4



何度この情景を夢に見たことだろう。
 何度同じ出会いを繰り返しただろう。
 目を奪われ、息を止める。
 あの日贈った髪飾りをして歩み寄ってくる少女。
 着物の裾をさばいて、迷いなく進む姿は、確かにあずみだった。
 約束を覚えていてくれて嬉しい。
 心が、ほのかに色づく。
 来てほしくはなかったとも思うけれど。
 手を取れば、もう二度と離せない。

   あの日出逢い、別れを告げた約束の場所で再び会い見えているのは、
 奇跡でも偶然でもなく必然なのだろう。
 遠目から見て悲哀に満ちた表情に胸が痛んだが、
 一度、俯いて顔をあげた時にはもう微笑んでいた。
 何かをふっ切ろうとしているようだった。
 手を差し伸べる。
「来たのだな」
 掴んだ小さな手を包み込む。
 最初は躊躇いがちに、次第に強く握り返してきた。
「鴎葵……あなたが何者でも関係ないの」
 恋を知った娘の瞳に、惹きつけられる。
 夕陽に照らされて、黒髪が朱色に染まっている。
「神様だからって遠い存在とは、思わない。
 あなたは私と変わらないもの」
 見つめ合う。
「私はお前にそんなことを言ってもらえる存在なのか分からないのだぞ。
 人と違って、躊躇いもなく冷酷な仕打ちができる。
 良心の呵責というものを知らない」
 最後に逃げる術を与えるというのだろうか。
 恐ろしい存在だと愛想を尽かして去ってしまうのを願って?
 先ほどの悲哀の表情をさせてしまうことになるのならばそれでも構わない。
「遠い昔、私は一人の娘の想いを拒み、その結果娘は命を絶った
 ……。 人の間でも噂になっているだろう?
 神に恋をしたが、想いを受け入れられずに命を絶った娘がいたと」
 瞼を伏せる。
 風化した過去の記憶がよみがえり痛みで胸が引き裂かれそうになる。
 いつの時代も事実は捻じ曲げられ、真実は伝わることがないのだ。
「あなたはその人を愛していたんでしょう。
 人間以上に痛みを感じ取れてしまうから余計辛いのだわ。
 本当に何も感じていなかったらそんな悲しそうに言わないはずだもの」
 こちらの壁を簡単に突き崩してしまう。
「お前は恐ろしい娘だ。私の憂いなど分からぬだろう?」
 苦笑いしか浮かばない。
「今日は耳がないのね?」
 あずみはいきなり口調を変えた。興味深々といった様子だ。
「本来はこの姿だ。人の世では獣の形を取っていたからな」
 顔をのぞきこんだら、頬を染めた。
 以前には見せなかった仕草だ。
「あの……ね」
「ん?」
「私、鴎葵のことが好き」
 さらり、と口にした。
 深く息を吐き出す。
「あずみ」
 かすれた声で名を呼ぶ。
 腕を取って引き寄せたら、かすかに身じろいだ。
「……いっそあの日の童のままだったらよかった」
 この小さな娘が愛しくて、無意識に力を込めていた。
 己が衝動のままに動くことがあるだなんて思わなかった。
「無理だよ」
「そうだな……だからお前はここにいるのだから」
 回された腕の細さに、驚く。
 見上げてくる瞳は、澄んでいる。
 この心は抑えきれない。
「あずみ……お前を愛している」
 抱きしめた背中がわなないている。
 嗚咽を堪えているのだろうか。
 腕の力を少し緩めたら、彼女の方から抱きついてきた。
 弾みで、草むらに膝をついてしまう。
 薄暗い洞窟の入り口で、表情がよく見えなくなる。
 忍び笑う声がして、どうしてそんなにおかしいのかと思った。
 手を差し出して、一緒に立ち上がる。
「あずみ」
 よく見ると手の甲は赤く腫れあがっていた。
 気づくのが遅い自分を恥じる。
 羽織っていた上掛けの内にあった手巾を取りだし、そっと巻きつける。
「……ありがとう」
 頭を振って応じる。
 手を繋いでいると、温かな気持ちで満たされるようだった。
「気持ちを伝えるだけでいいって思ってたのに、
 ……鴎葵の言葉聞いたら嬉しくて仕方がないの」
「私は、お前以上に嬉しい」
 もう一度強く抱擁した。
