序章



「お母さま、今何て仰いました?」
 できれば幻聴であって欲しいと願う。
 薄々、予感していたことではあった。
「あなたとグリンフィルド国王との結婚が決まりました」
「私はジャックと婚約してるのよ!?」
「あなたに拒否権はないのよ、セラ。勿論、私達にも」
 母は父の方を仰ぎ見た。
 王の命に逆らって一介の貴族が生きられるはずがない。
 突きつけられた無常な現実に眩暈がする。
「…………分かりました。私は王に嫁ぎます」
 鼻の奥がツンとしたけれど、涙は流れない。
「お城の舞踏会になんて行かなければ良かった!」
 激しく言い放った。初めて親に見せた激情。
 驚愕に目を見張る両親の顔が滑稽で。
「あの時、王様に誘われて踊ったわ、今となっては取り返しつかないけど」
「あなたの美しさが王様の心を奪ってしまったのね」
 母は嬉しそうに言う。
 ジャックとの結婚を祝福してくれていたはずだったのに。
 人というものは地位や権力に弱い。
「…………嬉しいわ、王家に嫁ぐものが我が家に生まれるなんて。
 夢のようだわ、ねえあなた」
「セラ、これは幸運なのだぞ?」
 父は多くは語らない人だ。
「そうですね」
 平静通り、両親に微笑んだ。
「ジャックにお別れをさせて下さい。きちんとお別れを言わないと」
「行ってらっしゃい」
「トリコロール家には既に連絡してある」
 貴族としての礼儀作法など関係ないというように、乱暴に扉を開け放ち閉めて、屋敷を飛び出した。

 屋敷の外に、彼が待っていた。
 ジャックはいつものように優しく微笑んでいる。
 来てくれた。
「ジャック」
 ジャックの顔を真っ直ぐに見つめる。声が震えてしまったかもしれない。
「そんな顔するなよ」
 こちらの手を握る温もり。
「私、王と結婚しても一生愛せないと思う。分かるのよ」
「そんなことを言うな。ちゃんと王を愛して世継ぎを生んで立派な王妃になってくれ」
「ジャック…………っ」
 気づけば抱きついていた。
 大きな腕がふわりと抱きしめる。
 体の震えが止まらない。
 きっと泣いてる。人前で泣いたことなんてなかったのに。
 感情が堰を切ったように溢れだした。
 ジャックに泣き顔を見られたくなくて、彼の肩に頬を埋めた。
 嗚咽を堪えるのに何も言えない。
 暫らく沈黙が続いた。
「らしくないな、セラ。君は強気に微笑んでいないと」
「…………全部見抜かれてるみたいね。適わないな」
 本当は弱くて女々しいんだ。
 貴族の令嬢としての毅然とした振る舞いは、仮面の姿。
 髪を梳く手に切なさが募る。
 この腕に抱かれていたかった。
 口づけを受けるのはこの唇しかないと思ってた。
「ずっとあなたを愛してる」
 背伸びをして自ら口づけた。
 返される口づけは淡くて。
「セラ」
 愛してる。
 吐息混じりに唇から漏れた言葉。
 永遠に胸に刻まれるのだ。

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