えてくる董子」
「ふん、どうせ普段は可愛くないわよ」
「可愛いっていつも言うてるやん。何度言わせたら気が済むんや」
 ぼっと顔に火がついた。
「別にねだってない」
「ねだってもええのに」
「いやよ」 
 段々何を争っているのか分からなくなってくる。
「じゃあ俺がねだろうかな」
「何よ」
 つい尖った口調になってしまった。
「キスして」
 その満面の笑顔は何なのだろう。
 非常に無邪気な表情だ。
 体は大きいのに、時々子供みたいな恋人なのである。
 たかがキス。されどキスだ。
 面と向かって言われると照れに襲われる。
「さっきはしてくれたのになあ」
「お、起きてたの?」
「いやあ、感触で気づいたっちゅうか」
 ぽかぽか彼の肩を拳で殴った。
「おおきに。そこ凝ってたんや。あ、もうちょい力強めでもええで」
 ちっとも通じてない上に注文をつけられた。
 寝てる時はかわいげがあるように感じたのに目を開けた途端に俺様モードだ。
 するまで許してくれないだろうか。
 ごくん。息を飲み込んだ。
(別にこっちからするの初めてじゃないんだから!)
 菫子は、これが返事だとばかりに涼の唇を自分の唇で塞いだ。
 焦らして返事もせずにいきなり行動に移したことに、
 案の定涼は驚いている。目を大きく見開いたのが証拠。
 キスに応えたことに安心し急いで離れようとした菫子は、
「っ……」
 頭を押さえつけられ、より深く唇を重ねられてしまった。
 全身の血が沸騰し、体感温度が上がっている気がした。
 涼の背中を叩こうとしたが、体には力が入らなくなるばかりで抵抗なんて夢のまた夢だ。
 昨日の夜を思い出すかのごとき口づけの連続に勝手に甘い息が漏れる。
「し、信じられない」
 やっとのことそれだけ口にできたが、言葉になっているかは定かではない。
 当たり前だけど目の前にいるのは紛れもなく男の人だ。 
 時々強引で大胆な彼に振り回されっぱなしで、
 これでいいのかと自分に問いを投げかけてみたりする。
 やっぱり好きだからに尽きるのだ。
「好き」
「ん、聞こえへん。もう一回」
「……大好き」
 息を吐き出した後、強く腕の中に閉じ込められる。
 咽そうになるほどの彼の匂いに包まれて、
 感じた気持ちを大切にしていたい。
 唇を掠めるキスをした涼は、ふっと微笑んだ。
「董子はええ女やな」
 やっぱり涼に言われるから嬉しいんだと分かった。
 他の人に言われても、心にぬくもりは灯らない。
     

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