 胸に抱きしめたら、顔をあげて柔らかく微笑んだ。


「……そろそろ帰った方がいいのではないか」
「え……?」
 考えもよらないことだった。
 瞳が揺れて、視界に映る鴎葵も揺れた。
 尻込みする気持ちが分かっただろうか。
 白銀の髪が風に揺れている。
 鮮やかな真紅の瞳は、穏やかさで溢れていた。
 頬の鮮やかな文様も花の色に見えた。
「家の者が心配するだろう」
「もう10歳の童じゃないわ」
 手を引き離し、ぷいと顔を逸らして背を向ける。
「知っている……」
「……家に帰らなきゃいけないのは分かってるの。
 でも……帰りづらいんだもの」
「何かあったのか?」
 とても優しく労わるように聞いてくる声に、また涙がこぼれそうになる。
 ここに来た時泣き顔を見られただろうし、
 手の腫れも気にかかっているはずだ。
「……よほどの事情があるのだろう?」
 元々隠すつもりではなかった。
「お兄さまに求婚されたの……」
 振り返ると、鴎葵は眉をひそめていた。
「血が繋がってないの。
 薄々知ってたんだけど面と向かって知らされちゃうときついかも」
 声をかけづらいのか鴎葵は黙っている。
 こんな重い話をいきなりされても困るだろうが、鴎葵に聞いてほしかった。
「何よりお兄さまが私を妹として見てくれてなかったのが辛いの。
 私にとって最初からお兄さまはお兄さまだったのよ」
 涙が落ちる瞬間に、指が伸びてきて頬を拭う。
「今まで兄として接してきて急に異性の対象としては見られないのは当然だ」
「……だけど容赦なく突っぱねたから傷つけたかもしれない」
「あずみは優しいな」
「……優しいのかな」
「ああ」
 髪を撫でる仕草に酔う。
「帰りづらいかもしれないが、兄君とちゃんともう一度話した方がいいのではないか。
 私は明日もここにいるから安心しろ」
「……ありがとう、鴎葵。話聞いてもらったら、少し心が軽くなったわ」
「そうか」
「また明日来るね」 
「ああ……」
「じゃあね」
「あずみ」
 手を振って立ち去ろうとした瞬間、呼び止められた。
「私は、お前と共に行きたい。人の世で言うなら婚姻を結ぶということだ。
 だが、神が人と契ることは禁忌。
 私が、神であることを捨てて人として生きるか、
 あずみ……お前が私の眷属になるかどちらか一つしかない」
 背中越しにかけられた声。
 とても重大な決断を持ちかけられている。
 答えは決まっていても、すぐ告げるのは
 気持ちが伝わらないかもしれない。
「……明日伝えるわ」
「私はお前がどのような道を選ぼうとも  あずみの意思を尊重しよう」
 力強い言葉に振り返ると、頬笑みさえ浮かべて見送っていた。
 さりげなく手を振って走り去る。
 強引に攫ってくれたら、余計なことを考えなくてもすんだのかな。
 ……そんな人じゃないから彼に恋をしたんだ。
 どこまでもこちらの気持ちを慮ってくれる彼に感謝していた。
 家に帰り着くと、居間に家族が揃っていた。
 大鍋には根菜の汁ものが煮えている。
「……座りなさい」
 父から促され、向かい側に座る。
 隣りには兄が座っていた。
「お帰り」
「……ただいま」
 先ほどの出来事がなかったかのように普通の態度で接してくる兄に胸を撫でおろした。
 他の家族におかしいと思われたらいけないので、平静を保たなければならない。
 鴎葵のおかげで落ち着いていたはずだったが、心の中はまだ嵐が吹いている。
「長老からされた話は、鴎葵さまのことだな」
 単刀直入に聞かれ、一瞬戸惑ったが、覚悟を決める。
「……はい」
 そわそわする。
 私が森へ行って禁を破ったことの罪の呵責に耐えられなくなり長老へ知らせたのは、家族だ。
 多分、何年も前にご存じだったろうに、今頃呼び出されたのが不思議だった。
「時雨にも聞いている。
 お前が神へ分不相応な気持ちを抱いていると」
 かっ、と胸が熱くなった。
 普通の人から見れば、そういうことになるのだ。
 顔を上げ、はっきりと父と母を見据える。
