第二章



 額に飾られたパールも白いベールも、セラの金髪と深い青瞳によく映えていた。
 首元まで覆う白いレースの襟、床につくほど長いドレスの裾。
 肌の露出は極力控えめの衣装。
 肌を見せるのは、王の前だけということだ。
「あなたをグリンフィルド国王妃として認めます」
 王宮に仕える神父が、頭にティアラを載せるのを空虚な心で、受け止める。
 王に手を引かれ、跪いた赤い絨毯から腰を上げる。
(後戻りはできない…………)
 セラからうっすらと零れ落ちた涙を王の指先が拭う。
 白い手袋を嵌めた手の甲に口付けをされた。
 王城内での厳かな式典が終った後は、中庭でのお披露目がある。
 そこから王妃として歩き出すのだ。
 国内の王族、貴族、諸外国の王族、貴族、そして国民へのお披露目。
 セラが、城のベランダから中庭にいる国民に小さく手を振るとざわめきが起こった。
 王は微笑みながら国民の声に応えるセラの手を取り満足気に笑う。
 気高く美しい王妃だと誰もが褒め称え、奥底に秘められた悲しみには
 気づくことがない。王は、セラの過去を知らぬはずないが、彼の方から聞く事はなかった。
 まっすぐ前を見据える瞳は強い光を宿していて、誰もがこの国の未来に希望を抱いた。
 鳴り止まぬ声援の中、王と王妃は退場する。
 長い一日はまだ始まったばかりだ。


 城内に戻ると王と王妃はそれぞれ別室へと別れる。
 王は一人で、王妃は侍女数人と共に。

「王妃様、お湯浴みの準備が整っております」
 侍女に手伝われ、着替えを始める。
 後ろに控える侍女が脱いだドレス類を受け止めた。
 部屋の中央に引かれたカーテンの中からは、白い湯気が上がっている。
 セラは白い布を纏い、カーテンの中へと入る。
 湯に浸かると、お湯が弾ける音がした。
 カーテンの向こう側に控えていた侍女達が入ってきて、湯に浸かるセラの体を
 洗い始めた。柔らかな布を使い、丁寧に体に泡を纏わせてゆく。
 もう一人の侍女が泡を洗い流す。
 湯船から上がったセラは、体を拭かれた後、透けるような白い肌に、香油が塗られる。
 これから王に召される后として夜の化粧を施されているのだ。
 甘く芳しい香りが鼻をくすぐる。鼻をつくほどきつい香り。
 次に着せられたのは真っ白なドレス。
 ウェディングドレスとは違い、薄手。
 腰に紐を結ぶだけの簡単なデザイン。
 そのドレスの上にローブを身につけて終わりだ。
 湯浴みを着替えを済ませたセラは再び部屋から出て、侍女の後ろを歩く。
 固い決意があるから、壊れることはない、決して。
 私は永遠にあの人の物なのだから。
 セラは伏せた瞼の下で想う。
 愛しい元・婚約者の顔を思い浮かべて心を強く保つ。


 侍女が寝室の扉を開き、セラは中へ身を滑り込ませた。
 扉が閉じる音を聞いて一つ息をつく。
 天蓋つきの寝台の前、王が立っていた。
「セラ」
 なるべく時間をかけて歩を進めることで、何かを遅らせようとしている。
 どうせ逃げることはできないのだ。
「陛下」
「…………ギウスだ」
「陛下とお呼びします」
 名前が最後の砦であるかのように、セラは断固として譲らない。
「どうしても名を呼んではくれないのか」
 少し寂しげな声音。
 セラは無言を返すことで肯定とした。
 優しく抱きすくめられて、セラは瞳を閉じる。
「私は知っていながら知らぬ振りを通そうとしている。この国を治める
王でありながらなんと浅ましく卑怯なことか」
 王ーギウスーから紡がれる言葉。
「恋人との仲を引き裂いて、あなたを奪った私は最低の男だろう」
(何を言う気なの。今更、懺悔されても取り返しはつかないのよ)
「権力を傘に着てまでもあなたを手に入れたかったのだ、セラ。
 美しく気高い姿に一目で惹かれた。傲慢かもしれないが、
 私はあなたを心の底から愛している。
 今は何も望みはしないから、側にいてほしい」
 抱きしめられた体が震えている。否、震えているのは王の方だ。
 セラは目を見開いた。
 ギウスが罪を感じているなんて思いもよらなかった。
 ジャックとの婚約を破談にさせ、王妃となることを命じたこの男が、
 負い目を感じているだなんて。
 憎しみを覚えかけた心が中途半端な位置で止まる。
 王の言葉により、ぶり返した悲しみ。
 最初で最後の思い出にと過ごしたジャックとのことさえ悲しみを呼び起こす。
 二度と会えないことを思い知らされて。
 けれど、泣くことはできなかった。
 熱を訴える瞳が、揺れるだけ。
(ジャックへの想いを封印はできても消すことはできないだろう。
 ここで生きると私は決めた。意に染まぬことでも選んでしまった。
 なら、私は自分を閉じ込めるしかない)
「私はあなたの后ですから、どうか望んで下さいませ)
一字一句を確かな言葉にして唇から送り出す。
抱きしめられた格好で、ギアスの耳へと届けた。
「セラ」
体が離されて正面から見つめ合う。
強い眼差しを反らさないセラ。
甘やかな眼差しを向けるギアス。
触れ合う唇。
キャンドルのみの明かりの下、影が重なる。

これが、すべての始まりだった。



三ヶ月後、王妃セラの懐妊が明らかになった。
待ち望んだ出来事に、皆が皆浮かれ、喜びの声を上げる。
一番喜んだのは、夫である国王その人であったが。
「大事にして、良き子を産んで欲しい」
「ええ」
セラは割り切ることで自分の生きる術を見つけた。
ここが彼女の生きる場所。
子を懐妊した今、王妃としての最初の勤めを
果たしたも同然で、城中の者が彼女へ寄せる期待も、
国民の評判も高まる一方である。
「暫く実家でゆっくりしてきてはどうか」
「私は家を出て王家に嫁いだ人間です。もう帰る家などありません」
セラはギアスの申し出をやんわりと断り、私室へと戻ってゆく。
きっぱりとした口調からは家を想う恋しさなど感じられない。
ジャックとの思い出が形として残っている場所になど帰れるはずがない。
娘としてではなく王妃として扱う家に帰って寛ぐことなどできない。
セラはどこにいても王妃であり、それ以外の何物でもなかった。

私室へと戻ったセラは、化粧台の前に座る。
そこには、気高き王妃ではなく、十九歳の少女の姿があるのみだ。
今日はまだ公式の場に出ていなかった為、化粧をしていなかった。
午後過ぎるまで、王と彼女づきの侍女ベルとしか顔を合わせていない。
周りの侍女の数が減ったのは、妊娠したセラをなるべく静かな環境で、
過ごさせたいとの王の配慮。
パレットに載せた赤い色を指に取り、唇にのせてゆく。
白粉はつけずとも白い肌の中、唇の真紅が、きつめの美貌を引き立たせていた。
唇に赤い色を飾ったセラは鏡を見つめて微笑む。
「弱さなんて必要ない」
まだ大きくなってもいないお腹に掌を当て、立ち上がった。
(私は王妃としてやるべきことを見つけた)
誇り高い王妃がそこにはいた。



半年の後、グリンフィルド王家に、王女が生まれた。
ギアス王は大層喜び、赤茶色の髪をした姫に、こう名づけた。
『リシェラ』と。
王妃であるセラの名前の響きに似ているというのが、名づけた理由だった。



それから十数年の時が流れる。


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