「……長老さまは最後は自分の気持ちに従うように仰って下さいました」
 兄にも言ったことを伝える。
「……あずみ、お前はこの家を出たいと言うのか」
「はい」
「時雨と婚姻を結ぶ気はないのだな」
「……はい」
 ずきん、と胸が痛む。
 兄が言った通り両親も承知の上だった。
「平穏な人生を捨てて、茨の道を進もうと言うの?」
「その道を選ぶのは、異端なのでしょうけど、
 私にとっては、彼の手を取ること以外に幸せはないのです」
 厳しくも温かいこの家族がとても大切で離れがたくもあるけれど、
 自分の意に沿わぬ人生を生きてもそれは人形と同じだ。
「心は変わらないのか」
「決めたことです。  あの人も私の気持ちを受け入れてくれました。
 お兄さまのこともいきなり本当の兄じゃないと告げられても
 男の人として見ることなんてできません。
 ご好意を無にしてしまったことは、申し訳ないと思います」 
強い口調になっていた。
 沈黙は、しばらく続いて、やがて溜息とともに父が口を開いた。
「強情な娘だ……だが、自分の意思を貫く強さは認めなければなるまいな」
「お父さま」
「時雨……諦めなさい。強引に従わせても
 お互いに幸せは訪れないわ」
 諦観の声音。母は笑ってさえいる。
「……私ではあずみを御しきれないようですし」
 こちらを向いた兄は苦笑していた。
 ばっと顔を赤らめる。
 兄のおかげか食卓の雰囲気は明るい物になっていた。
 こんなのは恥ずかしいけれど。
「……もの好きの神様に感謝しなければならいか」
「いえ、見る目があるんですよ」
 唸りたい気持ちで兄と父を見比べる。
喜んでいいのやら複雑な気分だった。
「行くのね……?」
 母の声は優しかった。
「例えもう会えないのだとしても、
 お父様とお母様の娘で、お兄さまの妹であることに変わりはありません」
 嗚咽を堪えながら、家族を順番に見据えた。
 両手で瞼を拭う。
「当たり前だ……」
 父の言葉に、母も兄も頷いている。
「……だから私のことは忘れてほしいの」
 全員の息を飲む音がした。
「勝手に家を捨てて出ていくのに忘れないでなんて言えないわ」
 親不幸な娘を許してほしいとは思わない。
 内心葛藤しているに違いないのに、意思を尊重してくれたのだ。
「……残酷なことは言うものじゃない。
 私達もお前と同じ気持ちだ。どこへ行ってもこの家の娘であることに変わりはない」
「……ありがとう」
 ごめんなさいと内心では呟いていた。
 それでも思い出すのは時々でいい。
 私は違う道を選んだ。
「今宵は、あずみの門出を祝う宴だ」
 この日を永久に忘れることはない。
 笑って、語らった二度と来ない家族の時間は、
 この先、生きる糧になるだろう。
 眩しい朝陽に迎えられて一日が始まった。
 今までとは違う朝だ。
 欠伸をしてのっそりと起き上がる。
「おはよう、あずみ。だらしがないわよ」
「お母さま……おはようございます」
 あわてて蒲団をたたむ。
 ぼんやりと焦点があってくると母が抱えているものに気がついた。
「……それは」
「私がお嫁入りする際に着たものだから、少し古いのだけど
 大事にしまっていたからあまりくだびれてはいないと思うわ」
 渡されたそれを広げる。
 純白の花嫁衣装には、金と赤の刺繍が縁取られている。
「頂いてもいいの?」
「あなたに着てほしいの」
 皺が寄らないように気をつけて抱える。
 袖を通して羽織ってみると、そのさらさらとした着心地にうっとりとした。
「よく似合うわ……」
「そ、そう?」
 母の言葉にまんざらでもない気持ちになる。
「出発は何時にするの?」
 はたと我に返る。
「……皆で朝ご飯食べてから」
「あら。もうお昼よ」
 くすくすと笑われてしまった。
 寝るのも朝方近かったのだから仕方がないけど
 最後の日くらいきちっとしていたかったなと思う。
「お昼食べたら、お化粧してあげるわ」
「はい」
 頬を染めて頷いた。
 初めて紅筆を使うのが、お嫁入りの時だなんて気恥ずかしくも嬉しかった。
「でもお衣装来て歩くの目立つんじゃない?」
  「昨日の内にお父様が挨拶して回ったみたいだから、
 ……覚悟はしておきなさい。送り出してもらうことも礼儀よ」
 頷きながらもこの恰好を見た時の鴎葵の反応を想像して
 頬を緩ませている私は緊張感のかけらもないのかもしれない。
「しまりがない顔しないの」
「えへへ」
「もう……これからお嫁入りするって子が」
 呆れながら、母が髪を撫でてくれる。
 丁寧に畳んで、部屋を出た。
 昼食を食べ終えて部屋に戻ると鏡の前に座る。
 後ろに座った母が、花嫁衣装を着つけてくれた。
 そして、白粉をはたき、唇に紅をさしてくれる。
 髪を梳いてもらった後、自分で鴎葵にもらった髪飾りをつけた。
「とっても綺麗よ。胸を張ってお嫁に出せるわ」
「……ん」
「未練を言うなら……もっと色々なことしてあげたかったわ」
「……お母さま」
 鼻がつんと痛くなる。
 瞳にはじわりと浮かんでいる。
「お化粧が台無しになるわ。せっかく綺麗に整えてるのに」
「う……でも涙が止まらないの」
「お父様と時雨の前では笑っていなさいよ。
 最後の記憶が泣き顔なんて辛いもの」
「努力します」
 確かな約束はできないのが歯がゆい。
 部屋から出ると廊下に兄が立っていた。
「……本当に綺麗だよ。このまま行かせるのが惜しいくらいだ」
「お兄さま」
「そんな顔をするな。冗談に決まっているだろう」
 兄はすがすがしい顔をしている。
「私、昨日も言ったけどお兄さま大好きよ」
 抱きつくと、背中に腕が回ってきた。
 ぽんぽんと背を叩いて、すぐに離れる。
「俺から抱きしめようと思ったのに」
 拗ねるような口調に笑う。
「父上は家の外で待ってるよ」
 裾をさばいて、慎重に歩く。
 兄が後ろで見送っているのを背中に感じながら家を出る。
外に出たところに父が立っていた。
「……幸せになるんだぞ」
「はい……」
 自然と笑みがこぼれる。
 ありがとう……みんな。
 さよならって言えなくてごめんなさい。
 少し足取りを速めて道を歩く。
 近所の人たちも、農作業の手を止めて、見送ってくれている。
「あずみちゃん、元気でね」
 いつも親切にしてくれた近所のおばさんが駆け寄って手を握ってくれた。
 集まった人たちに頭を下げて、賑やかな場所を通り抜けるといよいよだと実感した。
 
 緑の草が揺れる草原の先、佇む彼の姿が見えた。
一歩ずつ近づいて姿が鮮明になってくると
 改めて、優美な姿に目を奪われる。
 背を流れる白銀の髪、真紅の瞳、頬にある朱の文様、見上げるほどの体躯。
 上質な絹の着物を纏う様は何度見ても惚れ惚れする。
 出逢ってから数年が経った今も、私の背は彼の胸に届くかどうかなので
 見た目的には大人と子供のように見えてしまう。
 少し悔しいけれど、相手が鴎葵だから仕方がない。
「……あずみ」
 目を瞠った彼が、向こうから歩み寄ってくる。
「……馬子にも衣装だなんて言わないでね」
 はにかんで彼を見上げる。
「あまりに美しいので驚いた」
 手を取られる。
 間近で見つめられるとやはり照れくさい。
 面白がっているわけじゃなさそうなのに、じいっと顔を覗き込んでくるのはやめてほしい。
「もう……心臓が持たないよ」
 意味深にほほ笑んだ鴎葵は、私を抱えてぐるぐる回し始めた。
 緩やかに視界が回転する。
 10年くらいこんなことされたことはない。
「……鴎葵、はしゃいでるみたい」
「愛らしすぎるのが悪いのだ」
 嬉々とした様子に、こんなひとだったんだと改めて思った。
「こんなの大人になってされたら恥ずかしいんだよ」
 14歳はそろそろお嫁にいく年齢なので、世間一般では大人と見なされる。
 ちょっと残念そうな様子で、地に下ろしてくれた鴎葵は、
 背をかがめてこちらに視線を向けてきた。
「鴎葵、やっぱり私はまだ小さな童かな」
 ずきん、と胸が痛む。
 鴎葵から見れば童なのは仕方がないとしても。
「童だったらよかったと言っただろう。
 どういう意味か分からぬのか」
 心臓が高鳴った。
 こんなに艶めいた目をした鴎葵を見たことがない。
 早なる心臓をなだめられないままに、いきなり腕の中に抱えこまれてしまう。
 すっぽりと閉じ込められて少し息が苦しい。
「触れたり接吻してみたいと思うのは私にとってお前が愛しい乙女だからだ」
 一気に頬の温度が上がる。
 神様ってこんなに情熱的なんだ。
「私の妻になってほしい」
「……ん」
 頬が染まる。
 そっと寄り添うと、彼の温かさが胸にまで染み入ってきた。
「神の眷属となってあなたの側で生きたい。とっくに決めていたわ。
 鴎葵には変わらないでほしいから」
 もし、彼に求婚されたなら彼の側で生きる者になろう。
 神だと知る前から決めていた。
「それでいいのか」
 憂う瞳が問いかける。
「……すべてを置いてきたのだもの。
 もう迷ったりしないわ」
 彼が何者だなんて最初から関係なくて、一緒に色んなものを感じられるのが嬉しくていつの間にか好きになっていた。
 恋なんてまるで知らなかったのに、鴎葵に出会って急速に気持ちが変化していった。
「……これからは、悲しい思いをさせないようずっと守っていこう」
「あずみ、私と共にいてほしい」
「はい」
 腕の中、鴎葵を見上げる。
 重なった唇。
 二人で永い時を共に生きていく為の誓いの接吻だった。


 あずみが花嫁衣装で現れたのも、決意の表れだったのだ。
 なんて強いのだろう。
 彼女と共に生きていけるのなら、他はどうでもよかった。
 神であることを捨てて、短いながらも味わい深い時を過ごすのもいいとさえ思っていたが、
 私の覚悟よりもあずみの方が強い意志を持っていた。
 人間の持つ強さは計り知れない物がある。
 何千年もの時の中で色々な人々を見てきたが、
 脆くも強い人間は、時に想像もつかぬことをやってのける。
 心の強さがあれば生きられるのだと教えてくれた。
 決して無力ではない。
 強大な力を持つ神さえ動かすことができるのだ。
 愛おしい娘の手を取りながら思う。
 他に誰もいなくなっても、共にいることを望んでくれた
 大切な少女と、今までとは違う明日を歩いていこう。
「今にして思えば出逢ったあの日から、惹かれていたのかもしれない」
「きっと私もよ」
 心中で呟いていたと思っていた言葉を口に出していたことに気がついたのは返事があったからだ。
 随分と気持ちよさそうにしていたが眠っていたわけではなかったらしい。
 草の上に腰を下ろし、あずみと寄り添っている。
 膝にもたれかかる体温には安堵以外感じない。
 黒髪を梳くと、くすぐったそうに笑う声を聞いて自然と笑顔になる。
 顔を傾けて唇を寄せた途端に真っ赤になった。
「……鴎葵、くさい」
「いつも清潔にしているぞ」
 自分の着物の匂いを嗅いだ。
「そういう意味じゃないんだけど」
 笑い転げる様が、あどけない。
 重い荷を背負わせてしまった罪悪感を和らげようと努めてくれているのだろう。
 優しい娘だと思う。
「あずみ……子供は何人ほしい?」
 彼女は身を起こして、こちらを振り仰いで見て俯いた。
 熟れた林檎のように真っ赤になっている。
 浮かれている自覚はあるのだが、どうにもならないのだ。
 威厳も何もあったものではないと、泉水に言われてしまう。
 奴とは暫く会いたくないと思った。
「あずみの子供なら何人でも大歓迎だが」
「……まだ考えられないわ」
 ぼそぼそと呟いている。
「……宝物はお前だけで十分だな」
 袖の内側に引き寄せたら、甘えるように袖をつかんできた。
「……大好きだよ」
「ああ」
 無垢で清らかな花嫁は、こちらを見上げ眩しそうに目を細めている。
 堅く繋いだ手を握りしめて、微笑みあった。
 


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